第22話「大切なこと」



 僕は辰夫さんと分かれ、ズボンのポケットに御守りをしまった。この御守りの効果が効いている限りは、志乃さんの呪いで殺される危険性は低下する。効果が絶対ではないということが心配だけども。


「よし……」


 だが、僕は早速御守りの効果を試してみたくなった。僕はゆっくりと志乃さんの部屋に足を運ぶ。そろそろ彼女も露天風呂から上がり、部屋に戻っている頃だろう。風呂上がりなため、泉さんが支給してくれた浴衣を身に纏い、髪を乾かしていると思われる。僕はその様を想像する。

 勘のいい読者なら気付くことだろう。志乃さんは冷徹な性格を抜きにすると、誰もが視線を釘付けにする美少女だ。そんな風呂上がりの彼女の全身が火照ったあどけない姿を目に入れれば、あまりの美しさに惚れてしまうかもしれない。そうなれば、たちまち彼女に目を奪われた男達はご臨終だ。


 しかし、僕には御守りの力がある。奇妙な力には奇妙な力で対抗する。運悪く見惚れてしまったとしても、死の呪いを回避できるかもしれない。




「……!」


 僕は地獄の門を開ける勢いで、思いきって襖を開いた。


「優樹君……何?」


 そこには、浴衣姿の志乃さんが、くしで髪を乾かしながら座っていた。小さな肩にちょこんと鎮座するように垂れていた紺色の長髪は、ある程度乾かした後とはいえ、少々潤ってテカリが見えた。浴衣の袖や裾から伸びる白くてしなやかな手足は、艶々で綺麗だった。


「入るならノックくらいしてよ」

「あぁっ、えっと、ご、ごめん……」

「それで、何か用?」

「いや、特に用はないんだけど……」


 初めて口を交わした時のように、当たりの強い口調で話す志乃さん。ノックもせず女の子のプライベートルームに侵入しようとする無神経な男に対して、当然の反応と言えるだろう。

 僕は湯上がりの志乃さんの姿を眺める。案の定、いや、想像以上に美しかった。艶々の美肌は鏡のように景色を映してしまうのではと思うほど、潤っていた。少し水気を含んだ紺色の長髪は、まるで人魚を思わせる。あまりの美貌に唖然としてしまった。 


 今まで何気なく側にいたけど、志乃さんは間違いなく多くの男を勘違いさせる超絶美少女だ。


「……!」


 僕は勢いよくしゃがんで唱えた。


「志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達志乃さんは友達!!!!!」

「何してるの……」


 僕はその場にしゃがんだまま、同じ言葉を何度も唱える。そして、左の手の平に「友」という漢字を右手の人差し指で描き、口に入れる。その動作を繰り返す。唐突の僕の意味不明な言動に、志乃さんは首をかしげる。


「ハァ……ハァ……」

「怖いんだけど。一体何なの?」

「あぁ、ごめんごめん……」


 突然奇行を申し訳ないけど、こうでもしないと志乃さんのあまりの美しさに、心を片隅まで奪われてしまいそうだった。僕に言わせれば、無条件で男を篭絡させてくる志乃さんの美貌の方が怖い。その上呪いという最悪の要らないおまけまで付いてくるのだから。


「あっ……」


 そんなことより、僕は辺りを見渡した。自分では志乃さんの美貌に耐えたつもりだけど、惚れてしまったと断定されてはいないだろうか。もし呪いに巣食われていたとしたら、僕は近々死に見舞われる。

 この状況で死亡する展開を考えるとすると、巨大地震が起きて家屋の下敷きになるか、あるいは強盗が侵入してきて殺されるか、それとも屋敷にしかけられた爆弾が爆発して巻き込まれるか……。




「……あれ?」


 しかし、しばらく身構えてみても何も起こらない。特に死の恐怖が迫ってくるような予兆も感じられない。僕の周りでは事件や犯罪とは無縁の、平和な世界が広がるだけだった。御守りの効果は本物だった。


「やった……やった! やったよ志乃さん!」

「だから何なの……怖いってば」


 期待通りの効果を目の当たりにし、僕は思わず跳び跳ねる。志乃さんは僕の言動の意味が全く分からず、美しい表情を固めたまま首をかしげる。この御守りがあれば、志乃さんがもう呪いを苦にして悩む必要はなくなる。

 これからも僕は、志乃さんと良好な関係を継続できるんだ。僕は宝くじを毎年当てても得られないような幸福を、一晩で手に入れたような気分になり、高ぶる喜びを隠せなかった。


「これからもよろしくね! 志乃さん!」

「え? えぇ……」


 僕は訳が分からず混乱する志乃さんと、固い握手を交わした。きっと僕らが迎える未来は輝かしいものになると、絶対的な確信が僕の胸を一杯に満たしていった。








「ふわぁ……」


 都会だろうと田舎だろうと、朝が来るのは早い。僕は眠気を引きずりながら、浴衣姿のまま居間へと向かう。元々泊まる予定はなかったため、一日目に着てきた私服は泉さんに預けて洗濯してもらう。


「あ、泉さん、おはようございます」


 居間に着くと、泉さんの白髪が見えた。素でにテーブルには朝食の準備ができており、彼女は味噌汁をすすっている。


「え?」

「早いですね、今日はお仕事ですか?」

「えっと……」


 馴れ馴れしく話しかけてきた僕に怯えるように、泉さんは肩をすぼめて縮こまる。


 次に返ってきたのは、衝撃の一言だった。




「貴方……誰?」








 泉さんは後から現れた辰夫さんと一緒に、どこかの部屋へ行ってしまった。あの時の泉さんの不審者を見るような目付きは、明らかに僕のことを忘れているようだった。昨晩泊めたばかりの人間の存在を忘れるなど、あまりにも早すぎるように思える。

 唖然とする僕の後ろで、志乃さんが悟ったような落ち着いた表情で眺める。冷静な様子が崩れないことから、泉さんの身に何が起きているか理解しているようだ。


肝要健忘かんようけんぼうまが……?」


 その後、心配した村長さんが屋敷を訪ねてきて、事情を説明してくれた。泉さんは「肝要健忘の禍」という呪いを抱えていた。その呪いは、未来永劫一族が繁栄するほどの金運を得る代わりに、大切にしたいと思っている記憶を少しずつ失っていくという。

 元々金欲に溺れた者の醜態を、世間に見せつけて辱しめるために生み出された呪いらしい。寿命を迎える頃には、自分の名前や肩書き以外のほとんどの記憶を失うとか。かつては貧しい血筋だった泉さんの先祖が、富豪になるために呪いに手を出したと伝えられている。


「生きていく上で重要な記憶が一日と持たないから、まともな生活が望めないんだ。あの呪いを抱えたままでは雑誌モデルとしても致命的だからね」

「だから使用人を雇っているんですね……」

「ああ。それに、この呪いは得られる恩恵に比べ、代償があまりにも大きい。だから自分達と同じ目に遭わせないために、呪いは代々彼女の一族のみで受け継がれているんだ」


 泉さんは家族や村長、そして事情を知る所属事務所のスタッフなど、多くの人々に支えられながら生活している。もちろん彼女を慕うファンは、呪いの存在など知りもしないだろう。

 

「記憶を失う……」

「辛うじて今の自分に関する記憶は保っていられるけど、それ以外は時間が経つと忘れてしまうの」


 志乃さんから補足説明が入る。泉さんは情けから、村中の人々や日本中の貧しい人々への寄付や支援活動を展開しているらしい。だが、悉く記憶を失っていくため、使用人や村人の支え無しではまともな生活は望めない。誰もが憧れる大富豪は、想像以上に哀れな姿だった。




「ごめんなさいね、心配かけちゃって」

「いえ……」


 落ち着きを取り戻した泉さんは、村を発つ僕と志乃さんの見送りに来てくれた。彼女の呪いが気になるものの、僕は複雑に絡み合った重たい心を抱え、村を出ていく。

 志乃さんの被恋慕死別の呪縛を聞かされておきながら、まだ呪いというものをどこかファンタジーの存在として認知している節が、僕の中にあった。幸いにも、今まで命の危機に瀕したことが一度もなかったからだ。


 だが、金持ちでありながら彼女の痩せ細ったみすぼらしい姿を見て、呪いの恐ろしさを知った。この世は特別な恩恵を得る代わりに、それ相応の代償を払わなければならないようだ。








「呪いって、こんなに怖いものだったんだね」

「……」 


 帰りの電車の中で、僕と志乃さんは答えの見えない疑問に頭を悩ませられる。呪いは果たして何のためにあるのだろうか。御守りを握り締め、僕は朝日に照らされる町並みを眺めながら考える。

 この世界に暮らす人々は、呪いなんてファンタジーな事柄など気にせず、それぞれが忙しない現代社会を生きている。自分達のような生き辛さを抱える者達のことなど、気にも留めず時間は進んでいく。そんな世界に、どうして呪いというものが存在するのだろうか。


「でも、負けないから」


 しかし、確かなことが一つだけある。悲しくなるような世界の中にも、小さな希望が残っている。志乃さんと初めて長い関係を築くことができている現実が、その証だ。僅かに見える可能性を信じて進み、自分達は生きていくのだ。


「僕はずっと、志乃さんのそばにいるから。絶対に生き延びてみせる」

「うん、ありがとう」


 僕は手の平を開き、握り締めていた御守りを眺める。志乃さんの友達として、呪いを抱えても誰かと笑い合える人生を送ってもよいのだと、自分の命をもって証明してみせる。その意思は今も心に燃えている。

 むしろ、尾崎村に行ってから更に強くなった。僕は彼女と共に生きていく決意を固めた。決してこの思いを忘れはしない。僕の中で、大切はことは変わらない。


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