第39話 溺愛、そして変わっていく心と境遇
カスダル乱入事件以降、ますます聖女食堂は繁盛していた。
しかし繁盛したからといって、需要に応えて店を拡大し続けるのは無理だ。
店の規模をこれ以上大きくするには、王都の商工会の承認が必要だ。
そもそも何より、私の手にあまる。
基本的にどこまでも無限に粉は出せるけれど、体力と一度に作れる量は限界がある!流石に!
というわけで食堂だけでなくテイクアウトのパンの量を無理がない範囲で増やし、スタッフさんの人手を増やすことで対応した。
メイタルト村の人々が喜んで何かと色々手伝ってくれるのでとてもありがたい。
「ありがたいのはこっちの方よ、聖女ちゃん」
そう言ってくれるのはスタッフとして働いてくれているマリさん。メイドをやっていて愛人にされて捨てられて王都を母子二人で逃げてきたという経歴をあっけらかんと語る彼女は、元キッチンメイドさんなだけあって、ホールでもキッチンでも5兆人力だ。
特に、朝のパン作りはほとんど彼女にお願いしている。
修道院の質素なパン作りしか知らない私とは違って、彼女は美味しくて綺麗な菓子パンを作ることができるからだ。さすが元キッチンメイドさん。
今朝のテイクアウトを捌いたあと、私たちは二人でランチタイムに向けて休憩していた。
お客さんのいない食堂でティーカップを傾けながら、マリさんはしみじみと呟く。
「聖女ちゃんのおかげでみんな健康になったし、土地の穢れたイメージも今では気にしない人も増えたわ。過ごしやすくなったし生活も楽になった。本当に助かってるのよ」
「そんな……私を受け入れてくださった皆さんにお返しするのは当然のことですよ!」
「他人行儀に言わないで! あなたも立派な私たちの村の仲間なんだから」
「うう……幸せです……」
修道院で居場所ができた時以来の、幸せな時間を過ごしている私。
魔王様が食堂に顔を出してくれたおかげか、その後変なトラブルも起きない。通ってくれている冒険者さんたちとの関係も良好だ。
商工会の人も、今後加入を前向きに検討してほしいと挨拶に来てくれた。
ひどく、ひどく順調だった。
ーーシノビドスと魔王様との関係を、除いては。
ガチャ、と庭に繋がるドアが開き、私の体に緊張が走る。
「ヒイロ殿、収穫終わったでござるよ」
「あ、ありがとう」
声が裏返る。
「い。いや……なんのこれしき……」
それはシノビドスも同じだった。
籠いっぱいの摘みたて野菜を受け取るものの、私はシノビドスの顔を見ることができない。仮面を被っているんだから、気にしなければいいんだけど。
魔王様に手の甲にキスをされた日の夜。満月に照らされながら、今度はシノビドスが私に本名を教えてくれた。シノブっていうんだって。でも本名で呼ばれるのは今更恥ずかしいからシノビドスって呼んでほしいって。
「ヒイロ殿、その……何か手伝うことはないでござるか?」
「ええと……だ、大丈夫! ありがとう!!」
「で、では拙者草むしりでも行ってくるでござる〜」
スタコラサッサと呟きながら去っていくシノビドス。
私は安堵の息を吐いた。シノビドスが嫌いになった訳じゃない。
ただどう接すればいいのか、よく分からなくなってしまっただけで。
そして。
夕方になると、魔王様は音もなく突然やってきて、残り物をテイクアウトで全部買っていってくれる。
「ヒイロ殿、今日も変わりはないか。全て買うには金貨10枚で足りるか?」
「たたた足りるどころか教会一軒立ちますよそれ!! 銅貨10枚で十分です!」
「細かいのがないから金貨1枚で」
「ひえー暴利」
手にぎゅっと金貨を握らせてくれる魔王様。
彼の後ろで黒竜さんがケラケラと笑っている。
「ヒイロちゃん。金受け取りにくいなら物々交換にするのはどう? ヒイロちゃんなら俺の爪切ったやついくらでもあげるけど」
「すりおろしたら万能の記憶薬になると言われる竜の爪!!! そんな爪切りでパッチンパッチン切っちゃうんですか!?」
「高いって言われても、俺にとっちゃいつも勝手に伸びてくるものだし。なあ、魔王サマ」
魔王様は黒竜さんを一瞥して、私の手を取ってまた手の甲へと口付ける。
「ひゃっ」
「ヒイロ殿。では……また」
「は、はひ……」
魔王様が風のように去っていくと、入れ替わるようにシノビドスがやってくる。
「片付け終わったでござるよヒイロ殿〜」
「ひゃああ」
驚いて、声が裏返ってしまう。
「い、いきなり現れないでよシノビドス」
「失敬失敬」
タイミングよく入れ替わるように出てくると、なんだかシノビドスと魔王様がだんだんごっちゃになってきて、どっちがどっちか分からなくなってくる。
はっきり言えるのは、私はシノビドスにも魔王様にもドキドキしてしまっていること。
スタッフのお姉さんたちを見送って、片付けて、日が落ちたところで私はなんだかどっと疲れを感じた。
「私、ちょっと疲れちゃったかも。汗流してくるね」
「承知。あとは拙者に任せてくだされ」
「……ありがとう」
私は自宅の二階に上がり、湯船にお湯を張って身を沈める。
一階からは片付けの続きをしてくれているシノビドスの気配が聞こえた。
申し訳ないなあ、と胸がじくりと痛む。
灯りがわりに浮かばせている光輪をひょいと掴んで、私は光輪に話しかけた。
「……優しくしてくれるからって、勘違いして最低だよね。私……光輪(わっか)もそう思うでしょ?」
光輪は返事をしない。けれど湯を浴びてぴかぴかと輝く光輪は、私にはもったいないくらい綺麗だった。
「私も君くらい、ピカピカで素直な子だったらよかったのになあ」
私は湯に反射した自分の顔に溜息をつく。
地味で子どもっぽい容姿も、ちょっと優しくされるだけで異性を二人同時に意識してしまう自分の浅ましさも嫌だった。私の自信は料理や聖女としてのプライドに依っているので、ヒイロ・シーマシーという一人の小娘としては、全く全然魅力なんてないとわかってる。
そんな私に、シノビドスも魔王様もとても優しい。
私は二人のことをとても大切だと思っていて。
それどころか変に勘違いして、二人に対してドキドキしてしまっていて。
「免疫がないとはいえ、最低すぎじゃない? 私……」
時々、冗談抜きにシノビドスに対する気持ちと魔王様に対する気持ちが、全く同じドキドキなんじゃないかって思う時がある。
背格好と声と、優しいところが似ているってだけで、同一視して混同して、勝手にこんなふうに思ってるなんて。
「……今の関係が続けばいいだけなのに。どうして、二人同時に意識しちゃうんだろう。意識しなきゃいいのに。私が勝手に、優しさを変な風に受け取ってるだけなんだから……」
光輪は特に返事を返すことなくぴかぴかと輝くばかりだ。
ーーー
そんなこんなのある日のこと。
ランチタイムが落ち着いたところで私あての訪問者がやってきた。
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