12 個々燦々

 宣言通り新聞をすべて配り終えた俺は少し大股で廊下を歩く。小さなことかもしれないけど、やりきったという成功体験が俺にとっては新鮮だった。ラーシャとは放課後にミゼルと顔合わせの約束をして別れた。彼とはクラスが違う。同じクラスのジアは、ほんの少し得意げな顔をする俺のことを一歩後ろから観察し続けている。


 彼女はまだ俺の行動に懐疑的だ。けれどまずは一つ。どんなこじつけだろうと教師や生徒に顔を売ることはできたはずだ。少なからず、廊下を歩く俺の噂を聞いた教師が目を見開いて熱い視線を向けてくるし。

 どんどん歩みが遅くなってくるジアを振り返れば目が合う。

 ジアはハッと息を吸い込み、その動作を誤魔化すように笑顔を作った。

 俺も彼女に笑顔を返す。

 手放しに応援してくれとは言わない。でも、彼女にも俺の決断が認めてもらえたら。

 やっぱりそれは、この上なく嬉しいことなのだと思う。ただそれは”藤四郎”の我が儘か。


 この日、俺は教師からお褒めの言葉をもらうだけではなく、何人かの生徒からも声をかけられた。食堂。教室の移動。校庭。あらゆる場所で今朝のことについて訊かれたのだ。

 実際に色んな生徒と一言でも言葉を交わすのは今日が初めてだった。

 ゾーイのことが見えてすらいなかった彼らの声を聞いてみれば、本当に悪気があって見ていないわけではないのだろうと腑に落ちた。

 影が薄すぎる。主張することもなく、ひっそりとその場に存在だけする。

 彼らにしてみれば、黙っているだけの相手は人形と同じなのだ。


 放課後、ミゼルと会う前に校長室に呼び出された。もしかして余計なことだったのかも。校長先生にしてみれば、試験のヒントをこっそりと散りばめたつもりのはず。勝手に広められたことが彼にとっては不愉快でもおかしなことではない。途端に不安に駆られた俺は震えながら校長室の扉を叩いた。


 中で待ち構えていた校長先生は、俺が予想していたよりもずっと若い。まるで映画俳優のような出で立ちで俺を迎え入れた。こんなにお洒落に着飾った教師は藤四郎人生ではお目にかかったことがない。スマートなパイプをくわえているけど煙は出ておらず、「これはお飾りだよ」とかお茶目なことを言う。装着しているサングラスも色が濃く、口元は笑っているけど本当にそうなのか心配になるくらいだった。やっぱ、こっちの世界の人間は自信に溢れているからか迷いが見えないな。


 俺が感心していると、校長先生は「よくやってくれた! 君の行動を称えよう」と大きな音で拍手する。

 どうやら、試験対策の情報を独り占めせずに皆に教えたこと。その選択について褒められているみたいだ。


「ゾーイ・イェスズ。成績優秀者の一覧ではよく名前を目にするが、顔を認識したのは初めてだ。これからも自分の思う道を大いに進んでいって欲しい」


 最後に校長先生はそう言って俺にエールを送ってくれた。

 なんだ。怒られるのかと怯えていたが、案外先生優しいじゃないか。


「ありがとうございます」


 藤四郎時代にも教師達とのいい思い出はない。むしろ先生たちと仲が良い生徒たちのことを頭がおかしいんじゃないかと思っていた。けど、こうやってまともに向き合ってみると、急に彼らが羨ましく思えてくる。

 どんな立場の人であろうと、決めつけだけで関係を蔑ろにしてはいけないんだな。

 今更ながら俺は学びを得た。


 校長室を出た俺は、急いでミゼルがいる食堂へと向かう。放課後の食堂は人が少なくがらんとしていた。だから入るなりミゼルがどこにいるのかすぐに分かった。

 ジアの前評判通り、彼女はミラーボールの如くキラッキラに輝いていた。眩しくて目を細めてしまうくらいのオーラに圧倒されながらも彼女が座っている席の前に立つ。


「ミゼル? わたし、ゾーイ・イェスズです。ラーシャから聞いてるかな?」


 俺が声をかければ、肩をすくめて俯いていたミゼルがリスを思わせる大きな瞳で見上げてくる。

 瞳一杯に電球の輝きを取り込んで、少女漫画の書き込みくらい眩い瞳だった。


「はい……! お兄様から聞いています。あの、ご迷惑じゃないでしょうか? イェスズさんもきっと、やりたいこととかいろいろありますよね? お勉強の邪魔になるかもしれません。本当にいいのでしょうか?」


 なんとまぁ腰が低い。

 小さな顔に浮かぶ表情には遠慮ばかりが見てとれた。声も申し訳なさでいっぱいだし。


「大丈夫。誰かに教えることって、自分にとってもいい勉強になるから。あ。でも、教え方が悪かったらごめん。そこはあんまり自信がなくて」


 っていうか俺、人に勉強教えられるのかな?

 ミゼルの控えめな眼差しを見ていると、逆に俺が教えることが彼女の迷惑にならないか怖くなってきた。

 いや。でも今の俺にはゾーイがいる。彼女の優秀さは、俺が一番よく知っているはずだろ。


「そんなことありません! 教えていただけるだけで、もうとても光栄です! あの、私、転校してきたばかりで、まだ学校にもあまり慣れていなくて……。だから、イェスズさんと一緒にお勉強が出来たら、すごく……すごく嬉しいんです」


 勢いよく滑り出したミゼルの声色は言い終わりにいくにつれて柔らかく、ペースを落としていく。

 眉尻を下げ懇願するように俺を見つめる。

 この兄妹、反則技をよく知っているようだ。そんな目をされて首を横に振れる奴なんて限られてるだろ。


「わたしも楽しみ。一緒に勉強していこうね。よろしく、ミゼル。わたしのことは、ゾーイって呼んでくれて構わないから」


 彼女の兄の真似をして手を差し出す。ミゼルは愛らしい笑みを浮かべて両手で俺の手を包み込んだ。


「はい! よろしくお願いいたします。ゾーイさん」


 彼女の大きな瞳の中に俺が映る。

 ああ。なんだろう。なんか……。

 俺は一人っ子だったからよくは分からないけれど。なんだか、妹みたいですごく可愛いな。

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