シンフォレシア・クライシス ~王女と錬金術師と異邦人の戦い~

栗林三四郎

第1章

第1話

 曇一つないうららかな空から、あと数時間で頂点に登ろうとする太陽が街を照らしている。北に王城が鎮座するシンフォレシアの城下町では、人々の往来で活気に溢れていた。石畳の大通りの両脇には住居と商店とを兼用したレンガ造りの建物が整然と並び、質素な白やオレンジの外壁で街を彩る。中でも、外壁に飾られた紋章の青は異彩を放っていた。

 幻の神鳥の姿が描かれた色鮮やかなプレートは、シンフォレシア王国を今も保ち続ける神鳥を讃える印だ。民の深い信仰心を代弁するそれは、神鳥と近しい王家の権威を示すかのように街のあちこちに掲げられていた。

 紋章と同じ、青い髪の色をした少女は、バスケットを片手に大通りを軽やかに歩いていた。街を遊覧するだけで、彼女は胸が満ち足りた気持ちで一杯になる。彼女の目に映るシンフォレシアに幼少期に観た賑わいはないにしろ、一人の少女が生まれた時分から眺め、愛してきた景色なのは確かだ。

 父がこの美しい街を形作っている。

 そう誇らしく胸を張る少女は、楽し気にスキップを始めた。

「あら、王女様。今日はどちらに?」

 通りすがりの主婦はにこり、と少女に声をかける。ロクサーヌはポニーテールを左右に揺らしながら、あからさまに視線を泳がせて、

「や、やだなぁ……。王女なんかじゃ……ないですよ?」

 と、頬を赤らめて言った。

「はいはい、お忍びですものね」

 ぜひ楽しんで、と主婦は去ったものの、少女———ロクサーヌ・シンフォレシアは窓ガラスに映った自分を凝視した。

 変装なしで街に出て大騒ぎになった反省を活かして、今度は肩まである青色の髪を束ね、眼鏡もかけ、街娘から譲ってもらった服も着ている。シンフォレシアでは青の髪はしばしば見かける程度で、ロクサーヌの髪色が特別目立つこともない。「完璧に変装できているじゃない」と思ったのも束の間、彼女はまた声を掛けられ、挨拶しつつもすぐさまその場を去った。

「はぁ、なんでわかっちゃうんだろ」

 バスケットで髪を隠して、ロクサーヌは早足で大通りを進む。しかし、バスケットを被る少女の奇妙さはかえって人々の注目を集めてしまい、彼女はたちまち走り出した。

 ロクサーヌは幼いころからシンフォレシアの民に愛されて育ってきた。シンフォレシア王のネオスには二人の息子がおり、彼らには王になるための徹底的な教育を施す一方で、一人娘のロクサーヌには自由を認めていた。彼女は家庭教師ではなく市井のスクールに通い、一人の学生として友人を作り、時には彼らと遊んで、常に民と共に時間を過ごしてきた。霧に閉ざされたこの島の民は、可愛らしい王家の娘の成長をいち早く知りたがる。まるで国民全員が親のようであり、彼女が20歳を目前にしてもその熱狂さは変わらなかった。

 愛されている自覚はロクサーヌにもある。そのためか、彼女は王女として丁重に扱われるとかえって面はゆい気持ちになる。

 だからロクサーヌは度々城を抜け出して、街を歩くのが好きだった。近頃は悪い噂も耳に入るが、それでも自分を愛してくれる民が笑って一日を過ごす様子を見ていると心が躍った。

 走り疲れたロクサーヌはバスケットを外し、堂々と街を歩くことに決めた。どうせバレバレなら何をしても変わらない。それに、バスケットに邪魔されては見たい物も見えなくなる。

 そうして彼女が街を闊歩する後方には、静かに跡をつける初老の男がいた。彼はロクサーヌに声を掛けた主婦へ慇懃に礼をして、左胸の小物を慎ましく示す。青く輝くそれは、王家の関係者であることを示すバッヂだった。

「あら、だいぶ王女様と離れてますけど、大丈夫なのですか?」

「ご心配には及びません。追跡には自信があります。ですが何より、ロクサーヌ様に気付かれてしまえば三日は口を利いてはくれませんから」

「あらあら、ロクサーヌ様を支えるのも大変ねぇ。でも頼みますよ。あの子、危なっかしいんだから」

 男は会釈すると、予想通りロクサーヌが通りを曲がったのを見た。彼女の目的は男も調査済み、お気に入りの菓子店だ。しかし今回の狙いは特別で、島を囲う霧を超え、外の世界から伝わってきたマッチャというスイーツ、限定100個だった。王女様ならそろそろ心が逸る頃合だろう、と男は歩みを速めた。


 ロクサーヌは菓子店が見えた途端、目を疑った。店の入り口から十数軒先の家屋まで、三桁に上ってもおかしくない程の長蛇の列が伸びている。ロクサーヌは屈してしまいそうな膝を堪え、涙目で嘆いた。

「私のスイーツが……。このために慣れない公務を頑張ってきたのに……」

 彼女は数日後に迫った20歳の節目を万全に迎えるために多忙な日々を送っていた。父から自由を認められていたといえ、ロクサーヌは最低限、王女として相応の振る舞いを身に付けなければならなかった。そのための礼儀作法の勉強は大詰めに入り、王宮官僚達との討論は欠かせない。ことさら北部の祭壇への巡礼では、馬車に揺られて腰を痛めてしまった。さらにはこれから各地への訪問も控えている。

 兄の二人よりも時間に余裕はあるが、スイーツの列に並んでいられるほどではない。一人でこっそりと味わうはずの甘い時間が苦く上書きされていく。ロクサーヌは納得できない自分を窘めようとするが、スイーツも諦めきれない。

 結局、しわくちゃになった顔で帰路につこうとした時、荒々しい声が彼女の耳に入った。幼いが、じゃれあっている声調ではない。ロクサーヌは踵を返し、店先の立て看板を読むふりをしながら耳を傾ける。

「神鳥なんかいないって、父さんが言ってたんだよ!」

 少年の言葉に、ロクサーヌは空のバスケットを落とした。オリーブの枝で編まれた器がやけに軋んだ。

「そんなことない! 俺たちは神鳥様のおかげで生きられてるんだぞ!」

「じゃあ神鳥を見たことあるの?」

「……ないけどさ」

「じゃあいないじゃん! 神鳥なんてウソっぱちだよ」

「なんだと!」

 突然会話が途切れ、ロクサーヌは振り返った。一人の少年は押し飛ばされたのか、もう一人の少年を睨みつけながら尻餅をついている。子供同士の争いに止めに入るべきか否か、ロクサーヌは軒先から密かに見守っていた。

「ウソを言っちゃダメなんだぞ! ホントのことしかいっちゃダメなんだぞ!」

 声を上ずらせて反論する少年は地面に手をついたまま、右手を握りしめる。ロクサーヌは嫌な予感を感じ取り、彼の手の中に仕込まれた何かを警戒した。

「神鳥はいない、がウソだもんね!」

「このーーー!」

 立ち上がった少年は挑発を真に受けて、力いっぱいに腕を振り下ろした。数個の石がまばらに放たれ、目の前の少年へ襲い掛かる。

 堪らず走り出していたロクサーヌは二人の間へ飛び出した。

 ジリ。踏ん張る足が石畳を削る。ロクサーヌは瞬間、石を投げた少年と目が合った。しかし、飛んでくる石つぶてに反射的に目を閉じ、大に広げた身体で石を受け止めた。

 ロクサーヌに大事はなかったものの、彼女の額には細い傷ができていた。

「あ……」

 状況を理解した少年は振り下ろしたままの手を戻すことも忘れて、口を開けたままだった。

「喧嘩なんかしちゃダメ! 特に石を投げるなんてね!」

 柳眉を逆立てたロクサーヌは少年の前に立ちはだかる。有無を言わせない気迫に、彼は思わず「ごめんなさい」と頭を下げる。

「ううん。私じゃないよ」

 ロクサーヌは彼女の後ろで呆然としていた少年を手招いて、二人を向き合わせようとする。

「二人とも、ごめんなさいって言えるよね?」

 しかし、少年たちは互いに目を合わせない。ロクサーヌはやおら屈むと、露骨に咳払いをした。

「自分の考えを持つのは大事。けどね、ちゃんと謝れないとイヤな大人になっちゃう」

 ロクサーヌは子供たちの頭を優しく掴んで、自身の怒り顔を見せた。あからさまに頬を膨らませているが、全く恐ろしさは感じられない。それでも子供たちはロクサーヌの意図を汲み取って、「ごめんなさい」とそれぞれに謝った。

「それでいいんだよ」

 確かに聞き届けたロクサーヌは笑顔になって、彼らの頭をポン、と叩いた。

「でも、お姉ちゃんは大丈夫?」

「えっ?」 

「お姉ちゃん、血が出てるよ」

 その時、二人の女性がロクサーヌの許に膝をついた。順番が間近の列からも外れてしまうどころか、激しくわなないて許しを請うている。

「王女様! 申し訳ございません。私の息子がご無礼を!」

 少年たちの母と思しき彼女たちは弁明する。「どうかお許しを」と繰り返し頭を下げる彼女らにロクサーヌは困り果てた。

「大丈夫ですよ」と、ロクサーヌが宥めても、聞こえていないのか謝罪は止まらない。おどおどする彼女に助け舟を出したのは、スーツ姿の初老の男だった。

「大丈夫です。罪には問いませんから、彼らをよくよく叱っておきなさい」

「ファシア!? 何でここに?」

 ファシアと呼ばれた男はロクサーヌを差し置いて、まずは母親たちを立たせた。

「幼い子供には目を離さないように」

「本当に申し訳ございません」

 彼女らは子供達の頭にげんこつを下すと、バツが悪そうにそそくさと場を離れて行った。見送りながら、ファシアはロクサーヌの耳を借りてひそかに提言する。

「街の人々が集まっています。噂が広まる前に今日は帰りましょう」

 見れば、ロクサーヌを中心に人だかりができつつあった。この衆人環視の中でスイーツを頬張っても、まともに味わうことはできないだろう。

「……そうね。限定スイーツも売り切れそうだし」

 ロクサーヌは名残惜しく「わかったわ」と了承した。

「じゃあ代りに、巡礼の途中に私が好みのスイーツ買っといてね」

「もちろんです。まったく、甘いものには目がないですね、ロクサーヌ様は」

 彼の返答に満足したロクサーヌは城へ歩き出したのも束の間、ファシアへ振り返った。

「ああ、あと、その……スーツっていうやつ? とっても似合ってるわ、ファシア」

 ロクサーヌが前を向くと、ファシアは彼女に悟られないように目じりに皺を寄せた。

 なかなか付いてこない彼を不思議に思ったロクサーヌは、再度振り返って「帰るんじゃないのー?」と困り顔を浮かべる。

 ファシアは毅然とスーツの襟を正して、ロクサーヌのもとへ付き添いに向かった。

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