第19話「山の中」



 僕と志乃さんは、木漏れ日の差す山道をのんびりと登っていく。登山の準備をしっかり行った志乃さんは余裕だが、普通のお出かけ気分でスニーカーを履いてきた僕の足は、重早くも悲鳴を上げていた。

 とはいえ、だいぶ高峰まで登ってきたと思う。周囲は青々とした木々が生い茂り、差し込む日光が木の葉で途切れ途切れになっていく。


「そろそろ休憩ね」

「うん……もうお腹ぺこぺこだよ……」


 時刻は午後1時を回っている。ひたすら黙々と足を動かす志乃さんの背中を眺めてて、なかなか言い出せなかったから助かった。

 ふと横に目をやると、座ってくれと言わんばかりの二本の丸太が、都合よく倒れていた。腰かけると、樹皮に疲れが染み込んで溶けていくように、グッとお尻が吸いつけられてしまった。


「あ、でも僕何も持ってきて……」


 そういえば、まともな食べ物を何も用意していなかった。熱中症対策に持ってきた麦茶と塩分タブレットくらいで、十分に腹を満たしてくれそうなものは一つもない。昼食のことまで頭が回らなかった自分が情けない。


「大丈夫」


 すると、志乃さんは大きなリュックを地面に置き、ファスナーを開ける。彼女も途中でどこかのお店に昼食を買いに行く様子はなかった。事前に何か準備していたのだろうか。


「何してるの?」


 志乃さんはリュックから、大きめのクッカーとガスバーナーをそれぞれ2個、真空パックに詰めた野菜類、魚肉ソーセージ、即席ライスパックを取り出した。

 やけに大きいリュックだと思ってたら、中にそんな多くの食材が詰め込まれていたらしい。よく全部背負って山登りなんてできたなぁ……。スラッとした綺麗な手足の彼女だから、かなり華奢なイメージがあったけど、案外僕より怪力かもしれない。


「しばらく待ってて」


 志乃さんはクッカーに水を入れ、ガスバーナーで火を付け、水を沸騰させてお米を炊いた。もう一つのクッカーで野菜を炒め、お米を炊いたお湯をお湯を入れた。

 怖いくらいに手慣れていて、「何か手伝おうか?」と尋ねる瞬間すら与えてくれなかった。手伝おうとしたところで、足手まといになることが目に見えていた。


「おぉ……」


 しばらく煮込み、ルーを入れてカレーライスが完成した。あまりの手際の良さに、底はかとなく母性を感じた。香ばしい匂いが腹の虫をおちょくっている。よだれが垂れそうになるのを必死に我慢しながら、僕は志乃さんの料理を見守った。

 作る過程ですら一つのドキュメンタリー映画を見たように、眺めていて不思議と惹かれた。食材を切り、炒め、煮込む。それら全ての動作が奏でる音が、とてつもなく美しかった。彼女の所作は一種の芸術作品だ。


「はい、できた」

「ありがとう! いただきます!」


 志乃さんがよそってくれた皿を手に取り、僕は思い切り頬張った。家庭で作るより少し甘めに味付けられていて、疲れた体に一気に染み渡る。小さなクッカーで作られていながら、野菜や魚肉ソーセージがしっかり煮込まれていて、柔らかい食感が毛布をかけてくれるように味わい深い。


「美味しい! すごく美味しいよ!」

「そう」


 いつものように子供らしくはしゃぐ僕をよそに、志乃さんは静かにカレーライスを口にする。こう見えて同級生だけど、端から見ればまるで母親と息子のように見えるのだろう。彼女の育ちのよさが普段の振る舞いから滲み出ている。


「カレーって大きな鍋で作るイメージだったけど、こんなコンパクトなクッカーでも意外とできるもんなんだね」

「こういう結構大きめのサイズじゃないと難しいけどね」


 志乃さんは毎回この山を登る度に、山道の途中で休憩し、何かしら料理をするのだという。買ってきて食べたものも良いが、こうして自分で苦労して作るからこそ命のありがたみがよく分かるという。聞いていてワクワクするような趣味を、彼女はお通夜のような暗いトーンで話した。

 そうか……自分を好きになった者が今まで例外なく皆死んできたからこそ、命の重みを十分に理解しているんだ。


「カレーは好き?」

「普通……かな。でも、作るものに困ったら頼ってる感じではある」

「あ~、分かるかも。嫌いな人は少ないイメージだよね。やっぱり美味しいし」

「私のお父さんが作ったカレーは不味かったけどね」

「あぁ……(笑)」


 そういえば、前にチラッと言っていた気がする。詳しく聞いてみると、志乃さんはお母さんである宮脇曽良みやわき そらさんが亡くなった日に、お父さんの宮脇悟さんが作ったカレーライスの味が、今でも悪い意味で忘れられないという。

 煮込みがあまく、肉に妙な苦味が残っていて変な味だったらしい。相当料理が不得手だったのかな。僕も人のことは言えないけど。


「お母さんが生きてたらって、今でも思うわ」

「志乃さん……」


 温かい料理の話をしていたのに、いつの間にか志乃さんの過去の回想に入っていった。彼女にとっては、料理は冷たい記憶なのだそう。それこそ、死んでしまった彼女のお母さんの遺体のように。その冷たさを思い出させてしまって申し訳ない。


「……ねぇ、どうして志乃さんは呪いをかけられたの?」


 それでも、僕の口は罪悪感の働く方向とは全く別のことを尋ねてしまった。志乃さんの運命を共に背負う者として、知り得る情報は知っておくに越したことはない。彼女の支えになるために、何か役立つことが得られるかもしれない。




「私の呪いはね、元々私のお母さんが持っていたの」


 志乃さんは勇気を出して、自身の過去を打ち明けてくれた。彼女はスマフォに保存していた家族写真を僕に見せた。セーラー服に身を包んだ志乃さんが、悟さんと曽良さんに挟まれ、玄関の前に立っている。現在の藤川高校の制服とは違うから、志乃さんが中学生くらいの頃の写真だろうか。


「これはお母さんが呪いを授かったばかりの頃の写真よ」

「うん……」

「お母さんは呪いを受け継いでから、村の犯罪者を葬り去るために奮闘してきたの」

「え……?」


 志乃さんはお母さんを指差しながら、淡々と説明する。曽良さんが呪いを授かったまま生きていたら、間違いなく自分は殺されてしまうと思うほど、彼女の容姿は大変優れていた。しかし、『犯罪者』や『葬り去る』など、不穏な言葉が続けて並べられたことで、僕の思考が急ブレーキをかけられる。


「どういうこと?」

「私達が受け継いできた『被恋慕死別の呪縛』は、元々村に横行した性犯罪を根絶させるために生み出されたものなの」

「性犯罪?」


 村というのは、これから僕らが向かう尾崎村のことだ。志乃さんの話によると、そこはかつて卑猥な男達による痴漢、盗撮、ストーカー、セクハラ、強姦などの性犯罪が温床しており、若い女性が度々被害を被っていたという。

 村の秩序を保つために編み出されたのが、「被恋慕死別の呪縛」だった。主に若く美しい女性が呪いを授かり、自身の性的魅力で男を篭絡ろうらくし、策略的に好意を持たせていた。そして呪いの力で男を亡き者とし、密かに制裁を下していたという。


「呪いって……そのために使われてたの?」

「そう。それで段々性犯罪は失くなっていって、私が受け継いだ時にはすっかり平和な村になっていたってわけ」


 志乃さんの説明を聞いて理解した。手段が凶悪的とはいえ、呪いのおかげで現在は犯罪のない平和な村が実現しているそうだ。しかし、逆に呪いが存在する意味が失くなり、その最悪なタイミングで志乃さんは受け継いでしまっていた。

 志乃さんが今まで人と関わらず、冷徹な態度をとって嫌われようとしている様子から察するに、村人は自分達で呪いを生み出していながら、呪いの存在自体を消去する方法を知らないらしい。それで志乃さんが苦痛の人生を歩むことになってしまったというわけか。




「……」


 僕はショルダーバッグから友達日記を取り出し、今日の日付のページに日記を書き始める。志乃さんの過去を知ったことにより、ますます彼女を支えたくなった。17歳の少女が背負うにしては、彼女の呪いはあまりにも重すぎる。


「志乃さん、大丈夫。これからも一緒に背負うからね」


 呪いを受け継いだままでも、人と関わってもいいのだと、僕が証明してみせる。自分はあくまで友達だと思い込むことで、死の危機から逃れることができた。希望はまだ潰えていない。志乃さんと関係を紡ぐ唯一の手段だが、僕は実際にやってのけた。きっとこれからも、この関係は崩れないはずだ。


「……ありがとう」


 目の前で焚き火がパチパチと弾けた。性犯罪を犯してきた人達は確かに許せないけど、中には呪いに理不尽に殺された人達もいるだろう。僕のクラスメイト達だって、その内だ。僕は燃え盛る火を眺め、静かに冥福を祈った。


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