第36話「握れなかった手」
「誰だお前……ここの生徒じゃねぇな」
泰士君を睨み付ける陽一君。一応泰士君の方が二つ歳上だけど、若い見た目のせいか同年代と捉えられても無理はない。陽一君は容赦なく乱暴な口調で対抗する。
「志乃から手を離せ」
「あぁ? 部外者は引っ込んで……」
「離せって言ってるのが分からないのか?」
「ひぃっ!?」
泰士君も負けじと陽一君を睨み返した。その鋭い眼光があまりにも強烈で、熊を2,3匹倒していてもおかしくないほどの恐怖を感じた。陽一君は怯んで志乃さんから手を離した。
「い、いつまでも調子に乗ってんじゃねーぞ! お前の方がブサイクなんだからな!」
「お前、今なんてった?」
「ひぃぃぃ!?」
最初から黙っていればいいものの、陽一君は去り際に志乃さんに余計な悪口を浴びせてきた。またしても泰士君の怒りを買い、彼の熊殺しの眼光が再び突き刺さる。陽一君は戦隊ヒーローに倒された悪のしたっぱのように、これ以上ない小者感を漂わせて慌てて逃げていった。志乃さんを馬鹿にした報いだ。僕は精々した。
「志乃、大丈夫だった?」
「えぇ、ありがとう」
「泰士君、どうしてここに?」
泰士君の志乃さんを心配する顔が、周りの温度を変えてしまうくらいの暖かさを帯びていて、悔しい思いが込み上げる。本当は僕が陽一君から志乃さんを守りたかったのに。それにしても、どうしてここにいるのだろう。和服を着ていることから、先程まで居合か剣道の稽古でもしていたのだろうか。
「悟さんから聞いたんだ。志乃が藤川高校に通ってるって。志乃の家の住所は木原村長から教えてもらったよ」
長い間会っていなかったから、志乃さんの家や高校も知らなかったようだ。それなのに彼女の恋人であるとは、ますます泰士君の神秘性が増していく。
「そろそろ学校が終わる頃だと聞いて、迎えに来たんだ。まだまだ話したいことがたくさんあるから、四年分ね」
「ねぇ、志乃さん、泰士君、君達は……」
僕は知りたくなった。二人の間に結びつけられた関係の謎を。泰士君と志乃さんが親しげに接している様子を見れば見るほど、二人の親密さが頭から離れなくなる。一体彼はどうして志乃さんと恋人同士になれたのだろう。どうして呪いの対象として殺されていないのだろう。
彼は一体……何者なのだろう……。
「……君にも話しておいてもいいかもね」
三人で昇降口を出る。帰路に着きながら、僕は泰士君の昔話に耳を傾けた。
* * * * * * *
そんな彼だが、歳相応の感情も持ち合わせており、一年生の宮脇志乃に一目惚れをした。友人の連れでたまたま剣道の練習を見学しに来ていた志乃が、彼にスポーツドリンクを差し入れしたことがきっかけだった。突発的な出会いでありながら、泰士は告白を決意した。
「宮脇さん……俺、実は……あなたのことが好きです! お、俺と付き合ってください!」
「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします……」
志乃は羞恥心を圧し殺しながら交際を承諾した。彼女にとっても初めての恋人だった。泰士は先輩でありながら子供のように両手を挙げて喜んだ。
この頃の志乃は交友関係もそれなりに充実しており、中学生の女子らしい幸せな毎日を送っていた。恋人ができたことにより、一層幸せに満ち溢れた日々が訪れると思っていた。
だが、この時の彼女はまだ知らなかった。自分の人生をどん底に突き落とすほどの、醜悪な呪いをかけられていたことに。
「志乃、楽しみだね」
「何よ、遠足前の眠れない小学生みたいじゃない」
「ふふっ、だって本当に眠れなかったんだよ。志乃と一緒に行けるなんて幸せなんだから」
「もう……」
交際を初めて7日後、泰士は志乃を登山に誘った。初デートが山登りとは飛躍にも程があると自分でも思っていたが、彼女が大好きな人のためならどこにでも付いていくと言ってくれて、心の広い彼女を恋人にできた幸せを噛み締めた。
「それにしても、今朝はごめんね……うちのお父さん最近変なの」
「いいよ、きっと俺のことを心配してくれてるんだろうし。髪の毛をくれと言われた時は、ちょっとびっくりしたけどね……」
登山に向かう直前、志乃の父親である悟は、泰士に御守りを持っていくよう強要した。持っていかないと命が危ないと、慌てた様子で懇願していた。妻の曽良が亡くなってから、様子がおかしくなったと志乃は語る。その理由は泰士も志乃も知らなかった。
「わざわざ御守りなんて作らなくていいのに。そう簡単に人が死ぬわけないのにね」
「死ぬって言えば、最近うちの中学で自殺者や事故死した生徒が続出してるのも気になるよな。俺達の学校呪われてるんじゃないか?」
「偶然よ、偶然」
自分の中学校で死者が続出していることも気になるが、せっかく手に入れた幸せを謳歌しようと、志乃は深く考えないようにしていた。
「あっ」
ふと、地面に段差ができており、志乃が足を取られて転倒した。その反動で頭に被っていた帽子が飛んでいく。泰士は瞬時に気付いて帽子に手を伸ばす。
「なっ!?」
しかし、手を伸ばした先は崖になっていた。無数に生えた樹木に隠れて気付きにくくなっていたが、帽子が飛んでいった先は足場のない奈落が広がっていた。当然手を伸ばした泰士は、重力に逆らえず真っ逆さまに落ちていく。
「泰士君!」
「志乃!」
志乃も慌てて手を伸ばすが、泰士が伸ばし返した手を掴むことはなかった。無慈悲にも彼の手は離れていき、そのまま樹木に体を打ち付けながら、崖底へと落下していく。
「泰士君!!!」
志乃の叫びは彼に届くことはなかった。ものの数秒で彼の姿は見えなくなり、崖底深くへと消えていった。かなり高くまで登ってきたため、転落すれば命が助からないことは、登山素人の志乃でも安易に推測できた。志乃は届かなかった自分の手を握り締めて泣いた。
数日間、捜索隊が隈無く泰士を探したが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。彼が通ったと思われる痕跡はどこにもなく、死亡したものと思われた。だが、遺体すら発見されないことから、長らく行方不明として扱われた。
「お父さん……泰士君が……」
「そうか……」
悟は泰士がこうなることを知っていたような様子だった。志乃が問い詰めると、彼が必死で泰士に御守りを持っていくよう懇願した理由が判明した。そして、ここ最近起きていた尾崎中学校での生徒の連続死は、自分が要因であることを知った。
「志乃……お前は、母さんから『被恋慕死別の呪縛』を受け継いでいる」
そして、悟はようやく娘に呪いの存在を打ち明けた。自分が決して他人から好かれてはいけない存在であることを、罪悪感を圧し殺して伝えた。
「そんな……そんなの……」
志乃は自分の呪われた運命を突き付けられ、絶望した。この時から、親子の関係に亀裂が入り、志乃は尾崎村を出ていくことを決意した。
「志……乃……」
泰士は目が覚めた。樹木に体を打ち付けたり、草木で顔や手を切ったことにより、全身痣や傷だらけになっていた。出血や骨折も激しく、意識が朦朧としていた。死が近いことを残酷なまでに思い知らされる。
「まだ……志乃と……やりたい……ことが……」
腕に巻いた腕時計の長針が、午後9時を座す。山は完全に夜の闇に包まれる。ふと、頬に水滴がこぼれ落ちる。雨が降り始め、葉や幹に鞭のように雨粒を打ち付ける。周りはたちまち霧に包まれ、黒かった視界は今度は真っ白に覆われる。まるで現世に別れを告げろと言わんばかりに、倒れて動けない泰士を包み込む。
「神……様……どうか……」
泰士は薄れゆく意識を必死に保ちながら、言葉を紡ぐ。志乃と交際を始めて、まだ一週間程度しか経っていない。まだ志乃とやりたいことがたくさんある。それらを叶わぬ夢として置き去りにし、この世を去るというのだろうか。
そんな現実は到底受け入れられない。泰士は神様に手を伸ばすように、心から祈った。自分を生かしてくれ。残酷な運命から救ってくれ。志乃ともっと一緒にいさせてくれ……。
「あっ、起きた! ねぇ、大丈夫!?」
再び目が覚めると、泰士はベッドの上で寝かされていた。枕元には全身を包帯で巻かれた泰士を、心配そうに見つめる一人の少女がいた。どれほど眠っていたのだろうか。いつの間にか山の中ではなく、どこかの建物の洋風の個室に運ばれていた。
「ここ……どこ?」
「私のお城よ」
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