第8話「いつもと違う孤独」
「うっ……」
「何これ……」
優樹は弁当箱を開けて冷や汗を垂らす。彼の目に飛び込んできたのは、ハートの形に穴が開けられた海苔だった。丁寧におにぎりに巻かれており、塩をまぶした白米の白でよく目立っていた。
そして隣には、可愛らしい顔が描かれたタコウインナーも添えられていた。周りにはポテトサラダや金平ごぼうが詰められたおかずカップが並んでいる。しかし、目を凝らしてよく見ると、花柄や水玉の模様が描かれていて、ポップで可愛らしいデザインだ。
「母さん……また……」
「あなたのお母さんが作ったの?」
「うん……ほんと、いつまでも子供扱いするんだから……」
優樹は深くため息をつく。凛奈は優樹が小学生の頃から、彼の弁当を可愛らしく作ることに変に力を入れている。
昼食の時間を楽しませてあげようとしてくれていることには、もちろん感謝している。だが、母親の中で自分の扱いが年相応にアップデートされていないことが、息子として恥ずかしい。
「僕を大事にしてくれてることは分かってるんだけどね……」
恥ずかしいは恥ずかしいが、作ってくれる弁当はきちんと美味しいため、文句を言いにくい。だが実際、昨年は二週間に一度ほどの頻度で文句は言ってはいた。
しかし、その度に涙目になる母親が見るに絶えず、今年は一ヶ月に一度ほどの頻度に減らしている。どちらが子供か分からない。
「羨ましいわね」
「え?」
「私には、そんなことしてくれるお母さんはいないから」
志乃が衝撃的な一言を何気なく放つ。優樹は立ち振舞いから儚さを纏う彼女の言動から、察することができなかった自分の勘の悪さを内心嘆く。能天気に自分の母親の幼稚な愛を語っていたことが恥ずかしい。
「志乃さんのお母さんって……」
「私が14の時に亡くなったの。自分で心臓に包丁を刺してね」
「自殺……?」
踏み込む度に凄惨な記憶が語られていく。これ以上聞き入ると、弁当も冷たくなってしまうほど空気が張り詰めてしまうのではと心配になるほど、彼女の語る過去は悲痛だった。心なしか左胸に疼くような痛みを感じた。
「私のお母さんも料理が上手だった。亡くなる前はよく作ってくれたわ。亡くなってからはお父さんが時々作ってくれるけど、食べれたもんじゃないもの」
「そうなんだ……」
思い返すと、志乃は毎日必ず購買で昼食を購入していた。それも毎回割引シールが貼られた弁当や、比較的安価な菓子パンばかり。生活は非常に苦しいようだ。今日の彼女の献立も、30円引きシールが貼られた焼きそばパンと苺牛乳のみである。
「特にお母さんが亡くなった翌日のカレーは最悪だったわ」
父親と二人暮らしのようだが、父親に作ってもらう気は一切ないらしい。それほど料理の腕が絶望的なのだろうか。何にせよ、志乃の家庭事情は易々と踏み込んでいいほど陰湿さが尋常ではなかった。
「……って、あなたに家族のことを話してもどうしようもないわね。忘れてちょうだい」
「そんな……」
彼女の諦めを否定しようとするが、それだけの力は今の自分にはないことを痛感する優樹。自分が尽力したところで、亡くなった母親が戻ってくるわけではない。家庭に光を灯すこともできない。友人として認めていない時点で、自分は信頼を得るに値しないのだ。
今自分ができることは、約束を守り通すことくらいである。
「志乃さん、あげる」
優樹は大粒の唐揚げを一つつまみ、焼きそばパンの焼きそばの中に乗せる。
「何?」
「後で日記に書いておかなくちゃ。『今日は志乃さんとおかずをわけ合いっこして楽しかった』って」
優樹は笑いかける。彼は志乃との関係を絶ち切るつもりは一切なかった。意地でも自分を友達として認めさせるつもりだ。これまで散々自分に近付いてきた男を突き放してきたが、これほど頑なに離れようとしない相手は初めてである。
「分け合いって……私は何もあげてないけど」
「あっ、そっか! じゃあ志乃さん、焼きそばパン一口ちょうだい!」
「この流れでくれると思ってるの?」
「へへっ、冗談だよ♪」
いつ見ても屈託ない笑顔だ。時々ノリが高ぶりすぎて押し付けがましく感じることがあるが、企みを感じさせない無邪気な笑顔が共に繰り出されると、途端に気にならなくなってしまう。
相手のペースに飲まれているようで気に食わない。だが、心地よささえ感じてしまうところが不思議だ。
「……でも、ありがと」
「うん! あ、よかったら志乃さんの分のお弁当、作ってきてあげようか? 母さんも頼めば作ってくれると思うし」
「いいわ、優樹君のお母さんに悪いし。それに、親任せはダメよ」
「ご、ごめんなさい……」
心なしか、志乃の頬が普段より少し緩んで見えたような気がした優樹だった。
* * * * * * *
“今日は遅くなる。夕食は一人で済ませて”
私は居間のテーブルの上に置き手紙が残されているのを発見した。相変わらずのお父さんのぶっきらぼうな字が、私を静かに見つめ返す。私が言えたことではないけど、娘を暗い家に一人で残すことに何の躊躇いもないように感じられて、不信感が募る日々だ。
私は制服の上にエプロンを着て、夕食の準備に取りかかる。と言っても、昨晩にカレーライスを作り置きしておいたから、電子レンジで温めるだけなのだけれど。あとはサランラップで包んでおいたマカロニサラダを並べ、静かな夕食が始まる。
「……」
会話はない。私一人しかいないのだから当たり前だ。まぁ、お父さんがいたとしても特に会話が花咲くことはない。時々「最近の学校はどうだ?」と、頭の足らない質問を聞いてくる。こんな呪いを抱えた学校生活が楽しいと思えるのだろうか。
「あ……」
スプーンですくったニンジンが転がり、ルーの上に落ちる。茶色く濁ったルーが、まるで血の海のようだった。血まみれのお母さんの姿が頭に挟み込んでくる。
「……」
決して不味くはない。あの時お父さんが作ってくれたカレーよりは数十倍マシだ。それでも、私の心にはなぜか「寂しさ」が巣食っていた。私が記憶している限りでは、食事の席で寂しさを感じるなど生まれて初めてだった。
親が帰ってこず、一人で夕食を済ませることなど、今までに何度もあった。それでも、あのクラスメイトの優樹君とのやけに華々しい昼食を経験した後だと、いつもの静寂が逆にうるさいほどに私の心を痛め付けてきた。
「……!」
私は無理やり寂しさを振り払うように、カレーを口に掻き込んだ。何も考えないように皿を洗い、風呂に入る。入浴中も普段とは別人のように襲ってくる静けさが孤独を感じさせてきて、生温い湯船が居心地悪かった。
「今日は彼とお昼を食べたの……まぁ……つまらなくはなかった……」
私は寝間着に着替え、和室に備えられた仏壇に手を合わせる。そこにはお母さんの遺影が建てられている。お母さんの笑顔に向けて、私は優樹君のことについて語りかける。
夜寝る前には、お母さんに今日したことや起きた出来事を話す。いつもの日課だ。彼に呪いの存在を明かしてから、彼の存在が頻繁に話題に上がる。
どうして彼に呪いの存在を打ち明けたのか、自分でもよく分からない。ただ、自分でも無意識に彼のことを、共に事情を抱えるに値する者として認めている節があるのかもしれない。
実際、お母さんから呪いを受け継いでから、彼ほど友好的に関わろうとした人はいない。いつまでも彼の腹の底が知れない。
それでも、間違いなく彼は私のためを思って行動してくれている。それだけはなぜか信じてもいいと思えてしまう。
「……!」
思わず緩んだ頬を元に戻す。不思議なことに、優樹君のことを語る私は微笑んでいた。彼の人柄に困惑しながらも、なぜか彼が今後どのようなことをしてくれるかを、内心楽しみに感じている自分に驚いた。
「何なの……あの人……」
遺影の中のお母さんは、クスッと微笑んでしまった私をからかうように笑っていた。
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