第21話「御守り」
「浅野優樹さん、宮脇志乃さん、お待たせしました」
「は、はい……?」
豚汁やおでんで十分お腹も満たされた頃、突然隣から声をかけられた。緑髪の若い男性だ。一目で優しそうな印象を感じた。志乃さんから聞いた、かつて村中で性犯罪を犯した男達とは、非常に乖離した存在だった。
「私、
「ど、どうも……」
僕らよりも歳上ではあるだろうけど、そこまで離れてはいないはず。それでも丁寧すぎる紳士的振る舞いに、僕は尻込みしてしまう。
「宇累家……」
「志乃さん、どうしたの?」
「……いや、何でもない」
何やら考え込む志乃さんをよそに、辰夫さんは車のドアを開け、僕らに乗るように促す。凄い……本物のリムジンだ。初めて見た。車自体この村に着いてからあまり見かけていないのに、こんなのどかな田舎の村の中に巨大な高級車が停まっている光景は、何とも不釣り合いだけど。
「あ、ありがとうございます……」
とにかく、僕らを今夜の宿へと案内してくれるそうだ。僕らはぎこちない足取りで乗車した。何とも派手なお出迎えだこと。まさかここに来て、VIP気分を味わうことになろうとは。一体何が起こっているのだろうか。
「着いた……」
「我が宇累家は先祖代々莫大な富を築き上げ、長年栄えているのです。現在私が仕えているのは、第19代当主の
辰夫さんの説明は説得力が凄まじかった。リムジンを下りた僕の目の前に飛び込んできたのは、高級な老舗旅館を思わせるような和風のお屋敷だった。表札に「宇累」と記されていることから、住宅であることは確かなのだろう。
それでも、旅行先にこの建物が普通に建っていたら、観光客がチェックインを求めてしまうほどの貫禄だ。ここに住んでいる当主は、余程の御令嬢なのだろうか。
「泉様、先程ご連絡申し上げたお二方をお連れ致しました」
「ありがとう、神野さん」
僕は正門を潜り、玄関へと向かう。玄関先では、わざわざ泉さんが綺麗な着物を着て迎えてくれた。あの一着だけで、どれ程の値段が付くのだろうか。多分僕の自宅は余裕で2,3軒くらいは建てられるんだろうな。それはちょっと見積もりすぎか。
……って、あれ?
「え、片桐……佳代子さん……?」
「あら、その名前、知ってるのね」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
なんと、泉さんの顔を見てみると、先日雑誌で見かけたあの片桐佳代子さんとそっくりだった。いや、そっくりではない。正真正銘本人だ。
片桐佳代子さん。照也君が大ファンと豪語していた、人気の熟女モデルだ。あれから照也君に少し写真集を見せてもらったことがある。確かに現役の若手女優と肩を並べられるほどの美貌を持った、大変美しい女性だった。だが、本物の美しさは段違いだ。
「ほ、本物……?」
「そんなに驚かなくても……」
どうやら片桐佳代子というのは、モデルとして働く際の芸名らしい。そんなことより、こんな辺鄙な田舎村にあの人気熟女モデルの実家があるなんて、しかも本人とご対面できるなんて、しかも彼女が名家の御令嬢だったなんて……。ちょっと待って。設定がてんこ盛りすぎて、脳の処理が追い付かない。
彼女のことに関してあまり詳しく知らない僕でも、不思議と感激に思えてしまった。きっと照也君が付いてきてたら発狂していたと思う。
「あの、後でサイン貰ってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
よし、後日照也君にプレゼントしよう。ついでに金欠だから、何か奢ってもらおう。
「ふぅ……」
僕は頭から湯気を沸き立たせながら、長い廊下を歩く。お風呂に入らせてもらったのだけれど、案の定浴室も豪華だった。老舗旅館に完備されているような、木製の大浴場だった。
ここで働いている使用人を含めたとしても、あまりにスペースを持て余すほどの広さだった。逆に落ち着かないので、体を洗った後に数分浸かってすぐ上がってしまった。用意された浴衣も妙に肌をくすぐってくる。もはや本物の旅館気分だ。
「志乃さーん」
僕は志乃さんがいる部屋へ向かう。僕が出るのを待っているはずだ。あの風呂の大きさなら、二人くらい余裕で浸かれる。だけど、当然一緒に入ることなんて考えられない。今夜が人生最後の入浴になってしまう。
お互い年頃の男女なわけだから、もちろん寝る部屋もそれぞれ別だ。同じ屋根の下というだけでもドキドキするのに、同じ部屋で寝ることになってしまえば、僕の心臓はいくつあっても足りない。精神的な意味でも、もちろん物理的な意味でも。
「優樹さん」
「あ、佳代子さ……じゃなかった、泉さん」
志乃さんの部屋の襖を開けようとした直後、廊下で泉さんに呼び止められる。本名呼びに慣れるのに時間がかかりそうだ。
「志乃さんなら、今は別の浴場に入ってますよ。もうすぐ出られると思いますが」
「別の?」
「はい、当家自慢の露天風呂がありますから。優樹さんも明日入られてはどうです? 朝風呂も気持ちいいですよ」
「ありがとうございます……」
ピンポーン
「あら」
「私が行って参ります」
突如インターフォンが押された。泉さんが向かおうとすると、辰夫さんが追い越して玄関へ向かった。
「優樹君、待たせたね」
「村長さん、それ……」
「ああ。御守りが完成したから、届けに来たよ」
訪ねてきたのは村長さんだった。わざわざ完成した御守りを届けに来たらしい。だいぶ時間がかかると言っていたけど、思ったよりは短時間だったな。
「木原村長、ご苦労様です」
「どうだ、見てくれ」
村長さんは抱えていた小さな木箱の蓋を開け、中の御守りを見せる。水色の小包に包まれたシンプルな御守りだった。これが志乃さんの呪いから僕の命を守ってくれるらしい。
「いいか、この御守りは肌身離さず持っていないと効果はない。それに、持っているからと言って、絶対に呪いの影響を受けないというわけでもない。あくまで気休めだ。被恋慕死別の呪縛は強力な呪いだからね」
僕に御守りを握らせながら、村長さんは真剣に語る。呪いを生み出してしまった村の長として、責任を感じているのだろう。村長さんは村の男性全員に御守りを作り、配っていると聞いた。元村民の志乃さんにこれ以上悲しい思いをさせないためにも、村長さんは僕命を守るために御守りを授けてくれた。
「それに、段々効果が長続きする御守りを作るのも困難になってきている。この御守りの効果も、せいぜい一、二ヶ月程度だ。切れると御守りの袋に黒ずみができる。それまでにまたここを訪れるんだ。新しい御守りを作るからね」
「分かりました。ありがとうございます」
「幸運を祈る」
僕は再び長い廊下を進む。あまりにも広すぎて迷いそうになるため、辰夫さんに部屋に案外してもらっている。
「本当に広い屋敷ですね……」
「ご先祖様の意向で、当主が引き継がれる度に屋敷を増築なさっていますからね……」
辰夫さんが苦笑いする。初めて会った時から礼儀正しい一面しか見せなかったけど、ようやく歳相応の感情が見れた気がする。
「辰夫さんはずっと泉さんの元で働いているんですか?」
「ええ、もう5年になりますかね。最初は古くから呪いを受け継ぐ村で働くなんて驚愕しましたが、案外慣れるのも早かったです」
辰夫さんの瞳に光が灯り、笑顔が段々朗らかになってきた。きっと彼は自分の人生をとことん楽しむというよりは、誰かの支えになることに生き甲斐を見出だしているんだろう。泉さんの側にいる彼は、とてもイキイキとしている。
「この世界には自分のまだ知らないことがたくさんあるだと思うと、何だかこの生活も楽しく思えまして。これから先も知らないことをどんどん知っていて、自分の未来は一体どうなっているんだろうと、期待を膨らませながら毎日を過ごしております」
辰夫さんは長く続く廊下の先を眺めながら語る。だが、彼の瞳に映っているのは、遥か先の未来の風景だろう。自分の将来に希望を抱いて生きているなんて、とても誇らしいことだ。僕もその生き方を尊敬する。
「あっ、失礼しました……私ったら意味不明なことを……」
「いえ、素敵だと思いますよ」
僕も志乃さんと迎える未来が、少しでも希望の溢れる景色になるように、今を一生懸命生きなくては。呪いなんかに屈してられない。僕は御守りを握り締めながら、志乃さんと笑い合える未来を夢見た。
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