34 気持ちを伝える方法
ベッドの上に座り込み、ペンを片手に俺の動きは完全に止まってしまっていた。
脳を刺激しようと音楽をかけてみても、結局は歌詞が頭を流れていくだけでピンとこない。
ヨモギからハンナへの激励の言葉。
俺がスピーチライターとか詩人とか、そういう職業に向いていればよかったんだけど……。でも、実際はスピーチなんてしたことがないし、詩も小学校の授業くらいでしか書いたことがない。
せめてゾーイみたいに文字に気持ちをしたためる習慣があればいくらか気が楽だっただろう。
だけど俺にはそんな習慣などなく、手紙すらまともに書いてこなかった。
「ううーん……」
ヨモギの想いに応えたい気持ちはある。講堂で彼女の話を聞いた後、俺もラーシャもヨモギに対して少し申し訳ない思いを抱いた。彼女は俺が思った以上に友だち思いの熱い人間だ。そんな彼女の代わりにハンナへ言葉を贈るなんて、本当に俺でいいのかなと疑問は残る。
だがあんなに強気なヨモギが自信がないというのならば。
頼りにしてくれた分、きっちりと仕上げてお返ししなければという思いに駆られる。
ヨモギは正直者なのに素直になれない。彼女の吐く毒は正直言って傷つく。そんなつもりじゃないと理由を添えられたって、一度耳に入ってきた言葉は取り消せない。交通整備されることもなく一直線に心まで届いて、なんの澱みもなく染みついてしまう。だから余計に、適当なことをハンナに伝えられないんだ。
いくつか書き出した言葉が無造作に散らばるノートを見つめたまま時間だけが過ぎていく。自分が情けなくて、身体はずるずるとタコのように溶けていった。
「はぁ……」
言葉の力はすごい。
良くも悪くも、簡単に人の心を揺さぶってくれる。
人間が言語というコミュニケーション手段を選んだ時から、それは必然的なことなのかもしれないけど。
藤四郎時代、言語なんて消えてしまえばいいと何度も思った。ただ意味もない鼻歌だけでコミュニケーションが取れたらどれだけ傷が減ったことか。
言葉なんていらない。
人間が正しく扱うには難易度の高すぎる手法だと人類の進化を恨んだ。
それはこちらの世界に来てからも変わらなかった。道徳を守りはしているけど、完全に棘をしまい込むことなど出来ない。いつ飛び道具が飛んでくるのかとビクビクしてしまう。ゾーイが語学学習に精を出していることも最初は理解できなかった。
言葉を覚える分、傷つく手段が増えるだけ。そう思っていたからだ。
しかし、今はそんな卑屈な考えにも少しだけ変化の兆しを覚えていた。
身体を起こし、普段は閉じている鏡の扉を開いた。
夜だからか疲労が滲むゾーイの顔。小さな目が更に小さくなっている。ベッドに転がったせいか髪の毛もぼさぼさだし、言いたくないが惨めだ。
鏡に映る自分の頬に触れてみた。鏡から冷たい温度が指先を這う。
「かわいい……」
ぽそりと声がこぼれていった。言うつもりなんてなかったが、つい口から出てしまったのだ。
鏡に映っているのは眠そうな俺の顔。
でも脳内では、今日ではない日のゾーイの姿が映し出される。
ダレンに魔法をかけられたあの日。
彼が呟いた言葉が冷たくなった俺の指先をほんのり温かくする。
ダレンは化粧の出来に満足して言っただけだとは思う。
造形としての俺の顔に言ったわけではないのだと自覚はしている。
例えそうだとしても。
あの時言ってくれた「かわいい」という言葉が、ふとした瞬間に勇気をくれる。
言葉の力はすごい。
人の心に、どんな可能性ももたらしてくれるから。
鏡の前に置いたノートに記したヨモギの想い。
俺は再びペンを取り、ノートの空白に大きく文字を書く。
“NO!!”
この二文字の下に力強く二重線を引き、俺はそのままベッドにもぐりこんだ。
「ゾーイ!」
講堂に向かう途中、ラーシャが俺を見つけて声をかけてきた。
「ヨモギに会うの?」
「うん」
小走りで寄ってきたラーシャに向かってこくりと頷く。彼の顔を見て、俺はほんの少しだけ考える仕草をした。
「ラーシャ、ついてきてもらってもいい?」
「え?」
「変なこと言ってないか、ちょっと監督してもらいたいなって思って」
「そんな必要ある?」
「少し」
「分かった。ゾーイがいいなら、俺も行くね」
俺がわざと困った風に笑うと、ラーシャははにかんだ。
「ありがとう! まだ自信がないからさ」
「気にしないで。それに、ほかにも気になることがあるんだ」
「え? なに?」
ラーシャは思わせぶりにニヤリと笑う。悪童みたいな表情なのに、彼がやると爽やかだ。
「ゾーイの言葉、聞いてみたいなと思って」
「わぁ。プレッシャーかけるつもり?」
「ははは。まさか」
そんなつもりはないって分かってる。
でもやっぱり、微かな緊張が蘇ってきたのは本当だ。
講堂はこの後クワイアサークルが予約をしているらしいから、彼らが来る前にヨモギと話さなくては。
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