第45話 潮目が変わるとき

「客足完全絶えたわね」

「何かあったんでござろうなあ」


 ララさんとシノビドスが腕組みして外を眺めている。

 私はこの間のカスダル襲撃の時、ヴィヴィアンヌさんが言い残していった言葉を思い出していた。


『カスダルは、まだ諦めぬだろうな』

『ゆめゆめ、ストレリツィ伯爵家と奴の執念を侮るな。そなたの手腕を楽しみに見ておるぞ』


 彼女の言葉が現実になったようだ。


「多分、カスダルの差金なんだろうなあ」

「でしょうね」


 がらんとした食堂で私たち三人は、とりあえず一緒に早めのランチを済ませた。

 焼きたてのパンに、庭で飼っているニワトリから取った卵とベーコンを挟んでマヨネーズを和えたもの、それに夏野菜のさっぱりとしたスープ。


 食べ終わったくらいの頃に、常連の女冒険者、マーガレッタさんが人目を忍ぶようにこそこそと食堂にやってきてくれた。


「大変なことになってるわよ、聖女ちゃん」


 マーガレッタさんが手渡してくれたのは、昨日付のゴシップ新聞だった。


『聖女食堂の聖女ヒイロ・シーマシー、諸悪の根源たる魔王と癒着。王宮への叛逆行為として教会は対応を検討!?』

『穢れた土地で営業する聖女、その食の安全に問題あり!?』


「うわあ」

「ゴシップ紙しか取り上げてないから、まだ教会も王宮も動いてないと思うわ」

「!?をつけることで曖昧な情報を記事にするのって、ゴシップ記事の常套手段よね」


 隣でララさんがうんうんと頷く。


「でもこの記事のせいで、外聞を気にする貴族たちがいち早く、冒険者ギルドに『聖女食堂と関係する冒険者との取引を停止する』って通達してきているのよ……」

「なるほど。だから皆さんいらっしゃらなくなったんですね……」

「力になれなくて、ごめん。みんな本当は聖女ちゃんに会いたいって言ってるんだけど、私たちの仕事って貴族相手の信用商売だからさ」

「とんでもないです」


 申し訳なさそうにするマーガレッタさんに私は首を横に振る。


「お一人ででもこうして連絡を送ってきてくださって嬉しいです。マーガレッタさんも、他の人に見つかる前に急いでここを離れてください」

「聖女ちゃん……」

「私は大丈夫です。マーガレッタさんにも、どうか大地の加護がありますように」

「ありがとう。……私も、何か力になれることを探してみるわ」


 私はパンを一口齧り、聖女らしく加護異能を発動し、笑顔で彼女を裏口から逃す。少なくとも彼女が仲間のところに戻るまでは彼女の姿は遮蔽されるはずだ。

 彼女が行ったところで、ララさんが溜息まじりに口を開いた。


「まあ、そりゃあそうなるわよね。聖女と魔王が繋がってるってバレたら」

「魔王様は討伐対象、ですもんね……」

「ったく、最低な記事書いたのはどこの出版社よ。覚えててやるんだから」


 ララさんは置いていかれたゴシップ紙に目を通し、露骨に顔を顰めてみせた。


「うわ、カスダルインタビュー受けちゃってるし?! 自分の凋落も全部ヒイロのせいだって押し付けて……見なきゃよかった、最低すぎ」

「……ヴィヴィアンヌさんに釘を刺されていたんです。実は。カスダルは絶対また、妨害をしてくるはずだって」

「ヴィヴィアンヌ、ねえ……あの女もちょっと気になるのよね」

「気になる……とは?」

「色々ね。確信はまだないんだけれど」


 ララさんは新聞を眺めながら、じっと何かを考えている様子だった。

 シノビドスは食器を片付け、そのままシンクを見下ろしてじっとしている。


「シノビドス?」

「あ、ああ………ヒイロ殿」

「ごめんね。心配かけちゃって。なんとか対策考えないとね、あはは」

「かたじけないでござるよ。こんな……」

「どうしてシノビドスが謝るの」


 私は明るく笑い、お茶をしまっている戸棚を開く。


「こんな時だし、ちょっといいお茶飲んじゃお? そうそう、海の向こうからの輸入品っていう高級茶葉、前にお客さんにもらってたのあるんだ。キラキラした金箔が入っててね、すごいんだよ」


 明るく振る舞う私を、シノビドスは棒立ちになったままじっと見つめている。

 仮面の中の表情はわからない。けれど彼は、ひどく悲しい顔をしている気がした。


 その時。庭に黒竜さんが舞い降りてきた。


「聖女ちゃん、元気〜」

「ちょっと!!!!!! 今のタイミングで来るんじゃないわよ、馬鹿!!!」


 血相を変えてララさんが飛び出していく。


「あはは。ティーセットは四人分必要そうだね」

「……そうでござるな」


 私はシノビドスに笑ってみせた。それでも、シノビドスは気のない返事をするばかりだった。


 お茶を淹れていると、ララさんは「ちょっと調べたいことがある」と言って、お茶をいれたマグカップを持って奥に引っ込んでいった。

 私はシノビドスと、黒竜さんとお茶をする。

 お客さんが来なくなったことと、新聞の話をすると黒竜さんは目を丸くした。


「うっわ、そんなことがあったんだ。大変だな〜」

「ええ。だからララさん、慌てて黒竜さんを奥に引っ張り込んだんです」

「つーか、魔王と仲良くすんのが王家への反逆罪、ってなあ」


 黒竜さんは金箔が浮いたお茶を不思議そうに眺めながら、さも理解できないといった様子で呟く。


「王宮は流石にそれでヒイロちゃんを断罪しないとは思うけどどうよ」

「う〜ん、どうでしょうかね。実際に貴族の皆さんが冒険者ギルドに圧力をかけたとなると……」

「でもヒイロちゃん、『大地に愛されし聖女』じゃん? 国の切り札な子を、保護するならともかく、窮地に追い込むってことは考えらんないと思うけどな〜」

「人間の世界はなかなか難しいんですよ〜」

「人間って訳わかんねえな〜」


 あはは、と笑いながら私は肩をすくめる。

 黒竜さんはどうやら、王宮が私を庇わないわけがないと思い込んでいるようだ。

 人間社会の機微を理解してもらうのは、やっぱり難しいようだ。

 その時。ララさんが奥から顔を出す。


「ねえヒイロ、ちょっと来てくれない? 確認して欲しいことがあるの」

「はーい!」


 私は立ち上がり、シノビドスと黒竜さんを見た。


「ちょっと行ってきますね、お二人でごゆっくりなさっててください」

「がんばれ〜」


 黒竜さんが呑気に手を振って送ってくれる。

 今日黒竜さんが来てくれてよかった。竜から目線の言葉は、なんだか肩の力が抜ける気がする。


 テーブルには、シノビドスと黒竜さんが残った。

 ーーお茶を見つめて黙り込むシノビドスを、黒竜さんは険しい顔をして見つめている様子だった。

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