第30話 そういえば、男の人だったね…

「ありがとう、助かるよ」


 シノビドスがトンカチを受け取り、思い切り骨に振り下ろすと、私がどんなに頑張っても割れなかった骨がどんどんバキバキと割れていく。


「おおー……すごいね、男の人だね」


 ほっそりした体格のシノビドスでも、黒装束を腕まくりしてトンカチを振り下ろすとさすがに私より全然強い。

 拍手する私に、シノビドスは照れるような仕草を見せた。


「そりゃあ、手の大きさも腕力も全然違うでござるからなあ」


 私はシノビドスの空いた左手を取り、手の大きさを重ねてみた。


「わ、やっぱりすごく大きい」


 長くて節ばった指は、手のひらを重ねても私の手より二回り以上大きい。目一杯指を広げても指先が第二関節にギリギリ届く程度だ。こうして手を重ねると、肌の色も手の形も、硬さもまるで違う。すごいなあ、男の人なんだなあ。


 しげしげと大きさ比べをしていると、シノビドスが困惑した声を出した。


「ヒイロ殿、作業ができないでござるよぉ」

「あ、ごめん」


 不意に、シノビドスのうっすら覗いた首筋が赤くなっているような気がする。私はハッとした。いつも家族みたいに過ごしているからすっかり忘れて、なれなれしくベタベタしてしまったと気づく。シノビドスは男の人なのに。


「ご、ごめん……」

「い、いいや、拙者こそ……」


 私はそれから危なくない距離を取って隣に並んで、小さな骨を割ったり、大きな鍋で血抜きの準備を始めたりした。

 黒装束をまくった肘から下の筋ばった腕が妙に気になってドキドキしてしまう。振りかぶって叩く時の、腕の形が綺麗だと思った。


「…………」

「…………」


 ドン、ドン、と骨をぶつ切りにする音が響く部屋、私もシノビドスも無言だった。いつもならいくらでも出てくる雑談が、なんだか全く湧いてこない。オーブンの前にいる時みたいに、顔がなんだか熱くなってしまう。熱でもあるのかもしれない。


 鍋にどぼどぼと骨を入れ、アク抜きの準備は完了だ。

 私が作業している間に、シノビドスがチャチャッと道具を洗いおえてくれた。


「……終わったね。ありがとう」

「い、いや……力になれて良かったでござるよ……」


 お互い声が裏返っている気がする。

 ギクシャクとしながら、私はあっと思い出した。


「あっシノビドス!! お夕飯!!! お夕飯食べる!?」

「いいでござるなあ!! あっ拙者、ちょっと部屋換気するでござるよ! 風の術で! ビャーッと!」

「うん、ビャーッとね!! ビャーッと!!! お願い!!!」


 シノビドスは風のようにたちまちいなくなる。私はキッチンに向かいながら、とりあえずグラスで水を飲んだ。


「……一体どうしちゃったんだろう、私。疲れてるのかな」


 シノビドスのおかげだろう、食堂のテラスからキッチンまで、心地よい風が吹き抜ける。私は光輪が風に流されて、頭上から少し離れた場所でふわふわ揺れるのを眺めていた。


 男の人だーーそうと感じた相手を「怖い」と思わなかったのは久しぶりだった。


 カスダルから常日頃暴力的な扱いを受けていたことは勿論、討伐パーティに加入して魔王城通いをするようになってからは、見かける冒険者の人たちの荒っぽさが怖くて体が強張ることが多かった。

 もちろん、優しい人や頼りになる人がいっぱいいるのも分かっている。カスダルみたいな人は、少数派だってわかっている。

 けれどどうしても、男の人を「あ、この人は男の人なんだ」と認識した瞬間、私は多かれ少なかれ肝がヒヤッとしてしまう。


 だからシノビドスの腕力や、手の大きさを自覚した時ーーいつもの私なら怖いと思っていたはずなのだ。


 風は心地よい。水も二杯も飲んだ。それなのに火照った変な感覚がどうしても抜けない。


「……どんな顔をして、今夜過ごせばいいんだろう」


 一人呟いたところで、足音が近づいてきた。

 私は我にかえって急いで、魔法冷蔵庫を開いて夕飯作りに取り掛かった。


 ーーそれから一晩かけて、私は獣オーク骨スープを煮込むことにした。翌朝はむせ返るような獣オーク骨スープ臭でいっぱいになった台所で、スープに合わせた麺を作る予定だ。


「きっと明日はすごいことになるわね……」


 寝る前、ベッドで光輪に話しかけた私は知るよしもなかった。

 まさか翌日、獣オーク骨スープ臭むせ返る聖女食堂に、が来るなんて。

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