第46話「乱射」



 文化祭二日目。昨日と変わらず、学校は大盛り上がりを見せていた。正門前の大通りに並ぶ屋台では、美味しそうな匂いが漂い、体育館のステージでは軽音楽部がバンド演奏を披露する。各教室でも自分達のクラスの模擬店を繁盛させようと、生徒達が身を粉にして働いていた。


「志乃さん、どこから回ろうか」

「それじゃあ、優樹君のおすすめを紹介してくれる?」

「えへへっ、おすすめかぁ~。迷うなぁ~」


 今日も優樹は締まりのない笑みを浮かべながら、志乃と文化祭を巡る。結局自分達のクラスのメイド喫茶では、一日目の午前中しか働いていないが、クラスメイトの粋な計らいで予定通り今日一日自由に文化祭を回ってよいと言われた。

 クラスメイトの表情がやけにニヤついていたため、優樹が志乃と交際していることが既に知れ渡っていることは明白だった。志乃の以前のような冷たい態度から、誰かと付き合うなど衝撃的な行動だが、意外と周りからの印象は好意的なようだ。特に女子生徒は静かに交際を応援してくれた。


「それじゃあ、昨日行けなかったお化け屋敷なんてどうかな? 結構怖いって噂だよ」

「あら、それは楽しみね」


 以前の彼女ならば、「くだらない」「興味ない」と冷たくあしらっていた。しかし、文化祭の楽しさを覚えた彼女は、何より愛しの恋人と巡ることができる幸せを噛み締め、反応が温かくなっている。からかうような笑みが逆に優樹をドキドキさせる。


「そうだ、照也君も一緒に……って、あれ?」

「照也君なら星羅と一緒に3年生のジェットコースターに行ったわよ」


 志乃の言葉を聞き、照也と星羅が今朝からぎこちない雰囲気になっていたことを思い出す優樹。そもそも、昨日の午後のシフトを代わってもらい、志乃と十分文化祭を楽しんで戻ってきてから、二人はやけにお互いに恥じらいを感じている様子だった。だが、極端に気まずい空気というわけでもなかった。


「ふふっ、めでたいね」


 優樹は二人のほのかな幸せを察した。








 その頃、フードを深く被り、サングラスをかけた中年の男が、正門を潜って校内にやって来た。文化祭を楽しもうと集まる一般客の群衆に紛れ、屋台の列を眺める。しかし、美味しそうな料理や楽しそうな生徒達の様子を、男は表情一つ変えずに真顔で見つめていた。その背中には、ギターケースのような細長いバッグを背負っていた。


「……」


 男は一つ深呼吸をして、校舎へと歩みを進めた。








「ん~、美味しいね!」

「後味がすっきりしてるわね」


 優樹と志乃は中庭のベンチに腰かけ、ミックスジュースを口にする。ある程度の模擬店は回り尽くし、足が疲れたので休息を取ることにした。昨年は志乃はずっと図書室にこもって読書をしていたらしいが、優樹と共に巡って初めて文化祭の華やかさを目の当たりにした。心が踊るという感覚を初めて経験した。

 クラスのTシャツにも初めて袖を通した。前後に文化祭の日付とロゴが記されただけのシンプルな白シャツだが、優樹と同じものを着ているだけで、彼と心が一つになれたような気がした。


「色々ありがとう、優樹君」

「いいんだよ、僕も志乃さんと一緒に回れて楽しかったよ♪」

「うん、あっ……そろそろ連絡が……」

「連絡?」

「えぇ、今日泰士君も文化祭来てくれるって言っててね」

「ああ、泰士君も来るんだ……」


 志乃は制服のスカートに手を入れ、スマフォを探る。泰士は午前中は居合の稽古で忙しいが、午後からは来ることができるという。元恋人の晴れ舞台をぜひ拝みたいと言っていたが、今日はシフトが入っていないことを伝え忘れ、罪悪感を抱く。

 泰士の名前を聞き、優樹の眉が垂れる。泰士は優樹との対決には勝利したが、波乱の展開の末、志乃は最終的に優樹を恋人として選んだ。泰士も彼女の選択を認め、優樹に恋心を託して身を引いた。だが、未だに繋がりが切れていないことから、まだ元彼氏に気があるのではないかと、優樹は小さな嫉妬心に駈られる。


「あら……ごめんなさい。スマフォ、教室に置いてきたみたい。取ってくるから待ってて」

「う、うん……」


 志乃はベンチに優樹を置いて、自分のクラスの教室へと向かう。優樹は妙な胸騒ぎがした。志乃がまだ泰士と繋がりが残っていることも確かだが、今朝からやけに心に引っかっているものがある。何か大事なことを忘れているような違和感が胸をくすぐる。




「あっ、浅野!」


 ふと、通りすがりの陽一に声をかけられた。よりによってなぜこの男と出会うのかと、優樹は最悪な気分で彼の方へ顔を向ける。

 陽一は両脇にパンパンに膨れ上がったゴミ袋を抱えていた。どうやら屋台で出た割り箸やプラスチックのパック、紙コップなどが入ったゴミ袋を運んでいるようだ。大方実行委員に手伝うよう頼まれたのだろう。


「丁度いい! ゴミ運ぶの手伝え! 昨日の分が溜まりに溜まってんだ!」

「なんで僕が……」

「いいから来い! 俺ばかりパシリにされてたまるか!」


 陽一は優樹に付いてくるよう促す。憎き彼に付き合うのは面倒だが、断ると更に面倒くさいことになりかねない。優樹は深いため息をこぼしながら、彼の後を追った。






「はぁ……ゴミはこれで全部?」

「ああ、後は業者が回収してくれる」


 優樹と陽一は大量のゴミ袋を、文化祭の二日間のみゴミ置き場として利用している美術室に置く。共に働く仲間ではあるが、普段の志乃に対する陽一の態度を思い出すと、心の底から怒りが込み上げてくる。散々志乃の陰口を叩いていたことを、優樹は当然許さない。

 これ以上彼と同じ空間にいると心を乱しそうになるため、優樹はそそくさと技術室を出ようとする。




「……なぁ、浅野」


 すると、優樹がドアを開ける直前、陽一が声をかけて彼を制止させる。




「お前、宮脇とどういう関係なんだ?」

「えっ……」


 予想外の質問が飛び込んできて、優樹は驚いて陽一の方へ振り向く。彼は普段のように調子に乗っておちゃらけた様子はなく、非常に真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。こんなに真面目な表情の彼は初めて見るのではないか。優樹は美術室の内周をゆっくりと歩き、気持ちを落ち着かせる。


 金輪際嘘やごまかしのない人生を送りたい。そもそも、人を騙すことは元来苦手だ。


「……付き合ってるよ」

「やっぱりそうだよな……」

「知ってたんだね」

「当たり前だろ。昨日あんなに仲良さそうにイチャつきながら文化祭楽しんでるところを見りゃ、誰だって分かるに決まってんだろ」

「べ、別にイチャついてなんか……」


 相変わらず嫌みな口調が身に染みている陽一だが、その声はどこか寂しさを抱えているように感じた。志乃にとってもあまり交際は知られたくない事実だろう。よりによって陽一に弱みを握られてしまい、どんな悪巧みに利用されるか気が気でない。

 だが、普段の彼なら警戒するところ、今の彼にはそのような危険性は微塵も感じられない。そもそも、なぜ大嫌いな志乃との関係を知りたがっているのだろうか。




「羨ましいぜ……」

「え? まさか……」

「な、何だよ……笑いたきゃ笑えよ! 散々貶しておいて、好きになるとか馬鹿な奴だとか思ってんだろ!///」


 陽一が顔を真っ赤にして慌てふためく。昨日、志乃のメイド服姿を見た時からそうだったが、明らかに彼は志乃のことを異性として意識していた。日頃から陰口を叩いて性格の悪さを罵っていたが、彼女のあまりの美しさに心を射ぬかれ、印象がひっくり返ってしまった。それ以来、今まで心もとないことを散々口走ってきたことを酷く後悔した。


「い、今はお前が彼氏だけど、い、いつか俺も振り向いてもらえたら……///」

「陽一君……」




 カツンッ


「……ん?」


 上靴の爪先に何かが当たったような音が聞こえた。美術室の床に何かが落ちていた。優樹はしゃがんでそれを拾った。


「これって……もしかして……」


 それは、チーゴちゃんのキーホルダーだった。






「これって……もしかして……」


 スマフォを取りに教室に戻ってきた志乃。彼女は隣に置いていた優樹の鞄から、ほどけ落ちた物を拾った。それが何か気付いた瞬間、志乃の背筋が凍った。手元になくてはならない大切な物が、遠く離れたこの場所に置き忘れている。彼女はそれを握り締め、慌てて教室を出ていった。


「優樹君!!!」


 彼女が拾った物。それは、優樹の御守りだった。






 男は渡り廊下の真ん中に立ち、背負っていたバッグから一本のライフルを取り出した。通りすがりの生徒に銃口を向ける。


「え……」

「精々震え上がれ、ガキ共」


 ドンッ!!!

 凄まじい銃声が校舎内に響き渡る。男子生徒が撃ち殺され、窓に無数の血痕が飛び散る。肉片に絡み付く生々しい血液がガラスに付着し、窓の奥に広がる生徒達の笑顔に満ちた景色を覆い隠す。一人の男のどす黒い狂気により、華やかな文化祭は一気に地獄へと変貌した。


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