31 手がかり

 家に帰った俺は、早速本棚に置いた日記を手に取る。

 去年の秋の終わりごろのページを探し、服も着替えずにベッドに座り込んだ。

 が、どのページにもやはりリンエのことなんて書いてない。もしかしてゾーイも記憶に残したくなかったのか? そんな疑念が頭をよぎる。残したくないのなら日記に記す必要などない。でも、こんなにマメに日々を綴っているゾーイは、どんな感情も大事にしている気がする。だからドラマチックな出来事ほど日記に残すような気もするんだが……。


 何度も同じページ群を読み直す。直接的な表現は避けて書いているかもしれない。なら、まだ俺がちゃんと読み込めていないだけだ。何度も読み返してゾーイのことは知った気になっていた。けど、そんなことは出来ていなかった。

 一人の人間の想いや考えなど、そう簡単に他人が飲み込めるはずがないのに。

 思い上がっていた自分を叱責しながら目を皿のようにして文字を拾っていく。一文字一文字を脳に焼き写して、しっかり真意を探るんだ。


 三度読み直したところで、俺はある違和感に気づく。

 とある冬の始まりの日、その日はなんだかやけに筆圧が強い。

 一筆に魂を込めているくらいの圧がある。まるで文字に意思を宿したように見えた。

 どきどきしながら俺はもう一度彼女の文に目を通した。

“大好きな人。私もあなたが大好き。だから、私はあなたの味方でいたい。いつも傍にいて、くっついて離れない。大好きな人の夢を応援する。大好きな人が幸せになること。それが私が幸せになるただ一つの方法だと思うから”


「大好きな人……」


 前にこの文を読んだ時、恐らくラーシャのことを言っているのだと思った。だが改めて読んでみるとおかしなところもある。“いつも傍にいて、くっついて離れない”。「大好きな人」がラーシャを指しているのなら。遠くからジアとともに彼のことを見ていたゾーイにしては大胆過ぎる表現だ。

 これまでのラーシャに対する記述と比べても少し異端。この表現だと、もう既に傍にいて密接な関係を築いているように読める。


 それにこの言葉。

 つい最近どこかで耳にしたような。


「あ……」


 耳にしたはずだ。

 当たり前だ。だって、自分の口で言った言葉なのだから。

 リコさんのパーティーでサプライズが成功した後、ジアの告白を聞いた俺が言った。

 あの時、頭で考えるよりも先に言葉が口をついた。

 言いたくてたまらなかったようなそんな感覚だった。

 俺もジアのことは友だちとして大好きだ。でも、あんな言葉がスッと出てくるほど粋な人間でもない。

 じゃあ、もしかしたらあの言葉は、ゾーイの潜在意識の中にあったもの?

 それならば。


「……ゾーイは知っていたのか」


 リンエが目撃したというゾーイの泣き顔。またこれも俺の推測にすぎない。が、パズルのピースが当てはまったみたいにすとんと心に落ち着く答え。

 ゾーイはジアの恋心を知っていた。

 ゾーイ自身もラーシャに憧れは抱いていたはず。けれどジアの本気の気持ちに気づいた。このまま好きでいるのか、友だちのために身を引くのか。


 ゾーイが出した結論はここに書いてある。

 親友であるジアを応援すると決めたのだ。

 日記に決意を綴ることによって、彼への想いに決別をしたのかもしれない。もしそうなら、今のラーシャに対するやけに落ち着いた心情にも納得がいく。


 あれ? でもそれならあの遺書は何だ?


 それに、想いを整理したのなら何故自殺までした?

 次の疑問が浮かんできた俺は急いで遺書である日記を読み返す。


“やっぱり奇跡なんて起きなかった。どんなに強がっても所詮変わらない。誰の目にも入らない。私は醜い。醜いまま生涯を終えるの。奇跡なんて起こらない。誰にも夢なんて話せない。だってきっと心のどこかで笑われる。無謀な望みはやめろと。あなたらしく生きればいいと皆は言う。でもそれってきっと、真ん中の世界じゃない。その言葉がどんなに私を傷つけるか、誰も分かってくれない。

私は私になれない。最悪最悪最悪最低。希望を持ってごめんなさい。成功を祈った私が馬鹿だった。あなたを勝手に信じた私が惨めだった。私は夢を見ていただけ。でもそれは夢ですらなかった。さようなら。やっぱり無理な望みだったんだ。さようなら私。もう二度と生まれてなんてこないで”


 何回読んでも心を抉られるようで胸が苦しくなる。

 ゾーイは生きている。けど、もう彼女はゾーイではない。

 迎えた結末を思うと涙が出てしまう。だからあまり読み返したくなくて最近は避けていた。

 だが今はちゃんと読まなければ。

 久しぶりに読んでみると、以前とは違う印象を抱く。


「成功を祈った私が馬鹿だった。あなたを勝手に信じた私が惨めだった。私は夢を見ていただけ。でもそれは夢ですらなかった」


 気がつくと声に出していた。

 この部分。俺は普通にゾーイの失恋のことを書いているのかと思っていた。

 しかしジアの想いに気づいた時に心の整理が出来ているのなら、ここまでのショックは受けないはず。

 彼女の心境が知りたい。真意を教えて欲しい。

 俺の中に眠るゾーイの潜在意識よ。どうかヒントを教えてください。

 祈るように瞼を閉じた時、ふとある考えが頭に降りてくる。


「もしかして……」


 この、”成功を祈った”って、ジアのことを言っているのか?

 二人は自分たちの存在を認めてくれる唯一の生徒だったラーシャに憧れを抱き、彼の優しさは彼女たちの自尊心を支えてくれた。

 彼の存在が彼女たちを励まし、自分自身の存在を信じる希望になったことだろう。

 そしてジアは憧れを超えてラーシャに恋をした。

 似た者同士の親友の恋心を知ったゾーイ。恐らく彼女はジアに自己投影していた。


 彼女の成功を願い、彼女の幸せを希望とした。けれどミゼルのことを勘違いし希望は砕かれた。恋していた相手がジアだろうとゾーイだろうと、ミゼルがもし恋人だとしたら同じことだ。

 勘違いとはいえ玉砕したゾーイは、その瞬間に自分への催眠が解けたのかもしれない。

 ジアの想いは叶わない。それは即ち、ゾーイの希望が叶わないということ。きっと彼女はショックのあまりそう解釈した。”それは夢ですらなかった”。だってジアの夢なのだから。


 ゾーイは自分の希望、存在意義をジアに重ねた。確かに、彼女が記した通り”勝手”だ。

 ジアと会話をして冷静になる道だってあったはず。

 けれどゾーイはそれが出来なかった。

 甘いと言われようと、やっぱり俺は彼女を非難できない。

 灰よりも脆い彼女。

 彼女の心はとっくに砕けていたんだ。


 日記を本棚に戻しながら、部屋の電気を点けていなかったことに気づく。真夏の今日でも流石に外はもう暗い。

 暗闇に明かりを点け、その眩しさに目を細めた。

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