第16話「気になる」



「優樹、何これ」


 目の前に赤点ギリギリの小テストが並べられる。その前に正座する僕。そして小テストを挟んだ向こう側に、腕を組んだ姉さんが強面で僕を見下ろして立っている。半年に二度ほどのペースで訪れる姉さんの雷だ。


「この結果は何? 見て驚いたんだけど」

「いやぁ……僕もびっくりで……」

「ヘラヘラすんな」

「は、はい……」


 姉さんの凍り付くような眼光に、僕は萎縮する。今まで溜め込んだ絶望的な小テストの結果を、よりによって姉さんに見つかってしまった。なんでこのタイミングで僕の部屋まで掃除するんだ……。

 姉さんは点数の低い小テストの束を見て、ひどく呆れる。実は姉さんはかなり偏差値の高い国立大学に通っており、学力はそこそこ身に付いているのだ。弟である僕のあまりの出来の悪さに、身内として激しく憤りを感じている。


「り、りーちゃん……ちょっと厳しすぎない?」

「母さんは甘やかしすぎなのよ! ていうか、こういうのは本来母さんの役目でしょ!」

「うぅぅ……」


 姉さん注意に萎縮する母さん。どちらが母親か分からない。日頃から僕を甘やかす母さんにも呆れているようだ。普段はクールな姉さんでも鬼になるほど、今回は放っておけない事態らしい。

 だが、僕も流石にそろそろ自分の成績に危機を感じている。僕は顔を真っ青にしながら、床に並べられた小テストを広い集める。これまで以上に勉強に力を入れなくてはいけない。


「というわけで、今度の期末テストで全教科50点以上取らないと、今後永久にお小遣い無しね」

「えぇ!? そんな! 別にいつも姉さんがお小遣い出してるわけじゃ……」

「あ?」

「な、何でもないです……」


 姉さんでもこんな怒りを表すことがあるとは……17年間一緒に暮らしてきて初めて知ったかもしれない……。








「それで勉強会ってわけなんや」

「うん……だから頑張っていい点数とらないと、僕は一生無一文なんだ……」

「そういや優里さん、いつもムスッとしとるもんなぁ。だいぶ近寄り難いっちゅうか……」


 僕は志乃さん星羅さん、照也君の四人で鞄片付けをしている。放課後は来週の期末テストに備えて勉強会をするつもりだ。眼鏡をかけて優等生気取りな僕だけど、実際成績はそこまで良くない。むしろ悪い方だ。今の実力のまま期末テストに挑めば、間違いなく今後の人生は破滅する。


「優樹君のお姉さんって、そんなに怖いの?」

「うん。本気で怒ると鬼ババァみたいで……って、うぅっ!?」

「どうしたん?」


 姉さんの話をした途端、突然背中に悪寒が走った。永久に凍り付いてしまうのではと思うほどの冷気が、僕の背中を撫でた。


「い、今……背中に寒気が……」

「遠く離れた場所でも分かるんやな……弟の噂話が……」


 何それ、怖いよ。まるで千里眼で僕の行動を監視されてるみたいじゃん。迂闊に姉さんのことは悪く言えないな。ああ見えて、僕のことを思っての厳しい態度だろうし。正直、父さんは家を空けることが多いし、母さんは甘やかしてばかりだから、親代わりに厳しく指導してくれる姉さんの存在は大きい。


「でもまぁ、私も正直今度の期末は自信あらへんし、勉強しといた方がええわな」

「志乃さんはテスト自信ある?」

「ま、まぁ……一応勉強してるし」


 当たり前のように僕らと一緒にいる志乃さん。彼女も僕らと一緒に勉強会に来てくれる。とても賑やかになったもんだ。まさか、いつもの星羅さんと照也君のグループの中に、志乃さんの姿が見られるなんて……。


「凄い! ねぇ、よかったら勉強教えてくれない? 僕数学が苦手でさ……」

「いいけど」

「やったー! ありがとう、志乃さん!」


 僕は普段の授業が嫌で嫌で仕方ないけど、志乃さんは真面目に受けていて好印象しかなかった。先生に難しい問題を指名されても臆することなく、スラスラと答えられる姿が記憶に残っている。

 僕はずっとその姿に憧れていた。彼女みたいに勉強できる優秀な人間になりたいと思っていた。志乃さんはまさに万能な神の魂をそのまま宿したような、完璧超人のように見えた。人への当たりが冷たいことがマイナスだけど、それにはきちんと事情があったわけだし、それを踏まえてもほぼ完璧だ。


 そんな彼女から直々に勉強を教わることができるなんて、幸福以外の何物でもない。下手な家庭教師の何百倍も効果がありそうだ。


「お礼に何か奢らせてよ!」

「別にいいわよ。わざわざそんなこと考えなくても……それに、お金ないんでしょ」

「うっ、そうだった……」


 最近喫茶店やらゲームセンターやらに行き過ぎて、元々なけなしのお小遣いの底が見えてきている。志乃さんとの思い出を作るためとはいえ、費用がかかり過ぎている。

 そもそも期末テストで全教科50点以上取らないと、今後二度とお小遣いは貰えなくなる。そうなれば、ますます金欠状態が続く一方だ。姉さんめ……母さんでもないのに余計なことを決めてくれちゃって……。


「あれ? 照也?」


 星羅さんが照也君へと視線を送ると、彼は片付けを終えて鞄を背負い、さも当たり前のように教室を出ようとしていた。


「ちょい待ち! これから勉強会すんやろ! どこ行くねん!」

「悪ぃ、俺今日行くところあるから。また明日な」


 そう言って、照也君は廊下へと出ていった。普段なら放課後の喫茶店巡りやゲームセンターに、嫌々ながらも付いてきてくれる彼が、今日に限っては珍しい反応だ。自分の用事を優先するとは。




「……おかしいな」

「何が?」

「照也が私らの誘いを断るって初めてやない?」

「そうだけど……何か外せない用事があるんでしょ?」

「何かって何や?」

「さぁ……」


 星羅さんが珍しい態度をとる照也君に対し、不信感をつのらせる。僕は星羅さんとは一年生の頃も一緒だったけど、照也君は別のクラスだった。

 二人は中学生の頃から親しかったみたいだから、別々のクラスだった一年生の時も一緒にいる姿をよく見かけた。僕よりずっとお互いのことを深く知っていることだろう。


「怪しいなぁ……」


 それでも照也君について、まだまだ知らないことがたくさんあるようだ。僕も星羅さんよりは詳しくないから、彼の用事というものがいまいち検討が付かない。


「まさか……恋愛禁止のルール破って、こっそり彼女作っとるんちゃうんやろうなぁ……」

「え、そんなルールあったの……?」


 唐突に初耳のルールが聞こえたんだけど、要するに星羅さんは照也君に彼女ができて、一緒にデートに行ったのではないかと疑っているらしい。

 確かに照也君外見はすごくカッコいいし、意外と面倒見がよくて女の子には好かれやすい性格をしている。面倒くさがりだけど、何だかんだでいろんなことに付き合ってくれる優しい男の子だ。彼女がいたとしても不思議ではないかも。


「でも、彼女がいても別に問題ないんじゃないかな」

「大ありやわ!!!」

「え、どうして?」

「そ、それは……」


 全力で否定してくる星羅さん。それほど照也君に彼女がいたら困る理由が、彼女の中にあるようだ。


「そ、それは……///」

「星羅さん?」

「あ、あいつがおらんかったら、勉強教えてもらわれへんやろ! ええからとっとと行くで!」


 星羅さんが赤面して慌てふためく。そうか、星羅さんも勉強は苦手だから、照也君に教えてもらうつもりだったんだ。


「どこ行くの?」

「決まっとるやろ! 照也が会おうとしとる女の面を、この目で拝んだるんや!」


 星羅さんは鞄を抱えてズカズカと廊下へ出ていく。まだ照也君に彼女ができたと決まったわけではないのに、それを前提で彼の元へ殴り込もうとしている。つまり、これから彼を尾行しようというのだ。ていうか、勉強会はどうしたの……。


「星羅、顔赤いわよ」

「あっ、赤くないわ!!!///」


 志乃さんの指摘も全力で否定する星羅さん。志乃さんは気付いていないようだけど、星羅さんが照也君をそこまで気にかける理由を、僕は何となく察することができた。

 

 星羅さん……なかなか可愛いところあるじゃん。


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