第10・11話 「聖女」を脱ごう。街に出よう。

 ひとしきり叫んだのち、私は溜息をついて空を見上げた。


「……本当に、勝手な男だったなあ……」


 空には真っ白な雲が暢気に浮かんでいる。日差しも心地よくて、天気だけは最高の日和だ。

 とにかく、今は過去に囚われて立ち止まっている場合ではない。

 公園で憩う人々を眺めながら、私は今後について考えることにした。


「とりあえず、修道院の非正規聖女求人を探して……うーんでも、王宮のお誘い断った上に、斡旋された修道院から強制還俗しちゃった私が、もう一度紹介してくださいというのも気が引けるし……悪い評判はすごい付き纏ってるし……うーん、もういっそ、聖女に全く関係ない未経験の仕事をしようかしら……」


 考えている私の視界の端を、ぼろぼろの人たちが歩いていく。


「冒険者の人たちだ」


 魔王の森に仕事に行っていたのだろう。彼らは疲れ切った様子でなんとか歩を進め、冒険者ギルドに帰還している様子だった。魔王に挑むのは貴族子息の優雅な通過儀礼だけど、魔王の森に素材を取りに行く冒険者の人たちにとって、魔王の森での仕事は大変な労務だ。


 魔王城の近くには宿場町も近くにないので野営必須だし、一度傷を負って帰還してしまえば馬車代で赤字になることもあるという。


「あの馬車の停留所あたりに、ちょっとした体を休める場所があればいいのだろうけど……」


 魔王の森の近辺に宿場町がないのはそれなりの理由がある。あの辺りは穢れた土地と言われているので、定住して商売を興そうとする人がいないのだ。

 怖いもの知らずの冒険者さんたちでさえ、野宿を重ねると穢れると思っているのだから、根深いもので。


「そうだわ」


 私はふと気づいた。

 あの辺りに、私の居場所を作ってしまうのはどうだろうか。

 ありがたいことに手切金でそれなりにお金はある。


「うん、駄目でもともと。自由になれたのだから、なんでもやってみないと!」


 気合を入れて立ち上がると、ふわりと白装束が風に揺れる。

 そんな私を見た通行人が呟いた。


「あ、聖女だ」

「一人で何してんだろ」


 自分にとっては着なれた装いだから忘れていたけれど、聖女の白装束はかなり目立つ。私はスカートの裾を摘んでみた。


「そうだ。この格好じゃ目立つわよね。光輪も隠さないと……」


 まずは古着屋に行こう。確か新市街通りで古着の露天市をやっていたはずだ。

 普通の女の子らしい服に着替えて、そして馬車に同行してくれる人を探す。

 ちょっとした可愛い服を着て、聖女を着替えて新しい人生だ。


ーーー


 ーー小一時間後。

 私は聖女らしからぬ黒地の膝丈のスカートに、花の刺繍が入った白ブラウス、しっかりした花柄生地のコルセットに、飾りの白エプロンをキュッと締めた装いになっていた。さらに、スカーフを三角に折って頭に巻けば、光輪もその中に押し込むことができた。


「よし! これで一般婦女子だわ!!!!」


 着替えを済ませると、空はすっかり茜色に染まっていた。

 早足で私は冒険者向けの宿屋に向かい、宿を取る。

 一人で宿泊しようとする私に、宿のおじさんが不思議そうな顔をしてみせた。


「君、女の子一人かい? 珍しいね」

「ええ。冒険者として働く兄に会いにきたんです」


 嘘も方便。普通の女の子っぽい笑顔で私は答える。


「そうか。柄の悪い連中には気をつけるんだよ。娘くらいの年齢の子を見ると心配でね」


 おじさんは親切に、女性客が多い階の部屋を取ってくれた。優しい。

 部屋を確保した私は、早速宿泊客たちがたむろする食堂兼酒場に向かった。

 日が落ちる前から既にアルコールの匂いと煙草の匂いが立ち込めた食堂兼酒場は、定食を食べる人からお酒を傾ける人まで、狭い空間でガヤガヤとひしめき合っている。


 私は女冒険者さんのパーティを選び、そっと話しかけた。


「すみません。明日乗合馬車で魔王の森の近くに行きたいので、その間だけお姉さん方と同行させてもらえませんか? もちろん依頼としてお金はお支払いします」


 私の申し出に、傷がたくましい女性冒険者は笑顔で応じる。


「いいわよ。女の子ひとりだと馬車乗るのも怖いしね」

「ありがとうございます!」


 交渉を終え、私はほっとした気持ちで宿の部屋に戻り、ベッドに寝そべった。

 階下では賑やかな食堂の声がする。

 視線だけで窓外を見れば、陽が落ちて紫の空に、街の灯りがぽつぽつと柔らかく輝いている。

 なんだかどっと、一日の疲れが溢れてきた。


「疲れた……寝よう」


 頭に巻いたスカーフを外すと、ぷかりと光輪が宙に浮かぶ。


光輪わっかもおやすみ」


 私が布団に潜り込んで眠りに落ちていくと、合わせて光輪も輝きを失い、枕の上にころんと転がった。


ーーー


 翌日。

 早朝から女冒険者の皆さんと共に乗合馬車に乗り、昼過ぎには魔王城そばの停留所へと到着した。

 冒険者さん達と別れて、私は先日爆発を起こした倉庫を確認しにいく。

 もともと廃墟だったそこは、あの日爆発したままだ。


「お嬢ちゃん、そんな所で何をやっているんだい」


 すると明らかに冒険者という身なりではないおじさんに声をかけられた。ごく普通のパンツにジャケット、ハンチングを被った男の人だ。手には箒を持っている。


「突然失礼します。おじさま、この停留所を管理しているメイタルト村の方ですか?」

「ああ、そうだけど」


 質問に質問で返されて、おじさんの心配する親切な表情は一転、露骨に疑り深いような顔になった。私を上から下まで眺め眇めつ、警戒を露わにしている。


「君みたいな女の子が、どうしてまた……」

「実はこの倉庫を爆破したのは私なんです」

「えっ」


 驚くおじさんを前に、私は頭に被ったスカーフの一辺を捲る。

 窮屈そうにしていた光輪が、ぽんと飛び出して存在を主張するように淡く輝いた。


「え、君、聖女様かい!?」

「はい」

「待ってくれ。倉庫を爆破したとか、聖女様が一体……村に用事なんて……」

「村長さんに、倉庫を爆破したことをお詫びしたいのと……少し、ご相談したいことがありまして。顔繋ぎをお願いすることは可能でしょうか?」

「まあ、それくらいなら別にいいけれど……」


 しかし君みたいな子がなんでまた、そんなことをぶつぶつと首を捻りながら呟きつつ、おじさんは荷馬車に私を乗せ、そのまま村まで送ってくれた。


「帰りは最終の乗合馬車に間に合うように帰るんだよ?」

「はい。ご無理を聞いてくださってありがとうございます」


 馬車に揺られながら、私は景色へと目を向けた。

 徒歩でも大したことのない距離だけど、荷物が多いから荷馬車を使っているらしい。すぐに村と畑が見えてきた。

 周囲の畑は半分ほど耕作が追いついておらず、耕作地の半分ほどに草がぼうぼうに生えている。集落は遠目から見ても半分ほどは廃墟に近いボロ屋だった。

 耕作が追いつかない畑に、明らかに修繕が追いついていない家屋。

 働き盛りの男手が不足した集落の、典型的な状態だ。


(やっぱりね……)


 魔王の森に通っていた頃から気になっていた村だったが、やはり予想は当たりだったようだ。ここは恐らく、訳ありの人々だけが暮らす村。

 村に入った荷馬車は、一旦厩に戻される。そこから私はおじさんに連れられて村長宅に向かうことになった。

 外の人間、しかも聖女が来たのが珍しいのだろう。人が続々と集まってきた。


「女の子だ」

「聖女?」

「頭の輪っか、何あれすごいでかい」

「物とか乗るのかな」

「焦げるかな」


 私が村長宅にお邪魔して応接間の椅子に座った頃には、窓の外にはびっしり村の人たちが顔をくっつけていた。物珍しい来訪者くらいしか娯楽がないのだろう。

 村長さんは年老いたおじいさんで、片目を怪我で失っていて、足が不自由なのだろう、杖をついてようやく歩けるといった様子だった。

 出された水が入ったコップも少し欠けている。


「で、つまり……」


 私の自己紹介や事の経緯を聞き終え、村長さんは、話を切り出した。 


「君があの倉庫を壊したというのだね」

「申し訳ありません」

「あの倉庫は元々私たちが王都の商人に貸し出していたが、その後賃料を踏み倒されて、そのままになっていたものだ。元々壊れていたものだったし、そう気にしなさんな」


 村長さんの話によると、あの馬車の停留所の敷地は村所有の敷地で、王都の商人や貴族家から利用料を取って収益としているらしい。不動産収入があるというのは旨みがありそうな話だけど、どう見ても村の経営が安定しているように見えない。

 やはり、踏み倒されたり安く抑えられたりすることが多いのだろう。

 私は単刀直入に切り出した。


「あの倉庫の場所、私に貸してもらえませんか? 倉庫を一旦解体して、食堂を開きたいんです」

「食堂……?」


 村長さんが隻眼を剥く。外の野次馬さんたちもざわざわし始めた。


「あんな女の子が食堂……?」

「こんな土地に食堂を建てても、どうせ穢れてるとか難癖つけられて売れないんじゃないか?」

「勘弁よ、また踏み倒されるなんて……」


 外野の声を聞きながら、村長さんも渋い顔をして顎をさすった。

 もしかしてこの野次馬さんたちが放っておかれているのは、リアルタイムに村の総意を聞くための意味もあるのかもしれない。なるほど。


「ヒイロさんと言ったかね。聖女様とはいえ、若い女の子一人がいきなり治安の悪い場所で、食堂を切り盛りするなんて無謀としか思えない。諦めなさい」

「……わかりました。ところで」


 村長さんが言いたいことはわかる。ここで押し問答をしても意味がない。私は窓の外の野次馬さんにも目を向けながら、笑顔で提案した。


「村長さん、お腹すいていらっしゃいませんか?」

「いつだって空腹さ」


 苦笑いを返される。私はことさら明るい態度で、手をぱん、と叩いた。


「ではお近づきの印に、私の料理を食べていただけませんか? 皆さんも一緒に。台所をお借りできれば、後は材料もここにありますし」


 ここ。そう言って私が指さしたのは頭上の光輪だ。


「あの光輪食えるのか?」

「もしかして揚げ物?」


 野次馬さんが困惑気味だ。流石に光輪は食べられません。美味しそうに見える時もたまにあるけど。


「私の二つ名は『大地に愛されし聖女』。人呼んで粉物の聖女です。無限に出てくる粉物で、皆様にご馳走させてください」


 あちこちから「お腹すいた」「せっかくだし作ってもらおうか」と声がする。村長さんはしばらくじっと考えていたが、


 ぐううう……。


 お腹の音で、私の提案に快諾してくださった。やったね!

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