第54話 それから一ヶ月後
ーー宮殿に乗り込んで一ヶ月。
今ではあの時の騒ぎが嘘のように連日客足も元通り。むしろ元通り以上に増えてきている。
「どうなるかと思ってたけど、案外なんとかなるものね」
「いや〜ララさん、ご心配おかけいたしました……」
乗り込んだ翌日には即宮廷からの命令でゴシップ各紙へ訂正記事が掲載され、聖女食堂の名誉は回復。それどころか、王都商工会加入まで認められ、いよいよ立派に聖女食堂としての立場が確立してしまったのだ。
朝のテイクアウトが掃けた後。
休憩しながら新聞を広げ、聖女食堂にまつわる記事を見たララさんが苦笑いする。
ララさんと私は、あの日宮廷であった顛末と黒竜さんが話した話を全て共有していた。
「『魔王の勢力拡大を防ぎ、休戦を促した聖女ヒイロ。魔物の森近隣の土地の穢れも浄化した彼女の功績は建国史に残すべき偉業である』ね……ったく、よく言うわ」
私もララさんから新聞を受け取り、記事に目を通す。
「魔王様のことは今でもやっぱり、悪者として書くんですね」
「それは教会や王国の面子として仕方ないのかもしれないわね。だって魔王の勢力を仮想敵としてずっと国をまとめてきていたんだし。新たな仮想敵を作ろうにも、うちの国って平和だから」
仕方ないのは仕方ない。
私は溜息をつきながら、そっと、庭の手入れをしてくれているシノビドスへと目を向けた。シノビドスは普段は相変わらず黒装束に仮面を被った、古めかしい口調のシノビドスのままで過ごしている。
魔王モードだとなんだか落ち着かないのでござるよ〜、なんて言ってた。
「そういえばヒイロ。また教会から手紙が届いてたわよ」
「ああ……このお店を教会のお墨付きにするって話ですね」
教会はどうやら私を手中に引き込みたいらしく、あの日から聖女食堂を教会の所属にしないかとたびたび勧誘の手紙が届いてくる。
「一応教会所属にする旨みがないわけではないんですよね。税金免除になるし、聖女としての治療行為も堂々とできるようになるし」
「やめときなさい。好きな料理が作れなくなるし、何かと手続きが面倒になって、そのまま乗っ取られるかもよ」
「それはありますね」
私は苦笑いする。
ここがあくまで聖女食堂として私の好きに開けているのも、教会所属の後ろ盾に頼っていないからだ。今は魔王様の寵愛という後ろ盾があるんだから、税金かかってもこのままでいいかな。経理のララさんもいるし。
「ただ、王都の2号店許可の話は進めておいてもいいかもよ」
「2号店ですか……そこまで私作れる余裕はないんですが」
「ヒイロはここにいていいのよ。作るのはスタッフさん」
ララさんは説明しよう! と言わんばかりに指を立てる。
「万が一ヒイロがここを畳みたくなった時」
「い、いや、畳むなんてそんな」
「万が一、の話よ」
ララさんは念を押す。
「2号店の許可さえあれば、スタッフだって当面の仕事を失うことはないわ。あたしもたびたび王都の商工会に顔を売ってるし、頼れる人も何人か見つけたわ」
「ララさん……」
「だから」
真面目な顔をして、ララさんは私の両手を握った。
「シノビドス……あいつを自由にしたいと思ったら、いつでも二人で逃げなさい」
「ララさん」
「自由になれたとは言っても、シノビドスが『悪の魔王』として誤解されたままじゃない。あれじゃ……解決を先延ばししただけのようなものよ。ヒイロも気にしてるでしょ?」
メガネの奥、紫水晶を嵌め込んだような綺麗な瞳がじっと私を見つめる。
私は笑って誤魔化そうとしたけれど、どうしても無理だった。
「……よくわかりましたね」
「あんた、そういう子だから。誰かが貧乏くじ引いてるのに耐えられない。だからあたしのことも、スタッフも、メイタルト村の人のことも助けてくれた……だからシノビドスのことも、きっと心が痛いはずよ」
ララさんの手に力がこもる。
「いい? 何があっても、あたしはスタッフさんと一緒に図太く立ち回ってみせる。アイツとヒイロに助けてもらった分、あたしも二人のための力になりたい。だから……シノビドスを魔王様やめさせてあげられるときには、遠慮はいらないわ」
「ララさん……」
ララさんの強い言葉に、私は胸が熱くなる。
私は涙が出そうになる前に、ララさんに笑顔で頷いた。
「ありがとうございます! 多分まだまだ自由になるのは難しいでしょうが……いつか、そんなチャンスが来たら決行します。その時はよろしくお願いします!」
「任せなさい。お礼は、あんたの美味しいご飯でいいから」
悪戯っぽく言うララさんの言葉が嬉しい。
私はもう一度、庭で花に水をやるシノビドスの背中を見た。
ーー彼を、自由にできる日は。
意外に早くやってくることになった。
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