第5話 祖母の記憶
廊下で音がする。軽やかで規則正しい音だ。
あれは、親方が織る音だろうか。いや、香奈かもしれない。
香奈は聞いただけで誰が織っているのか分かるというが、未熟な自分には、音だけで織り手の違いなどまだ聞き分けられない。
そもそも、織り方の名前すら、まだ全部は覚えていないのだ。
向いていないのだろうか。
綾子は熱のある頭でそんなことをぼんやり考えていた。
綾子がここに来たのはつい三ヶ月前。
高校を卒業して、生まれた町から遠く離れた西の街に織物職人の見習いとして住み込みで働いている。
最初の二ヶ月は、織り機にさわらせてもらうこともできず、毎日そうじばかりしていた。
朝早くから、先輩職人の織り機の下を掃き、床をすみずみまで拭く。
食事の時間は、親方の妻である良子の手伝いをした。
職人になるには、まずは雑用やそうじからだと故郷の父も言っていたから、承知の日々だった。
けれど、黙々と織る先輩職人を見ると、早く自分も織ってみたいという気持ちがわいてきた。
そんな生活が
六月に入ったある日、織り機の前にいた親方が綾子に手招きをした。
「二ヶ月、よく辛抱したから、ちょっと早いが今から織りを教える」
無口な親方だったが、ありがたかった。
見様見真似でやってみろ、と親方は言った。
親方や先輩職人がなめらかに織っていくのを見て、綾子も縦糸に横糸をくぐらせる。
一見すると簡単に見える動作も、やってみると難しい。横糸がまっすぐ入らないのだ。途中でひっかかったり、斜めになったりする。
そのうえ、綾子がやると糸がたるむのだ。
二週間、綾子は織り機と格闘した。夢の中でも織っていた。
雨の降る朝、起きてみると熱が出ていた。頭がぼうっとして、ふらふらする。
朝食の席で耐え切れず座り込んでしまった綾子を見て、親方も良子も心配し、今日は寝ておけということだった。
こんな自分を情けなく思う。
不器用なくせに、職人志望だなんて。
故郷に帰ろうかとも思うが、たった三月で投げ出して帰ってくる自分を、父母や近所の人々はどう思うだろう。
帰れるわけがない。
ふと、幼馴染の顔が思い浮かんだ。
自分とは違って器用で、やさしくて、いつも遠くの山々を見て笑っている人。
そして、牛が大好きな人。
清彦は今、どうしているだろうか。
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