6.願って、燃えて


 今まで、知り合いや仲間の冒険者が《夢邪鬼》に殺される所を見たことは何度もあった。

 この妖狐の遺骸の側に横たわるズタズタに引き裂かれ欠損した遺体だってそうだ。この遺体はきっと、カミシロのものだ。

 だが、そういう者たちと、ほたるの死は、アズマにとって違う。

 命の重さに優劣が無いなんて綺麗事だ。


 ほたるは手のかかる妹のような存在だった。

 いつもアズマに纏わりついて、ウザったく思うことがあったのは本心だ。

 それでも、同じ孤児院で暮らした大切な存在で、自分みたいなろくでなしに囚われることなく、誰よりも幸せになって欲しいと願っていた。

 アズマにとってほたるが側で騒いでいる毎日はもはや日常で、決して失いたくないものだった。


 アズマにとってほたるは、きっと――。


 カミシロもそうだったのか? 他の何より大切なナニカのために、人を殺して――。


 脳髄を素手で触られ、揺さぶれているような感覚に襲われる。

 アズマは吐いた。

 血の混じった吐瀉物を脇に吐き捨て、口を拭う事もせずほたるに呼びかける。


「ほたる! おいッ! ほたる、おいお前! 俺と結婚するんじゃなかったのかよッ! 死ぬな! ほたる、なぁ、おい、死ぬな! 死ぬなッ! 死ぬな――――」


「……っ、け、ケイ、くん」


 ほたるが僅かに目を開いて、すぐそこにいるアズマを見た。

 酷い眠気が体を襲っていたが、アズマの呼び声が煩くて、熱くて、目を覚ました。


 その時、ほたるが思ったのは――、あぁ、自分は死ぬな、ということ。

 身勝手な行動で迷惑をかけて申し訳ない、ということ。

 他の誰より、何よりも愛おしく思っている人の腕の中で逝けるなら、悔いはない、ということ。

 これで自分は愛しい人の心に永遠に残り続けることができるかな、と少し趣味の悪い事も思った。

 いつもは素っ気ないこの人が、今は自分だけを真っ直ぐ見つめてくれている事を嬉しく思った。

 本当は、もっと一緒にいて、笑い合って、自分がちょっかいをかけた時の彼の嫌そうな顔を見て少し楽しくなって、肌を合わせて、温もりを感じて、ずっと、一緒に、居たかったけれど、彼にはとても申し訳ないけれど、こういう最期も、悪くない――。


 ――そんな訳ないだろう?


 そんな訳が無い。そんな訳が無い。こんな所で死にたくはない。

 好きな人の腕で逝けたから満足? 

 まだやりたいことが沢山残っているのに? 

 何も良くない。


 死にたくない。


 散々迷惑をかけてしまったアズマを安心させようと、最期の感謝を笑って言おうと、そうするつもりだったのに、消えゆく意識の中で、ほたるは泣いた。


 死にたくない。


「し、死にたくない……、ほ、ほたる、死にたく、ないです。ケイくんと、もっと――」


 体は酷く冷たいのに、瞳から零れる涙は熱かった。


 死にたくない。


 あぁ、なんて浅ましい。言うことを聞かず一人で勝手に突っ込んで死にかけて、挙句駄々をこねるようにただ死にたくないなどと。

 でも、やっぱり、死にたくない――。 


 ――――その時、不思議なことが起こった。


 一帯に、辺り一帯に、淡い光が広がった。

 この場だけじゃない。

 この街中に聳える富士山の先端を包み込むように、そしてさらにその先、街一帯を包み込む。

 

 それは、《治癒》を施す時に灯る淡い輝きに似ていた。

 だが、それよりもずっと眩く、熱いほど温かい光だった。


 熱い風が吹いた。

 燃えるような熱さであるようなのに、春の日差しのように心地よい温もりも感じる。


 ――命の炎が、街を包み込む。


 腕の中で衰弱していくほたるに必死に呼びかけていたアズマは見た。

 大樹の前に置かれた赤い石碑から、一筋の炎が天に昇って行くのを。


 その鮮やかな色合いの炎は神々しく燃え盛り、火傷しそうな熱を、春の日差しのような温もりを周囲に振りまきながら形を変えていく。

 やがてソレは、街に影を落とすほどの巨大な鳥の形を成した。


 美しい鳥だった。

 アズマに鳥の美醜の見分けは付かないが、今まで見たどんな生物よりも圧倒的で、力強く、綺麗だと感じた。

 目の覚めるような、目も眩むような美しさ。


 その炎の鳥は、鮮やかな暖色に彩られた羽毛を有し、優雅に羽ばたいている。


 ――不死鳥だと、神話に伝わるその生き物だと、本能で察した。


 不死鳥が羽ばたく度、温かな風が街を包み、命の炎が燃え上がる。

 消えかけていた火種にも勢いが戻る。

 アズマは、自分の体に絡み付いていた酷い倦怠感が段々と無くなってくのを感じていた。

 体が、命が、癒えている。


 不死鳥が鳴いた。

 遠く、広く響き渡る高らかな鳴き声。澄み渡る歌声のような、慈母の子守歌のような、聞き心地の良い音だった。


 途端、酷い睡魔に襲われる。


 そして、アズマは意識を失った。




 誰かが騒いでいる。

 最近よく聞く声だ。誰かに体を揺すられている。


「――さんっ、アズマさん、アズマさん起きてくださいっ」


 アズマがハッと目を覚ますと、目の前にさくらの顔があった。

 アズマは跳ね上がるように起き上がって周囲を確認する。


「さくら! ほ、ほたるは! ほたるはどこに――っ」


 アズマはさくらの肩に手を置いて、焦燥に満ちた表情で尋ねる。

 いきなり顔を数センチの距離まで近づけられたさくらは動揺して顔を赤くし、大きな声で言った。


「お、落ち着いてください! アズマさん、ほ、ほたるさんなら、そこに居ます」


 さくらがアズマの背後を指差す。


 アズマは勢いよく振り返った。

 ほたるは確かに、そこにいた。


 地面の上に座り込んで、いつものような元気はなく、酷く気まずそうに、申し訳なさそうにアズマを見ている。


 だが、生きている。

 身に付けているブラウスの腹部には大穴が空き、真っ赤な血に染まっているが、その向こうに見える素肌には傷一つなかった。


 確かに切り裂かれて、血を溢れさせ、内臓すら見えていた腹の傷が無い。


 気付けば、アズマはほたるを抱きしめていた。

 その命を肌で感じ取るように強く抱きしめる。早鐘のように鼓動するほたるの心臓を直に感じ取り、これが夢ではないと悟る。


「あ、え、え、け、ケイ、くん……、その、ほたる……、大変ご迷惑をおかけして……」


「よかった……っ、ほたるが生きてて……」


「…………はぃ」


 ほたるはアズマの腕の中でコクリと頷き、大人しくなる。

 耳の先から首元まで朱に染まったほたるは、アズマにされるがままにされていた。


 しばらくの間、ほたるを胸に抱き寄せていたアズマは、不意に冷静になって、背後に立つさくらへ振り返った。


 突然抱き合い始めたアズマとほたるに動揺し、顔を真っ赤にしたまま掌で顔を覆って、指の隙間からアズマたちを見守っていたさくら。


 アズマと視線がかち合って、あたふたと視線を彷徨わせる。

 酷く気まずい。


 アズマは己へ向ける羞恥心を一旦脇に置いて、ほたるから腕を離し、一歩下がってから咳払いして周囲を見渡した。そして思う。


 ――ここはどこだ?


 今アズマが居る場所は、気を失った時に居たはずの山の中じゃない。

 更地だ。

 建築物も何もない広い広い更地。

 その周囲には、見覚えのある街並みが見えている。


 まるで街中のある場所を歪な円形に押しのけて無理やり更地を作ったような場所に、アズマたちは居た。


「さくら」


「あ、は、はい!」


「俺はここで寝てたのか?」


「はい、そうです……。私にも何が何だかよく分からないんですけど……、えっと、なんて言ったらいいんですかね。私、アズマさんに言われた通り、屋上で仁斗さんのこと見てたんですけど、そしたら急に空が明るくなって、気付いたら寝ちゃってたんです。それで起きたら、紅さんがいて……」


「マスター……? 帰って来たのか?」


 それからのさくらの話を纏めると次のようになる。


 さくらが目を覚ますと、そこには【不知火】のギルドマスター紅が居た。

 どうやら件の山や《夢邪鬼》が街中に突如出現した事件の事は、《夢幻特区》での《夢邪鬼》討伐作戦が完全に完了し、帰還途中だった討伐チームにも伝えられていたようだ。


 そこから勝手に一人で一早く街に戻ってきた紅は、さくらを見つけ出し、彼女を起こして事情を尋ねた。

 さくらは紅に事のあらましを説明し、隣で寝ていた仁斗を起こしてから、三人で街中の様子を確かめに行った。


 ちなみに、あの時アズマが完治させることができなかった仁斗の傷も、不思議な事に綺麗に治っていたらしい。


 街は酷い有様で、至る所が壊れ、建物は倒れ、大勢の人が倒れていた。

 そして、その倒れている人たちは、ただ眠っているだけか、既に息絶えてしまっているかの二つに分けられ、眠っている人に傷は一つもなく、死んでいる人の体には、《夢邪鬼》にやられた傷跡が残っていたとのこと。


 また、街中には《夢邪鬼》の姿はどこにもなく、代わりに《夢晶クリスタル》が至る所に散らばっていたらしい。

 街中で一番の異彩を放っていた山も、目を覚ましてからはその影が見られなかった、と。


 建物の倒壊に巻き込まれている人がいるかもしれないと、紅と仁斗は、街中で眠っている冒険者たちを叩き起こして人手を集めながら街中の調査に向かい、一方でさくらには、アズマとほたるの安否を確認してきて欲しいと指示を出した。


 そうしてさくらは、突如出現した山が聳えていたはずのこの更地で、眠っているほたるとアズマ、そして――。


「――これを見つけたのか」


「はい……」


 アズマが目を覚ました場所の傍らには、肉塊があった。


 無残に引き裂かれ、喰い千切られたかのような頭部のない遺体と、その左手の側に転がる大きな《夢晶》。

 左手の薬指に嵌められた指輪には、アズマにも、さくらにも、そしてほたるにも見覚えがあった。


 さくらはこれ以上、その悲惨な死体を見てられないと目を逸らし、ほたるは行き場のない感情を嚙んで含めるように歯噛みして、眉を顰め、困惑していた。


 アズマは一度大きく息を吐き出してから、落ち着き払った様子で遺体の左手から指輪を抜き取り、握りしめる。

 そして、さくらを見た。


「さくら、一つ頼みがあるんだが――」




 その指輪に触れ、瞳を閉じていたさくらは、やがて一筋の涙をこぼした。

 静かに涙を流しながら、さくらが語った内容を聞いて、アズマは「そうか」とただ頷き、ほたるは、


「……ほたるは、ほたるを護って死んじゃったお母さんに、もう一度会いたいです。会いたくて、会いたくて堪らないです。あって、話したいことが沢山あります。大好きだって、もう一度言いたいです。――でも、誰かを犠牲にしてまで、会おうとは思いません。そんなことをしたら、きっと、お母さんに怒られますから……。だから、アイツがやったことは間違ってるし、理解も出来ません。最悪です。理解したくもありません。でも――……、いえ……、やっぱり何でもないです」


 ほたるはアズマやさくらに顔を見せないように立ち上がると、街の方を見た。


「マスターが来てるなら、伝えなきゃならないこともありますし、マスターの所に行きましょう。街が大変なことになってて、人手も必要なはずですし」


 そう言って、ほたるは背を向けたまま一人で歩いて行く。


「アズマさん……」


 俯いていたさくらが指輪を握りしめた手で目元を拭った。そして、アズマが手にしている《夢晶》を見る。


「カミシロさんは、最期まで、その《夢邪鬼》のことを想ってました。自分が襲われても、彼女を操ることはしたくなくて、殺されそうになっても、最期まで――。私も、カミシロさんのやったことを肯定するわけじゃないですけど、でも、あの人は本当に……」


 アズマが深く深く嘆息して、静かに泣いているさくらの頭に手を乗せた。


「……カミシロがやったことは、間違ってるし、許されない。……ただ――、」


 アズマはそこで言葉を区切り、顔を上げたさくらと視線を合わせる。


「今ここでさくらが泣いてる事は、決して無意味ではない、と思う。あー……、色々一気に起こり過ぎて全然心の整理が付いてないんだが、まぁ……、なんだ? ここでそうやって泣けるお前のことは……そういうさくらは、好きだよ、俺はな」


 アズマはさくらから指輪を受け取ると、陽を受けて煌めく《夢晶》と指輪を一緒に握りしめ、最後にカミシロの遺体を一瞥する。


 それから、アズマとさくらは並んでほたるの後を追った。


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