42 対抗戦

 学校対抗戦が始まった。いや違う。正式には交流イベントだ。

 野球の試合が行われるのは二日目。一日目に行われたのは三つの部門だった。

 そのうちの数学とドローイングは相手の学校が勝利した。うちの学校が勝ちをもぎ取ったのはジェスチャー対決だけだ。


 二日目を迎え、まず午前に行われたのは討論大会。ここでようやく二つ目の勝利を手に入れた。

 すると校内は最後に控えた野球試合の結果に一斉に興味を向ける。

 本格的なプロ野球とは違って、会場は学校のグラウンドを使うため、規模としては小さい。

 けれどそんな敷地の中に生徒たちが集まると、急にどこかのスタジアムに来たのかと錯覚する。


 思った以上にこの交流イベントは白熱しているようだ。

 一度グラウンドを離れてジャージに着替える。俺は会場に充満する熱気を思い出し、熱量に押されないように着替えたジャージの袖を握りしめた。

 出番まであと少し。

 両校の校長先生のお話が終わった後、最後の試合が始まる。

 そろそろチームミーティングの時間だ。俺は更衣室を出て小走りでグラウンドへ向かう。ちらほらと、まだグラウンドへ向かおうとする生徒たちが見える。あれ以上生徒が集まるのかと思うと憂鬱だ。でも、それくらいこの試合は注目度が高いのだろう。


 学校のプライドをかけてとか、そんな大義は今は一度忘れよう。

 試合を見に来た人たち。その人たちに楽しんでもらえるような試合ができますように。だけどやっぱり勝てたら最高です。

 俺は空に祈りを捧げつつ気合いを入れる。

 すると、目の前を歩く生徒の後ろ姿が目に入った。この後ろ姿、絶対にあの人だ。


「ダレン!」


 俺が声をかけると、ダレンはピタリと足を止めて俺の方を向く。


「ゾーイ。あれ? 選手の一人じゃなかったっけ?」

「なのになんでここにいるのかって?」

「うん」


 ダレンよりも先に疑問を投げかけると、ダレンはこくりと頷いた。


「精神を統一してたら時間かかっちゃって。でも校長先生の話も長いから、そこで整えればよかったかも」


 改めて考えると本当にそれでよかったのでは?

 そう思った俺はふと眉をひそめて考え込む。しまった。時間管理を失敗した。


「もう精神は整った?」


 ダレンは俺が追いつくのを待って再び歩き出す。


「うん! 勝ち負けじゃなくて、とりあえず楽しい試合ができればいいなって思ってる」

「本来の目的はそれなんだけど。皆、忘れちゃってるから」

「ふふ。ダレンは? ダレンも忘れちゃった?」

「……まぁ、そうかも」


 ダレンはそう言って肩をすくめた。


「ふふふ」


 どうしてか分からない。けどダレンの普段と変わらないどことなくつかみどころのない感じが胸をくすぐる。くるくると回る歯車が速度を上げはじめ、少しだけ嬉しくなってしまうんだ。

 前を見据えて歩くダレンの横顔を見上げる。彼は俺よりも脚が長いのに、ゾーイが歩く速度に合わせてくれている。だから歩幅が俺よりも狭い。けどそのおかげで、すぐ隣を見れば彼がいるのだ。


 ダレンはメイクアップアーティストを目指しているからか、美容関係にも詳しい。少なくとも俺よりはずっとずっと詳しい。メイクをするだけではなく、ケア事情に関しても知識がある。

 そのせいか?

 彼の透き通るような肌はきめが細かく、肌荒れしやすい年頃なのにまったく澱みがない。

 太陽に透ける睫に澄んだ瞳。眉毛も不自然ではない程度に整えられていて、髪の毛だってしなやかだ。


 対して俺は、もしゃもしゃの髪の毛にニキビのある肌。睫も少ないし、眉毛もガタガタ。学園祭以降、リップの力に触発されて少しずつメイクの勉強を始めたけど、まだ戦闘力は皆無に近い。

 それに加え、これから野球をするから更に泥まみれ状態になる。


 え?

 そんな姿をダレンに見られるの?

 観客席に彼がいてくれるのは嬉しいけれど、そんな姿を見られたら、美意識の高い彼に引かれない……?


 ズキズキと、心臓が嫌な音を立てる。汗までかいてきて、もう早速みっともない姿になりかけていく。

 どうしよう。

 これまで何度もメイクの実験台として間近で肌を見られたりもしてきたけどさ。

 でもなんか、改めて考えると恥ずかしいな。情けないっていうか、惨めっていうか……。

 何故だ。どうしてこんなに気になるんだ。

 そもそもダレンは、そんな細部まで俺のこと見ていないかもしれないってのに。


「ねぇダレン」

「ん?」


 黙っているとまたごちゃごちゃと色んなことを考えて、あの妙な感情が顔を覗かせてきそうだ。なんでもいいからダレンと会話しよう。


「わたしね、さっきは楽しみたいって言ったけど、でもね、やっぱりできれば勝ちたいなって思ってるんだ」


 そうだ。ダレンに泥まみれの姿を見られるのなら、その対価くらいは求めたい。

 ただの汚れ損なんて嫌だ。


「ほら。今、二対二でしょ? この試合の勝者が、一か月ケーキを満喫できる。学校でケーキが食べられるなんて最高じゃない?」


 思えば思うほど、メラメラと闘志の炎が燃えてくる。

 そうだそうだ。せっかくならば勝利して学校に楽しみをもたらしたい。

 少年野球の経験がどこまで活きるのかは未知数だ。でも、完全に不利って状況でもないんだし。


「食欲、燃やしすぎ……?」


 待て。今度は違う意味で引かれない?

 ダレンが何も言わなくなり、怖くなった俺は慌てて彼を見やる。


「ううん」


 俺の必死な眼差しを見たダレンは首を横に振った。


「なんか、ゾーイっていつもかっこいいこと言うなと思って」

「へ?」


 予想外の回答。俺はついきょとんとなる。ちょっとだけ気が抜けた。と同時に心がきらめく。

 ああ。またときめいてしまった。妙な感情を逃れようと試みたが、完全に敗北だ。


「去年はケーキ食べれなかったから。今年は、カップケーキで乾杯しよう」


 さっきの言葉に動揺している俺に気づいているのかいないのか。ダレンはふざける様子もなくそう続ける。

 感情の急上昇のせいで、俺は客席に向かう彼をぼうっと見送ることしかできなかった。

 校長の話が続く間、俺は再び精神を集中させる。今は野球のことだけを考えろ。


「ゾーイ。出番だぞ」


 監督に呼ばれ、俺は修行僧のような心持で立ち上がる。

 バッターボックスに立つと、一直線上にいる投手と目が合った。

 試合はまだ負けている。だが、ここから盛り返していくことは可能だ。


「かかってこいや!」


 バットを投手に向かって伸ばし、気合いを入れる。

 負けてたまるか。

 学校対抗戦を制して、俺は絶対にカップケーキで乾杯するんだ。

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