第20話「尾崎村」



 僕と志乃さんは尾崎村にたどり着いた。残りの山道を必死に登り、木々が開けた先には、まさに田舎を絵に描いた景色が広がっていた。昔話に出てくるような、瓦や木でできたレトロな家屋が建ち並ぶ。広大に広がる青々とした田んぼ。トンボや雀が飛び回り、涼しいそよ風が稲穂を揺らす。


「付いてきて」


 志乃さんは僕に呼び掛ける。のどかな風景に心を奪われかけていた僕は、慌てて彼女の後を付いていく。まずは村長の家に挨拶に行くらしい。何だろう……結婚報告をするために、奥さんの父親の元へ挨拶に行くような、この謎の緊張感は……。


 いや、別に志乃さんと結婚するわけじゃないから! つまり、志乃さんに恋愛感情を抱いているわけではないから! 勘違いしないでよね!






「久しぶりだねぇ、志乃ちゃん。また大きくなっちゃってまぁ」

「ご無沙汰しております、木原きはらさん」


 緑髪の初老のおじさんが朗らかな笑顔で僕らを迎えてくれた。この人が現在の尾崎村の村長さんらしい。志乃さんの話によると、村民達からすごく慕われているとか。確かにこの笑顔だけで、釣りの入れ食い状態並みに好印象を獲得できそうだ。


「は、初めまして……志乃さんのクラスメイトの、浅野優樹です……」

「よく来てくれたね。私が村長の木原高信きはら たかのぶです」


 僕はペコリと村長さんにお辞儀をする。村長さんも律儀にお辞儀を返す。


「着いたばかりで申し訳ないが、ちょっと来てくれるかな? 早めに例の物を作っておきたいだろ」

「例の物?」


 村長さんは自宅の裏の竹林を指差す。その隙間からは、微かに寺のような建物が一部見えていた。それよりも、例の物とは一体何のことだろうか。


「えっと、志乃さん……」

「ごめん。そういえば説明してなかったわね」


 僕は志乃さんに事情を尋ねる。村に到着して早速、僕の頭だけが話に付いて行けずに迷子になっている。僕は村長さんと志乃さんに連れられ、村長さんの自宅裏にある廉宗寺れんそうじへと向かった。


「今からあなた専用の御守りを作ってもらうの」

「御守り?」


 御守りとは、受験の合格祈願や恋愛成就、安産や厄除けなどの願いを込めた物品のことだ。僕も中学三年生の頃、高校受験で合格祈願の御守りを近所の神社で買ったことがある。呪いについてあまり詳しくない僕でも馴染みのある物だけど、僕専用というフレーズが少々気になる。


「優樹君、君が志乃ちゃんと親しくしていることは、悟さんから聞いている。念のため、被恋慕死別の呪縛の効果を抑え込むために、御守りを作って渡しておいてほしいと頼まれてな」


 悟さん……志乃さんのお父さんだ。彼から直々に御守りの制作を頼まれたという。親だからこそ志乃さんの呪いの存在を知っているのは当然だろうし、そんな娘に親しい男の友人がいるとすれば、その人の命が心配でならないだろう。


「じゃあ、僕にも来てほしいって言ったのは……」

「御守りを作るには、あなたの一部が必要なの」


 御守りと言ってもそんじょそこらの御守りとは違い、被恋慕死別の呪縛から守ってくれる非常に強力な加護の力がこもった物でなければならないらしい。そのためには、僕の体の一部が必要になってくるという。


 そうか……だから僕に村への里帰りに付いてきてほしいと頼んだのか。僕の身を案じて、僕の命を守るために……。


「疑って申し訳ないが、君の命が脅かされる日が来ないとも限らない。呪い自体を消す方法はまだ分からないが、回避する方法はこれしかない」


 被恋慕死別の呪縛は、恋心を抱いた者を例外なく殺す強力な呪いだ。僕はあくまで友人として接しているつもりだけど、男であるためにいつか恋心を抱かないとも断定できない。実際、この村に住んでいる男の人達は、全員自分の御守りを身に付けているのだという。


「ごめんね。あなたのことを信頼してないわけではないけど、お父さんが念のためにって言うから」

「ううん、大丈夫。だって、御守りを作ってくれるってことは、つまり僕のことを助けようとしてくれてるんだよね。すごく嬉しいよ」


 自分が死なないように働きかけてくれていることに、優樹は心から感謝した。性犯罪が根絶させた今、尾崎村は村長さんを筆頭に、心温かい村に変わっていったようだ。






「ふぅ……疲れた……」


 僕は髪の毛の一本引き抜き、村長さんに渡した。ついでに呪いに対する耐性を付けるため、廉宗寺でお祓いを受けてきた。この程度では呪いの力から逃れられるわではないが、やらないよりはマシだ。周りでジャンジャンと鈴を鳴らされ、長々とお経を唱えられた。自分は悪霊に取り憑かれた西洋人かと、自分で自分につっこんだ。

 お祓いから解放された後、ダンジョン攻略を終えた冒険者になったように、疲労が一気に全身に舞い込んできた。御守りの制作には時間がかかる。外はもう既に夕陽が山の影に隠れかけていた。


「終わった?」

「うん……なんか、こういう古のしきたりって、まだ残ってるところがあるんだね」

「じゃあ、付いてきて」


 僕はまた志乃さんに連れ出された。あっちこっち行ったり来たり大変だ。だが、丁度いいかもしれない。何もせず横になっているより、のんびり歩いていた方が案外気分が晴れそうだ。僕は和かな村の空気を楽しみながら、彼女の後ろを付いていった。






「ここって……」

「こっちよ」


 僕らが行き着いた先は、墓地だった。村の外れまで来て、人通りも少なくなってきた。稲穂だけが僕らを迎えるようになって、物寂しさを感じる場所だ。そこから僕らを拒んでいるのか歓迎しているのか、異様な雰囲気をまとわせながら、静かに並ぶ墓石の群れが姿を現した。


「あっ……」


 志乃さんが立ち止まった。僕は彼女の目の前に立つ墓石を見て、目を見開いた。「宮脇家」の刻印が目に飛び込み、彼女の心情を察した。


「お母さん、ただいま」


 志乃さんは役目を終えた古い蝋燭と線香を片付け、ポーチから新品の蝋燭と線香を取り出す。祈りを込めるように静かに火を点け、墓石に備える。僕は彼女の横に立ち、一緒に手を合わせる。

 墓参りに行くとは聞かなかった。事情を説明せずに、相手が察してくれることを期待して、何も言わずに僕を連れていく。彼女の所作一つ一つから、人と接し慣れていないことがよく伝わる。


「宮脇……曽良さん……」


 僕は墓誌に刻まれた志乃さんのお母さんの名前を口にする。彼女は一体どのような思いで、志乃さんに呪いを託したのだろう。もう完全に平和が実現されて、女性の安全が脅かされることのない村になった時点で、どうして志乃さんに受け継がせたのだろう。

 その辺の事情がまだ明かされていない。そのせいで、志乃さんは今も他人と触れ合えない苦しみに苛まれている。その未来を想定していたら、呪いを受け継がせることもなかっただろうに。


 いや、違う。志乃さんが口下手なのも、全ては呪いの存在そのもののせいだ。






 墓参りが終わり、気がつくと午後7時を回っていた。帰りの電車の時間が気になるけど、今から戻るとなると越河市内の路線時刻には確実に間に合わない。志乃さんにお願いし、今日は村に泊めてもらうことになった。


「ん~、美味しい! こういうのいいね!」


 その晩、村の公民館で炊き出しが行われていた。大きな釜が複数並び、おでんや豚汁、芋煮などがグツグツと煮えていた。村中の子供たちが目を輝かせながらやって来た。村長や大人達がお椀に盛り付け、子供たちは素敵な笑顔で頬張る。僕達も足を運び、ベンチに座って食べた。


「みんな、楽しそうだね」

「そうね」


 おかわりをねだる子供達を眺め、僕らの心は芯から温められていった。今の尾崎村は、かつて性犯罪が温床していた場所とはとても思えないほど、幸せに満ち溢れた光景で輝いていた。


「もうすっかり平和な村になったんだね」

「ええ。だからこそ、呪いはもう必要ないのよ。私は……邪魔なだけ……」


 志乃さんがうつ向いて寂しそうに呟く。彼女の呪いは元々犯罪者を篭絡して死に追いやるためのものだったが、今では行使する必要がない。そんな平和な世界が、あろうことか志乃さんが呪いを受け継いだタイミングで訪れてしまった。他人に受け継がせることはできても、呪いの存在自体を消すことはできない。




「……邪魔じゃない」


 それでも、僕は決意を持って志乃さんに言った。絶対に何か糸口が見つかると信じたい。今は何も思い浮かばないけど、この状況を打開する術が、どこかにあるはずだ。僕なんかができることは残されてはいないと思うけど、せめてこの前向きな性格を武器に何かしら行動を起こしたい。


「僕がその証明になってみせるから」

「優樹君……」


 僕は志乃さんに真剣な眼差しを向けた。僕が人より少し前向きな人間に生まれてきたのは、きっとこの時のためだったんだろうと、今では思う。志乃さんの呪われた人生を救うためにここにいるんだと、夜空に輝く星々が訴えているような気がした。


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