第35話「ただの友達」
あれから志乃さんとは夏休みの間に会えていない。普段のように苺スイーツ専門店に行こうと誘っても、家事の手伝いやお出かけをするからと、何かと理由を付けて断られている。あからさまに避けられているのが、頭の足らない僕でもよく分かる。脈なしの片想い男子のような扱いを受けている。
……いや、「ような」と言うと、かなり語弊がある。志乃さんと花火を見上げたあの日から、妙に心に挟み込んでくるこの気持ちにも、僕は気付いていたのかもしれない。
「えー、他に意見のある人は手を挙げてください」
謎にヒートアップした教室も、ようやく静まり返ってきた。文化祭の実行委員が黒板に字を書き込む音が消え去る。早くも夏休みが終わり、みんなが恐れていた二学期が始まってしまった。いざ始まってみれば夏休みだった雰囲気はあっという間に姿を消し、一学期と何ら変わらない日常が戻ってきた。
「それでは、この中から催し物を決めたいと思います」
二学期の授業が始まり、憂鬱な気分に襲われると思っていた僕達。しかし、多くの生徒が待ち望んでいた学校行事が、いい清涼剤になってくれた。今、僕達は10月に開催する予定の文化祭の、クラスの催し物を考えている。
射的、輪投げ、スーパーボール、たこ焼き、焼きそば、クレープ、チョコバナナ……夏祭りで見かける王道の屋台を推す者。演劇、お化け屋敷、面白動画、モザイクアート……手間がかかりそうな大仕掛けの催し物に挑む者。執事喫茶、メイド喫茶、男女逆転喫茶など、風変わりでネタ路線に走る者。色とりどりの催し物の名前で、黒板は埋め尽くされている。
「やっぱ王道のメイド喫茶っしょ!」
「ちょっと、女子にだけ恥ずかしい思いさせる気?」
「そういうの、今のご時世的にどうなの?」
「一年に一度の文化祭だぞ! いいじゃねぇかよ~」
クラスの男子の大半はメイド喫茶に投票するつもりらしい。女子からは批判の声が多数だ。でもまぁ、これだけ意見が分かれると、多数決でもしない限り永遠に決まらない。ここで男子に加担して女子に嫌われるのも嫌だし、僕は誰も注目してなさそうな屋台に挙手して難を逃れよう。
「……」
実行委員がどの催し物がいいか、一つずつ聞いている。ふと、視界の隅に志乃さんの紺色の長髪が映る。催し物の会議に参加することなく、ムスッとした表情で黙って見守り続けている。
文化祭の賑やかな雰囲気が苦手なのは、普段の彼女の態度と性格から大体推測できる。一年生の時も文化祭当日に彼女の姿を見たことはなかった。今年はどう切り抜けるつもりだろうか。
どうせなら、一緒に文化祭を楽しみたいな……。
『よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
突然、男女達からやかましいほどの歓喜の声が上がる。黒板に書かれたメイド喫茶の文字の下に、14と数字が刻まれる。なんと、案の定男子の大半がメイド喫茶に投票しており、多数決の結果が決定的となってしまった。文化祭当日、破廉恥な衣装を着て労働を強いられる女子の哀れな運命が決まってしまった。
「えー、えっと……というわけで、2年2組の催し物はメイド喫茶に決まりました……」
「そうそう! やっぱ文化祭はこうでなくちゃ!」
「最悪……」
歓喜する男子と絶望する女子。二つの感情に真っ二つに分かれた教室を見て、文化祭の闇のようなものを感じた。楽しい学校行事は、こうして誰かの犠牲の上で成り立っているのかもしれないな。
「……ほんなら、やろうやないか、メイド喫茶」
すると、星羅さんが満面の笑みで立ち上がった。星羅さんも女子だ。メイド喫茶なんて恥ずかしくて反対すると思っていた。だが、お転婆な彼女のこともある。案外乗り気だったりするのかも。
「おー、余程自信あるみてぇだな。頼むぞ、女子」
「何言うてんねん、あんたらも着るんやで♪」
「……へ?」
お、流れ変わったな……。
「文化祭のスローガン忘れたんか? 『ALL FOR ALL , ALL FOR ALL』やで」
「いつ聞いてもアホらしいスローガンだな……」
みんなはみんなのために、みんなのためにって……いかにも短時間でテキトーに考えたスローガンだ。でも、全員が全員のために悔いの残らない文化祭にするために働きかけるという、言葉に込めた思いの部分はなかなか良い。
「全員が満足する文化祭にするなら、全員が力を合わせることが大事なんや。ちゅーわけで、男女全員でメイド服着ようや♪」
「うぇっ、俺達もかよ!?」
「当たり前やろ♪」
「星羅ちゃんナイス!」
女子達から称賛の声が上がる。今まで安全圏にいた男子達の顔から、余裕の表情が消え去る。女子にばかり面倒事と恥ずかしい行為を任せようとしていた罰が、すぐに自分達に飛んできた。矢として目に見えたとしたら、見事なカーブを描いていたことだろう。何とも哀れな破廉恥集団だ。
ん、待てよ? クラス全員で着るってことは……僕も?
「……」
文化祭が嫌いになりそうになった。
「志乃さん、帰ろ!」
「うん」
その日の授業が全て終了し、僕は志乃さんに声をかける。志乃さんは生乾きの返事をしながら鞄を片付ける。二学期が始まっても変わらず昼食と下校は共にしている。それでも、最近の彼女は何だか上の空というか、別のことで頭が一杯な様子だ。
僕には検討がついている。旅行の帰り際に現れた泰士君の存在だ。あの時の志乃さんの様子から、彼とは長い間会っておらず、数年ぶりの再会と見た。しかも、彼ははっきりと自分のことを『志乃さんの彼氏』だとはっかりと述べた。彼との間には、僕も想像のつかない深い関係があった。
「ねぇ志乃さん、この間会った……泰士君だっけ?」
昇降口に差し掛かったところで、僕は思い切って彼女に尋ねてみた。志乃さんは少し驚いたように目を見開く。例えが悪いけど、浮気現場を特定されて見つかった恋人のようだった。
彼女の反応から、どうやら二人が恋仲であることは間違いなさそうだ。あわよくば泰士君の冗談であってほしいと思っていた僕の願いは潰えた。とにかく、彼が何者なのか詳しく確かめる必要がある。
「えぇ」
「あの人って……」
「彼は昔、私と同じ尾崎村に住んでいて、私と同じ中学の二つ上の先輩だったの」
だとしたら、彼は今は19歳。どうやら歳上だったようだ。そんな人を君付けしてしまっていたのか。もう少し距離感を考えないといけないな。初めて会ったあの電車の中で、志乃さんがタメ口で話していたから同い歳だと思っていた。
だが、タメ口で話せていたのも、彼が志乃さんの恋人だったから……。
「ねぇ、泰士君と志乃さんってさ、昔……」
「なーに話してんだ?」
すると、下駄箱の影から声が聞こえた。その声に全身の産毛が立った。体の芯まで不快感に襲われているのが分かった。彼の声を聞いただけで怒りが湧き出てくる。
「陽一君……」
「いっちょまえに友達作って、ある程度の社交性はありますよーってか? 吐き気がするぜ」
クラスメイトの沖崎陽一君だ。日頃から気にいらない生徒を見つけては、陰口を叩いて嫌みをぶつけてくる最低な男だ。久しぶりに絡んできたと思いきや、志乃さんの方を見てニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべている。吐き気がするのは僕らの方だ。
「どいてくれる? 僕達、これから帰るんだから」
「フンッ、まさかこんな女と仲良くしようって奴がいるとはなぁ。どこまで続くか見物だぜ。どうせ一週間と持たねぇだろうがよ」
どこまでも横槍を入れてくる陽一君に対し、僕は密かに怒りを抑えた。本当は思い切りぶん殴ってやりたいところだけど、手を出してしまったら敗北を認めたことになりそうだ。何も知らないで好き勝手言ってくれる。僕と志乃さんはもう既に2ヵ月は関係が続いているんだぞ。
友達として……だけど……。
「じゃあね」
「それにしても、文化祭当日が楽しみだぜ。お前のだっせーメイド姿が見られるのがなぁ」
気にするな。無視だ無視。志乃さんのことを悪く言われて悔しいけど、相手にすると陽一君の思う坪だ。ここは怒りを圧し殺して、挑発に乗ってはいけない。
「えぇ、私も楽しみよ」
え、志乃さん?
「ブサイクなメイド姿を晒すことになるあなたの、哀れな顔を拝める日がね……」
「な、何だと!? もういっぺん言ってみろ!!!」
志乃さんの去り際のキレッキレの言葉が、陽一君の堪忍袋の緒を引きちぎった。陽一君は女の子相手でも容赦なく掴みかかる。志乃さんの首元のリボンと制服の上の灰色のベストが、陽一君の乱暴な手に引っ張られる。志乃さんがまさか陽一君の悪口に言い返すなんて。普段の彼女なら無視するはずなのに。
「ちょっと陽一君! 志乃さんを離してよ!」
「このアマ……調子乗りやがって……」
それより、僕は慌てて陽一君の腕を引き剥がそうと、彼に駆け寄る。このままでは志乃さんが本気の暴力を受けてしまう。誰がどう見てもまずい状況だ。
そうこうしているうちに、陽一君は拳を高く振りかざした。まずい……!
「……あ?」
しかし、陽一君の拳は志乃さんに届くことなく、空中で静止している。
「志乃に手を出すな」
そこには、陽一君の拳を寸前で掴み止める泰士君が立っていた。
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