第45話「こんなに楽しいなんて」
「ふぅ……疲れた……」
ようやく休憩時間を貰えた。僕はテントの中に用意されたパイプ椅子に腰かける。まだメイド服を着たままだから、スカートなのに足を広げてはしたないとは分かっているけれど、肉体的にも精神的にもヘトヘトだ。なんせ女装までして働かせられたのだから、羞恥心が半端ではない。
「お疲れ様」
「あ、ありがとう……志乃さんこそ」
メイド姿の志乃さんが隣の椅子にゆっくりと腰を下ろす。両手でスカートの後方を押さえ、ヒップラインをなぞりながら座る。その些細な仕草一つ取っただけでもあまりにも美しくて、絵画にして美術館に飾られてもおかしくないほどの優雅な光景だった。みんなが天使だ天使だと騒ぐのも納得できる。
「あなたも凄いわね。恥ずかしくないの?」
「え、いや、恥ずかしいよ……」
志乃さんの尋ね方が煽っているようで、心にグサリと突き刺さる。公然で女装という醜態を晒し、家族に何百枚も写真を撮られたんだ。恥ずかしいわけがない。もはや男としての尊厳を傷つけられたと言ってもいい。こういう出来事が大人になったら黒歴史として記憶に残って、思い出す度に恥をかくんだろうなぁ。
でも……
「でも、何だかんだで楽しいんだよ。みんなでこうして盛り上がれるのって。確かに恥ずかしいけど、みんなが楽しそうにしてたら、それでいいかなって……」
「そう……」
僕達のお店に来てくれたお客さんが、みんな満面の笑みで帰っていく。そして、クラスメイトも楽しそうに料理を作り、接客をしている。やっぱり文化祭は楽しいものだ。みんなの力で何かを作り上げ、心の底から楽しむ時間はかけがえのないものだ。
「だから、志乃さんと働けてよかったなぁ」
「え?」
「志乃さんの可愛いところが見れたし、一緒にお店ができてすごく楽しいよ♪」
「え……か、可愛っ……え?///」
「可愛い」という言葉に過剰に反応し、慌てふためく志乃さん。彼女のメイド服姿という国宝級の絶景を拝むことができて、しかもそんな綺麗な彼女が僕の恋人という事実が未だに信じられない。
これまで呪いの存在が心の中で足かせとなって、上手く伝えられなかったけど、やっぱり志乃さんは可愛い女の子だ。たとえ呪いを受け継いだことで手に入れた容姿だとしても、こんなに可愛い彼女ができたこと以上に誇らしいことはない。
「あ、ありがとう……///」
「あ、ご、ごめんね……急に可愛いなんて言っちゃって……///」
「いや、だっ、大丈夫……///」
自分で言っておいて何だけど、僕まで恥ずかしくなってきた。僕の言葉で照れる志乃さんがますます可愛く見えて、バクバク鼓動する心臓の音が聞こえないか心配になる。
「ねぇ、せっかくだからさ、この後一緒に文化祭回らない? 色々見てみたいでしょ?」
「でも、すぐに仕事に戻らないとダメでしょ? 私達、一日目の担当なんだし。どうせ明日は一日中自由に回れるんだから、明日でもいいじゃない」
「一日目しかやらない屋台とかイベントとかもあるしさ。志乃さんと一緒に回りたいんだ」
僕は照れくさそうに志乃さんに手を差し伸べる。みんなと盛り上がれるのが楽しいとか言っておきながら、早速サボろうという思考に働くなんておかしすぎる。自分のクラスの出し物を放り出し、恋人と遊びに行くなんて身勝手にも程があるだろう。
でも、もしかしたら、人には滅多に見せない志乃さんの一面を見て、欲張りになってしまったのかもしれない。
「しゃーないなぁ……」
サッ
カーテンを開けて、テントに星羅さんが入ってきた。彼女もメイド服を着用しており、黒いスカートをふわりと揺らしながらたたずむ。
「私が午後のシフト代わったるわ。二人で回りぃや」
「いや、流石にそこまでやらなくても……」
志乃さんが申し訳なさそうに口にする。星羅さんは二日目のメイド担当だ。今日一日文化祭を見て回りたいだろうに、その自由を僕達に譲ると言い出した。
「ええねんええねん! 私らに任せとき!」
「私ら?」
星羅さんは一人の男子生徒を引っ張ってきた。なんと、照也君がメイド服に身を包み、頬を真っ赤に染めながら僕達の前に顔を出した。彼はかなり体格がいいから、大きめのサイズのメイド服であってもパツパツで、女装感が全面的に出ていた。
「なんで俺まで……///」
「私らに任せて、あんたらはデート楽しんできぃや!」
「デッ……///」
「ありがとう! 二人共!」
最高の親友と出会えて、僕達は凄く幸せだ。
* * * * * * *
「うぅぅ……もう動けん……」
「お疲れ~、なかなかいいメイドさんやったで♪」
「うるせぇな……」
材料が足りなくなる頃合いを見て、優樹達のクラスは店仕舞いを始めた。テーブルや床を吹き、食器類を洗って乾かす。メイド喫茶という看板を掲げた効果は凄まじく、一日中大盛況となった。こちらから注文をストップさせなければ、手に負えなくなるほどだった。
「んで、どうやったん? 私のメイドは?」
「どうって……何だよ?」
「だから、感想やて! 私のメイドはどうやったかって聞いてんねん!」
星羅はタオルを首に巻いてぐったりとする照也に迫る。周りが制服やクラスTシャツに着替える中、彼女だけが未だにメイド服に身を包んだままだ。照也に絶対に言わせなければ気が済まないと強く訴えるように、自身のメイド姿を見せびらかして感想を求めている。
「女子に散々似合ってるって言われてただろ」
「そうやけど、まだあんたからは感想貰ってないやろ!」
「なんで俺まで言わなきゃいけねぇんだよ……」
「せやからはよ言わんかい! まっ、どうせいつもみたいにディスるに決まってるやろうけど」
星羅は貶されることを覚悟に、強引に感想を求める。今まで普段のメンバーで買い物に行き、洋服を試着して感想を求めたことは何度かあった。だが、一度として照也が褒めてくれたことはなかった。
自分の元からのがさつな性格もあるだろうが、女性として見られないことは屈辱的だった。いつしか、照也に自分を異性として意識させることが目標となっていた。だが、彼の反応を見る限り、今回の文化祭でも望み薄なようだ。
「……似合ってるよ」
「ほれみ! やっぱ似合ってな……え……?」
星羅はきょとんとした顔で照也の顔を見つめる。彼はいつの間にか再び頬を赤く染め、そっぽを向いていた。どうせいつものように心ない言葉を投げかけられるだろうと思い込み、表情をまともに見ていなかった。だが、照れくさそうに言葉を振り絞る彼の様子を目の前にして、星羅は呆気に取られた。
「に、似合ってるん……ほんまに?///」
「だからそう言ってんだろ! こういう雰囲気になるから言いたくなかったんだよ!///」
星羅は自身の頬に熱が集中しているのを感じ、もじとじと体を縮こませる。まさか褒めてくれるとは思っておらず、予想外の変化球を受け止めきれずに慌てふためていている。普段のおちゃらけた様子から一変、まるで告白されたように紅潮する。
いや、もはや彼からの褒め言葉は告白と同然だった。あれだけ自信満々に見せびらかしていたメイド服も、今になって急に恥ずかしくなってきた。
「だったら、初めからそう言うてくれればええのに……///」
「そんな堂々と言えるわけねぇだろ……す、好きな女に……堂々と『似合ってる』なんて……///」
「へっ!? すっ、好き!?/// な、なんでそれは堂々と言えて、『似合ってる』は言われへんねん!///」
「あー、もう! どうだっていいだろこんなこと! さっさと店片付けるぞ!///」
「ちょっ、待ちぃや!!!///」
頑なに顔を見せない照也を、星羅は汗をダラダラに流しながら追いかける。
「ありがとう、優樹君。文化祭がこんなに楽しいなんて思わなかった」
「志乃さんが楽しめたようでよかったよ。明日も一緒に色々回ろうね!」
志乃さんは相変わらずの不器用な笑みを浮かべながら、玄関のドアを閉める。僕達は時間ギリギリまで屋台の料理や演劇の観賞を楽しんだ。当然志乃さんもこんな経験は初めてであり、好奇心を抑えられない彼女を隣で眺める時間は最高だった。
母さんと姉さんも今日一日楽しみ、帰りに車で志乃さんを彼女の自宅まで送迎してくれた。これから僕も自宅に戻るのだ。助手席に座りながら、僕は今日の分の日記を書く。
「あんたの彼女、なかなか綺麗な子じゃない」
「いやぁ、それほどでも……」
「あんたは褒めてないから」
夜道を運転しながら姉さんが話しかけてきた。後部座席で疲れて寝ている母さんを、起こさないように小さな声で僕に言う。
志乃さんの容姿が呪いを受け継いだものによることや、そもそも彼女の呪いの存在自体も、姉さんや僕の家族はまだ知らない。それでも、僕に恋人ができたことに大しては凄く喜んでくれている。姉さんにもずっと思いを寄せていた先輩と恋人になれて、僕の恋路を気にかける余裕ができたのだろう。
「大事にしてあげなさいよ」
「うん、姉さんもね」
「あんたに言われなくても分かってるわ」
お互いに微笑み合う。理解のある家族に恵まれて、僕は凄く誇らしい。父さんや母さんには馴れ初め話を散々聞かされ、姉さんには恋愛モノの韓国ドラマを見せられて半ばうんざりしている。それでも、志乃さんに思いを寄せる日々の中で、家族の存在は僕にとって清涼剤になってくれていた。
志乃さんと恋人になって、辛く苦しい日々が待っていると思っていた。でも、思ったよりも光に満ち溢れていて、とても幸せだ。志乃さんを好きになって、本当によかった。
「それにしても、母さんから聞いて驚いたよ。彼氏さんのこと、『たっくん』って呼んでるんだって? 姉さんも案外可愛いところあるんだね♪」
「……あんたのメイド写真、ネットに拡散するわよ」
「ひぃっ!? ごっ、ごめんなさい!!!」
調子に乗ってからかう僕を、姉さんはいつぞやの鬼の形相で睨み付けてくる。この世界は、多くの人が誰かを愛しながら、思いながら生きている。志乃さんが今日初めて文化祭の楽しさを知ったように、今の僕も同じ気持ちで胸がいっぱいだ。
誰かを好きでいる日々が、こんなに楽しいなんて。教えてくれてありがとう、志乃さん……。
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