4.カミシロの夢


 昔から、異性にはよく好かれた。

 朝、鏡を見る。鏡に映る自分の顔立ちは、とても整っているらしい。

 皆に羨ましがれる顔らしい。

 よく分からない。

 異性にモテても、同性に羨ましがられても、よく分からない。

 人間と一緒に笑い合うのは嫌いじゃなかったが、何の脈絡も無しに異性に好きだと告白されても、戸惑いしか生まれなかった。

 惚れられても、嫉妬されても、迷惑でしかない。

 優しくされたから何だ? 優しくされたから好きだと言われても、よく分からない。

 誰かに特別に接した覚えはない。

 好きとは何だ? 

 理解できない。恋とは何だろう。愛とは何だろう。

 人が人を愛するという気持ちが、理解できなかった。

 そんなカミシロが、唯一心惹かれたのが、《夢邪鬼》だった。

 《夢邪鬼》との出会いは彼にとって劇的で、その瞬間、彼の世界は鮮やかに色付いた。

 その人とは違う異形に惹かれた。他の生き物とは違う凶悪さに惹かれた。

 どうやら《夢邪鬼》は、人が持つ畏怖の対象が具現化したものらしい。

 自分でも何故そんな《夢邪鬼》という生き物に惹かれてたまらないのか分からないが、《夢邪鬼》の事を考えるその時、この胸が高鳴るのは事実だった。

 過去に一度、親に自分のその気持ちを伝えたことがある。

 《夢邪鬼》のことが好きだと、《夢邪鬼》に直接会って触れ合うため、《夢幻特区》に入るにはどうすればいいのか、と。

 しばらくの間、両親は彼の言う事を冗談か何かだと思っていたようだが、やがて、彼の言っていることが本気だと理解すると、彼を精神病院に連れて行った。

 その時、彼は自分が自分の思っている以上に〝異常〟な存在であると悟ったのだ。

 だからそれ以降は〝普通〟を演じるようにした。

 平凡な感性を持つ普通を装い、普通の青少年のように、恋愛の真似事をした。

 自分の気持ちを抑え付けるのは酷い苦痛を伴ったが、その一方で、彼は《夢幻特区》に入る方法を調べ、その手段として冒険者になることを選んだ。真っ当な理屈で両親を納得させ、冒険者になったのだ。

 幸いなことに、彼には才能があった。 

 類い稀な《夢能》を筆頭として、その他の能力も突出していた。

 冒険者として、初めて《夢幻特区》に足を踏み入れた時、彼は感動に打ち震えた。

 今まではテレビやネット上、書物の中でしか目にすることができなかった《夢邪鬼》を、この目で捉え、直に触れ合うことができたのだから。

 しかし、《夢邪鬼》と対面した彼は、すぐに首を傾げることになる。

 自分はこんなにも《夢邪鬼》の人間とは違う姿形に、その凶悪な立ち居振る舞いに、心惹かれているのに、なぜ自分は攻撃されているのか? 

 ――そうだ、確か、《夢邪鬼》は人を襲うのだ。

 《夢邪鬼》に追われて、人々は狭い居住区域で過ごしているのだ。

 そんな《夢邪鬼》を対処するために、冒険者がいるのだ。

 自分はこんなにも《夢邪鬼》に、彼女たちに狂おしい程の愛おしさを覚えているのに、彼女たちはそれを分かってくれないらしい。

 何度呼びかけても、手を触れても、まるで分かってくれない。

 自分が《夢邪鬼》に向けている愛は一方通行でしかなく、彼女たちにとって自分は、真っ先に抹殺すべき害敵でしかなかった。

 何かが、致命的に狂ってた。

 あぁやはり自分は〝異常〟なのだ。

 《夢邪鬼》に直接会えば、何かが変わると思っていたが、そんなことは無かった。昔から何一つ変わらず、おかしいのは自分だけだ。

 おかしくなりそうだった。

 気が狂う。気が狂う。狂う。

 自分を殺そうとする《夢邪鬼》を葬り去りながら、彼は泣いた。

 《夢邪鬼》を始末しなければ、冒険者としてやっていけない。 

 冒険者でなくなったら、《夢邪鬼》に会えなくなる。

 だから、殺した。

 なるべく苦しみを与えないよう、一太刀の内に即死させる。

 自分がやっていることが分からない。

 気が狂った。

 そんなことを繰り返している内に、自分の中の何かが崩れ壊れていく感覚があった。

 気が狂い、狂った先の、静寂。 

 なるべく、自分の内に潜むこの異常な感情を刺激しないようにと、冒険者であり続けた。

 《エニグマ》の存在を知ったのは、その頃だ。

 《夢邪鬼》と心を通わせる《エニグマ》という特殊な道具があると、噂を聞きつけた。

 それを手にできれば、今度こそ、自分は救われると思った。

 自分が《夢邪鬼》に向ける愛情をしっかりと伝えることができれば、きっと彼女たちも理解してくれるだろう。

 その後、彼が《エニグマ》【異輪〝ゼノダクティル〟】を手に入れることができたのは、半ば奇跡だった。

 だが、今となってはそれを幸運だったと言っていいのか分からない。

 目的のソレは、《夢邪鬼》と心を通わせる《エニグマ》ではなく、ただ単に《夢邪鬼》を支配し、思うままに操るモノだったからだ。

 《夢邪鬼》と触れ合うのは昔からの夢だった。

 《エニグマ》の力で、《夢邪鬼》に攻撃される事は無くなり、その夢を叶えたはずなのに、彼の心は空虚だった。

 別に《夢邪鬼》を操りたい訳じゃない、純粋に仲良くなれさえすれば良かったのに。

 何かが違う。

 そうじゃない。何もなく、ただ剥き出しの心と心を通わせて触れ合いたいんだ。

 もう全てを諦めかけたその時、彼は運命に出会った。

 今まで、自分が他の《夢邪鬼》が向けてきた感情は何だったのかと思えるほどの熱。

 愛とはこのことか。恋とはこのことか。

 いつだったか、人間の女の子が、彼に言ったことがある。

 「一目惚れしました。好きです」と。あの時の言葉の意味を、ようやくその時、彼は理解した。心が熱い。

 綺麗な毛並みを持つ〝九尾の狐〟だった。俗に《ネームド》と呼ばれる《夢邪鬼》。

 かつての日本人が空想し畏怖した妖怪。

 切れ長の鋭い瞳が血走っている。目の前の獲物を喰い千切ろうと純麗な牙を剥きだしにしている。 

 華麗な爪を振り上げている。九本の勇ましい尾が天を衝き、その圧倒的な存在感を主張している。


 一目惚れだった。


 彼女を一目見た瞬間、カミシロの胸の奥の奥を甘く貫いて痺れさせた。

 得も言えぬ幸福感が全身を支配していた。

 この身がどうなっても構わないから、彼女と結ばれたいと思った。

 今まで悩んでいたことが全て気にならなくなる程の衝撃。 

 これが恋か。

 あぁ、これが、これが、恋か。愛か。

 火傷しそうな熱。狂おしい熱。情愛とは、このことか。

 その九尾の狐は、誇り高く猛々しい姿を走らせ、街中の隅に薄桃色髪の少女を追い詰めていた。

 カミシロは九尾の狐の美しい姿にただただ見惚れ、呆然と、何かに囚われるようにその様を少し離れた位置で眺めていた。

 彼女は一体、どんな姿で食事をするのだろう。

 しかし、その瞬間は訪れなかった。

 艶めいた赤髪をなびかせる少女が颯爽と現れ、九尾の狐の首を刎ね飛ばしたからだ。

 赤い髪の少女が、薄桃色髪の少女に、何かを言っている。


「自身のチカラで、自分の望む夢を手に入れるために冒険をするの。この手で、この身で、どんな夢だって叶える。それが冒険者なのよ」


 あぁ、それが冒険者なのか。

 別に冒険者は、《夢邪鬼》を殺すための存在ではないのか。

 「さぁ逃げなさい。あっちは安全だから。またきっと会いましょうね」と、赤い髪の少女は、薄桃色髪の少女に優しく告げた。

 薄桃色髪の少女が何度も頷き、礼を言って、駆けていく。

 結局あの少女は、最後までカミシロの存在に気付かなかった。

 《夢邪鬼》に襲われている場面をただ眺め、少女を見殺しにしようとしたカミシロの存在に、最後まで。

 やっと出会えた運命の相手を失った悲しみに暮れ、徐々に溶け、《夢源元素》に還って空中に散っていく九尾の狐の遺体を、涙を流しながら見つめていた彼の元に、赤い髪の少女がやって来る。

「あなたはどうして泣いているの?」

 どう答えていいか分からず、ただ彼は意味もなく首を振り、消え逝く彼女を見つめ続けていた。

 やがて遺体が溶け切って、少量の血や肉や骨の破片など僅かな残骸、そして、まるで彼女の毛並みのように艶やかな《夢晶クリスタル》が残った。

 すると、彼の視線に気付いた赤い髪の少女が、その《夢晶》を拾い上げ、彼に手渡した。

「これはあなたにあげるわ」

「いいの?」

「ええ、もちろんよ。そんな目をされたら、誰だってそうするわ」

 不思議と、赤い髪の少女のことは憎めなかった。赤い髪の少女は彼女を殺したが、この世界ではそれが普通だから。

 おかしいのは自分の方だから。ただ、ただただ哀しかった。

「本当に……、冒険者はどんな夢でも叶えられると思う……?」

「何言ってるの、当たり前じゃない。そのための、夢を叶えるためのこの世界よ。所であなた冒険者でしょう? ウチのギルドの副マスターをやらないかしら? ちょうど空きが出て困ってたのよね」

 ただ――、ただ、ただ、もう一度、彼女に会いたかった。

 赤い髪の少女と出会って、カミシロを取り巻く環境は変化したが、それでも、そこに今まで感じなかったある種の居心地の良さを感じていても、それでも、彼にとっての一番が彼女である事だけは、変わらなかった。

 一度だけでいいから、彼女と触れ合いたい。

 狂おしい程の愛が、身を焼く程の恋の熱が、あの時一目見た彼女の姿が目に、心に焼き付いて離れない。

 一度だけでいい。あと一度、もう一度彼女に会いたい。ただ、会いたい。

 愛の為だ。愛の為だ。愛の為なら、仕方ない。分かってもらえなくてもいい。理解されなくてもいい。

 でも、やっぱり、この気持ちは何だろう? 

 本当は理解してもらいたいのかもしれない。

 別の誰かに、このボクの愛の強さを。狂おしい程の愛を。肯定して欲しいのかもしれない。

 でも、それが無理であることは分かっているから、仕方ない。この気持ちが何よりも異常なものだったとしても、愛であることに変わりはない。愛のためだ。


「もうすぐ会えるよ、待っててね」


 富士山の頂上付近。天を衝き、青々とした枝葉を一帯に広げ、只ならぬ威容を放ち、深く深く大地に根を張る大樹。

 その根元に、人が安易に触れてはいけないと本能で察せられる石碑があった。


 炎のように赤色で彩られたシンプルで神聖な石碑。

 〝生〟への執着と願いが染みついた《夢源元素ソムニウム》が、不死の山の頂上部を取り巻くようにして街中から立ち上り、生を求めて、正面の石碑に収束している。


 〝生と炎〟の化身――不死鳥という神話が眠る石碑へと、生きるための夢と願いがくべられる。


 カミシロは、炎への愛を凝縮した塊である《エニグマ》――【炎剣】を手元に呼び寄せると、肌身離さず身に付けていた首飾りを外す。

 彼女の《夢晶》があしらわれた首飾りだ。


 カミシロはその場に膝を着き、【炎剣】と首飾りを、恭しく石碑の前に捧げた。


 そして、願う。

 彼女に、彼女にもう一度、会いたい、と。


 ――瞬間、生への願いが、《夢源元素》を燃料に着火し、燃え上がった。


 彼女の《夢晶》に生の炎が灯り、煌びやかな火炎が膨れ上がり、形を成す。


 何度も何度も夢に見て、網膜に焼き付いて離れなかったその優美な姿の気配を感じた時、艶めいた毛並みの九本の尾を目にした瞬間、彼は――――。



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