第46・47話 黒竜にはわからない

 ヒイロがぱたぱたと奥に入っていったところで、黒竜は主人へと目を向けた。

 主人は仮面を被ったまま、じっと茶に目を落として黙り込んでいる。


「ヒイロちゃんが言ってたこと、全く理解できねえんだけど。王宮と魔王様は、竜繭半島ドラゴコクーンの平和と豊穣を願う仲間じゃなかったのか? なんで、聖女と魔王様が仲良くするのが王家への反逆になるんだ? わっかんねえな……」

「数百年の間に、王宮の意思も変わったのだろう。魔王の名の意味も、おそらくは変わったのだ」


 シノビドス、なんて珍妙な扮装をした主人が、仮面の中でくぐもった声で呟く。

 黒竜は片眉をあげて「はあ?」と言った。


「変わったって、どーいう意味だよ」

「そのままの意味だ。……魔王は国家王宮を脅かす敵というのが、今の認識なのだろう」

「はあああ?? 何がどうなって、そう」

「……人間とはそういうものだ。子から孫へ世代が変わる中で、初代の意志は絶えていく。大義名分としての嫌われ者として、国を守るのも一つのあり方だと思っていたが」


 主人はふう、と溜息をつき、金の浮かぶ茶で口を湿す。


「私という存在は想像以上に、国から嫌われるようになっていたらしい……」


 その諦観に満ちた態度に、気づけば黒竜は口を開いていた。


「魔王様。今までのことをケリつけて、あんたが幸せになる時なんじゃねえの」

「お前と契約を結んだ時に誓った、王家との約束を違えることはできぬよ」


 王家の仕打ちに表情を曇らせていたにも拘らず、魔王は頑なに首を横に振る。


尾藤志信びとうしのぶという男は、故郷を滅ぼした愚かな主君だ。幸か不幸かこの竜繭半島(ドラゴコクーン)に一人流れ着いた時、今度こそ民を守る側になりたいと願った……王家に助力し、身を捧げると誓った以上、その約束を違えられぬぬ」


 この数百年、幾度となく聞いていた魔王の過去の話だ。

 魔王が言うには、彼はかつてある小国の国王だったが、国は戦乱により滅亡したらしい。

 国を支配せんとする大勢力との海上戦。船上の白兵戦で万策尽き、彼は臣下たちのなきがらと共に波に呑まれた。

 彼は幸か不幸か死ねずーーたった一人だけこの竜繭半島に流れ着いたという。


 そんな彼は一人の若き君主に拾われ、竜繭半島の平和のため、彼に助力することにした。

 黒竜と魔王が出会ったのは、ちょうどその時だ。出会った時のことを、黒竜は昨日のことのように覚えている。


『竜繭半島の安寧のため、『大地』の霊獣よ。どうか力を貸してほしい』


『別にいいぜ。俺は人間が何やったら喜ぶのかわかんねえから、『大地』だろうが竜繭半島の戦火を止める術もわからねえ。ただあんたなら、一度失敗したことあるなら、止め方もわかんじゃねえの?』


 流れ着いた竜繭半島他人の国の平和のため、人間を辞めて魔王となった男と、『大地』の神たる聖獣。

 歪な関係だが、黒竜にとって主人との暮らしは楽しかった。

 しかし黒竜が個竜的に楽しいのと、この男を『魔王』の役目から解放してやりたいと思うのは別の問題だ。


は違(たが)えてるっぽいのに、まだ魔王を続けてやるのかよ」


 黒竜の言葉を受けても、頑として魔王は首を横に振る。


「約束を守るのは、あくまで拙者の矜持。相手の不義理は理由にならない」

「頑固ぉ〜」

「それに」

「それにぃ?」


 魔王が仮面の下で吐息を漏らす。


「今さら、ただの男に戻ってしまえば……ヒイロ殿を手放したくなくなる」

つがゃいいじゃねえか」


 思わず素で突っ込んでしまう黒竜。この後に及んで何をいうか。

 しかし仮面を被った魔王は真剣そのものの様子だった。


「困るのはヒイロ殿だ。私などに懸想されるなど……だから私は、今後も魔王として彼女を守る。それに『大地』への信仰が薄れた今、私が魔王を辞めては

「人のことばっか心配して、あんたらそっくりだな」


 黒竜は悔しくて拳を握りしめた。

 茶化すのももう、しゃらくせえ。


「あのさ。ヒイロちゃんも言ってたぜ。カスダルに捨てられたような自分じゃ魔王にもシノビドスにも勿体無いって。……そして多分」


 前にヒイロを背中に乗せて二人で話した時。

 彼女は確かに、己の腹を撫でながらこう言った。


 ーーお二人には勿体無いですよ。私なんて。

 ーー地味で可愛げなんてないってずっと言われてきましたし。


 ーーそれに私、カスダルに酷い目に合わされて捨てられた様な聖女ですよ?


「傷物になった体を、よほど気にしてるぜ、あの子は」


「……っ、そんな」

「俺は人間の傷物だとかなんだとか、そーゆーのよくわかんねえけど。少なくともあの子はカスダルのものだった過去をずっと気にしてる」

「ヒイロ殿が……まさかそんなことを……」


 きっと魔王にとって、彼女がただ愛しいばかりの聖女でしかなくて。

 恋心の強さのあまりーー彼女が彼女自身を、どれほど卑下しているのかも気づいていないのだ。

 愛しいならば、伝えなければ伝わらない。それがシンプルな獣の理屈だ。


「あんたがそのままじゃ、あの子は一生、カスダルに台無しにされた不幸な娘のままでいるだろうな。そして魔王様も、自分が惚れちゃ困るだろうから見守るってさ。何なんだよ、焦ったいたらありゃしねえ」

「……それ、は……」

「正体バラそうが真相を知ろうが、んな細けえことで怒るような子じゃないっしょ、ヒイロちゃんは。豪胆だってあんた自身も言ってただろ?」

「それはそうだが……」

「だろ? ならいーじゃん。魔王サマの事、洗いざらい話そうが、あの子は『そーですかー』なんて、ケロッとした顔でニコニコ笑って飯作ってくれる、それだけだっつーの。多分」

「……その顔は、想像がつくな……」

「な?」


 野暮ったい仮面の奥、男がどんな顔をしているのか黒竜からは見えない。けれど少しだけ肩の力を抜いて微笑んだ気がした。

 黒竜の願いが、厚い仮面に隠した本心に届くことを願い、言葉を重ねる。


「あんたたちはようやく、巡り会うべくして巡り会った。あんたの故郷を守れなかった罪はいい加減償ったはずでしょう。それに」


 もうひと押し。いっちょ煽ってみっか。

 黒竜は考え、目を眇めて露悪的に笑ってみせる。


「ずっと遠くから見守ってる間に、ヒイロちゃんに男ができても許せるのかよ」

「なっ」


 見るからに狼狽する魔王に、黒竜は笑う。


「俺だっていいんだぜ?」

「黒竜……?」

「大地に愛されし聖女、とは人間もよく言ったもんだ。まさに数百年前、大地おれが魔王にした人間あんたと同じくらい美味い魂を持っている」


 はっとする魔王に、黒龍は見せつけるように長い舌で唇をべろりと舐めた。


「魔王サマ。俺はヒイロちゃんを次の魔王にしてもいいんだぜ? せっかく女の子なんだし、連れ去って妻に娶って、魔王城の深くに閉じ込めて」


 ーー次の瞬間。

 黒竜の前髪が一筋、ぱらりと切れる。

 鼻にうっすら赤い傷がついた。


「あ……」


 魔王は自分のやったことに、信じられないという風に息を震わせた。


「ふは。そうこなくちゃ」


 どんな顔をしているか、仮面を取ってみて暴いてやりたいくらいだ。


「答えはもう出てるじゃねーか」

「黒竜……ありがとう。すまない」

「謝んなよ。俺はただ、あんたらが幸せになってほしいだけだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る