第60話 自由への旅立ち

 あまりに楽しい食事の時間は名残惜しくも終わって。

 食後のデザートまでたっぷり味わったあとで外に出れば、聖女食堂を見下ろすように立っていた魔王城が、跡形もなく姿を消していた。


「花の匂いがしますね。……城が花畑になったのかな」

「もう魔王わたしも、聖獣クゼもここにはいない。……魔物の森も、全て花になって散って、消えていくのだろう」


 黒髪を靡かせ、シノブさんが呟く。

 その顔は晴れ晴れとしていた。


「契約を切ったのだから、私もすぐに元の寿命になるのかと思ったのだが……ただの男に戻っただけで、本当に良かった」


 感慨深そうに己の掌を見つめるシノブさんに、クゼさんは当然のように笑った。


「別に主従じゃなくったって、俺とシノブの関係は変わんねえよ。親友ダチ親友ってやつ? これからもあんたの魔力には手を貸すし、魔王の力はそのまま残しといておいたぜ」

「ありがとう。……いずれヒイロ殿も不老不死に頼む」

「おっけおっけー」

「待ってください、私の意思は」


 思わずツッコミを入れる私に、主従から親友になった二人は笑う。


「私が不老不死なら、当然ヒイロ殿も一緒だろう。ずっと傍にいると誓ってくれたのだから」

「そうそう。ヒイロちゃんを失ったら俺とこいつで手を組んで邪神になっちまうぜ」

「ひええ私の肩に突然世界の命運が」

「ったく、あんたたちってば勝手なんだから」


 ララさんが、私たちを見て呆れたように腰に手を当てて溜息をついた。


「ヒイロ、あんたも巻き込まれて大変なときは、いつだってあたしの所に来なさいよ。人に振り回されて迷惑するのは、もう十分でしょ?」

「あはは……」


 風が吹く。


「ヒイロ。……あたし、あなたが大好きよ」


 ララさんは近づき、私をぎゅっと抱きしめた。


「ララさん、お世話になりました」

「さよならヒイロ。……あなたの帰る場所は、あたしが必ず作っておくわ。任せなさい。次は新しくなったルシディア王国で会いましょう。お土産話、たくさん持ってくるのよ?」


 ララさんの柔らかな体と、甘い匂いに堪えていた涙が溢れてくる。髪を優しく撫でられる。


「ララさん、……ララさん、私……ッ……」


 涙が止まらなくなった私を、ララさんは落ち着くまで抱きしめてくれた。

 シノブさんとクゼさんが私たちを静かに見守ってくれている。

 クゼさんが、シノブさんに話すのが聞こえる。


「ララちゃんの事は任せとけよ。俺がちゃんと守ってやるから。土地神復帰第一号信仰者として、な」


 その声は存外に真面目な声音で、私は「ああ、ララさんは大丈夫だ」と実感する。

 シノブの返事も、親友への信頼あふれるものだった。


「クゼも、どうか健やかに。竜繭半島ドラゴコクーンが退屈になれば、依代を私に飛ばせばいい。そうすれば一緒に旅ができる」

「それもそうだな」

「……国が落ち着いた頃には直接会いに来てほしい。お前にも私の故郷を見せたい」


 ーーそう。

 私はこれからシノブさんと旅に出る。

 魔王の役目から自由になったシノブさんに、かつて住んでいた故郷を見せるために。


 ララさんが調べてくれた情報では、どうやらシノブさんの故郷は今も人々が住んで栄えているようで。

 最近ようやく渡航を受け入れるようになった、遠い島だ。

 竜繭半島を出て森を抜け、テツドウに乗って大陸の西端から船に乗り、中継地点として島国に向かう。

 そこから出航している定期便に乗れば、シノブさんの故郷にたどり着けるという。


 シノブさんの尾藤志信としての思い残しは、己が守れなかった故郷のこと。

 自由になった今、もう一度故郷を見て、すっきりと気持ちの整理をつけたいそうだ。

 私もその旅についていくと言った。国を離れて料理を覚えて、もっと美味しいものを作れるようになりたいから。

 シノビドスでも魔王さまでもないシノブさんと、思い出を作っていきたいから。

 妻だし、ね。


「ひゃー」

「何変な声出してんのよヒイロ」

「お、思い出し恥ずかしです……」

「何それ」



 ララさんと笑い合う私を、シノブさんは優しく見つめてくれている。


 ーー長い、長い旅の始まりだ。

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