45 ゾーイ

 ミスコンの表彰が終わり、生徒たちはバラバラと体育館を後にした。

 俺はリンエとともに写真を撮った後、トロフィーを教室に置いて一度ジアたちと別れた。

 今はほんの少しだけ一人になりたかったのだ。

 トイレに入り、俺は鏡の前で自分を見つめる。

 目が真っ赤になってしまっていた。確かに、結局写真を撮っている時もまだ涙が止まらなかったしな。


 ちょっと可笑しくて、思わずくすっと笑ってしまう。

 ジアから聞いた話だと、グランプリの投票は学校対抗戦の辺りで行われていたらしい。

 その時俺は野球の助っ人を引き受けた頃だったから、それどころじゃなかった。そりゃ気づけない。でも教えてくれてもよかったのにとジアに一応言ってみた。しかし彼女は「きっとゾーイはその制度も忘れているから、変にプレッシャーをかけたくなかった」と答えた。

 退院後、記憶が曖昧になっていることを彼女は気にかけてくれていたのだ。むしろその記憶喪失を利用してくれた形になった。

 それを言われてしまったらもうどうにも返せない。


「ゾーイ、やったな」


 鏡に手を伸ばし、俺はゾーイに語り掛ける。

 彼女に聞こえているといいな。そんな願望を込めながら。

 ふつふつと、涙で隠れていた興奮が蘇ってくる。呼応するようにゾーイの表情も生き生きと輝いていく。

 ミスコンのグランプリを狙うと誓った時、本当にできるかなんて分からなかった。

 けれどこの目標を成し遂げた今、藤四郎としても清々しい気分だった。

 ミスコンという一大イベント終え、次なる目標はゾーイの未来を更に輝かせるための進路選択だ。

 ゾーイは頭がいい。そのおかげで俺も勉強が出来るようになった気さえしてきてしまう。

 だからこの能力を活かして、彼女らしい未来を歩む道を探さなくては。


「よし……っ!」


 鏡に向かってガッツポーズをして気合いを入れる。

 ミスコンは終わっても、まだまだ気を抜いてなんていられない。

 ゾーイの未来はこれからだ。俺ももっと精進していかないと。


「ふふ」


 でもなんかそれも、すごく楽しみなんだ。

 俺はゾーイの笑顔を脳裏に焼き付けトイレを出た。扉を開け、一歩足を踏み出す。

 これからまた新たなスタートラインだ。

 意気揚々と廊下を歩くと、背後から誰かが走って来る足音が聞こえてきた。

 どうにも自分に向かってくるような気がして、俺はサッと振り返った。が、その瞬間、俺は自分でも聞いたことがない悲鳴を上げた。


「んが……っ!?」


 みっともない声だということは確かだ。でもそんな自分を責められない。

 だって振り返ったら、恐竜がこっちに向かって走って来ていたんだから。


「ゾーイ! グランプリおめでとう」


 恐竜は俺の前で立ち止まるなりそう言った。

 どこかで聞いたことがある声。恐竜のマスクを被っているから声がこもっているけど。

 得体の知れない恐怖で固まっていた俺の脳が緩やかに動き出す。


「ダレン?」


 恐竜はこくりと頷く。

 マスクから下、ようは首から下はこの学校の制服を着ているし、間違いなくこの学校の生徒だ。

 加えてこんなマスクを持っているのなんて限られている。


「ゾーイにおめでとうって言いたくて。ただおめでとうって言うだけじゃつまらないから、このマスクを作ったんだ」


 ダレンはマスクを外して目元を緩めた。

 かわ……じゃなくて、どうして恐竜なんだろう。


「ふふふっ」


 理屈が分からなくて笑ってしまう。けれどダレンの表情は真剣だから、ふざけてるわけではないはずだ。


「グランプリ発表の今日に間に合わせたかったから、細部までは作りこめなかったけど。やっぱり、恐竜に見えない? 変?」


 ダレンは恐竜の出来に笑っているのだと思ったのか、マスクをまじまじと見て眉をひそめた。


「違う違う! 恐竜にしか見えないよ。なんで、恐竜なのかなって」


 笑いながら答えると、ダレンは「ああ」と合点がいったように目を開く。


「驚かせるのに最適なのが恐竜かなって思ったんだ。ホラーなものはそぐわないし。驚かないようなものは意味がないし」

「はははっ。そっか。なるほど」


 完全に理解したわけじゃないけど、とにかくそんなダレンの気持ちが楽しくて心が跳ねまわる。だから、細かいことは別にいいんだ。


「こんな風にお祝いしてくれるのはダレンだけ。ふふ。ありがとう。でも、グランプリになるのか分からないのにマスクを作り始めたの?」

「うん。ゾーイが絶対にグランプリを取るって思ってたから」


 ダレンは何も疑問に思っていない様子であっさりと答えた。


「嬉しい。わたし、本当のところはしっかりとした自信がなかったから……。自分すら自信がなかったのに、そんなこと言ってもらえて。どんな喝采よりも嬉しい」


 じんわりと胸の奥が温かくなってきて、俺はまた泣いてしまわないようにぐっと瞳に力を入れた。


「俺はゾーイしかいないって思ってたけどなぁ」

「ふふふ。やめてよ。涙が出ちゃうから!」

「嬉し涙なら別にいい」

「もう! よくない恥ずかしい!」


 俺が必死に頭を振って否定すると、ダレンはクスリと笑った。


「ごめん。あ、そうだゾーイ。グランプリのお祝いがしたいんだ。いつもゾーイにはメイクのモデルになってもらってるし、お世話になってるから何かしたくて」

「え? そんなのいいよ?」


 メイクの時間、俺はすごく楽しいし、負担になんて思ったことはない。

 だからそんなの気にしなくていいのに。

 俺が消極的な顔をすると、ダレンは恐竜のマスクを抱えたまま首を傾げた。


「グランプリになったのに、そんなに遠慮しなくていいよ?」

「……でも」


 本当は嬉しい。

 ダレンにそんなことを言ってもらえるなんて、嬉しくてたまらなかった。

 正直もう恐竜のマスクのサプライズだけでも十分に心は満たされた。

 けれどせっかくの申し出を頑なに断るのもちょっとどうかなとも思うし。

 あんまり我儘なことは言いたくないんだけど……。


「じゃあ、今度、一緒に化粧品見に行ってくれない、かな?」

「ん?」


 やっぱりこんなお願いちょっと恥ずかしい!

 けど、ダレンに一緒に化粧用品を選んでもらえたら、すごく勉強になるだろうしできればお願いしたいと思っていた。これまで恥ずかしくてなかなか言い出せなかったけど。この機会に、言ってしまった。


「さいきんね、メイクの勉強してるの。ダレンみたいに上手くメイクしてみたくて。でも、実際売り場に行くとさっぱりで……そそくさと帰ってきちゃったんだ」


 これは本当にあった話だ。

 学園祭の後、俺は学校帰りに意を決して薬局のメイク売り場に足を向けた。けれどやたらとライトが光り輝くあの空間にいるだけで場違いな気がして気まずくなってしまい、まともに見ることもできなかったんだけど。

 今はリンエから貰った化粧用品を使ってちまちまとやっているところだ。


「そんなことでいいの? そんなの、いつだって歓迎なのに。もっとお祝いらしく、なんでもするよ」


 ダレンは物足りなさそうな顔をして答える。


「えっ?」


 いつでもいいの?

 それはそれで、心強いんだけど。

 けどこのお願い事じゃダレンはお祝いの願い事だとは受け止めてくれないってことか。

 ならば他のことならどうだ。


「そしたら、今度一緒にランチ食べよう?」

「お願いじゃないと駄目?」

「ううん。全然いい。えっと……じゃあ、宿題、一緒にやろう?」

「それじゃむしろ俺が助かる」

「あ。特殊メイクでね、わたし、ゾンビがやってみたくて!」

「ゾーイ」

「ごめん。それじゃわたしのお願い事にならないね。えっと……週に何回か一緒に帰る、とか?」

「それ、約束が必要なこと?」

「イリマセン」


 なかなか良い案が思いつかない。だけどこのやり取りを永遠に続けたいくらい、今、俺の心は浮き上がっていた。理由なんて言及したくない。ただお願い事を申し出る度に、彼との距離が近づいているような気がしたからだ。

 俺の表情が明るくなっていたのか、ダレンの頬が綻んだ。長い睫がくるんとしていて、涼しげなのにお人形みたい。普段はあまり目立たない生徒なのに。ゾーイもそうだった。でも、ダレンもまた、隠れた魅力のある生徒の一人だ。そんなちょっとした点が似ているからなのだろうか。彼を見ていると気持ちが安らぐ。気を張る必要なんてないし、むしろ緩んでしまうくらい。そのことを変に意識したせいか、俺の心に僅かな隙間が出来た。そうだ。気が緩みすぎたんだ。


 お願い事。

 そういえば、ゾーイの日記でいつか見た気がするな。

 俺も、その願いに共感した覚えがある。

 映画やドラマだと、主人公は脚光を浴びた後で愛する人から唯一の贈り物をもらう。


「じゃあ……おめでとうのキスがいい」


 言った後ですぐに後悔をした。

 なんてことを言ったんだ!

 恥ずかしくて訂正したくても舌がもつれて言葉は喋れなかった。

 わたわたとする俺を見て、ダレンは何を思ったんだろう。

 彼の反応次第では倒れてしまう気がして、俺はダレンの顔も見れずに俯く。結局訂正も何も言えてない。

 するとダレンが沈黙を破る。


「それもお願いじゃなくていいのに」

「へ?」


 顔を上げると、ダレンの優艶な顔がすぐ近くに見えた。

 あれ? 距離、近い?

 そう思ってる間に、柔らかな感触が頬にぶつかる。唇のすぐ近く。でも、そこは確かに頬。

 一瞬のことに状況が理解できない。

 彼の鼻先が離れていき、清涼な香りが鼻を通ったことだけを脳は理解した。


 RED CARD。

 一発退場です。


「ああああっ!」


 突如として熱い感情が熱とともに身体の底からてっぺんまで突き抜けていく。

 ダレンの手にある恐竜のマスクを奪い取り、ゆでだこになった顔を隠そうと急いで被った。


「……ゾーイ?」


 マスクを被っても、思ったよりも視界は良好だった。

 流石ダレン。マスク作成の腕もかなりのものだ。感心してる場合じゃないんだけど。

 ダレンは俺の表情を覗き込むように身体を屈めた。マスク越しとはいえ、彼がすぐそこにいると思うと心臓が爆発しそうなほど鼓動が早まる。

 お願いしたのは自分だ。そんなの分かってる。

 でもでも。あれは、事故というか。いや、事故……なのか?

 熱くなった思考にふと冷静なメスが入った。


「ごめん、ゾーイ」

「あやまらないでっ!」


 ダレンは悪くない。

 悪いのは俺だ。

 勝手な申し出をして、勝手にゆでだこになってるんだからな。

 悪いのは俺なんだ。

 だって……。

 自分の気持ちを、よく分かっていないのだから。

 ダレンはマスク越しに俺と目を合わせ、真摯な眼差しを向ける。マスクを作ったのは彼だ。どこに目があるのかなんてお見通しだ。


「ゾーイ、メイクが上手くなってきたよね」

「……え?」


 気づいてくれてたの?

 下手くそだからちょっとずつ、控えめにメイクをしているけれど、ジアですら今まであまり気がついていない。


「まだまだなところもあるけど、上出来だと思う」

「ほんと……?」

「うん。これからもっと上手になる」

「……だといいな」


 なんだろ。

 ダレンと会話をしていると、どんな状況だろうと心が和んでくる。

 だけどゆでだこは見せられない。


「メイクは上達する。必ずね。けど俺は、ゾーイのままが好き」

「…………」


 すき?

 聞き間違いか?

 俺はぽかんとして、マスクの下で口を半開きにする。


「でも君が好きな君の姿も見てみたい。どんなゾーイも好きだから」

「……へっ」


 やっぱり、好き、って言った。

 それって、どの”好き”なんだろう。

 友だちとして? それとも……?


「怖がらせてごめん。……もし、もう嫌だったら、メイクモデルはやらなくても大丈夫───」

「駄目!」


 ダレンが続きを言う前に、間髪入れず声が出た。言わずにはいられなかったんだ。言葉が迫ってきて、早く言わなきゃって思ったんだ。


「えっと……ほかの人には、モデルをやらせたくない」


 恐竜が俯く。手には汗をかいていた。けれど、ダレンが他の人に二人きりでメイクを施しているところを想像したら、すごく不安になった。いやだ、って感情が素直に溢れ出てきたんだ。

 分からない。

 なんなんだこれは。

 切なくてたまらない。でも一方で、とんでもない幸福感が胸を飛び回る。

 俺は、ゾーイ。でも、藤四郎。女なのか? 男なのか? そもそも、そんなの気にすることなのか?

 分からない。

 考えれば考えるほど余計に分からなくなる。

 すぐには整理しきれない。

 これから、この心情を綺麗に整理することなど出来るのだろうか。


「ダレン」


 彼を見上げる。そうすれば不思議と勇気が湧いてくる。大丈夫、何も心配はいらないよ、って。

 まだ顔は熱いし、多分真っ赤になっていると思う。マスクも少し暑いし。

 でも俺は恐竜のマスクを外し、しっかりとダレンの目を見て眉に力を込めた。


「てっ、手を繋ぐところから、はじめてくださいっ!」


 お友だちから、じゃないの?

 決まり文句を間違えた気がしながらも九十度にお辞儀をして手を差し出す。

 焦りすぎだろ。落ち着けよ、自分。

 それよりなにより、こう言ったものの、ダレンの”好き”の意味をはき違えてたらどうする?

 俺が先走り過ぎたのかも。

 けれど後悔などしていない。

 もし誰かにこの想いを訊かれたら、俺は素直に認めよう。


「ゾーイ」


 伸ばした俺の手を掴む大きな手。


「よろしくお願いします」


 ぎゅっと握られ、俺の心臓までもが柔く掴まれる。

 身体を起こせばダレンの微笑みが見えた。

 彼の表情が、俺の先走りではないことを教えてくれた。


「うん」


 彼の手を握り返す。ダレンは握手した手をふわふわと揺らした。ダレンは自然な動きでくるりと身を回し、握手していた手とは反対の手で俺の手を優しく握りしめる。


「あのねダレン、わたし、眉を綺麗に描いてみたいんだ」

「どんな感じにしたい?」

「わたしに似合うのって、どんな形? あ、あと、描きやすいものってあるのかな?」


 繋いだ手に縋るように、俺は息をするのも忘れて質問を投げかけた。


「じゃあ早速、実際に見に行ってみる?」

「うんっ!」


 ダレンの提案が嬉しくて、思わず繋いだ手をブンブンと振る。

 まだ彼に本当の気持ちを告げることはできない。その前に、もう一度自分と向き合いたい。

 けれどいつかダレンに素直な気持ちを伝えられるようになりたい。いいや絶対になる。

 目標や夢は、叶える度に新たに芽生えてくるものなのかも。

 やっぱり、ミスコンが終わったからといって立ち止まっている暇はないみたいだ。

 大いなる目標に向かう道標はもう知っている。

 胸の奥底から湧き上がる静かな力。迷いなき足取りのまま、二人並んで廊下を歩いていく。

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カワイイ俺の下克上 冠つらら @akano321

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