44 ミスコン
運命の日がやってきた。今日はミスコンの結果発表日。授業は通常通り行われる。最後の授業だけはお休みだ。その時間、全校集会でグランプリが発表される。
目が覚めた瞬間から、俺は生きた心地がしなかった。
生きるか死ぬかの問題ではない。だけど俺にとってはそう言っても過言ではない運命の時。
朝食も喉を通らず、両親に背中を押されて家を出た。二人は俺がミスコンを目指していることをハッキリと知っているわけではない。けれど少なからず。今日までの娘の姿を見て、何か大事な決意をしたことには気がついている。
「いってらっしゃい」
いつもの温かな母の声が、ほんの僅かに俺の心に光を差した。
当然、授業だって集中できなかった。ほかの生徒もミスコンという大きなイベントの結果にそわそわしているようだ。授業は静かに受けている。けれどどこかふわふわとした教室の空気。今日のところは先生たちも文句を言わなかった。
ジアとリンエは俺に気を遣ってか、昼食の席でもミスコンの話題は出さなかった。
感謝祭に向けた服装や当日の計画など、ミスコンとは関係ない話で気を逸らしてくれた。
刻一刻と、運命の時間は近づいてくる。
どきどきどきどき。時計の秒針より何倍も早まる心臓の音。隣の席の生徒に聞こえているんじゃないかって気になって全身に汗が噴き出した。
もう誰に声をかけられているのかもわからないくらい、俺の心はどこかへと飛んでいってしまった。
ジアに介護されるように腕を組まれ、ついに俺は体育館へと向かう。
ああ。もう駄目だ。
どこに隠れていようと、十五分後には結果が発表される。
くらくらと血の気まで引いてきた。そんな俺の空いた方の手を優しく握る体温があった。
見上げればリンエが凛々しい顔つきで微笑みかける。
「自信を持って」
彼女の口がそう動いたように見えた。声にはしない激励に、俺は震えながら頷いた。
体育館には全校生徒が集まっている。
中に入ると、広い体育館の中は謎の熱気に包まれていた。
興味のない生徒もたくさんいるはず。けれどやはり、好奇心旺盛な生徒の方が多いようだ。
ざわざわとした喧騒に押しつぶされそうになりながら、俺はジアとリンエに挟まれたままステージを見上げる。
「集まりましたか」
校長先生がマイクに向かって喋り出す。校長室で彼を見た時と同じく、今日も渋い銀幕スターのオーラを纏っていた。むしろ前よりも威厳が増しているように見えるのは気のせいか。
校長先生の新聞は、俺が配ったことをきっかけに以前よりも注目を集めるようになっていた。
先生自身もそれを楽しんだのか、記事の中にさまざまな遊びを仕掛けるようになった。きっと人気になったのはそのおかげだと思う。
懐かしい記憶を掘り起こしているうちに、校長先生は集会を滞りなく進めていく。
まずは感謝祭の時にはしゃぎすぎないように、とのお達しと、テスト勉強の存在を忘れないようにとの念押し。続けて学園祭の成功と学校対抗戦についての労いのお言葉が述べられた。
すごくいい言葉をたくさん言ってくれたと思う。
でも彼の言葉を胸に刻んでいる余裕などなく。俺は朦朧としたままステージを見上げていた。
「では、最後に今年度のミスコンについてです」
校長先生は生徒会長を舞台の上に呼ぶ。
折り目の正しさを絵に描いたような女子生徒が先生に一礼をし、彼に代わってマイクの前に立った。
「こんにちは。皆さん、長らくお待たせいたしました!」
彼女は場を盛り上げる溌溂とした声で生徒たちに呼びかける。あちこちから口笛や歓声が上がった。
「今年も多くの生徒たちが素晴らしい行動をし、仲間を助け、英知を共にしてきました」
生徒会長はメモを読み上げることもなくスラスラと続ける。
気づけば俺は、祈るように手を組んで瞼をつぶっていた。
もう怖くて生徒会長の姿すら見ていられない。心臓が口から出そうだし、脈拍もおかしい。今病院の検査を受けたら即入院って言われそうなくらい身体には異常をきたし始めていた。
ジアがそっと肩を抱いてくれる。その温もりだけが僅かに残った精神を保つ唯一の支えとなっていた。
「では、発表します!」
お決まりの言葉を言い終えた会長は、嬉々として手に持った封筒を掲げる。
俺は薄目でそれを見ていた。
「今年度、もっともポイントを獲得した生徒は────」
会長の声に合わせ、ドラムロールが体育館に鳴り響く。
俺は再びぎゅっと瞼を閉じた。
どうか。
どうかお願いします。
彼女の未来を。
彼女の希望を。
どうか、どうか─────!
「─────二年! リンエ・ルー!」
わぁっと、森の木々が揺れるさざ波にも似た歓声が一斉に沸き起こる。
「……え?」
隣のリンエから小さな声が漏れたのが聞こえた。
「おめでとうございます! ルーさん、さぁステージへ!」
会長が彼女を呼ぶ。しかしリンエが動く気配を感じなかった。
瞼を開け彼女を見ると、リンエは動揺したまま目を泳がせていた。
「リンエ」
声をかけると、リンエはびくりと肩を震わせて俺の目を見る。
「おめでとう。ほら、ステージに上がらなくちゃ」
彼女の背中をポンッと叩く。
「でも……」
「いいから。皆待ってるよ」
その時俺は、ちゃんと笑えていたのだろうか。
精一杯の笑顔を彼女に向け、俺は彼女に拍手を送る。
リンエは戸惑ったままステージへと向かう。ジアが隣で眉を下げているのが見えた。だから俺は、彼女の肩をぎゅっと抱きしめて笑うんだ。
大丈夫。
どんな結果でも、これが結果なんだ。
「ルーさんは、今年、緑化サークルの立ち上げの際にたくさんの署名を集めました。彼女が広告塔となり立ち上がることで多くの生徒の関心を寄せ、校内の美化活動にも貢献しました。校舎の前で署名を集めている彼女の姿が印象に残った生徒も多いのではないでしょうか。普段はクールな彼女の署名活動には意外性もあり、その結果としてミスコン最優秀記録者となりました。皆さま、彼女に盛大な拍手を!」
会長からトロフィーを受け取るリンエ。しかしその表情はあまり嬉しそうには見えなかった。少し困った面持ちのまま、彼女は体育館に響く拍手に向かって会釈をした。
俺も力いっぱいの拍手をする。
友だちがステージの上に立って、その健闘を称えられているのだ。
こんなの、嬉しくないはずがない。
「リンエー!」
下手くそな口笛を吹いて、俺は彼女に惜しみなく称賛を送った。
嬉しい。けど同時に、やっぱり悔しい。
目尻に涙が滲んでくるのをジアに気づかれないように、俺はさり気なく目を擦る。
パチパチパチパチ。油でてんぷらを揚げている時に似た拍手の大群。俺の耳はぼやけてきて、拍手が鳴り止んだと気づくのに少し時間がかかった。最後まで拍手をしていた俺は慌てて手を止める。
「では、続けて発表いたします」
音が完全に聞こえなくなったことを確認し、会長がにこりと微笑む。
グランプリを発表したのに、まだ何か伝えることがあるのか?
俺はきょとんとして眉間に皺を寄せる。ステージの上では、リンエが会長の後方に立って会長が手に持っている封筒を見ていた。
「今年度のミスコンのグランプリの発表です!」
わぁっと、また体育館が沸く。
「え? どういうこと?」
俺の小さな呟きに、ジアがちらりとこちらを見る。
「グランプリは、ポイント獲得者とは別枠だよ。投票で決まるの」
「へ?」
ジアがそっと耳打ちしてくれた内容を解釈する間もなく、会長が封筒を開けたのが見えた。
「今年のグランプリは─────」
投票?
グランプリは、ポイントを最も獲得した生徒じゃないの?
俺の頭が追いつかないままに、会長の声が体育館中に響き渡る。
「─────二年! ゾーイ・イェスズ!!」
わあああああっ、と、体育館を轟く歓声が響いた。
「ゾーイ! やったね!!」
隣ではジアがぴょこぴょこと飛び跳ね鼻息を荒くしていた。
「え……? え?」
しかし俺は未だに頭の中が真っ白だった。
投票、って、俺、そんなのやってたの知らないんだけど。
「イェスズさん、ステージにどうぞ」
だが会長は満面の笑みで俺を手招きする。
「ほら、ゾーイ。早く行かなきゃ」
ジアもぐいぐいと背中を押してくる。半ば強引に押し出され、俺はステージへと歩き出した。
「イェスズさん! おめでとうございます!!」
俺がステージに上がるや否や、会長がぎゅっと俺にハグをしてきた。
続けて王冠を俺の頭に乗せ、校長から渡されたトロフィーを差し出してくる。
「えっと……」
とにかく受け取らなくては。
会長からトロフィーを受け取り、俺はリンエと目を見合わせた。彼女はトロフィーを抱えたまま拍手をする。すると彼女に続けて生徒や教師たちが手を叩きだす。
「イェスズさん、少しコメントもらってもいい?」
会長に言われ、俺はマイクの前に立たされる。最早そこに俺の意志はなかった。だってまだ混乱してる。グランプリはリンエだとばかり思っていたから。
俺がマイクの前に立つと、拍手をしていた生徒たちは途端にしんとする。
「……あの」
声を出せばマイクがしっかりと拾ってくる。情けない声が体育館に響き、俺は一度口を閉じた。
見渡せば、全校生徒の視線が俺に向かっている。何度かステージに立つ機会はあったけれど、何度目だろうと緊張がこみ上げてくるのは仕方のないことだ。
けれど前と違うこともある。
ぐっとトロフィーを持つ手に力を入れ、俺は真っ直ぐに前を見やる。
そうだ。
前にもこんな不安や緊張を乗り越えてきたっていう自信がある。
だから今の俺が、出来ないってこともないんだ。
「この度は、ミスコンのグランプリに選んでいただき、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると温かな拍手が応えてくれた。
「あまり長い挨拶は得意ではないのですが、今日、この日を迎えるまで、たくさんの学びを得ました。そのうちの一つを、どうか皆さんと共有させてください」
胸を張る。
姿勢を正せば恐怖を背負い込む必要もない。真っ直ぐな背中には乗るものがないのだから。
「わたしは、これまで人の前に立つことが苦手でした。いえ、人の前に立つことだけでなく、誰かと対面すること、それすらも避けてきました。でも、それを止めた時、あることに気がつきました。わたしが恐れていたのはたくさんのヤジやブーイングです。自分を詰る言葉や貶す言葉。それらを聞きたくなくて、もしかしたらと思って恐れていたのです。けれどこうやって、人の前に立った時、ありがたいことに声援や歓声を聞くことが出来ました。すごく嬉しくて、勇気をくれました。でも、よく考えてみたら、それって、耳を澄まさないと聞こえてこないんです。ただ聞こえてくる声だけだと、ブーイングも歓声も同じくらいうるさいだけの声だということにも気がつきました。だから結局、恐れる必要などなかったのだと、今では思うんです」
一度息を吸い込み、俺はステージを照らす眩い光に負けじと前を見据える。
「外の声を気にしてばかりいては駄目だと。どのみちわたしたちは、これから先も様々な困難や雑音に悩まされると思います。そのうるさい声は、どれだけ気にしてもしょうがないことです。だからいつしか、その声から歓声が聞こえてきた時。その時まで、自分を貫いていくこと。このことだけを大事にしていれば、きっと道は開ける。自分を見失わないこと。わたしが恐れるべきことは、ただこれだけだったのだと、そう思うのです」
俺はゆっくりと体育館を見渡した。たくさんの目と目が合う。でも身体が震えることはなかった。しっかりと自分の芯でその場に立っていられるような気がしたのだ。
「それを教えてくれたのは、この学校の皆さんです。だから、わたしは皆さんにお礼が言いたいです。ありがとうございます。本当に、本当にありがとうございます……!」
深く深くお辞儀をする。ありがとう、しか言葉を知らない自分が憎かった。けれどそれもまた俺なんだ。
パチパチパチパチ。
小さな拍手が、やがて大きな喝采となってこの場のすべてを包み込む。
顔を上げると、皆が朗らかな表情でステージを見上げている。
鳴り止まない喝采。
さっき隠した涙が再び目尻に浮かんでくる。
俺はもう一度お辞儀をした。
なんて力強いのだろう。
隣にリンエが並び、頭を上げた俺の肩を優しく抱きしめる。嬉しくって、俺は声にならない声を出してリンエに抱きついた。会長はそんな俺の歓喜の様子に微笑み、二人にもう一度拍手を、と生徒たちを煽った。
もうこれ以上の喝采なんてない。
俺は涙が止まらなくて笑いながら泣き続けた。つられてリンエの瞳にも涙が滲み出した。
あたたかくて、受け止めてしまうのが勿体ないほどの表彰の証。
胸の奥底まで響き渡って、身体中隅々まで熱くなる。
もしかしたら、届いているのかな。
どこかに眠っているゾーイの胸の底まで、この喝采は届いているだろうか。
いいや、きっと届いている。
この喝采は、君のものなんだから。
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