35 下書き

 急ぎ足で講堂に向かうと、ヨモギは今日も先に来ていた。昨日と違うのは、彼女が後方の座席に座っていたということ。視線は真っ直ぐに誰もいない舞台を見つめていた。


「ヨモギ」


 誰もいないこともあって声がよく響く。ヨモギはすぐに俺の声に振り返った。


「言葉、持ってきてくれましたか?」


 立ち上がったヨモギは、通路にいる俺たちの方を向く。


「うん。ほら」


 俺はポケットに入れていた白い封筒を差し出す。四角い封筒。中には手紙が入っている。


「ありがとうございます。期待はしていませんから安心してください。でも、仕事だけは早いですね。それは認めてあげます」


 そう言って封筒を受け取ろうと手を伸ばすヨモギ。しかし、俺は彼女の腕が届かないようにスッと封筒を引く。


「その前に、わたしの相談も聞いてもらってもいい?」

「はぁ?」


 俺の提案に、ヨモギはあからさまに不機嫌な表情になった。ラーシャも不思議そうな顔をしている。


「ヨモギの依頼をわたしは受けた。だから、その対価っていうのかな。折角だから、ヨモギの意見を聞いてみたくて。あんまり、ヨモギみたいにはっきり言ってくれる人っていないから」


 封筒をヒラヒラと扇げば、ヨモギが恨めしそうにこちらを見た。というか、心底面倒そうな顔だ。


「はぁ……しょうがないですねぇ。私、もしかしてカウンセラーの素質もあるんですかぁ?」

「ふふ。そうかもしれないね」


 ヨモギはつまらなそうな声を吐きだした後で腕を組む。


「で? なんです? 相談って」


 ちゃんと聞いてくれるようだ。やはり、根は悪い子じゃないな。


「あのね。わたし、ミスコンのグランプリを狙ってるの」


 ヨモギは眉をひそめて「ん?」と喉を鳴らす。ラーシャも何を言いだすのかと思ったのだろう。相談内容がちょっと意外だったみたいで眉を上げた。


「あんなコンテスト、楽勝じゃないですか?」

「うん。本気を出したヨモギには楽勝だと思う。でもわたしはそうはいかなくて。それでね、今、色々と試行錯誤をしてるんだ。まずは皆に存在を覚えてもらおうってところからはじめて、ようやく学校に馴染んできた気もするの。だけどね、やっぱり他の人よりもミスコンの土俵が遠かったわたしには、グランプリなんて難しいんじゃないかなって……最近はそんなことを思っちゃうんだ。ミスコンの発表までもう二か月くらいしかないし。これまでの積み重ねだから一発逆転なんてない勝負でしょう? そもそも、わたしのやっていることは意味があるのかって信じられなくなってきた。わたしみたいな地味な透明人間がミスコンに挑むのなんて無謀。やっぱり、土俵に上がること自体も相応しくはないのかなって不安になる。……ヨモギ、わたし、ミスコンなんて諦めるべきかな? それよりも普通に勉強していた方がいいのかな?」


 ヨモギの愛らしい瞳を真っ直ぐに見つめる。ヨモギはずっと眉をひそめたまま俺の話を聞いていた。表情が固定されてしまって、眉間に皺が刻まれてしまいそうだ。


「……そんなことですか?」

「え?」


 ヨモギは呆れたように息を吐く。


「そんなことで悩んでるんですか? 先輩は。私、先輩のことはミゼルに聞くまで知りませんでした。でも、あのポスターの人だよって聞いて、ああ、あの人かってすぐに分かりました。そのせいもあって、妙に親近感が湧いていたから、だから少し前までは興味すらなかった先輩に、ちょっと話をしてみようって思ったんです」


 ヨモギの眼差しは光線の如く強い。決して目を離す隙を与えてくれない。


「ミスコンに挑戦しようと思った動機は知りません。だけど、ゼロ以下というとてつもなく不利な位置からスタートしようって決めたということは、相当の覚悟や熱意があったのだと思います。じゃないと、無謀だと思うことに飛び込むなんてしません。先輩は成績がいいらしいですし、ミスコンに集中すればむしろリスクになり得る。でも先輩はミスコンを捨てようとしなかった。挑戦して、ようやく土俵に上がった。念願のスタートを切ったんです。それを今更、捨ててしまうんですか? まだ結果も分からないのに。何も始まっていないかもしれないのに」


 はぁ、とまたヨモギはため息を吐いた。


「先輩。目指そうと思って行動に移した時点で、相応しくないわけないじゃないですか。万一グランプリになれたとしたら、私は先輩に拍手を送りますよ。異議を唱える必要もありません。あのポスターで顔を売ろうとするなんて、私なら恥ずかしくてできない。だから先輩には相当の熱意があるのだと思います。あんなことができるのも、多分先輩しかいません。馬鹿みたいに人に恩義を売りまくるのも、多分、先輩にしかできないです。皆はそこまでの覚悟ありませんし、やり遂げることも、恐らく出来ないので」


 組んでいた腕を解き、ヨモギは頭を斜めに傾け俺を見る。


「先輩。ここで諦めたらすべてがなかったことになりますよ。それでいいんですか? 諦めるのも落ち込むのも、まだ先延ばしして問題ないと思いますけど」


 俺が黙ったままでいると、ヨモギはむっと唇を結んだ。


「これで、対価になってます? アドバイスって、よく分からないんですけど……」


 ヨモギは顔をしかめたまま俺に尋ねた。


「うん。最高の励ましになった」

「は?」


 俺がにこりと笑うと、ヨモギは顔を前に出して首を捻る。


「今の言葉を、そのままハンナに伝えてみるといいよ」


 ヨモギは俺の言葉に目をぱちくりとさせ、半開きになった口からは丸い空気が抜けていく。


「どういうことですか……?」

「ふふ。今の言葉は、ヨモギの考えそのままだよね。ヨモギは何を言えばいいのか分からないって言っていたけど、もうちゃんと分かっているみたいじゃない。ハンナが聞きたいのはヨモギの言葉なの。わたしみたいな、知りもしない人間の言葉よりもね。例え不器用でも、ちょっと言い方がきつくなってしまってもいいの。ハンナはヨモギのこと、どんな人間か分かっているから。ヨモギと同じで、ハンナにとってもヨモギは一番のライバルだったと思う。だから何よりもハンナの激励になるのは、ヨモギの言葉。ヨモギはもう言いたいこと、伝えたいこと、しっかり分かってる。あなたの中に答えは出ているよ」

「…………もしかして、先輩」


 図った?

 ヨモギは表情だけで俺に感情を訴えてくる。狐につままれたようなヨモギの反応を見ると、騙したことに少し胸が痛む。だけど俺は、ヨモギの言葉こそがハンナには必要なのだと確信していた。


「言葉の力って、すごいんだよ。さらにすごいのが、誰が言うかによっても印象が変わっちゃうってこと。同じ言葉でもまったく違う意味に聞こえてくる。ハンナに必要なのはヨモギの声。彼女の夢、諦めさせちゃだめだよ」

「……その手紙は?」

「え?」

「そうしたらその手紙は、ゾーイ先輩の言葉が書いてあるんですか?」


 ヨモギは俺が持っている封筒を指差す。


「ううん。違う。えっと……ごめんね」


 封筒を開け、俺は中に入っている手紙を取り出した。

 彼女に見えるように紙を開くと、ヨモギの目が丸くなっていった。


「この手紙は白紙なの。……ここに、ヨモギの言葉を書いてほしくて」

「先輩……やってくれましたね」


 感心しているのか怒っているのか。ヨモギはどちらとも取れる表情で顔を上げる。


「ごめんね、ヨモギ。でも、さっきのアドバイス、すごく嬉しかった。ありがとう、ヨモギ」

「……当然じゃないですか! 私の正直な気持ちですから。大事にしてください」

「うん。もちろん。わたし、ミスコンを諦めたりなんかしないよ」


 ヨモギは俺の手から手紙を奪い取るようにして受け取り、もう一度俺の目を見る。


「……ありがとうございました。先輩。ハンナの舞台、もしよかったら来てください。私と同じくらい、彼女の実力は確かなので。きっと、いい舞台になりますから」

「うん! ぜひ行きたいな!」

「……それでは」


 ヨモギはぺこりと小さく頭を下げると、踵を返して講堂を出て行く。

 扉が閉められ、講堂に残ったのは俺とラーシャだけになった。


「ふふふ。わたしの言葉を言うわけじゃなかったから、期待外れだったかな……?」


 俺の言葉を聞いてみたいと言っていたラーシャに対し、俺は肩をすくめる。が、ラーシャは静かに首を横に振った。表情は柔らかで、俺はなんとなく肩の荷が下りた気がした。第三者がいたことは都合がよかったかもしれない。もし的外れなこと言っていたとしたら、きっちりと指摘して欲しいと思うから。


「ちゃんとゾーイの言葉は聞けたよ」


 そう答えるラーシャの声には感情が乗っている気がした。じっくりと。真摯に俺の言葉に耳を傾けてくれたような、そんな感じだった。いつも通りのラーシャなのに、どこか覚悟が滲んだ声。違和感に首を捻ると、ラーシャはすぐさま口を開く。


「さぁ。そろそろクワイアサークルが来る時間だ。俺たちも退散しよう」

「……うん」

「あ。そうだ。学園祭、ゾーイのクラスは何をやるの?」

「え? えっと……綿あめを売るよ」

「へぇ! それは楽しそうだね。俺も買いに行こうかなぁ」


 話題を変えられ、俺はラーシャと並んで歩き出す。

 隣の顔をちらりと見やれば、さっきの違和感がまた不意に胸をよぎる。

 だけど学園祭の話を楽しそうにしているラーシャに、数秒前の出来事について言及するのも如何なものかとも思う。些細なことだし、俺の勘違いかもしれないんだし。


「ラーシャのクラスは? あ、でも、生徒会で忙しいかな?」


 それに俺も、久しぶりに体感する”学園祭”という学生の醍醐味に少しだけ興奮している。

 だから、刹那に垣間見えただけのちょっとの違和感なんて、学園祭の話をしているうちに忘れてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る