第5話「美味しいもの」
「おい、今日も本ばっか読んでるぜ」
「真面目だねぇー」
昼休み。自分の席で大人しく読書に勤しむ志乃に対し、周りから小声で陰口を叩く男子生徒達。クラスメイトが立て続けに二人も亡くなったというのに、教室は既にいつもの日常を取り戻していた。これが彼女にとっての日常だ。
「……」
人の心がまるでない男子生徒達を、不機嫌そうに眺める優樹。今の彼にとって、ここは以前の教室ではなくなった。志乃が抱えている事情を知り、どうしても事あるごとに彼女の顔色が気になってしまう。
彼女がクラスメイトを呪いから守るために、わざと冷たい態度をとっていることも知ってしまった。そうなった以上、彼女を以前と同じ目で見ることはできない。
「ああやって誰にも相手にされないまま死んでくんだろうよ」
「はっ、惨めな人生だな」
ガタッ
「優樹、やめとけ」
怒りのあまり立ち上がる優樹を、照也がなだめる。決して仕返しが来ない安全圏である蚊帳の外から、好き勝手に生意気な口を叩くクラスメイトが腹立たしくて仕方がなかった。
ここまで誰かを傷付けられて怒りを覚えたのは始めてだった。その『誰か』の対象が志乃であったことも、優樹にとって驚愕だった。
「でも……」
「面倒事にしたくねぇだろ」
「うん……」
「にしても、お前がそこまで怒るなんて珍しいな。それも宮脇のことで」
照也も優樹のいつもと違う態度に気付いていた。
「別に志乃さんも志乃さんで酷いこと言うてたやん。どっちもどっちやで」
「そんなことないよ。だって……」
「だって?」
志乃の普段の冷たい態度を弁明しようとしたが、優樹から出たがっていた言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。信じてくれるかどうかという不信感故ではない。だが、たとえ気の許す二人にも、なぜか話すことをためらってしまう。
「何でもない……」
「何でそこまで志乃さんのこと気にするん?」
少なくとも志乃が学校で常に一人でいることを、以前から優樹は知っていた。だが、志乃が抱えている呪いの存在を知ってから、彼女の孤独がより色濃く目に映るようになったのだ。
一種の同情心からだろうが、いつの間にか彼の中で『放っておく』という選択肢が奪われていた。彼女と関わりを持とうとする思考は、彼以外にとっては異質だった。
「ああいう子は案外孤独を楽しんどるもんやで?」
「でも、父さんが言ってたんだ。男とか女とか関係なしに、たくさんの人と仲良くしろって。志乃さんとだけ何も話さないってのはちょっとなぁ……って思って」
人間関係で悩みを抱えた時、優樹の脳裏に過るのはいつも父親の言葉だった。自ら多くの人間と関係を結び、縁を広げることで自分の世界は広がっていくのだと、父親は口癖のように語っていた。
「まぁ、好きにしたらいいんじゃないか?」
「ありがとう。でも、どうやって声かけたらいいのかな?」
「知らーん。それより、この間できた苺スイーツ専門店行かへん?」
星羅は学校鞄から一枚のチラシを取り出す。それは最近駅前通りにオープンした苺スイーツの専門店だった。苺を使ったパフェやサンドイッチ、クレープなどを楽しむことができるという。チラシの一面が苺の赤で埋め尽くされていた。
「おすすめはやっぱ苺パフェやな。この間食べたんやけど、あまりの美味しさに頬っぺがとろけ落ちてまったわ。おかげで小顔になったで~」
「嘘つけ」
星羅の口から一筋のよだれが垂れ、照也が冷静に突っ込む。いつもの二人の和やかなやり取りが繰り広げられる。優樹はその様子を眺め、ハッと何かを思い出したように目を見開く。
「それだ!!!」
「どれや?」
放課後、終業のチャイムが流れ、生徒達は下校の準備を始める。教科書やノートを鞄に入れる時まで、誰かと談笑しながら行っている。帰路に着くギリギリの時間まで、彼らは行動を共にする。
だが、志乃は受験の合否発表時の不合格者のように、周りの生徒と逆らって一人で廊下へ向かう。
「志乃さん!」
そんな中、合格者の優樹は志乃を呼び止める。志乃は相変わらずの冷たい眼差しを優樹に向ける。優樹は鞄から一枚のチラシを取り出し、志乃に見せる。
「今から駅前通りの苺スイーツ屋さんに行かない!?」
「……」
二人の間に沈黙が挟まる。
「……なんで?」
当然の返事だ。優樹の後ろで聞いている星羅と照也も、「マジか……」と言わんばかりの呆れ顔である。どこの世界に通りすがりの素性も分からない他人に、「一緒に食事をしませんか?」と誘う距離感が狂った人間がいるだろうか。
実際志乃の前にいるわけだが、あくまで彼女と優樹はクラスメイトであり、話を数回交わしただけの関係だ。ほぼ赤の他人と同等である。
「なんでって……美味しいものを食べれば大抵の悩みなんて忘れられるって、うちの姉さんが言ってたよ。それに、最近の苺は価格が高くてなかなか食べられないしさ」
「理由になっていないのだけれど……」
「え!? そ、そう? あっ、志乃さ……」
志乃は呆れ顔を崩さないまま、再び呼び止めようとする優樹を教室へ残し、廊下へ出ていく。髪を揺らす後ろ姿が実に美しいが、かといって惹かれる者は誰もいない。普段の彼女の態度が頭に過ってしまうからだ。
「お前、宮脇相手にいきなり食事とか、勇者かよ……」
「アプローチが飛躍しすぎやで……」
照也と星羅は、ポツンと捨て犬のように置いていかれた優樹の肩に手を乗せる。大勢の友人がいる優樹でも、志乃と教室で口を交わすことは初めてだ。照也と星羅も初めて目撃した。
「でも、母さんが言ってたよ。甘いものは女の子の共通言語だって」
「どんだけ家族の言葉信用してんねん!!!」
星羅の強烈な突っ込みが教室の窓を揺らす。
「でも確かに、美味しいものを一緒に食べれば、人はみんな仲良くなれると思うんだよね」
「それはまぁ、分かる気もするが……」
三人は中身の知れない志乃に対し、更に頭を悩ますのだった。
「……」
下校途中に、志乃はスーパーに夕食の材料の買い出しに寄っていた。細切れの豚肉やキャベツの半玉、必要な材料を淡々と買い物カゴに入れていく。
「あっ」
ふと、フルーツの販売コーナーで、大量に並べられた苺のパックを見かける。今朝、スーパーの特売のチラシを読んだ際に、隅に紹介されていたことを思い出す。
特売と謳ってはいるが、購入をためらう価格である。今は時間的にも金銭的にもあまり余裕はない。苺は喉から手が出るほどの好物だが、夕食後のデザートに楽しもうという浮わついた心を持つわけにはいかない。
“美味しいものを食べれば大抵の悩みなんて忘れられるって、うちの姉さんが言ってたよ”
ふと、放課後に食事に誘ってきた優樹の姿が頭に過る。美味しいものについて語る彼の表情はとても眩しく、生きる世界が違うことを思い知らされる。呪いを抱えている以上、彼と肩を並べて平和な環境で生きることは到底許されない。
「……」
志乃は残りの必要な食材を手に取り、レジへ向かった。
「ありがとうございました~。またお越しくださいませ~」
レジの店員の笑顔に見送られ、志乃は慎重に足を運び、スーパーを後にした。エコバッグの中に詰められた苺のパックが潰れないように。
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