第33話「友達と恋人」
「……」
ある程度観光を終え、僕達は熱海サンビーチを訪れる。既に夕日は水平線に差し掛かっており、オレンジ色に染まり上がっていく。昼間は砂浜と海水で戯れていた人だかりも、夕方が近づくにつれて水辺から離れていく。そして、志乃さんは周りを見渡す。僕達の会話に耳を傾ける者はいない。
「それで、本題はまだですか?」
「そうだったね」
誰も聞いていないことを確認し、雄三さんはズボンのポケットに手を入れる。熱海の名所を案内しながらごまかしていたけど、彼は志乃さんに伝えたいことがあって呼び出したのだ。
いつまでもはぐらかそうとする彼しびれを切らし、志乃さんはざっくりと尋ねる。僕も気になっておきながら、途中で忘れて純粋に観光を楽しんでしまった。
「渡したかったのは、これだよ」
雄三さんが取り出したのは、一本の小さなUSBメモリだった。片手で握りつぶせそうなほど小さい。この一本の存在をひたすらはぐらかそうとしていたと考えると、ため息がこぼれる。
「これは?」
「日本の四大呪詛は知ってるね?」
「ええ」
志乃さんは淡々と答える。僕も呪いの存在に慣れて、自然と覚えてしまった。現在彼女が抱えている「被恋慕死別の呪縛」。尾崎村に暮らす泉さんが抱えている「肝要健忘の禍」、そして雄三さんが抱えている「不老不死の厄」。もう一つは……何だ?
「残り一つは、『
「生け贄……」
僕は不吉な言葉に身震いする。今この場にいる者で、雄三さんと志乃さんの間でしか通じない会話が繰り広げられている。自分の全く知らない世界が、今は自分の見える場所で蠢いているのを感じる。いつの間にか呪いの存在が身近になってしまった僕も、恐怖を拭えずにいる。
「でも、現在は四大呪詛の中で、生け贄の契りだけはその存在が抹消されている」
「え?」
「これは、生け贄の契りに関する研究資料をまとめたものだ」
雄三さんはUSBメモリを志乃さんに手渡す。志乃さんは目を丸くして突っ立っている。生け贄の契りの存在が抹消されていると聞いてから、表情が強張っている。恐らく呪いの存在を知っている者の中でも、極秘扱いされている情報なのだろう。僕は物々しい様子で説明する雄三さんを見て思う。
「どうやってそれを……」
「コネだよ。全く便利なもんさ、あの人達は」
今も雄三さんを監視し続ける強面の男へ、僕達は視線を向ける。彼らは当然のことであるように、表情一つ変えず雄三さんを見張り続ける。詳細は依然として不明だが、彼が関わっているのは想像を絶する巨大な組織のようだ。こんな極秘情報まで入手できてしまうとは。
「僕も全てではないけど、ざっと目を通したよ。生け贄の契りは25年前には存在が確認されていたんだけど、その呪いを代々受け継いできた島を訪れた一人の少年の奮闘によって、突然存在が消滅したとされている」
雄三さんが語るには、生け贄の契りとは、四大呪詛と呼ばれる日本で名の知れた呪いの一つ。肉体を自由自在に強化できる能力を手に入れる代わりに、余命が残り10年になってしまう。
元々は南方のとある諸島の繁栄のために受け継がれてきたと言われているけど、現在は呪いの存在も島も消滅しているという。そんな少年漫画に出てきそうな物語が、実際に現実で起きているらしい。
ん、待てよ?
「……てことは、呪いには解除方法がある?」
僕はふと頭を過った可能性を恐る恐る尋ねる。
「ああ。今まで呪いは逃れられないものとして渋々受け入れてきたけど、もしかしたら僕らにも救いはあるかもね」
「……」
志乃さんは手に握られたUSBメモリを黙って眺める。
「やった……やったよ志乃さん! 呪いを解除できれば、志乃さんは自由になれる!」
呪いを抱えている志乃さん以上に、僕はが盛大に歓喜の声を上げてしまった。まだ解除できる呪いの存在を知っただけで、志乃さんの『被恋慕死別の呪縛』を解除方法が判明したわけではない。
「そうね……」
しかし今日、思いがけない希望が舞い込んできた。雄三さんが証明してくれたのだ。可能性はゼロではないことを。被恋慕死別の呪縛を消し去ることができれば、志乃さんは罪悪感と苦痛から解放される。
今まで絶対に不可能と思われていた恋愛を、志乃さんが自由に謳歌することができるようになるかもしれない。自分で望んで人を愛し、誰かに望まれて愛される。そんな幸せな日々を享受できる未来が、彼女の元に訪れるかもしれない。
「志乃さん! いつか絶対に呪いを解除させよう!」
「ええ」
僕と志乃さんは夕焼け染まるビーチで誓い合った。自分が抱えた呪い以外で絶対と信じることができなかったものが、新しく増える予感がした。この“約束”は、絶対だと信じることができそうだ。
「さぁ、もうこんな時間だ。暗くなる前に戻った方がいい」
「そうだね。雄三さん、ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
有力な情報を提供してくれた雄三さんに、僕達は深く頭を下げる。今朝は不安がっていたおぼつかない足取りは、自信を味方につけて軽やかに動いていた。
* * * * * * *
「……ん?」
ふと、雄三は遠ざかる志乃の背中を見て、首をかしげる。
「ああ……そうか……」
そして、もう一つの可能性を悟って呟く。
「……羨ましいなぁ、志乃ちゃん」
* * * * * * *
僕と志乃さんはホテルに戻る道中で、親水公園を横切る。今朝志乃さんと雄三さんが待ち合わせをしていた場所に戻ってきた。立ち止まってスマフォを取り出し、時間を確認する。
「もうこんな時間だ……そろそろホテルに戻らないと」
「そういえば、照也君と星羅はどこなの?」
「えっと……あ、もうホテルに戻ってるってさ」
LINEのアプリを開いてみると、先にホテルに到着しているというメッセージが残されていた。それにしても、元々予定していた志乃さんとの熱海観光を、見ず知らずの不老不死の男性を加えて楽しむことになろうとは。文面を見ただけで強烈な体験だ。
それでも、志乃さんが密かに恋人をつくって密会しているわけではないことを知って、僕は安堵した。旅の疲れも残っているが、それ以上に心配性から来る披露も蓄積されている。
「そういえばここ、恋人の聖地って言われてるんだってね」
「……私には無縁の場所ね」
疲れを紛らすために、僕は周りを見て呟く。太陽は完全に水平線に沈み、空がだんだんと色を失っていく。夜の闇に包まれようとする親水公園は、いつの間にか人だかりが増えていた。ほとんどの人達が浴衣を着ており、時刻は間もなく午後7時を迎える。
……そろそろか。
「ねぇ、ちょっと寄ってこうよ」
僕は夜風のように冷めた志乃さんをよそに、彼女をムーンテラスへと誘う。周りの人々はベンチや地面に敷いたレジャーシートに腰かけている。やけに多くの人が集まってきているけど、翼を広げた鳥のモニュメントの前には、誰もいない。丁度いい。
「これは?」
「ここに手をクロスさせて置いたカップルは、永遠の愛で結ばれるんだって。ちょっとやってみようよ」
「なんでよ」
「いいじゃん。恋人ができた時の練習だと思ってさ」
僕はモニュメントの前に設置された手形に、自分の右手を置く。志乃さんも仕方なく優樹の腕と自分の腕を交差させ、もう一つの手形に左手を重ねる。
「これでいいの?」
「うん」
「……恋人って未だによく分からないわ」
「僕も、何て言えばいいのか分からないや」
僕も恋人なんてできたことがないから、その存在の意味について問われても上手く答えられない。そもそも恋や愛の定義すら詳細に説明することができない。志乃さんの呪いを作った人なら知っているのかな。姿形の見えない事象は言葉にするのが難しい。
「……でもね」
ドーーーン!!!
僕らの頭上に巨大な花火が打ち上げられる。間に合ってよかった。今夜、熱海市花火大会が開催され、午後7時から打ち上げが開始されることを、事前に調べておいた。この景色を志乃さんに見せたかった。
「きっと、こういう美しい景色を一緒に見たいと思える人がいたとしたら、その人がきっと自分にとって好きな人なんだよ。一緒に美味しいものを食べたい。楽しいことをしたい。遊びたい。写真を撮りたい。そんな思いを誰よりも共に味わいたいと思える人のことを言うんだよ」
「それが恋人……」
志乃さんは夜空に花咲く数多の花火に釘付けになる。赤、黄、緑、青……色とりどりの花が瞬く間に咲き誇り、更に黒い海面に反射して神秘的な世界が広がっていた。観客はあまりにも美しい光景に目を奪われる。
「友達と何が違うのかしら」
「え?」
「そういうのは、友達と一緒にするものだって、最初に優樹君言ってたでしょ? 同じことを恋人ともするの? 友達と恋人って、何が違うの?」
「えっと……」
唐突に東大の受験問題並みの難問を繰り出してきた志乃さん。改めて聞かれると違いが分からない。全く本質の違うの言葉だけど、分別の付け方を理解していない自分に驚いた。
「つまり……」
「あ、志乃! 優樹君! こんなところにおったんか!」
「え? あ、二人共……」
答えを考えていると、後ろから星羅さんと照也君が歩いてきた。二人も花火大会が開かれていることを知って、よく見える親水公園に来たようだ。
「で、二人でこそこそと何話しとったんや♪」
「え!? べ、別に! 何も話してないから!」
「何や~? 怪しいなぁ~?」
「二人きりで花火デートか」
「違うよ!///」
含みのある笑みでからかう星羅さん。照也君までも冷やかしてくる。確かに、花火を見に来ている人達は、ほとんどが夫婦か恋人同士の男女だった。決してそうではないけど、端から見ればカップルに見られても仕方ない。
「あ、あの時のラブラブカップルだー!」
「ほんとだー! ラブラブー!」
「ラブラブじゃない!!!」
僕はため息をこぼしながら、再び志乃の方へ視線を向ける。美しい花火にうっとりしている。よかった、こういうのも好きじゃないと言い出す可能性もあったけど、心の底から楽しんでいるみたいだ。故に、余計に周りに勘違いされそうな空気を作ってしまって申し訳ない。
「はぁ……ごめんね、志乃さ……」
「綺麗……」
僕は言葉を失った。僕の目に飛び込んできた志乃さんの笑顔が、この世のものとは思えないほど美しかった。その表情を目に焼き付けた途端、僕の心を支えていた何かが崩壊したような気がした。
「ああ……綺麗だ……」
僕の視線は花火ではなく、志乃さんの笑顔にいつまでも向けられていた。今思えば、この日からだったのかもしれない。僕の中での運命が決定的なものになったのは。僕の掻き乱される心を隠すように、志乃さんが僕の胸に付けてくれたブローチが、花火に負けじと花咲いていた。
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