36 猪突猛進

 誰の何も手伝わない放課後は今の俺にとっては珍しい。

 今日はそんな貴重な日に、こちらも最近は学園祭の準備で忙しかったジアとリンエと共に映画を観に来た。

 観る映画は決まっている。前に三人で読書感想会を開いたこともあるミステリー小説が原作の映画だ。

 映画館なんて藤四郎時代を合わせてもこれで三回目くらい。一回目は小さなころに両親に連れて行ってもらい、特撮ものの映画を観た。二回目は中学の時の課題で半ば強制的に行くことになった。そしてこれが三回目。

 ゾーイはジアと一緒に何度か映画に行っていたようだから、ゾーイの方が俺より映画館の先輩って感じだ。


 平日の夕方より少し前という時間帯のおかげか、館内はそこまで混んでいなかった。俺たちはチケットを買い、中央の一番いい席に座った。

 映画館に来ないといっても、映画作品自体はこれまでもたくさん観ている。レンタルや配信という便利なサービスを活用して、家から出なくとも心の中の世界は広がっていった。

 だから映画自体は俺も好きだ。

 しかもこの世界の映画をちゃんと見るのは初めて。脚本や演出が大きく違うことはないけれど、やはり見慣れた映画の世界とは違うものに触れられた気はする。


 映画が終わり、ふと横を見ればジアがタオルで涙を拭っていた。

 リンエも好きな作品の映像化ということで厳しい目で見ると言っていたが、満足したのか感慨深そうな表情をしている。

 俺としても一番に出てくるのは「良い映画だった」という感想だ。

 ミステリーものだから大きな感動とは違うんだけど。ただの謎解きだけではなく、主人公と容疑者のすれ違う恋模様もなかなかに感情を突いてくる。

 結局、本当の犯人は主人公だったというオチなのだけど、その罪すらもまるごと愛する覚悟の容疑者との最後のキスシーンは、ベタながらも悲劇と幸福を感じてしまう。

 ジアもその場面が気に入ったようだ。


 三人でカフェに入り感想を好き好きに述べ、いつかあんな恋をしてみたいね、なんて冗談で言っていた。

 まぁ、愛する相手が犯罪者で、牢に入ってしまうっていうシチュエーションはできれば避けたいけど。

 でも、確かにドラマチックな愛が溢れるシーンには羨望にも似た気持ちが昂るのは無理もない。

 ゾーイも日記に書いていた。


“やっぱり、ドラマには憧れちゃうかな”


 恥ずかしいのだろう。消えそうなほど薄い筆跡で、大好きな作品の最終回が放映された日に記してあったことを覚えている。


「あ! ところでさ。ゾーイ、学園祭のシフト以外の時間は何かする予定ある?」


 映画の余韻が一通り落ち着いたところでジアが手を叩く。


「ううん。ないよ。校内を見回るつもりだけど」

「え? 実行委員でもないのに?」


 リンエがきょとんとする。


「うん。学園祭にはトラブルがつきものでしょ? だから、そういう場面を逃さないようにしなくちゃ。顔を広めるチャンスだよ」

「まだ広めたいの? ははは。ゾーイの熱意はすごいなぁ」


 リンエがくすくすと笑った。しょうがないなぁ、って思っているようだ。なんか胸がくすぐったい。


「リンエは? 何か見るところとかあるの?」


 ジアは楽しそうな声色のままリンエを見やる。


「実行委員の仕事が落ち着いたら、中央ステージに行こうかと思ってる」

「中央ステージに?」


 ジアが訊き返すと、リンエはコップを口に運んだ。中央ステージは校内で一番広い庭に設置され、様々な発表が行われる予定だ。ダンスサークルやバンド、曲芸、コント。演目は目白押しだと聞いている。


「そう。同じ音楽クラスにいる生徒がバンドで出るんだって。彼の声好きだから、聴いてみたいなって思って」

「へぇ! 楽しそうだね!」

「ジアも行く?」

「うんうん! 私の予定はリンエとほぼ同じだから、たぶん行けるよね?」

「うん。ゾーイは?」


 会話が盛り上がる中、二人の視線が一斉にこちらを向く。

 紅茶を飲もうとしていた俺は、両手で持ったマグカップ越しに二人を見る。


「えっと……。行こうかな。ずっと校内を徘徊するのも疲れるし」

「じゃあ決まりだね! ふふ。楽しみが一つ増えた! これで実行委員も乗り切っていけそう」


 ジアがガッツポーズをして喜ぶ。

 学園祭にはこれまで良い思い出なんて一つもない。

 学校を合法的にサボれることくらいしかメリットはなかった。珍獣を拝もうぜ、とか言ってわざわざ他校の奴が俺を探し回ることもあったし、どちらかといえば拷問に近かった。学園祭なんてものに憧れては駄目だ。正直な気持ちを殺してそう言い聞かせ続けてきた。

 学園祭までの日数はただの地獄へのカウントダウン。けど、一週間後に迫った学園祭。このカウントダウンについてはそうは思わない。ただ単純に、ふつふつとした期待を自覚するだけだ。




 学園祭当日。俺はクラスの催しでもある綿あめ屋のシフトの時間以外は、宣言通り校内を歩き回っていた。

 学園祭にトラブルはつきものだと思ってはいたが、予想以上にごたごたが起きている。

 小さなことから出し物に影響するようなトラブルまで、その内容は多彩だ。

 力になれることがあれば手伝いをし、俺は皆とは一味違う形で学園祭を満喫していた。

 見慣れたはずの校内が、次元が歪んだみたいに別の空間に思える。

 たくさんの来場者がいて盛況なのもあるけれど、何よりも生徒たちの活気が校内の空気を弾ませていく。

 まるで雲の上を歩いているくらいに、足取りは自然と軽くなる。


 ジアとリンエは実行委員だから忙しくてあまり一緒にいられない。でも今日の午後に行われるバンドの演奏は一緒に見ることになっているから、それまでの間俺は俺らしく学園祭を過ごそう。

 またシフトが終わり、俺は急ぎ足で教室を出た。すると、ちょうど教室を出たところで廊下を歩いていた誰かとぶつかりそうになってしまった。


「あっ。ごめんなさい」


 咄嗟に足を止め急ブレーキをかける。ぎりぎりセーフ。目の前を横切ろうとしていた人とはぶつからずにすんだ。俺はほっとして顔を上げる。


「いや。こっちこそごめん」


 相手も足を止めてこちらを見ていた。


「あれ? ダレンだ」


 そう、ダレンだった。

 ここ最近は学園祭の準備もあったから、あまり顔を合わせることが出来ていなかった。

 メイクの実験台も、今は少しお休みしている。そのせいか、随分と久しぶりに彼の顔を見たような気がした。


「綿あめ、売ってるんだね」


 ダレンは教室の入り口に掲げられた看板を見上げる。


「うん。甘くて美味しいよ。ダレンもどう?」

「さっきご飯食べちゃったから、ちょっとお腹いっぱいかな」

「そっか。ふふ。残念」

「あとで食べにくるよ」

「うん!」


 なんだか嬉しくて、ぴょこっと小さく身体を跳ねさせてしまった。ダレンの目元が緩く笑ったような気がしたので、恥ずかしくなって笑って誤魔化す。


「ダレンはもう学園祭回ったの?」


 綿あめを食べてくれるって言っただけなのに、どうして大袈裟な反応をしちゃったんだろう。

 気まずさを消し去りたくて俺はダレンに別の話題を振る。


「一通り。クラスの奴に連れ回されて」

「はははっ。嫌そうな顔してる」

「嫌じゃないけど。この後は予定が詰まってるから、ちょっと休憩したかっただけ」

「予定?」

「中央ステージの予定が午後以降はずっと続くんだけど、俺もメイク係として手伝いに呼ばれてる。リンエに頼まれて。俺としてはありがたい申し出だけど、そうしたらもう夕方まで休めないからさ」


 ダレンは胸ポケットに入れていたメモを開いて中央ステージのタイムテーブルを見せてくれた。


「大変そうだね……」


 文字がみっちり詰まっていて、思わずそんな言葉が漏れる。


「だから今日は、俺もゾーイと同じかな」

「え?」

「自分の出来ることに、全力を注ぐ。これ、ゾーイみたいじゃない?」

「…………!」


 俺と目を合わせるためにダレンの顔が緩やかに下を向く。瞳と瞳がしっかりと合わさった途端、心臓が兎みたいにトンッと跳ねた。

 睫の奥に見える瞳は物憂げだ。だけど一見すると気怠いその瞳は、よく見れば活力に漲っている。近くで見なければ気づかないくらい繊細な熱意。でも一度気がついてしまえば、彼の表情はまた一段と輝いて見えるのだ。


「お、同じ、かなぁ?」


 しどろもどろになりながら答える。正直、まだ兎がいつ跳ねるのか分からないから気が抜けない。


「ゾーイに負けないように、俺も今日くらいは頑張るよ」


 ダレンは下ろしていた顔を元に戻し、メモをポケットに戻す。


「じゃあ、俺は行くね。そろそろ時間だ」

「うん……! がんばって……!」

「ん。ゾーイも」


 去って行くダレンにぎこちなく手を振る。彼の背中が廊下を曲がったところで、俺は大きく息を吸い込んだ。肺に酸素が足りていない。いや、血液に酸素が行き届いてない気がする。


「ふぅ……」


 この奇妙な感覚はやっぱり胸がざわざわして好きじゃないな。

 呼吸を整えた俺は気を取り直して校舎を出る。が、今度は誰かにぶつかりそうになるのではなく、俺目掛けて突撃してくる生徒がいた。


「ゾーイ!! へるぷみーだよー!」


 勢いよくぶつかってくるから、喉の奥深くからドスのきいた呻き声が出てしまった。


「な、なに? どうしたの?」


 俺に泣きついてきたのはパラノーマルサークルのシャイだった。相変わらず人懐っこい。でも、突進は普通に痛い。

 俺の肩に縋りつくシャイは、よよよ、と弱った表情で瞳を潤ませた。


「クラスメイトが貧血になっちゃって、エミィがいないんだよー!」

「はい?」


 うわーん、と悲しむシャイ。

 一方の俺は冷静すぎるくらいに頭が冴えているのに、彼の言っている意味が一言も分からなかった。

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