37 アイムエミィ
シャイに手を引かれてやってきたのは小さなサーカス団が来ていると錯覚するような賑やかな装飾が施された場所だった。メインステージがある中庭からは少し離れていて、校門からはすぐに目に入るところだ。
「ゾーイ。足元段差があるから気を付けてね」
シャイが慎重に視線を落としながら教えてくれた。
「ゾーイじゃなくて、エミィだよ」
俺はオーバー気味に太ももを上げながらくすりと笑った。
「あっ。そっか。ごめんごめん」
シャイは顔を上げて慌てつつも楽しそうな表情をする。
「はい。着いたよ。ここがクラスで用意したゲーム広場だよ!」
じゃーん、と彼は手を広げて得意げな顔をした。
見渡してみると、移動遊園地なんかで必ず見る四つのゲームが設置されているのが確認できた。
王道の輪投げや的あてゲームにハンマーゲーム。あと、小さなバスケットゴールにボールを入れる、これもお馴染みのゲーム。
校門から近いこともあってか、この学校の生徒のほかに保護者や近所の子ども、他校の生徒など、様々な年代の人たちで大盛況だった。
わいわいがやがやと、四方八方から声が聞こえてくる。景品を獲得したのだろう。歓声なんかもあがっている。
「みんなー!」
シャイは手でメガホンを作って群衆に向かって大きな声を出した。教育番組のお兄さんに相応しい軽やかでよく通る声が功を奏したのか、多くの人が彼に注目する。
「ゲームの神様のエミィが来てくれましたよー!」
シャイの言葉に合わせて、俺は動かしにくい腕を必死に持ち上げて大袈裟に手を振った。
「わぁ! 鴨さんだぁ!」
「エミィだよ」
小さな女の子が俺を指差して嬉しそうに笑うので、俺は自分の名前を言う。
「鴨さん!」
しかし女の子は俺の名前など興味ないみたいだ。再び外見の特徴だけを述べてぴょんぴょん跳ねる。
「ハーイ」
まぁ別にいいよね。名前なんて。
諦めた俺は両手を上げてフリフリとお手振りをする。すると子どもたちが駆け寄ってきてぐいぐいと身体を押してきた。
ぐわんぐわんと大きな頭が振り子のように揺れる。なんとか小さな足で踏みとどまるも、一歩間違えればすぐにでも転んでしまいそうだ。
「はーい。はいはい。エミィとハグしたい人は並んでねー」
俺がおしくらまんじゅうの中心にいることに気がついたシャイが急いで間に割って入る。
子どもたちはシャイに促されてもなお離れようとしない。無邪気な甲高い笑い声に取り囲まれ、俺もシャイも少しだけ困ってしまった。まさかここまでこのキャラクターが人を惹きつけるとは思っていなかったのだ。
ようやく秩序を取り戻した子どもたちは、シャイに言われた通り一列に並び始めた。
「大丈夫?」
こそっと顔を近づけてシャイが囁いてくる。俺はこくりと頷き、小さな手を挙げた。
狭い視界の中央には子どもたちの列が見えてくる。よし、今でこそ俺の数少ない経験を活かす時。シャイから風船の束を受け取り、俺は密かな渇を自分に入れた。
俺は今、ゾーイではない。
まん丸としたフォルムの鴨の頭を被り、樽のような筒の中で身体を丸めて子どもたちに風船を配る。
シャイのクラスメイトが考案した鴨のキャラクター、エミィに扮しているのだ。
移動遊園地の雰囲気をどうしても再現したいと、意欲を燃やしたシャイのクラスは大奮発してエミィの着ぐるみまで作った。
本来ならシャイのクラスメイトの女子生徒が中身になる予定だった。しかし、彼女はつい先ほど立ち眩みで救護室へと行ってしまった。貧血症状を起こした彼女に着ぐるみを任せることなど出来ない。そう判断したシャイたちは、その代わりを探していた。
そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。
着ぐるみはもう完成しているからサイズに決まりがある。だから中に入れる人間は限られてしまう。
生徒たちはそれぞれ予定もあり、シャイのクラスメイトたちの中で代わりに中身となれる都合のいい人間が見つからなかったようだ。だが俺の予定といえばハプニングに対応することだけ。シャイがそのことを知っていたわけではない。けど、もしかしたらゾーイなら引き受けてくれるかも、と、偶然俺を見かけたシャイが泣きついてきたというわけだ。
「はいどうぞ。ゲーム、楽しんでねー」
子どもたちに風船を渡しながら、俺は声色をアニメキャラクターに寄せて声をかける。
「うん! ありがとう! あのねあのね、さっき輪投げで、ぬいぐるみをとったの!」
風船を受け取った少年は、大事そうに抱えていたクマのぬいぐるみを見せてくれた。
「わぁすごい! その調子だね」
俺の顔は見えていないけど、鴨の頭の中で俺はにっこりと笑った。
シャイは俺の隣に立ってボディーガードをしてくれている。ちらりと彼を見やれば、シャイはグッと親指を立ててウィンクをした。よし。順調にキャラクターになりきれているようだな。
着ぐるみの中に入ることは、これまでゾーイとしてやってきた数々の手伝いよりも格段に慣れていることでもある。藤四郎時代、俺が採用されるバイトには限りがあった。着ぐるみのバイトは基本的に顔が出ない。だからこそ俺にとってバイトといえば着ぐるみの中身だった。自ら進んで応募していたこともあり、学生時代から着ぐるみのバイトをする機会は多かった。俺の感覚だと一番気楽にできた仕事だった。
体力だけは必須になるから、ずっと着ぐるみの仕事をしようという気にはなれなかったのだけど。
でも、久しぶりにこうやって被り物を被って人と触れ合うと、やっぱり結構楽しい。
実は俺には一番向いている仕事だったのかもしれない。今更になってそんな可能性に気づく。
「ばいばーい」
子どもが明るい笑顔で手を振る。
こうしてキャラクターの中にいると、皆の普通の笑顔というものを間近で目にすることが出来た。
だから多分、それが嬉しかったんだと思う。
今となってみれば、着ぐるみという壁がなくても希望を叶えられたかもって思うけど。
「わっ! かわいい!」
急に子どもではない声が聞こえてきて、昔を思い出していた俺は慌てて顔を上げる。
「これ、オリジナルキャラクター?」
シャイに声をかけているのはジアだった。どうやら委員会の見回りで来たらしい。手にはチェックシートを持っている。
「はい。エミィっていいます」
シャイが朗らかな声で答える。
「すごい完成度だね。えっと……役者は生徒?」
まだ並んでいる子に聞こえないように、ジアは極端に声の大きさを抑えてシャイに尋ねた。
「はい。そうです」
そうか。ジアはゾーイがエミィに扮していることを知らないのか。
「エミィです」
正体を知られていないという感覚が楽しくなってきて、俺はジアに自己紹介をしてみた。
「………………ゾーイ?」
調子に乗りすぎたか?
ジアは顔をしかめてクスリと笑った。いつも聞いている声の余韻が残っていたのか、ジアは俺の正体をすぐに言い当てる。
「うん。ちょっと色々あって」
「はいはい。分かってますよー」
ジアは笑い声を抑えながらエミィの頭を撫でた。
「ジア、まだ仕事? ちょっとゲームしていかない? 楽しいと思うよ」
「ふふっ。そうだなぁ。ちょっとくらいやってみようかな。見回りもここが最後だし」
俺の提案にジアはチェックシートを下げてゲームへと視線を向ける。
「本当ですか? ご案内しますよっ」
シャイも嬉しそうに声を弾ませる。
「あっ。でも、ゾー……エミィを放っておけないか」
そしてすぐに表情を切り替え、前のめりになっていた身体をシャキッとさせた。
「わたしは大丈夫だけど……」
もう風船も残り少ないし、ボディーガードがいなくてもなんとかなりそうだ。
「でも……」
しかしシャイは申し訳なさそうに眉尻を下げる。
本当に気にしなくてもいいのに。
そう思いながら、待たせている子どもを見やる。子どもたちは俺たちが話していることにきょとんとしながら、しっかりと順番を待っていた。
すると品行方正な子どもたちの向こうに、ハンマーゲームを終えた友だちと別れているラーシャの姿が見えた。
「ラーシャ!」
彼を見かけ、考えるよりも先に名前を呼んでいた。名前を聞いたジアはびくりと肩を弾ませる。単純に、俺の声が大きかったのもあると思う。ラーシャはエミィの存在に気づき、急ぎ足でこちらに来てくれた。
「……もしかして、ゾーイ?」
またしても小声で、ラーシャは俺たちに尋ねる。
「そう。ねぇ、もし時間があったらさ、ジアのこと案内してもらってもいいかな?」
「え?」
「ええっ!?」
俺の突然の申し出にラーシャは首を傾げ、ジアは絶叫した。
「シャイはエミィのボディーガードだから貸し出せなくて。でも、ジア、あんまりゲームに慣れてなさそうだし。ラーシャにお願いできたらなぁと思って」
すらすらと事情を説明する俺のことをジアは口をパクパクさせながら見ていた。
「さっきまで別に大丈夫って言ってたじゃん……!」
独り言でそんなことを言っている気がする。
「俺は構わないけど。……ジア」
「へいっ!」
急に名前を呼ばれて噛んでしまったようだ。シャイが興味深そうにジアのことを見る。
「ジアは、俺で大丈夫?」
控えめに自分を指差して尋ねるラーシャ。ジアは数秒の間黙った後で、こくこくこくこく、と何度も頷いた。
「じゃあお願いね」
「ああ。えっと……エミィも頑張ってな」
キャラクターの襷に書かれている名前を確認しながらラーシャはそう声をかけてくれた。
ジアの表情は緊張しているように見えた。でも、嬉しそうな空気だけは隠せていない。
「さ。あと少しだね」
気を取り直し、俺も風船配りを再開する。シャイも人懐っこい笑顔に戻り、子どもたちに愛嬌を振りまいた。
風船を渡す合間にジアとラーシャの姿を探してみる。どうやらジアは的あてに挑戦するみたいだ。ラーシャに銃の使い方を教わっているところだった。声までは聞こえないけど、表情を見れば和やかな雰囲気が伝わってくる。
やっぱり着ぐるみは最高だ。
俺がとてつもなくにやけた顔をしていても、誰にもバレることがないのだから。
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