第18話「故郷」
「……ってことがあってね」
「そうか」
珍しくお父さんに前向きな話ができた。最近できた私の友人の話だ。浮かれていると思われたくないから、普段の冷静さを保って話をしている。お父さんは夕食を口にしながら落ち着いて聞いている。
「優樹君とは……その……友達、なんだよな?」
「もちろん。当たり前でしょ」
「……」
友達のことを話し始めた瞬間から、お父さんの心の中で優樹君の存在がずっと引っかっている。まるで歯間に挟まった魚の小骨のように、お父さんの胸にジワジワと不安を染み込ませる。
彼が男であることを気にしているのだ。あくまで彼とは友達の関係だけど、そう言い聞かせてもいつしか関係が変化していき、恋心が芽生えないとも限らない。その可能性を危惧しており、お父さんは私が再び罪悪感に苛まれるのではと恐れている。
「……
「……!?」
思わず手を滑らせ、味噌汁をこぼしそうになった。お碗を机の上に置き、大きなため息を一つ吐く。私のことを思いやってくれていることは分かる。それなのに、時たま配慮に欠ける言動が見られ、大いに失望させられる。
この父親は……どれだけ私の心を乱したら気が済むのだろう。
「お父さん、なんで彼のことを蒸し返すの……」
「すまん。でも、本当に心配なんだよ……」
私は3年前の忌まわしき記憶を掘り起こされた。今でも彼が最後に見せた悲壮な表情を、私は忘れていない。心の奥底にしまい込んでいても、毛布とベッドの隙間に挟み込まれるような距離感で、古傷の痛みが私の近くに漂っていた。
「でも、優樹君は一週間生き延びたのよ。彼は今までとは何か違うような気がするの」
「……」
優樹君が体を張って生き延びてみせた一週間を突き出しても、お父さんの不安な表情は歪んだまま動くことななかった。先の見えない恐怖を、私が幼い頃から散々経験してきたからだ。
「……志乃、一つ提案がある」
お父さんは申し訳なさそうな弱々しい声色で、あることを提案した。いつまで経っても心配性で余計なお世話を吹っ掛けてくる。それでも私のことを大事に思ってくれていて、空回りする気遣いもお父さんなりの優しさなのだと感じ、複雑な心境に陥る。
それが私の父親……
「
「そう、私と一緒に行ってほしいの」
志乃さんと友達になって、更に一週間が過ぎた。もはや一緒に昼食を楽しむことが当たり前になったある日、志乃さんは僕だけを階段の踊場に呼び出した。
水々しい青春を謳歌する男子ならば、志乃さんのような美少女に二人きりで呼び出されたとなれば、当然告白を期待するところだろう。しかし、志乃さんに限ってはそんなことあるはずがなかった。
「それって、志乃さんが前住んでたっていう村のこと?」
「そう。優樹君も一緒に来てほしいの」
「僕も!?」
何を言い出すのかと思ったら、志乃さんは自身の里帰りに僕も同行してほしいと言う。あの葬式の夜、彼女が抱える呪いの存在と一緒に、彼女がかつて住んでいたという村について教えてもらっていた。
代々呪いを受け継いでいたという人里離れた
「どうして僕まで……」
だが、それ以上に引っ掛かるのは、僕がその里帰りに同行する必要性だ。別に行きたくないわけではないし、志乃さんの誘いなど天に昇るほどの幸福だ。
それでも、やはり僕が一緒でないといけない理由を考えてしまう。そこにどのような意味が込められているのか、赤点常習犯の僕には検討も付かなかった。
「ごめん。今は詳しくは説明できない。向こうに着いたら話すから」
「わ、分かった……」
はぐらかす理由も気になるけど、とりあえず僕は引き受けた。志乃さんが意味もなく付いてきてほしいなんて言うはずがない。クラスメイトに冷たい態度をとっていたことだって、きちんとした理由が隠されていた。今回も納得できる事情があるはずだと、僕は志乃さんの提案を受け入れた。
「じゃあ、今週の土曜日、越河駅前の広場で午前10時にね」
「うん……」
それだけ言って、志乃さんは階段を上って教室へと戻っていった。彼女と関係を結んで、実に二週間。早くも彼女の懐に土足で上がり込めたような、異様な距離感を抱いてしまう。いきなり故郷に付いてきてほしいなど、色々想像してしまうではないか。
「……///」
だから、勘違いするな。これはデートじゃないってば……。
「志乃さん、お待たせ!」
「今日は遅刻しなかったわね」
「流石にもう気を付けるよ」
僕は予定通りに越河駅前広場に到着した。正直、昨晩は楽しみすぎて眠れなかった。いくら歳を重ねても、僕の中身は遠足前の小学生だ。
志乃さんと二人きりで、こんなに遠出したことなどなかった。喫茶店やゲームセンターは経験したけど、そこからまさか志乃さんの故郷に付いていくほど、親密な関係になれるとは思わなかった。親密と言っても、所詮は友達なんどけどね。
「東西線に乗るわ。付いてきて」
「は、はい……」
異様に溢れ出てくる頼もしさとクールな佇まいから、つい丁寧語で答えてしまう。それにしても、今日の志乃さんはやけに重装備だ。
大きめのリュックに灰色のジャケット。厚めのショートパンツからは、スラッとした黒のレギンスが伸びている。そして、先日映画館に行った時に身に付けていたサングラスとハンチング帽。
それはもう、まるでこれから登山に向かう山ガールのような格好だった。
「ねぇ志乃さん……ここから尾崎村までどれくらいかかるの?」
僕は嫌な予感がして、恐る恐る尋ねる。
「大体2時間半くらい」
「え……」
僕は付いてきたことを後悔した。
電車やバスをひたすら乗り継いで、僕らは尾崎村へ向かった。今まで移動にここまで体力を費やしたことはあっただろうか。家族旅行なら何度も経験しているし、長時間移動は慣れたものだと思っていた。だけど、志乃さんと二人きりとなると、まるで他人のように疲労が山積みになって降りかかる。
「志乃さんは毎回こんな距離を往復して帰省してるんだね……」
僕は軽いお出かけのつもりで付いてきてしまったため、志乃さんと比べて軽装だ。黒のパーカーに生地の薄い青のスキニーパンツ。そして、小さなショルダーバッグだ。完全に隣の席で優雅に座る山ガールと釣り合っていない。
「まぁね」
「親は一緒に帰らないの?」
「毎回一人で帰ってる」
「そう……」
親のことを話題に挙げた途端、志乃さんの眉が若干歪んだ。あまり話してほしくない雰囲気を察して、それ以上詮索するのをやめた。
しかし、志乃さんと遠くに出掛けられるという事実があるだけで、何だか楽しい。志乃もさん毎年一人で故郷に帰っていたらしいから、自分の故郷に人を連れていくことは初めてだろう。
友達とは、たくさんの初めてを経験して仲良くなるものだ。僕は志乃さんの初めてになれてよかった。
「あ、着いたわ」
僕達は席から立ち、バスを下りた。
「……で、これを登るの?」
「そう」
僕はまたしても付いてきたことを後悔した。一日でこんなに後悔を繰り返した日が、今まであっただろうか。
僕らの目の前には、広大な山が背を伸ばしている。
「も、もう……疲れたよ……」
志乃さんの話でさ、ここから更に一時間くらい登った先に、尾崎村はあるという。バス停を下りた後は、平坦な道が続くと思っていた。
ここから登山だなんて、今夜は筋肉痛どころの話ではない。僕は遥か高くそびえ立つ巨峰に
登山道の入り口には「こちらからご入山できます」という、呑気な文面を垂れた看板が設置されている。人の苦労も知らないで……。
「大丈夫。富士山より低いわ」
「それ……何の励ましにもなってないよ……」
憂鬱な足取りで、僕は志乃さんの後ろを付いていった。
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