26 陳謝
パーティーの助っ人を引き受けた俺は、翌日の昼休みに先輩を訪ねることにした。
三年生がいるフロアに行くのは初めてだ。校内を歩き回った時もなんとなく怖くて避けていた。
だが依頼を受けたからにはちゃんと挨拶をしないと。俺は強くなる心音を閉じ込めるように拳を胸に当て、深呼吸しながら廊下を進む。ポスターやら署名活動で俺の顔は校内に広まっているから、廊下を歩く俺のことを名も知らない先輩たちが好奇心を浮かべた表情で見てくる。ああ。これじゃまったく緊張が静まる気がしないよ。
もう緊張の限界を迎えそうになった俺は、朦朧としながら教室の札を見上げた。
三年B組。ここだ。ここに依頼主である先輩、リコさんがいるはずだ。
「あのぅ……」
声ちっさ。
思いのほか口が動かず、蚊の鳴く声で扉の近くにいる生徒に声をかける。自分に声をかけられているのか自信がなさそうに首を傾げた女子生徒。そうです。あなたです。
「リコさん、いますか?」
さっきよりは少し声を張り、顔を向けてくれた彼女に尋ねる。
「リコ? ああ、リコならあそこ」
彼女は教室の後方を指差してにこりと笑う。恐る恐る教室の中を覗いてみると、後方の窓際の席に群がる何人かの生徒たちの塊が見えた。
塊の中心にいるのは派手な髪の色をした女子生徒。お菓子のようにふわふわと笑う姿は、見ているだけで気分が明るくなるくらい華やかだ。自然なカールを描く髪の毛が揺れる度に、彼女の愛らしさに嫉妬してしまいそうになる。
「リコ!」
俺がリコさんに見惚れていると、先ほどの親切な先輩が手を挙げて彼女を呼ぶ。リコさんはすぐさま反応し、談笑を止めて立ち上がった。
「後輩ちゃんが来てるよ。知り合い?」
リコさんはクラスメイトの隣に並ぶ俺に目を向ける。咄嗟に俺は会釈をした。
「ああ! うん! 知り合いだよ」
本当は初対面だけど。リコさんは嬉しそうに笑いながらこちらに駆けよってきた。
「あ、あの……」
「こんにちは。ゾーイだよね? あたしがリコです」
近づくにつれ眩しくなってくる彼女のオーラに仰け反っていると、リコさんは愛想良く手を伸ばしてくる。
あ、握手?
おずおずと手を伸ばして彼女の手を掴むと、リコさんは優しくその手を揺らした。
「ごめんね。わざわざ来てくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、せっかく教室まで来ていただいたのに不在で……」
「はははっ。何言ってるの。放課後になってすぐに行かなかったあたしがタイミング悪いだけだからっ」
リコさんは俺の肩を抱きながら廊下に出る。なんか空気が甘くなったような気がする。もしかして、リコさん香水つけてるのかな? リコさんは初対面の俺との物理的な距離など気にせず肩を組んだまま歩き続ける。
「で。お友だちに伝言を頼んだんだけど、聞いてくれたかな? ごめんね。本当はあたしが直接言うべきなんだけど。だけどちょっと、どうしても遅刻できなくて」
「いえ。大丈夫です。えと、今日はその伝言の話について聞きたくて」
「わっ? ほんと?」
「はい。ブルスケッタパーティーを主催すると伺ったのですが……その……で、できれば、わたしも力になりたいなとは思うんですが……」
「うわああああ!」
俺がまだ言い終わらないうちに、リコさんは突然頭を抱えて悲壮な声を出す。
「せ、先輩?」
なんだなんだ。急に叫ぶから怖いじゃないか。
失礼とは思いながらもちょっと顔の筋肉が強張ってしまう。俺の顔は確実に引きつっていた。
「やっぱりだめかぁあ! そりゃそうだよねぇ。パーティーの準備なんて面倒なだけだもんね」
「えっ? いや、そうじゃなくて。違います!」
慌てて顔の前で手を振る。必死で否定する俺を見たリコさんは途端にきょとんとした顔になった。
「違うの?」
「はい! その。確かに消極的な言い方に聞こえたかもしれないんですが。お手伝い自体はしたいと思っています! だけど、ただ、その、サプライズっていうのが、どうしても思いつかなくて」
昨日、エルフに変身する間から寝る前までずっとサプライズ案について考えてみた。
俺なりに頑張って頭を巡らせた。捻って捻って脳みそを絞りまくって考えた。結果、そういった賑やかな場とは無縁だった俺の思考の中で最適な案を練るのは無謀だった。無理難題。答えのない作文のテストを受けているのと一緒だ。だが自分の責任範囲であるテストと違ってこの課題は無下にできない。リコさんの最後のパーティーを素晴らしいものにするためには、妥協なんてしたくない。そう思えば思うほど、俺には答えがわからなくなっていった。
「ごめんなさい……! 折角声を掛けていただいたのに、お役に立てなくて……!」
がばっと頭を下げて謝る。俺の噂を聞きつけて頼ってみようって思ってもらえたのに。リコさんの期待を踏みにじるようで怖かった。だが、大噓を吐いて「任せてください!」なんて都合のいいこと口が裂けても言えない。
視線の先に見えるリコさんの靴先を眺める。靴が動くことはない。情けなさでぎゅっと瞼を閉じた。
「ゾーイ。そんなことを気にしてくれてたの?」
後頭部にリコさんの声が降ってくる。俺は頭を下げたままこくりと頷いた。
「ふふふっ。なんだぁ。ごめんね余計なことを言って。サプライズがあったらいいなぁってのを話しちゃったから、きっと気にしてくれてたんだよね。うん。あたしの言い方が悪かった」
顔を上げれば、リコさんは申し訳なさそうに眉尻を下げてばつの悪そうな顔をしている。
「ほら。署名を集めてサークルを立ち上げるのって、この学校では結構大変なことなの。でもゾーイがそれをやり遂げたって噂を聞いて、もしかしたら? って、調子に乗ったこと言っちゃった。ごめん。あたしも最後のパーティーだからって意気込みすぎて周りが見えなくなっていたのかも」
リコさんは腰に手を当てて恥ずかしそうに舌先を出す。あざとい仕草だけど、彼女がやるとなんの嫌味もなくて自然と許せてしまう。
「昨日もそう。パーティー会場を貸してくれる責任者のところに挨拶したくて、ゾーイにも会わずにそっちを優先して帰っちゃった。この時期はどの会場もすぐに予約で埋まってしまうから争奪戦でね。それで、責任者に直談判したかったの。まだ会場も抑えられてないなんて誰にも知られたくなくて」
「それは気にしないでください。でも、会場の方は大丈夫だったんですか?」
「うん。昨日押しかけたおかげであたしのパーティーに使っていいよって、サインをもらうことが出来た。これでようやく会場ゲットだね」
晴れ晴れとした笑顔でリコさんは嬉しそうに言う。
「結構、ギリギリなんですね。準備って」
「いやぁ。本当はもっと早く進めていくべきだったんだけど……」
リコさんは言葉を濁して視線を泳がせる。
「去年まで一緒に準備をしていた友だちが、今年はいないから」
彼女の声が僅かに沈んだ。
「彼、研究が認められて大学へ早期入学したの。だから今年はあたしが主催として頑張らなきゃって思って。コンセプトとか会場以外のことは早々に決めていけたんだけど、会場だけはどうしても譲れなくて。ようやく勝ち取れたって感じなの」
リコさんは両手を握り、肩をすくめて微かに頬を緩めた。
「あの会場はあたしと彼が付き合うことになったきっかけの場所。一年生の時、面白そうだからって一緒にパーティーを企画してね。だから、最後の会場はどうしてもあそこがよかった。今年、彼はパーティーに来れないけど、なんとなく傍にいられるような気がするから。ふふ。あたしの我が儘なんだけど」
「えっと……彼、は、今遠くに?」
リコさんが少し寂しそうな顔をしたので、俺はついそんなことを訊いてしまった。
「うん。大学はここからは離れた場所にあるからね。そこの寮にいるの。あたし一人で主催なんてできるのかって心配してくれてたけど。そんなの大丈夫だよって言い返してやった。でも、会場が取れるか取れないかってことに気を取られたのも事実。思ったほど準備は進んでいない。そこで、ゾーイにお願いできたらって、イチかバチかで声をかけたの」
「そうだったんですね」
「ゾーイ、本当にお手伝い頼んじゃって大丈夫?」
改めて俺の方を向いたリコさんは澄んだ茶色の瞳で俺を見る。
「もちろんです。サプライズについては、本当、力及ばずという状況ですが……」
「いいのいいの。ライリーがいなくてやっぱりちょっと心細くて。それで、去年まで来てくれていた皆に今年はなんだかつまらないなぁと思われたら怖いなって思って、そんなことを言っただけ。サプライズなんかなくても、お手伝いをしてくれるだけで本当に大助かりだよ。心強い」
「……はい」
主催も色々と気負いすることがあるんだな。こんなに充実感に満ち溢れたオーラを纏っていても、そんなことは関係ないということか。
想像すらできない彼女のプレッシャー。しかも、去年までいた仲間が傍にいない。普通にパーティーを開催するだけでもゲストである生徒たちは喜んでくれそうな気もするけど、彼女としてはそうは思えなかったのだろう。
「あ。わたしの友だちも、一緒にパーティーに参加して大丈夫ですよね?」
弱音を吐いたことを気にしているのかそわそわしているリコさんに、俺は空気を換えようと尋ねる。
「もちろん。誰でも呼んで構わないよ」
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をすると、リコさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。それじゃあここからは、忙しくなるよー?」
「はいっ。お任せください!」
ぴしっと敬礼をしてみせる。リコさんはくすくすと声を弾ませた。これで今年は俺もジアもブルスケッタパーティーに参加できる。どんなものかは分からないけど、何事も経験だ。皆に楽しんでもらえる最高のパーティー作りに尽力しよう。
俺が静かな気合いを胸に誓っていると、リコさんは口に手を当ててこっそりと内緒話を始める。「あのね、実はね……」と、リコさんは俺にパーティーに対する想いを囁いてくれた。
彼女は今年を含めて三年間、ずっとパーティーの主催を務めてきた。参加者数で競い合うとは聞いていたが、いつもなかなかの上位に食い込んでいるらしい。けれどリコさんにとってはそんなことはどうでもいいと言う。
せっかくパーティーに来ると言ってくれた人たち。
参加者全員の笑顔を見ることができたのなら、ただそれだけで嬉しいのだと。
そう言っていたずらに笑うリコさんのおもてなしの心には勝者への野心など隠れてもいない。偽りなく純粋な歓迎への熱意しか感じなかった。
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