43 実はね…

 甘い香りが食堂いっぱいに広がる。天井にはパステルカラーのフラッグがいくつも飾られ、俺たちはそのうちの一つの下にある机を囲んで座っていた。

 目の前に置かれたカップケーキ。昨日も一昨日も食べたけど、やっぱり何度食べても美味しい。

 ジアとリンエも同感のようで、彼女たちも昨日とは違うフレーバーをお皿に乗せていた。


「もう明後日にはミスコン発表だね」


 ジアがうずうずとした様子で呟く。


「そしたらもうすぐ中間テストか……それも憂鬱だな」


 リンエがため息を吐いて肩を落とした。


「ね。正直テスト勉強なんて身が入らないんだけどさ」


 ジアはカップケーキを頬張って目を細める。


「ゾーイ」

「え?」

「ゾーイはどう? 緊張してる?」


 何も言おうとしない俺を見やり、ジアはもぐもぐと頬を動かした。


「そうだなぁ……。そりゃ、緊張するよ? だって、すべてはこの時のために始めたことだから」


 言いながら、俺は久しぶりにミスコンへの動機を思い出したような気がした。

 もちろんゾーイの進路を優位にするためにミスコンという箔をつけようとしたことがきっかけだ。

 校長先生の新聞を配るところから野球の助っ人をするまで。そもそもの源はそこにある。

 けれど野球の助っ人を引き受けた時、あるいはもうそれ以前から。

 気づけば俺が”やってみよう”と思うようになる動機で一番に出てくるのはミスコンじゃなくなっていた。

 いつからかなんて分からない。でも、いつしかミスコンという理由が後から追いかけてくるようになったのだ。

 しかしミスコンの発表が近づいてくると思わずにはいられない。

 すべてはその瞬間のために踏み出したことなのだと。


「大丈夫。ゾーイが絶対に一番だよ」


 リンエはカップケーキを丁寧にスプーンですくいながら微笑んだ。


「ゾーイ以上に校内を嗅ぎ回っている人なんていなかったでしょう?」

「はははっ。それは間違いないと思う! ゾーイはもう学校の有名人だよね」


 ジアはリンエのからかいに便乗し、カラカラと心地よく笑った。


「どうなることかと思ったけど。ゾーイが楽しそうで私も見ていて面白かったよ」


 ジアは笑いながらもカップケーキを食べ続ける。そんな彼女を見ていると、ジアもまたあの頃とは別人のようだと思わざるを得ない。

 初めてミスコンに意欲を見せた時のジアの反応を思い出し、俺は思わず吹き出した。


「え? なに……どうしたの?」

「ううん。なんでもないっ」


 訝し気な目をするジアに吹き出した理由なんて言えなかった。

 だって、この世の終わりを告げられたくらいの形相でゾーイを窘めようとしていたのに。

 それが、こんなに認めてくれるようになるなんて嬉しかった。

 これはただの俺の自己満足だ。でも、一番の心の支えになってくれた彼女の不安を拭えたこと。そのことが俺にとってはとっておきのご褒美に思えたのだ。


「とにかく! 出来ることはやってきたし、あとは発表を待つのみだよ」


 気を取り直し、俺は背筋をピンとさせてすまし顔で言う。

 結果を意識した途端気が気じゃなくなるから、その時までは冷静にしていたんだ。

 じゃないと精神がもたないし。


「うん。そうだね! ふふふ。結果発表が終わったら、またカップケーキを食べようね」

「発表前だろうと食べちゃうでしょう?」

「あっ。リンエ、それを言っちゃう?」


 ジアはばつが悪そうな顔をしてリンエと笑い合う。


「じゃあ、ミスコンの話は一旦おしまいね。二人に聞いて欲しいことがあるんだ。自分でもまだ信じられないことなんだけど……」


 ジアは声の調子を変え、少し落ち着きのない様子できょろきょろと辺りを見回す。

 俺とリンエは目を合わせ、何事かと彼女の話に耳を傾けた。


「あのね。この前、ラーシャに誘われたの。今度の感謝祭、一緒に行かないかって」

「ええっ!?」


 俺が大きな声を出すと、ジアは恥ずかしそうに唇の前に人差し指を立てる。


「シー! 声が大きい。騒がないで」

「ごめん。つい、驚いちゃって……」


 俺は慌てて身をすくめた。


「やったじゃないジア。向こうから誘われるなんて、これは脈ありだよ」


 リンエはいたずらに微笑んでジアの肩を叩く。


「そ、そうかなぁ? そう思う?」

「うん。感謝祭って、パレードを見に行くんでしょ? 人混みのどさくさに紛れて彼に近づくチャンスだよ」

「ちょ! リンエ。そ、そんなの恥ずかしいよっ!」


 ジアの顔がのぼせたように一気に赤くなった。

 リンエはそんなジアの反応を楽しんでいるのか、くすくすと笑う。

 感謝祭は街で行われるイベントで、その日は大通りでパレードが行われる。

 年間を通しても指折りの人気があるイベントだ。その分、見物人も多い。だから確かにリンエの言う通り、はぐれないために彼にぴったりついているのも不自然なことではない。

 そんな二人の姿を想像してみたら、なんて微笑ましいことだろう。

 俺の頬からくにゃりと力が抜け、無意識のうちにニヤニヤとしてしまう。ジアも俺が笑っていることに気がついたようだ。恥ずかしそうに俺の肩を叩いた。


「ふふふ。いいじゃん。楽しんできなよ」


 声までにやけてしまった。でもしょうがない。なんだか嬉しくてたまらないんだ。


「わたしはリンエと一緒に行くから、もし会えたら挨拶くらいしてよね」

「そうそう。お邪魔かもしれないけど、ちょっとの挨拶は許してくれる嬉しいなぁ」


 頬杖をついたリンエが畳みかけてジアをからかう。


「もうっ! やめてよ。なんだか、早速緊張してきちゃった……」


 ジアは熱くなった頬を両手で包み込む。

 ぽこぽこと首から上の赤みが引かないジア。だけど彼女が心から幸せそうな表情をしていること、本人は気がついているのかな。


 食堂を出た俺は、次の英語のクラスに向かうために一人廊下を歩く。

 ジアとリンエとはクラスが違う。英語はその人のレベルに合わせたクラス展開をしているから、ゾーイは当然のように一番上のクラスにいた。

 ゾーイの英語クラスの人数は少なく、二十人もいない。けれどそんなメンバーの中にも友だちはいる。


「ラーシャ」


 教室に入るなり、俺は彼の座る前の席に腰を掛けた。この授業は自由席だ。


「ゾーイ。今日は来るのが早いね」


 いつもギリギリに教室に入るのは、ジアたちと話が盛り上がりすぎているせいだ。

 昼休み直後の授業は心の切り替えが難しい。直前まで、授業のことなどすっかり忘れるくらい気の抜けた話をしているのだから。

 だが今日はジアの赤みが引かなかったので、少し早めに解散した。

 授業が始まるまでに平常心を取り戻したいとジアが恥ずかしそうに申し出たからだ。


「うん。ねぇラーシャ、聞いたんだけどさ、ジアと感謝祭行くの?」


 しかしラーシャが相手なら問題ない。俺は待ちきれず、今一番ホットな話題を口にする。


「そうだよ。ジアに聞いたの?」

「うん。ふふふ。楽しみだって言ってたよ」


 正確には言ってないけど。だがあの表情は偽りじゃない。ジアはラーシャとのお出かけを楽しみにしているはずだ。


「ほんと?」

「うん」


 証言こそないが嘘をついているわけじゃないから、俺は迷わずに頷いた。

 するとラーシャは手に持っていた教科書をほっとした様子で机に置く。というよりも、手から力が抜けて教科書がぱたりと倒れただけだけど。

 やけに安堵したような表情をしているラーシャが気になって、俺は黙ったまま首を捻った。ラーシャは不可解な顔をしている俺を見て、「実はね」と声を顰める。


「俺、ジアのことが気になってるんだ」

「え?」


 さっきの反省を活かして、あまり声が大きくならないように努めた。でも正直なところ驚きすぎて声というよりも空気が抜けたというのが本音だ。

 ラーシャは少し照れたのか、俺の反応を見てむず痒そうに唇を噛む。


「ラーシャ、が、ジア、のこと、好きなの?」


 途切れながらゆっくりと尋ねたのは、訊き間違うことがないようにだ。これは重要な話だ。絶対に聞き漏らしたりなんかしてはいけない。しっかりとラーシャの言葉を耳に残さなくては。

 俺はぐいっと前のめりになって瞬きもせずにラーシャを見つめる。

 ラーシャは俺の気迫に一瞬怯んだように見えたが、覚悟したようにこくりと頷いた。


「……うそでしょ」


 儚い声が漏れた。ふるふると心臓の奥が小刻みに震えているように思えた。


「それ、ほんと?」

「うん」


 今度のラーシャはしっかりと声を出して頷く。

 返事を確信した俺の口角は、意識しないうちにみるみると上がっていった。


「すごいっ! 本当なんだっ!」


 興奮を抑えきれなくなった俺は、ラーシャの心情も置いたままに目を見開いた。


「全然知らなかったよ! ラーシャ。言ってくれれば、もっと協力したのに!」


 余計なお世話だって言われるのも様式美だ。俺はそれを承知で彼に興奮を伝えた。


「はは……。ありがとうゾーイ。でも、俺もまだ勇気が出なくて……。人に言う度胸もなかったんだ」

「ええ? そうなの?」


 意外だ。

 ラーシャはこの世界でも際立つくらい容姿が整っているし、性格も温厚で真面目。勉強もスポーツもできる。生徒たちからも信頼が厚くて、妹のミゼルにも懐かれてる。ヨモギの言葉にゾーイが傷つかないか気遣ってくれるくらいに優しい。非の打ち所のない人間に思えるのに。そんな彼でも、実は臆病な面があるってことか。

 そういえば前に、自分は不器用で人の期待に応えられているか不安、みたいなことを言っていたし。よく考えればおかしな話でもないのかもしれない。

 俺は未だに彼への偏見を持っていたことを反省し、自分を戒めた。

 ラーシャはそんな俺に対してくすりと優しく微笑みかける。


「そうだよ。勇気が出なくて、ジアと二人で話す機会も全然なかった。それに、二人で話そうとするとジアも逃げようとするからね。嫌われてるのかもって怖くて。だから、ゾーイがいるときは普通に話せて嬉しかったんだ。ゾーイと話すのも楽しいし、君には随分と救われた」

「わたしが? ふふふ」


 知らずして彼のヒーローになっていたとは。俺が笑うと、ラーシャは情けなさそうにはにかんだ。


「そう。ゾーイのおかげ。実はそれだけじゃなくて、ゾーイには感謝してるんだ」

「……?」

「前にヨモギにした話、覚えてる?」

「えっと……講堂の時?」

「うん。あの時、俺はゾーイの言葉に勇気をもらった。ゾーイはヨモギの本音を引き出して、答えはもう出ているって言っていたよね。それ、俺にもグサッときて」


 ラーシャは自分の左胸をトンッと叩く。


「そうだ。俺ももう、答えは出ているよなって気づくことが出来た。怖がってる場合じゃない。例え彼女に嫌われていようとも、ちゃんと本人から聞くまでは挫けるなって自分に説教したよ。それで、感謝祭にジアを誘おうと思った。そうしたら、彼女は来てくれるって答えてくれて。勇気を出して良かったなって思うんだ。一歩前に進めたような気がする」


 ラーシャの表情は落ち着いていた。

 不安を飛び越えて、自分に自信を持ったような面持ち。

 きらきらと明るくて希望に満ちている。

 だから俺も、彼につられて笑顔が止まらなくなってしまう。


「ありがとうゾーイ。君のおかげだ」

「ふふ。そんなことないよ」


 そうだ。俺は何もしていない。


「すべてはラーシャが決めて動いたこと。わたしは偶然その場にいただけ。ふふ。勝手なんだけど、二人のこと応援してもいい?」


 俺が尋ねると、ラーシャは穏やかに微笑んだ。

 彼が頷くと同時にチャイムが鳴る。

 俺はラーシャに向かって拳を突き出した。

 ラーシャもこつん、と拳を合わせる。

 彼の気持ちはまだジアには内緒だ。

 彼女がそれを知る時まで、俺の胸だけに秘めておく。

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