第56話 泳がされていた聖女

「あ、あああ、あたしが、いないからって、あんたたちーーーーーーーーーッッ!!!!!」


 翌朝、私たちはララさんの絶叫で目を覚ました。

 外はすっかり太陽が昇りきっている。早朝というより朝、むしろ午前という感じだ。


「ご、ごめんなさーい!!!」


 先にスタッフさんはクスクスと笑いながら、パンの用意をしてくれていた。


「ももも申し訳ないありません! す、すぐに仕事します! 粉ー!!」

「ちょっとヒイロ! 今は粉は要らないわよ!! お客捌いて! 捌いて! シノビドスは厨房!!!」

「は、はーい!!!!」


 大慌てで仕事をしてなんとか朝のテイクアウト分を片付けると、スタッフさんたちはニッコニコの笑顔であたたか〜く見つめてくれた。


「いろんなことあったし仕方ないわよ〜うふふ」

「うふふ……」


 な、なんだか眼差しがいろんなものを含んでいる気がする……


「こらシノビドス」


 ララさんがシノブを捕まえて、ドン、と壁ドンして彼の顔を見上げる。

 メガネの奥の目が怖い。


「ら、らららララ殿」

「ねえ。あんたヒイロとデキたからって、くれぐれもヒイロを無理させんじゃないわよ。あたしが黙っちゃいないわよ? わかってる?」

「む、無論でござる〜」

「こういう時ばっかシノビドスになるのが腹立つわね、もう」


 スタッフさんがお昼前の休憩に入ったところで、ララさんが私を事務所へと呼んだ。扉を閉めて二人っきりになったところで、ララさんは真面目な顔をして眼鏡越しに私を見た。


「昨日、実は王都でヴィヴィアンヌについて調べていたの」

「ヴィヴィアンヌ、ですか……?」

「あたしも一応貴族の端くれだけど、あの子ってパスウェスト系の令嬢として経歴がおかしすぎると思っちゃって。今回のカスダルゴシップ紙大暴露事件にも一枚噛んでそうだから、念のために調べたのよ。そしたらね……」


 ララさんは声を顰めた。


「あたしたちのパーティにいたヴィヴィアンヌはヴィヴィアンヌじゃなかったかもしれない」

「え」


 青天の霹靂すぎる。


「本物のヴィヴィアンヌ嬢は病弱で、社交界にほとんど出ず、遠くの領地で静養していたようなの」

「全然別人じゃないですか」

「ええ。実際、ヴィヴィアンヌと面識のある女学生時代の御学友ともお話ししたけれど、彼女が聖女だなんて聞いたこともないって」

「じゃ、じゃあ私たちが何度も会ってた、あの聖女のヴィヴィアンヌさんは」


 確かに彼女は、頭にドーナツサイズの光輪を掲げていた。

 光輪は聖女の証。あるものを隠すことはできても、ないものを作ることは不可能だ。


「別人が魔力で化けていたのかもしれない。全くの他人に成り代わるのは難しいけれど、高位魔道具ならば若返って、性転換することくらいならできると言われているわ」

「た、確かに」


 例えばーーシノブさんが魔王様になって、黒竜さんとの契約で不老不死になっているように。

 魔導士が莫大な力を込めた魔道具ならば、年齢や性別を転換することくらいはできる。らしい。


「もちろん代償はあるけれど、『聖女』の能力者ならば聖女異能で自分を癒しながら魔道具を使えるでしょ? ヒイロみたいな小麦粉頼りの特別な聖女じゃなければ、赤銅サードランクでも十分可能よ」

「で、でもそんな……高位魔道具を使ってまでわざわざどうして……カスダルに?」

「カスダルに価値はないわ。……カスダルの功績に価値があったのよ」

「あ」


 私は思い出す。

 忘れていたけれど、カスダルは魔王様に傷をつけるという偉業を成し遂げた「天才」だったのだ。


「カスダルの功績に興味を示した『誰か』が、カスダルに接近し、私をクビにさせて……カスダルパーティに収まったってことですか?」

「そういうことよ」


 ララさんが頷く。


「おそらくヴィヴィアンヌ(仮)は、カスダルの実力を確かめるため、ヒイロをパーティから追い出したんでしょう。そしたらカスダルの実力はカスだった。魔紋に刻まれている『ヒイロを盾にして魔王を傷つけた』という事実も知っているのなら、ますますヴィヴィアンヌ(仮)の狙いはあんたよ、ヒイロ」

「そういえば、ヴィヴィアンヌさんは以前、……明らかに別人みたいな態度で私に、カスダルに気をつけるように言ってきたことがあるんです」

「ますます、ヴィヴィアンヌは偽物で決定ね」

「でも、誰なんでしょうか一体……聖女なら教会に登録があるし、迂闊に別人を偽ることなんて」


 ララさんを見れば、彼女はすでに答えに辿り着いているような顔をしていた。


「ララさんは、一体誰だと思っているんですか……?」

「教会上層部に影響力があり、さらに本人の権威もある奴なら、聖女登録の改竄や虚偽申請、それどころか魔道具を持ち出すことだって楽勝よ」

「でもそんな偉い立場に聖女っていましたっけ。聖女って基本的に現場聖女というか……技術職の悲しみというか、あまり権威側にはつけない印象なんですが」

「聖女が女なら、そうでしょうけどね」

「……あ」


 私は思わず彼女の顔を見た。

 そして電流が走るような思いがした。


「ヴィヴィアンヌの実家、パスウェストは教会と繋がりが深いの。彼女の祖父ーーパスウェスト卿は今、宰相よ」


 ーー小麦粉聖女として、教会で微妙な立場になった私に、宮廷で働かないかとわざわざ声をかけてくれた人だ。

 かつて私は宮廷に呼び出され、彼に直接、こう言われたのだ。


『大地に愛されし聖女よ。王宮にて王侯貴族の食事の小麦粉を奉納する聖女として奉仕しないか』


 王宮聖女。貧乏子爵令嬢の就職先としては最高のものだった。

 けれど私は、宰相様の言葉を断ってしまっていた。


 彼は聖帽を常に被っていたーもしそこに、光輪があるのならば。


 その時。


「ごめんくださーい♡ ヒイロさん、いるかしら?」


 場にそぐわなすぎる、甘ったるくてくねくねした声が、食堂の外の方から聞こえてきた。そこにはふわふわの銀髪ボブの美少女聖女、ヴィヴィアンヌがいた。


 私とララさんは、顔を見合わせた。


「来たわね。……パスウェストのじじいが」

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