第55話 ヒイロと幸福
夜。
ララさんは王都に用事があるとのことで、聖女食堂の夜は久しぶりに私とシノビドスだけだ。
賄いでカチャカチャと料理を作って食卓に並べていると、店の掃除や片付けを済ませてくれたシノビドスが戻ってきてくれた。
「おおっ、美味しそうでござるな!」
仮面のまま、彼は食卓を見て嬉しそうに声を弾ませる。
「昼食に出した野菜スープを使ったスープパスタと……グラタンでござるか?」
「うん。昼に鶏肉のコロッケ作ったでしょ? それのミンチ肉とじゃがいもと玉ねぎの残りを入れて作ってみたんだ」
「ふむふむ。材料はほとんど変わらないのに、見事でござるな」
「褒めてくれてありがとう。早く食べちゃおう?」
「うむ。手を洗ってくる」
二人で聖女食堂のテーブルの一つを整え、夕飯の食卓とする。
食べる前に、シノビドスが当たり前のように仮面をかぱっと外す。
長い黒髪がふわりと広がり、ランプに照らされた綺麗な顔が露わになってーー彼はビトウシノブという人になる。
なんだか照れて、顔を直視できない。
「今日は、久しぶりに二人っきりだね」
「……ああ、うん……そうだなござる」
「口調ぐちゃぐちゃだよシノブさん」
「あはは……すまぬ。ヒイロ殿は、どちらの方が落ち着くか?」
「……うーん、わかんない。シノブさんが楽な方でいいよ」
「ん……そ、そうか」
お互いぎこちない。素顔の状態で、こうして二人で話すことはまだ慣れていない。
「こっ、黒竜さんは?」
「ララ殿が心配だからとついていった。それは方便で単純に、王都を眺めたくなったのだろう」
「自由だねえ」
シノブさんとなった彼は、金の瞳を細めて笑う。きっと黒竜さんのことを思い出しているのだろう。
「……あいつも、自由にしてやりたいのだが。本当は」
「自由にするのって、やっぱり難しいの?」
「いま私との契約を切ってしまえば、民に忘れられた旧神は消えてしまうのだ」
「えっ……」
「王国が宗教を土地神崇拝から初代国王崇拝へと塗り替えてしまったからな」
「そっか……自由になるって、難しいんだね」
「すまぬ。食事前にする話ではなかったな。せっかくの手料理が冷えてしまう」
話題を断ち切るように、シノブさんは明るい声を出した。
「ヒイロ殿。まずはお腹いっぱいになるのが先だ。早くいただこう」
「も、もちろん! じゃあいただきます、だね!!」
そこから二人で、手を合わせて夕飯をいただいた。
「ん……美味しい……」
シノブさんの言うとおり、あつあつのスープパスタに口をつけた瞬間、空腹を思い出して暗い気持ちが飛んでいった。
スープパスタのお野菜は昼間ずっと煮込んでいたからとろとろで優しい味で、麺と一緒に食べるとお腹がどんどん温まっていく。
夢中になって食べていると、シノブさんが私を見つめていた。
長い黒髪を耳にかけて微笑む様子は、ランプに照らされた空間では、いつもよりなんだか近く感じる。
「ヒイロ殿は幸福そうに食べるな」
「あはは……お腹空いてたしね。美味しくできたごはん食べると、嬉しくなるし」
「私も嬉しい。……こうして、ヒイロ殿と食卓を囲めることが」
「…………そ、それだと嬉しいな……」
頬が熱くなって、私は思わず目を逸らす。ほかほかになったお腹の上、胸の辺りがドキドキする。
丁寧に咀嚼するシノブさんの様子を見ているだけで、なんだか顔が熱くなって困る。
シノビドスで、魔王様で、シノブさん。
二人に感じていた変なうわついた気持ちが、一人のシノブさんに集まって、うわーってなっちゃってる。
私、変な食べ方……していないかな……。
ーー
食事を終わらせたあと、シノブさんがお茶を淹れてくれた。
そして真面目な顔をして、彼は話を切り出した。
「ヒイロ殿。改めて謝罪したい。……シノビドスと魔王が同一人物であることを伝えず、騙していてすまなかった」
「騙してたなんて思ってないよ。頭をあげて?」
素直な気持ちで、私は首を横に振る。
「むしろ、そこまでして私を守ろうとしてくれたのが……嬉しかったよ」
「ヒイロ殿……」
彼は目を瞠り……そしてポツポツと、言葉を選ぶように話を続けた。
「知っての通り……拙者は大地そのものである黒竜と契約をし、ルシディア王国の守護を責務としていた。魔王の居城を離れられなかった……そしてこれからも、ずっとこの土地で拙者は魔王として王国を守り続けていくつもりだ」
ティーカップを手に取るシノブさんの指に、僅かに力が籠る。
「……私は、君と……普通の男子のように、一緒になることはできない。だから」
「じゃあ」
私は敢えて明るく、彼の言葉に被せた。
顔を上げた金瞳の眼差しに、私はにっこりと微笑む。
「じゃあ私も、この土地でずっと聖女食堂を開いて傍にいるよ。歳をとっても、おばあちゃんになっても、私の命が続く限りはご飯、一緒に食べよう」
「しかし、それでは君の人生が私の犠牲になる」
シノブさんは腰を浮かせ、冗談じゃないと言わんばかりに目を見張る。
「君は……ヒイロ殿はどうか、ヒイロ殿の幸福を大切にしてほしい。家族を作ったり、穏やかに暮らしたり……拙者は……黒竜だけでなく、君の人生まで犠牲にしたくない」
「こうやって一緒にご飯を食べるのが、私にとっての一番の幸福だから」
「……っ……」
「あのね、シノブさん」
シノブさんは金瞳を大きく見開き、私を見つめている。この続きは、言うのがちょっと恥ずかしい。
「傍にいたいと思う人と一緒にご飯を食べて、私が生きている間……大好きな人と一緒にいるのが、私の幸福なんだ。だから私は、……シノブさんと一緒にいたいな」
「私でいいのか」
声は震えていた。
私も、気がつけば声がうわずっていた。
「私こそ……私なんかが傍にいて、いいのかな。いや、傍にいたいって言っちゃったけど、私、……傷ものだし、ララさんみたいな美人じゃないし、野暮ったいし。変なこと言っちゃってごめん。それに、」
だんだん気まずくなって早口になる。
「あ……お茶、淹れなおそうか」
ガタリ。恥ずかしくて立ち上がったところで、私は急に抱き寄せられた。
きつく、きつく抱きしめられる。
シノブさん掠れた声が、私の頭上で囁く。
「もう二度と、私なんか、と君に言わせない」
「シノブさん……」
シノブさんは私の頬を両手で包み、そっと上を向かせた。
「愛している。ヒイロ殿」
「……そんな……私なん」
言葉は唇で封じられた。
目を見開くと、焦点が合わないくらい近くにシノブさんの瞳があった。
「もう言わせない」
シノブさんが、掠れた声で呟く。
「君を不幸にはしたくない、けれど一緒にいることを幸福と言ってくれるのならば……我慢はしない」
優しい目が、私をみて切なそうに細くなる。大きな手に触れられて、こうして見つめられて、体温を感じて。触れられるのが怖くない。むしろ、触れられるのが幸せだった。
ああ、私はこの人が好きなんだと全身で感じる。胸がいっぱいで、もう何も言えなかった。
油の切れたランプがぱち、と消える。
代わりに光輪がふわりと柔く輝く中、シノブさんが私を腕の中に閉じ込めて、独り言のように呟いた。
「君に会えてよかった。……不老不死となり、親友とも遠ざかってしまった長い魔王としての日々も……悪くなかったと、はっきり言えるよ」
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