第4章「生き抜く覚悟」
第34話「思いがけぬ再会」
時刻は間も無く午後7時を迎える頃だ。僕ら新幹線を乗り継ぎ、在来線へ乗り換えた。電車は疲労困憊な僕達を乗せて、静かな夜道を突き抜けていく。ガタンゴトンという緩やかな音と揺れが揺りかごのようで、体に溜まった疲労と相まって眠気を誘う。瞬く間に旅行最終日が終わりを迎えようとしている。
「いやぁ~、それにしても楽しかったなぁ~♪ 特に昨晩のあの花火ときたらもう……凄すぎて目ん玉飛び出そうになったわぁ~♪」
「星羅……静かにしてくれ……」
照也君が細い目をこすりながら呟く。みんなクタクタに疲れていて、自宅の最寄り駅に着くまで一眠りしたがっている。なのに、星羅さんが長々と旅の思い出を語るものだから、あまりの心地よさに身を預ける絶好の機会が台無しだ。
そろそろ照也君がマジ切れし始めそうで怖い。眠くなると人は気が荒くなると聞くから。かくいう僕も目を閉じて休みたいのに、安眠を邪魔するはしゃぎ声が鬱陶しくて仕方がない。
でも、眠れない理由は星羅さんのはしゃぎ声とは別に、もう一つある。
「……」
向かい側に座って、すやすやと寝息を立てる志乃さんの寝顔だ。横で星羅さんがやかましくしているというのに、よくぐっすりと眠れるものだ。
それよりも、彼女の寝顔があまりにも美しくて、僕は目を閉じるのにも勿体無さを感じてしまう。このまま目に焼き付けておいた方が逆に疲労回復に繋がるのではと、支離滅裂な思考に至ってしまう。
だって、そう思ってしまうほど顔立ちが整っていて綺麗なのだから。かれこれ一時間は見つめてしまっている。もはや絵画として売り出せるほどではないか。
「……///」
いかんいかん。これ以上眺めていたら、いやらしい気持ちで心が汚染されてしまいそうだ。若干頬も赤く染まりかけている。それでも、僕の瞳は磁石のように、志乃さんの綺麗な寝顔に吸い寄せられる。昨晩から自分の心境が上手く理解できない。一体僕はどうなってしまったんだろう……。
「おっ、もうすぐ志乃の家や。早いなぁ」
「こんなやかましい奴の隣でよく寝てられるな……」
「私のことを信頼しとる証やで♪」
「自分で言うな」
そうだ、そろそろ志乃さんの自宅の最寄り駅に到着する。残り3駅ほどで志乃さんとお別れだ。旅行が終了し、一旦家に帰るだけだというのに、まるで今生の別れのように異様なほどの寂しさを感じてしまう。
「
電車が七海駅に到着した。電車から数人の乗客が降りて、ホームからまた数人乗ってくる。七海町には僕の父さんと母さんの実家がある。お盆や正月の三箇日などでよく帰省している。しかし、今日はここが終点ではない。縁のある地に降りずに通り過ぎるなんて、何だか新鮮だ。
「発車します。閉まるドアにご注意ください」
ドアが静かに閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。星羅さんも流石に疲れたのか、口を閉じて窓にもたれかかる。車内にようやく静けさが戻ってきて、旅が終わる寂しさを倍増させる。志乃さんが帰ってしまう時間が着々と迫ってきて、上手く言葉にできないもどかしさが心を掻き乱す。
何だろう……帰したくないなぁ。このまま志乃さんとずっと旅を続けられたら……。
……って、僕は一体何を!?
「……あれ? 志乃?」
ふと、僕達の近くの座席に座ろうとした一人の男性が、志乃さんの寝顔を見つけて声をかける。背中に大きなリュックを抱えており、黒のパーカーに紺色のジーパン姿の背の高い男性だった。整った緑髪の隙間から、これまた綺麗な瞳が覗いている。何だろう……無駄にカッコいい人だな。
「んー、えっ……」
男性の声に気付いて、志乃さんは目覚める。両手で眠気を拭い、視界に男性の顔を捉える。彼の顔をはっきりと捉えた瞬間、志乃さんの口から言葉が失われた。
「た、泰士君……?」
「やっぱり、志乃だよね? まさかこんなところで会えるなんて……」
「な、なんで……」
泰士が乗り込んでくる。志乃さんは目を見開き、泰士という名前の男性をまじまじと見つめる。先程まで疲れに囚われてぐっすり眠っていた彼女の眠気は、台風で吹き飛ばされた枯れ木のように跡形も失くなっていた。それほどの力がこの男性に秘められていることに、僕も驚きを隠せない。
泰士君……君は一体何者なんだ……。
「次はー、
「あ、降りなきゃ……」
志乃さんの自宅の最寄り駅がすぐそこまで迫っていた。だが、泰士君との思いがけぬ再会を前に離れがたく、ホームと泰士君を交互に見る。彼女の反応からすると、彼とだいぶ親しい関係にあるようだ。
衝撃的だった。雄三さんのような大人ならともかく、まだ大学生ほどの年頃の若い男性の知り合いがいたなんて。普段からクラスメイトに冷徹な態度を見せている彼女からは、全く想像もつかない現実が次から次へと舞い込んでくる。
「泰士君はどこで降りるの?」
「俺はこの次の越河だよ。とりあえず、連絡先交換しよう! これ、俺の今のQRコード!」
「分かった」
「え!?」
なんと、泰士君はナチュラルに連絡先の交換を申し出た。いかにも慣れた素早い手つきで、スマフォの画面に自分のLINEのQRコードを表示する。志乃さんも電車が再び発車してしまう前に慌てて読み込み、友達登録をする。彼と繋がるのに全く躊躇しない。どうやら僕以上に親密な間柄のようだった。
「じゃあ、また連絡するから」
「うん、ありがとう」
二人の間を遮るように扉が閉まり、電車は志乃さんをホームに置いて走り出す。それでも、離ればなれになった二人が持っているであろう繋がりを絶ち切れないことを、泰士君を見送る志乃さんの笑顔が物語っていた。
あんなに簡単に志乃さんの笑顔を引き出してしまうなんて……。
「えっと……」
電車には泰士君を知らない僕らだけが残されている。彼のことを深く熟知しているであろう志乃さんがいない今、気まずさだけが僕らの間に漂う静寂に割って入る。
「ごめんごめん、急に出てきて……俺は
「よろしくなぁ。あんた、だいぶ志乃と親しいみたいやけど」
「ああ、同じ村の出身だからね」
「同じ村って……尾崎村?」
「君、知ってるのか?」
どうやら泰士君は志乃さんと同じ尾崎村の村民だったようだ。通りで彼女は心を通わせていたわけだ。志乃さんは村長さんを含め、尾崎村の村民にはとても温かく接していたから。きっと越河市に引っ越してくる前に、泰士君とも親密な交流があったのだろう。
「僕は浅野優樹」
「よろしく。志乃と仲良くしてくれてるみたいだけど、君達は友達なのか?」
「えっ……」
泰士君から予想外の質問が繰り出されて、僕は背筋が強ばってしまう。彼がどれだけ志乃さんと仲が良いのかは分からないけど、もし僕より親しい関係だとしたら……。そんなことを想像してしまう。
「と、友達……だよ」
「そうか」
そう答えることしかできない現状に、なぜかもどかしさを感じた。嘘は言っていない。これは事実だ。だけど、友達という言葉が僕と志乃さんの絆の程度の低さを証明しているようで、謎の恥ずかしさと不甲斐なさが込み上げてくる。
「次はー、越河ー、越河ー」
僕らの自宅の最寄り駅が近付いてきた。泰士君もここで降りると言っていた。みんなで重い荷物を引きずり、改札を通って外に出る。夜だから当然だけど、駅前は人通りが少なかった。旅行で心が浮かれていた僕達は、静かな現実へ引き戻された。
「じゃあな」
「また今度な~」
「うん、おやすみ」
星羅さんと照也君も駅前で僕と別れ、徒歩で自宅へと帰っていった。僕は駅前のベンチに腰を下ろす。姉さんが車で迎えに来てくれることになっている。泰士君はロータリーに停まっているタクシーへと向かう。どうやら最寄り駅とはいえ、自宅とはそこそこ距離があるようだ。
「それにしても、泰士君もだいぶ志乃さんと仲が良いんだね」
「そりゃそうだよ」
泰士君はタクシーに乗り込む。
「だって俺、志乃の彼氏だから」
「……え?」
「それじゃあ、また」
泰士君を乗せたタクシーのドアが閉められ、発車して遠ざかっていく。その後に訪れた静けさは、まるで世界から音が消し去られてしまったように恐ろしいものだった。たった一言でこの世の常識を崩壊させるような力が、彼の低い声に秘められていた。
「志乃さんの……彼氏……?」
彼の言葉がいつまでも頭から離れず、悪戯をするように僕の脳を痛め付けてきた。
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