第12話 氷竜帝ザガン
叫びかけて、慌てて口を押さえる。
英雄たちを阻む最後の強敵。物語のクライマックス。
そこには紛れもない
(ど、どういうことだ……!?)
どうやらこの絵本に描かれているのはおとぎ話ではなく、この世界の史実らしい。
遡ること800年前。氷竜帝ザガンという男が、魔物の軍勢を率いて、大陸の人々を襲い、恐怖に陥れたという。その男の姿は、まさに俺に瓜二つだった。
青黒い肌に、冷酷な光を放つ両目。歪に裂けた口から覗く凶悪なギザ歯。
正確にはそっくりそのままというわけではなく、『かなり貧相な氷竜帝』という感じだが……爬虫類めいた顔立ちといい、相手を一瞥しただけで射殺せそうな目つきといい、よく似ている。
(この容姿って、氷竜帝の
残忍で冷酷な氷竜帝は、ついに五人の英雄に討ち取られ、呪詛を残して果てたという。
『我はいずれ蘇り、世界を滅ぼすであろう……――!』
(俺世界滅ぼすの!?)
街の人々や男たちの反応がようやく腑に落ちた。そりゃあ怖がるわけだ、なんたって世界を滅ぼす混沌と恐怖の権化だもんな。
「悪役顔どころか、ガチの悪役だったのか……」
いや、厳密にはそっくりさんだが……これはますます人と関わらない方が良い。
(生活の基盤を作ることばかりに目が行ってたけど、この世界の知識も入れたほうがいいな)
衝撃の事実に動揺しつつも、歴史や魔術について記された本を何冊かカウンターに持って行く。
これだけ買っても、金貨はほとんど減っていない。むしろおつりの銀貨や銅貨の分、
会計の後で、プーカがおずおずと黒い布を差し出した。
「あの、よ、よかったら、これを……」
広げてみると、大きめのマントだった。
試しに羽織ってみる。かなり上質な着心地だ。黒く重厚感のある生地に、銀の縁取りを施している。近寄りがたい雰囲気を出しつつも、不審者感はかなり解消されそうだ。大きめのフードも付いているし、容姿を隠すにはうってつけだ。
「これも貰おう」
支払おうとすると、プーカが首を振った。
「よ、よろしければ、差し上げます」
驚く俺に、プーカは「助けてくださったお礼なのです」とはにかんだ。
「……そうか」
あまりたいしたことはできなかったが、素直に嬉しい。ありがたく貰おう。
リィネがお礼を言うようにきゅいきゅいと鳴いて、プーカは「えへへ」と嬉しそうに頬を染めた。
商品を詰めた木箱三つを、ぽちまるの
「と、とても重そうですが、大丈夫です……?」
試しに重ねて持ってみる。うん、問題なさそうだ。
積み上げた木箱を軽々と持ち上げる見上げて、プーカが「ふぁぁ」と目を丸くしている。
「ほ、ほんとうに、ありがとうございました! お買い物以外でも、何かあれば、またいつでもいらしてください、です……!」
プーカはぺこー! とお辞儀をした。店の中から、ぽちまるもぶんぶんと蔦を振っている。
短く礼を言って、店を後にした。いいお店だった、次も【青兎のしっぽ】にお世話になろう。
軽い足取りで大通りへ向かう。お金を手に入れて買い物をするというミッションを無事にこなせたせいか、とても清々しい。懐から顔を出したリィネも、きゅいきゅいと楽しそうに鳴いた。
気が付くと、日が傾き掛けていた。あの少女はもう目を覚ましただろうか。
「それにしても、ちょっと買いすぎたかな」
重くはないのだが、バランスを取るのが難しい。
歩くのに難儀していると、【啓示】の声がした。
《実績解除。【大道芸人】の称号を獲得しました》
そんな称号あるんだ。
《【バランス(Lv10)】のスキルが解放可能です。解放しますか?》
「お願いします」
途端に、積み上げた荷物がぴたりと安定した。うーん、便利!
【隠蔽】を発動して、ぶつからないよう人混みを避けつつ歩く。大通りでは露店が店じまいを始め、門番が門を閉じる準備をしていた。
日が落ちる前に街に入ろうと急ぐ人々の流れに逆らって、明かりの灯り始めた街を出る。
暮れなずむ【冥府の森】はじっとりと暗く、まるで人を拒むように陰鬱な闇を抱いていた。
「よし、行くぞ」
肩に乗ったリィネと顔を見合わせて頷くと、深い森を【加速】で飛ぶように駆けた。
【バランス】の恩恵は凄まじく、片手で木箱を持って爆走しても一切ブレない。
途中で遭遇した魔獣を、【絶剣】で一刀の元に斬り伏せる。
「この剣、すごくいいな」
重さもちょうどよく、手に馴染む。何より、一回使うごとに消滅しない。
魔獣を何体か屠っては魔核を拾い、森を抜けたのは日が落ちた頃だった。
月明かりの下、丘陵地にぽつんとたたずむ宿屋を見てほっと息を吐く。魔境に囲まれ、誰も寄り付かない辺境の地……多少不便だが、人目を忍んで孤独に生きるのにはぴったりだ。
薄暗がりの中、荷物を置くと、さっそく買ってきたランプに【灯火】で明かりを灯す。魔術的な効果が掛かっているのか、部屋全体がふわりと明るくなった。
二階に上がって、部屋をノックする。
反応がない。そっと中を覗くと、少女はまだ眠っていた。
プーカの店で買った毛布を掛け、そっと額に手を当てる。熱が出ていたり、苦しそうな様子はない。すぅすぅと小さな、けれど規則正しい寝息に目を細める。あんなことがあったのだ、気力と体力の消耗が激しいのだろう。今は眠れるだけ眠らせて、食事は明日摂らせよう。
二番目にまともな部屋を、自分用に軽く掃除して整える。
ベッドに倒れ込むと、どっと疲れが押し寄せた。
「きゅい、きゅい」
「ん……」
ポケットから袋を出して木の実をあげると、リィネは小さな両手で掴んでかりぽりと囓った。
目を細めてその様子を眺めがら、掠れた声で呟く。
「今日は……色々あったな……」
たった一日で、暴漢に刺されて死んだかと思ったら、最弱パラメーターで魔境に転移して、魔獣と戦って、少女を拾って。買い出しに行った街で、安く買い叩かれそうになったところを親切な人に救われて、店の女の子を脅していた男たちを退散させて……後にも先にも、こんな密度の濃い一日はないのではないだろうか。
そして何より、この容姿。かつて世界を恐怖で支配し、いずれ復活すると伝えられている悪の帝王、氷竜帝と瓜二つの容貌――
「そうだ……本を、買ってきたんだっ、た……」
眠る前にもう一度確認しようとするが、身体が動かなかった。気力が底を尽きている。
リィネが心配そうに、俺の口にむいむいと木の実を押し当てた。
「ありがとう、明日食べるよ」
そういえば転移してから、何も食べていない。腹は減っているはずなのだが、疲れが勝った。
笑ってちくちくした背中を撫でると、リィネは少しうろうろしてから、俺の顔の横で丸くなった。
ひとまず短期的な生活の目処は立ったし、あとは明日考えよう……
小さくて丸いぬくもりを感じながら目を閉じる。
異世界に転移して、初めての夜。
俺は泥のような深い眠りに落ちていった。
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