第3話 魔境転移

 靴底が、柔らかな感触を踏んだ。


 ゆっくりと目を開く。

 そこは深い森の中だった。林立する木々には暗緑の葉がうっそうと茂り、どこからか怪鳥のような鳴き声が響く。甘い腐葉土のにおいとじめじめした空気が、肺を湿らせる。


 転移スポーン地点もガチャの結果らしい。

 さすが俺、街や村ではなく、いかにもモンスターの出そうな森を引き当てるとは。


 気休めにひのきのぼうを握りしめつつ、改めて自分の格好を見下ろす。

 ひょろりと頼りない身体を包むのは、質素でごわごわした服とくたびれたマント、革の靴。腰に提げた袋には、種と木の実、ヤギの干し肉と、銅貨が五枚。


 ほぼ丸腰のトカゲ男が、異世界に解き放たれたわけだ。

 頼れる相棒はたわしひとつ。

 ……それにしても、このたわし、何なんだろう?

 手のひらに載せるとほのかに温かい……気がする。

 なんにせよ、俺はたわしと共にこの世界を生きていくのだ。


「よろしくな、たわし」


 妙に愛着が湧いて話しかけてみたが、当然返事はない。


 ひとまずたわしをポケットに仕舞って、歩き出す。

 とにかく森を出よう。必要な情報を集めて、出来れば人里離れた辺境で細々と暮らそう。目指すは引きこもりスローライフだ。


 草を掻き分けて森を進む。空気はどんよりと澱んで薄暗く、今にも獣が飛び出してきそうだ。

 生前(?) だったらビビリまくっていたかもしれないが、今の俺はひと味違う。


「なにしろ、モテない限り死なないからな」


 モテ死を引いた時は動揺したが、今になってみるととても心強い。

 ……とはいえやはり怖いものは怖いので、ひのきのぼうをしっかりと握り直した。


 途中で獣道を見つけて、歩くこと半刻ほど。


「はひー、はひー……」


 息が上がる。足の筋肉がぶるぶると震えて限界を訴える。悪路に阻まれて、歩は遅々として進まず、森の出口は一向に見えない。


 俺は早速最弱パラメーターの洗礼を受けていた。

 ごりごりとすり減る体力。見渡す限りの森。もしかして詰んだ???


「モテ死ぬ前に、普通に死ぬ……」


 この身体、あまりにも貧弱すぎる……!

 転移直後に一人むなしく野垂れ死ぬなど、さすがにBAD ENDが過ぎる。


 木に寄りかかってぜいぜいと息を整えていると、熱くなった耳が微かな話し声を拾った。


 ひ、人だー!


 霞んでいた視界が、ぱぁぁっと希望に輝く。

 もうモテ死が怖いとか目指せ引きこもりスローライフとか関係ない! とにかく人に会いたい! そして出来ることなら水と食べ物を恵んで欲しい! 森の出口まで同行させてほしい!


 俺はがくがくと笑う膝を必死に動かして、声のする方へ走った。


 木々が途切れ、視界が開ける。

 煉瓦が敷き詰められた街道らしき道の上に、二人の男がいた。


 俺は喜び勇んで飛び出そうとし――はっと身を屈めた。


 男たちの足元に、一人の少女が蹲っていた。

 歳は十代半ばくらいだろうか。小さな顔は汚れ、長い髪はくすんでもつれている。ぼろぼろの服から覗く手足はひどく細い。

 そして――


(鎖……?)


 少女の足は鎖に繋がれていた。

 男たちが、その鎖を木に巻きつけている。


(一体何を……――)


 長身の男が手を払った。


「これでいい。あとは魔獣どもが、骨も残さず片付けてくれる」


 魔獣という言葉に息を呑む。

 どうも日本語ではないようだが、問題なく理解できる。それは僥倖だが……


 震える少女を見下ろして、もう一方の団子鼻の男がだらしのない笑みを浮かべた。


「なあ、これ、初物だろ? ちょっと楽しませてもらっても……」


 少女がびくっと肩を震わせた。

 長身の男が口を歪める。


「おまえ、よくそんな気味の悪いガキ抱く気になるな。よせよせ、早いとこずらかるぞ、【魔除けの加護】もいつまで保つか……」


 その時。


『ヴォオオオォオオオオオ!!!!!』


 地を震わせるような咆哮と共に、男たちの背後から巨大な影が躍り出た。


「ダーク・ベアーだ!」


 男たちの悲鳴を、恐ろしい咆哮が掻き消す。


 それは巨大な熊だった。

 真っ赤に燃える瞳に、獰猛な牙。黒い剛毛は怒りに逆立ち、丸太ほどもある腕と凶悪に尖った爪が、そこに秘められた破壊力と殺傷力を物語っている。


(なんだ、あの化け物……!?)


 男たちは木に繋いでいた鹿のような生き物に飛び乗り、一目散に逃げていった。

 熊はそちらを見向きもせず、残された少女に狙いを定める。


「ぁ、ぁ……」


 少女のひび割れた唇が、か細い声を漏らした。

 その頭上目がけて、鋭い凶器が振り上げられ――


「……!」


 俺は決死の思いで飛び出すと、少女を抱え、駆け抜けた。


『ヴオオオォオオオォッ!』


 ドォッ! と、背後で轟音が炸裂する。

 躱せたのはほとんど奇跡だった。

 繁みに倒れ込みながら振り向くと、ほんの数瞬前まで少女が居た地面を太い爪が穿ち、煉瓦が深く抉れていた。

 あんなものを喰らったら死ぬに決まっている。


 少女は気を失ったようだ。

 どうにか身を起こす俺を、真っ赤に燃える両眼が捕らえた。


「……ッ!」


 前世の終わり――死ぬ間際に感じた恐怖が、ぶわりと蘇る。

 ぎらぎらと狂気を宿した目。肉に突き立つ刃の感触。腹部に広がる灼熱の痛み。


「はっ……はぁっ……」


 息が苦しい。足が竦む。

 相手は怪物だ、筋力も敏捷性もない俺では、逃げても追いつかれる――いや、鎖で繋がれたこの子を置いて逃げることなどできない。

 既に体力は底を尽きかけて、切り抜けられるような切り札もない。

 それでも気絶した少女を背後に庇って立ち上がった。

 震える手で、ひのきのぼうを構える。


「ッ……」

 三メートルを超える巨体が、俺を見下ろす。太い牙の間から、ブシュゥゥッと黒い霞が立ち上った。

 相手は紛れもない化け物だ、最弱スペックの俺が敵うわけはない。


「はーッ……はーッ……!」


 呼吸が上擦る。


 痛いのは嫌だ。怖いのも嫌だ。

 それでも、この子は。この子だけは。


 ひのきのぼうを握る手に力を籠め、震える脚を叱咤する。


 大丈夫、大丈夫だ。なぜなら俺は、モテない限り死なないから。

 そうだ、あの時とは違う、決定的に違う……!

 俺は死なない、モテない限り死ぬことはない!

 そして俺は人生で一度もモテたことがない、モテる予定もない!!


 つまり……!!!!


「俺は不死身だァァアアアアアアアアアアッ!!!!!!」


 熊が、獲物俺たちを狩るべく身を沈める。

 漆黒の弾丸と化して突進してくる巨体。


「おるぁぁあああああああああああああッ!」


 相討ちする覚悟で迎え撃とうと、ひのきのぼうを振り上げた、瞬間。


 視界の端に、スクリーンがポップアップした。


《実績解除。【勇士】の称号を獲得しました》

《【勇士】の称号獲得により、スキルポイントが2000付与されました》

《実績解除。【転移者】の称号を獲得しました》

《【転移者】の称号獲得により、スキルポイントが2000付与されました》


 脳内に声が響く。


 なんだ?!




―――――――――――――――――――――――――――――――





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