33 主役

 昼休みに食堂で定食を食べていると、目の前の空いた席に座り込んでくる人がいた。

 顔を上げればラーシャが前のめりになって眉を凛々しく上げている。何かを憂慮しすぎて逆に苦しそうなくらいの表情を浮かばせながら。


「あれ。今日はジアたちは別なの?」


 ラーシャの険しかった表情から僅かに力が抜けていく。俺は箸を唇の端につけたままコクコクと頷いた。突然現れるから、びっくりして米が喉に詰まりそうになった。


「ジアとリンエは学園祭の準備で用事があるから」

「そうなんだ」

「うん。クラスの実行委員なんだ。ジア、前からやってみたかったって言ってて、今回思い切って手を挙げてみたんだって。そしたら無事に任命されたの」

「へぇ」


 ラーシャの眼差しが若干和らいだように見えた。


「リンエはジアの頼みで一緒に引き受けてくれた。あの二人、意外と気が合うんだよ」

「人間ってのは蓋を開けてみないとわからないことだらけだね」

「はは。そうだね」


 ラーシャの表情がじわりと崩れる。ああよかった。彫刻のような顔立ちの彼が真顔で瞬きもしていないと凄みがありすぎて少しだけ怖いんだよな。でも、いつもの調子に戻ったみたいでほっとした。

 が、落ち着いたのも束の間。用件を思い出したラーシャはすぐに表情を戻してしまう。


「だけど蓋を開けなくても分かることだってある」

「え?」


 再びキリッと眉を上げたラーシャは腕を机に置いて俺の顔を覗き込むようにして見る。


「ゾーイ、ミゼルから聞いたよ。ヨモギの相談を受けたんだって?」


 斜め下から見上げる彼の瞳は万華鏡を映しているようだった。


「えっと。うん。そうだよ。お友だちに言いたいことがあるとか……」


 文句なしに明媚なラーシャの瞳。けど、こんなに至近距離で見てもそこまで胸はざわつかない。やはり、ゾーイはラーシャへの個人的な想いは完全に断ち切っていたのだろう。

 俺は茶碗を置き、二日前にヨモギから聞いたことについてラーシャに伝える。


「ヨモギの中学の時の友だちが、今度舞台に出るんだって。二人は同じ部活で、切磋琢磨していいライバルって関係だったみたい。で、彼女はずっと舞台に出るのが夢で、高校入学と同時に劇団にも入った。そこを経由して受けたオーディションで、憧れの役に合格したらしいよ。演劇界では有名な演目だとか。すごいよね」

「ああ。それはすごいことだと思う」


 けれどそういうラーシャの声はどこか浮かない。心配事を抱えていることが明白だ。


「でも彼女、この前の稽古で少しだけ怪我をしちゃったみたい。大怪我でもないから役を演じるのに支障はないし、公演が始まる頃には良くなってると思う。けど、それがきっかけで、抑え込んでいた不安が一気に溢れてきちゃったみたいで……。舞台に立つ自信がないって最近はずっと塞ぎ込んでいるみたいなんだ。降板するかもしれないって」

「ああ……」

「でね、ヨモギはその友だちを励ましたいんだって。それで、わたしに彼女に渇を入れてきてくれないかって頼んできた。自分は顔を見たらきっと彼女を傷つけるようなことしか言えないし、そもそも何を言えばいいのか思いつかないから、って言ってた。だからわたしに代行を頼んだみたい」

「……うん。ミゼルの言っていた通りだ」


 俺の話を聞いたラーシャは静かに頷き、再び真っ直ぐに俺を見る。


「ゾーイはそれを引き受けたんだろ?」

「うん。どうなのかなって思ったんだけど……。でも、ヨモギの顔を見たら、彼女は彼女なりに悩んでいるんだなって思って。はは……またお節介に首を突っ込んじゃった」


 ラーシャの反応が怖くなり、俺は誤魔化すように頭を掻く。


「引き受けたことはゾーイらしくていいと思う。ゾーイはほんと、優しいよ」

「へへ……なんだか、勿体ないお言葉です」


 だって裏にはミスコンへの意欲を燃やしている。

 純粋に困っているヨモギを助けたくて、という気持ちはもちろんあるんだけど。けど、もし俺がお人形だとして、その気持ちは純度百パーセントだと答えたら恐らく鼻が伸びるだろう。

 ラーシャは前に倒していた身体を起こして眉尻を下げた。


「だからこそ心配なんだ。ゾーイ、ヨモギはかなり正直者だから。蓋をすることもなく棘のあることばかり言ってくる。彼女の力になりたい君の気持ちは素晴らしいと思う。だけど彼女の無邪気さにゾーイが傷ついたりしないか気になってしまう。……これも、余計なお世話かもしれないんだけど」


 ラーシャは俺から目を逸らして俯きがちに髪を乱した。

 まさか、彼は俺の心配をしてくれているのか?

 確かにヨモギの放つ言葉は毒々しい。ミゼルの兄であるラーシャもそのことは聞いているのだろう。

 気まずそうに辺りを見回すラーシャ。ゾーイのことを心配するのは過保護で相応しくないという考えも彼の中にはあるのかもしれない。だからこそ、珍しく落ち着きがなく見える。


「ふふ」


 そんなラーシャの姿が新鮮で、俺は思わず笑い声を漏らす。


「心配してくれてありがとうラーシャ。もしかして、今もそれを言いに来てくれたの?」

「うん。きっとゾーイは全力でヨモギのサポートをする。でも、君自身のことも大事にして欲しいから」

「ありがとう。でも大丈夫。ヨモギは迷える子犬ちゃんだからさ」

「子犬ちゃん?」

「うん。それにミゼルの友だちだし。根は悪い子じゃないってわかるもん」


 俺の見解にラーシャは微かに頬を崩し、「ああ」と頷く。


「毒づいてるようでヨモギは時に核心をつく。そういうところがちょっと感心しちゃうんだよな」


 頬杖をつき、ラーシャは若干悔しそうに微笑んだ。

 可愛い妹の新たな友だちであるヨモギの性質にラーシャも興味があるようだ。

 妹が転校してきた理由にはラーシャの存在が大きい。彼女にもし何かあればと、ちょっぴり責任を感じているところもあるはずだ。


 その日の放課後、俺はヨモギから更なる話を聞くために彼女のもとを訪ねた。ヨモギが待っているのは講堂だった。彼女は舞台に腰をかけ、ぶらぶらと足を揺らしていた。


「遅いですね。食あたりにでもあいましたか?」


 俺の足音に気づいたヨモギは顔を上げてむっと頬を膨らませる。そして俺の隣にいる人物を見てプスッと頬から空気を抜いた。


「あれ? ラーシャ先輩も一緒ですか?」


 友だちの兄だからか、若干声の棘が緩やかになったような気がした。


「うん。えっとね、ラーシャも力になれるかもしれないからって、来てくれたの」


 俺はラーシャをちらりと見てからそう説明をする。

 本当は、やっぱりヨモギの言動が不安だからと俺を案じてついてきてくれたのだけど。

 加えて言えば、ミゼルの友だちのことを知るためでもある。

 転校してきたミゼルにようやくできた同級生の友だち。噂だけ聞いていたら気になるのも分かるけど、ラーシャは結構心配性だ。でも俺としても彼がいた方が気が楽かもしれない。なにせ、俺は言葉を作ることがあまり得意ではないのだから。


「へぇ。生徒会って案外暇だったりするんですね」


 相手がラーシャだろうと一切の遠慮はなかった。

 ヨモギは舞台から通路へ降り、ニヤニヤとねちっこい笑みを浮かべて近づいてくる。


「で。もう言うことは考えてくれましたか?」


 近くの椅子に座り込んだヨモギは斜め上にいる俺のことを見上げる。


「ううん。まだなんだ。もう少し、二人のことについて聞きたくて」


 腕も足も組んだヨモギは俺の言葉に唇を尖らせた。


「ええー? この前話したじゃないですか。それに二回も。先輩、話聞いてないから」

「それは本当にごめんね」


 両手を顔の前に合わせて謝ってから、俺は通路を挟んだ隣の席に座る。ラーシャはヨモギの調子に眉をひそめながら俺の後ろの席に座った。


「今回は、要はヨモギの友だちに手紙を代筆するようなものだからさ。あんまりヨモギらしくないことを言うと、すぐにバレちゃうと思うんだよね。二人、三年間同じ部活にいたんでしょう?」

「……しょうがないですねぇ」


 ヨモギはわざとらしくため息を吐いて瞼を閉じた。


「ありがとう。すごく助かるよ」


 俺はペンとメモを取り出す。なぜ俺がお礼を言うのか。そう言いたそうな目でヨモギは俺の動向を見つめていた。


「二人は、中学校で知り合ったの?」


 記者になった気分でペン先をメモの上に乗せる。ラーシャは黙ってヨモギの方を見やった。


「そうです。同じクラスで同じ部活。まぁ、自然と顔を合わせる回数は増えます。私は小学生の頃からお芝居が好きで、ミュージカルに出演していたりしていたんです。だから中学でも当然主役は私がやるものだって思ってました。経験値が違うので。正直他の部員は相手にならないなと」


 ヨモギは自信たっぷりの笑みを作る。確かに、主役の器は兼ね備えていそうだ。


「だけど、最初の公演の時。オーディションで最後まで残ったのが私とハンナでした。私は余裕で役を得られると思っていたのに、先生たちはハンナと私、どっちにするのかで大揉めしてたんです。で、結局どちらも素晴らしいからといって、ダブル主演になりました。所詮は学校の部活。公演回数なんて少ないのに」


 つまらなさそうな表情でヨモギは背もたれに勢いよく身体を預ける。


「それが悔しくて、私は今後は絶対にハンナに負けないって誓いました。誓い通り、次の公演は単独で主役に選ばれましたし、その後も何度も私は良い役をもらうことが出来た。ハンナも悪くはなかったけど、私ほどは目立ってなかったので」

「なんか想像はできるかな……」


 ヨモギが舞台の中央で両手を広げている様が易々と想像できた。俺の言葉をポジティブに受け取ってくれたヨモギが満足そうに笑う。


「中学に通う間、私はこれまでにないくらい芝居に打ち込めたんです。理由は簡単。それまで近くに張り合いのある人間なんていなかった。でも、唯一、ハンナだけはそれに値した。ハンナには負けられない。もっともっと上を目指さなきゃって、随分と張り切っちゃいましたよ」

「ふふ。いいね」


 まさに青春の輝き。

 言葉だけで彼女の過ごした瑞々しい日々が思い浮かぶようだった。

 でも待てよ?

 今のヨモギはどのサークルにも属していないと言っていた。

 そんなに芝居に心身を捧げたというのならば、何故やめてしまったのだろう。

 俺の疑問を解消するように、ヨモギは話を続ける。


「ハンナは将来、小さい頃に憧れたスターになりたいと言っていました。舞台の上で、誰よりも輝いて、皆に希望や元気を与えられるようなスターに。まぁ、実力はあるし、頑張ってねって私は言いました。だからって、主役の座を譲るつもりはなかったけど。引退前の最終公演。私は、やっぱり主役の座を得ました。ハンナは準主役。彼女は、ヨモギには敵わないなって笑ってました。でも……」


 ヨモギは一度言葉を詰まらせた。少し前の過去を思い返し、一度空気を吸い込む。


「私は、演劇活動が出来るのが中学までって決まっていたので。だから、ここから先はライバルがいないから楽勝なんじゃないって、伝えました」

「え?」

「私の家、医者の家系なんです。だから私も、将来は病院を継ぐ予定です。だからお遊びはおしまい。高校からは医者の道一筋に行くって決めていたので」


 ヨモギは横目で俺のことを見た後で「はぁ」とため息を吐く。


「そんな白々しい顔しないでください。同情なんていりません。私の夢は、前から変わらず医者になることなので。才能がありすぎたから、他の可能性を知っちゃったのは少し残念な気もしますが」


 ヨモギはやれやれと首を横に振る。俺はラーシャと顔を見合わせ、彼女の強がりには気づかないふりをした。


「でも。ハンナは違う。彼女の夢はずっと、舞台の上に立つことだった。劇団に入るのなんて朝飯前だし、今回の役を射止めたのも当然のこと。だって、私と張り合う実力があるんだもん。夢を叶えられないのはおかしい」


 ヨモギは俺とラーシャの顔を交互に見て瞳に力を入れた。


「彼女の才能は私も認めてる。降板なんて、とんでもない。ようやく掴んだチャンスだよ? ずっと憧れていた演目に出られるんだよ? しかも希望の役で。弱気になんてなっている場合じゃない。ライバルがいないからって甘ったれたことを言っているだけよ。それを、ハンナに思い出させないといけないの」


 ヨモギのびりびりとするような眼差しに、俺の肌が粟立った。怖いわけじゃない。彼女のハンナに対する信頼と、それ故の怒りを感じたからだ。


「先輩」


 念を押すような声。俺は思わず背筋を伸ばして「はい!」と答える。


「お願いします。ハンナを舞台に立たせてください」


 迷いのないヨモギの想いに、俺は黙って頷くことしかできなかった。

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