30 読書感想会
夏休みに入り、俺は自分で立てた勉強スケジュールをこなすため、図書館に通う頻度が増えた。
最初の頃は家でずっと勉強をしていたんだけど、母親から少しは気分転換したら? とアドバイスをもらい環境を変えてみるのもいいかもと思ったからだ。
ゾーイの両親とはもう自然に会話ができるようになった。はじめの一か月くらいは罪悪感に呑まれてまともに目を見ることも難しかったが、今はもう大丈夫。
本当の親子の感覚とは違うかもしれない。けれど、とても信頼のできる”家族”だ。
藤四郎の両親を思い出すことも多々あった。俺は両親と不仲だったわけではない。でも、一般的な容姿の両親から生まれたのにどうして俺だけは違うんだって何度も苛立ちを感じたことはあった。怒ってもどうにもならないんだけどさ。
とはいえ両親は俺を邪険に扱うこともなく、ごく普通の親子として過ごせてきたと思う。
大人になって、どうしてもコンプレックスを拭えない俺が彼らから距離を取るようになるまで。彼らは俺のことを大事な息子として見ていてくれたはずだ。今もそうかは分からない。俺の結末を聞いて彼らが何を思ったのかなんて。俺なんかが測れるはずもないことなんだ。
ほとんどの時間を勉強に費やす夏休み。たまにジアとリンエと顔を合わせて遊ぶ日もある。
俺が勉強ばかりしていることを知ると、彼女たちは感心しつつも少し呆れていた。
今は今で楽しめることは楽しんだ方がいいはず。この夏休みは二度とこないのだから。
真っ当なことを言われ、俺は弱りながらもはにかんだ。
多分、そのことは俺が一番よく分かっている。
今年の夏休みだけじゃない。どんな毎日も二度と訪れることはないってことを、俺は身を持って学んだから。
昨日読み終えた本を鞄に入れ、時間を確認しつつ階段を駆け下りる。
昼下がりの水曜日。長い休みだと曜日感覚を失ってしまうけど、そんな特権がなんか嬉しい。
「お母さん。出かけてくるね」
テレビを見ている母親に声をかけると、母は朗らかな笑みでこちらを向く。
「いってらっしゃい。遅くなる前に帰ってきてね」
「はーい」
大らかな声に見送られ、俺は玄関を出て行った。
今日はリンエと読書感想会をする日だ。家族旅行中のジアは欠席する。リンエと会うのは一週間ぶりくらいだろうか。今回お題となった本は医療ミステリーものの話だった。思ったよりも薄暗い話で気が滅入りそうになったが、彼女とこのモヤモヤを晴らせると思えば苦ではなかった。
こっちの世界でも、やはりミステリーものの話は人気のようで、たまに垣間見える俺が知っている日本との共通点にほんの少しだけ嬉しくなったりもする。
待ち合わせ場所は気のいい店主がいる街角のカフェ。リンエが読書をするために隠れ家のように通っていたお店らしい。定期的に読書感想会を開く俺もすっかり常連になってしまった。
「リンエ! お待たせ!」
店に入るなり深いコーヒーの香りが鼻を通る。苦いコーヒーは前からあまり得意ではない。けど、この香りだけは楽しめるようになった気がするから、少しずつ克服しているのかも。
「待ってないよ。ゾーイ、走ってきたの?」
びっしょり汗をかいた俺を見たリンエが尋ねる。
「うん。遅刻しちゃうと思って」
「別に遅刻しても大丈夫なのに」
「リンエは懐が深いねー」
「ここで色々飲んでれば時間なんてあっという間だし」
リンエは涼しい顔で微かにため息を吐く。
「マスター。ゾーイにアイスティーお願い。ゾーイ、顔、真っ赤だよ」
「はい。リンエちゃん、少し待っててね」
手を挙げて俺の分のオーダーをしてくれたリンエにマスターはにっこりと笑みを返す。
リンエは一見するとクールな印象を抱くけど、こうやってナチュラルに人を気遣ってくれる優しい子だ。
だから俺は彼女のそんな気遣いを見る度についにやけちゃうんだよね。そうすると、リンエは奇妙なものを見る眼差しを向けてくる。そんなやり取りになんだかハマってしまった。
アイスティーが運ばれてきたので、俺はシロップを混ぜながら早速本の感想を口にする。
リンエも僅かに瞳孔を開いて話に入る。淡々と。でも、言いたいことが次々に出てくるのか、少し早口で。
アイスティーを飲み終える頃には、俺たちは若干の興奮を保ったまま同じ結論に達していた。
「あの医者、やっぱりあの動機はないよね」
声を揃えて互いを指差す。
あまりにもピッタリ揃ったから、可笑しくて笑いをこらえられなかった。
「ねぇ、でもさ」
感想会の終わり。リンエがおもむろに口を開く。さっきまでの声の調子と少し違う。ということは、本の感想ではない話かな。
「ゾーイが私に声をかけてくれるなんて思わなかった」
リンエは空になったマグカップを見つめて呟くように言った。
「え?」
リンエがそう思うってどういうことだ?
発言の根拠が知りたくて首を捻る。
「去年、ゾーイが泣いているところを目撃しちゃったとき。ゾーイ、お願いだから誰にも言わないで、って悲しそうに訴えかけてきたから。私とはもう話したくないかもって思って」
「……そうだっけ?」
そんな記憶は当然ない。ゾーイの日記にもリンエとの交流の痕跡はなかったし。
しかし気になる。
ゾーイが学校で泣いていたということか?
「あれ? 忘れちゃった?」
まずい。
記憶がないなんて言ったら変だろうか。
なんとかうまく誤魔化したい。
「ううん。ほんのり覚えてるよ。ほら、泣いてたから記憶がぐちゃぐちゃだけど。でも、何があろうと過去は過去。リンエとは話したくないわけじゃない。むしろ、だから余計に話してみたくなったのかも」
「そう?」
「うん!」
リンエはきょとんとして首を傾げた。
お願いだ。誤魔化されてくれ。
「…………そっか。まぁ、たしかに。泣くと記憶って曖昧になるよね」
リンエは自分に言い聞かせるようにこくりと頷いた。
良かった。うまくかわせたかもしれない。
「そう。だから、なんで泣いてたのかもちょっと覚えてないんだ。泣きすぎて、すべて流れちゃったかな」
さらにとぼけてみる。どうしてゾーイが泣いていたのか、今はその理由が知りたくてしょうがない。
自分で泣いていたくせにそんなことを訊くなんて奇妙だ。けど、他に手段はない。
「……裏庭。本を読んでた私は、人の声がするから気になってそっちに行ってみた。そしたらゾーイがいて、ぶつぶつ独り言を呟いてたよ。理由は、分からないんだけど」
「……そっか」
「私に気づいたゾーイはすごく慌ててた。それで、今見たことは忘れて欲しいって頼まれた。断る理由もないし、私は頷いたよ。そうしたら、ゾーイは走ってどこかに行っちゃった。今年になって同じクラスになって、なんか言われるかなって思ってた。だからこの前声をかけてくれた時びっくりしたの。そうしたら、本とか署名の話で。それはそれでびっくりした」
リンエはクスリと笑う。まぁ、泣いていた理由なんて知る由もないよな。
それにしても、以前にもリンエと会話をしたことがあったとは。もしかして彼女の存在が異様に目についたのは、こういう過去があったからなのだろうか。無意識のうちにリンエの動向を気にしていたのかも。
「そっかぁ。ねぇ、それっていつくらいのことだった?」
「うーん。秋ごろだったかな。そろそろ冬になるかなって時」
「ふぅん……」
「本当に忘れちゃったの?」
「え? へへへ……。いや、お恥ずかしい……」
「まぁ、泣いてる姿は辛そうだったし。嫌な思い出を忘れていたのなら、それは別にいいんじゃない?」
なんて優しい言葉だろう。
「リンエー……!」
温かくて、滑らかで。
彼女の言葉はスッと俺の心に響いていった。
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