千本桜~SAKURA SAKU~

1.写真を撮る理由


 気付けば、眠っていた。

 近づいて来る足音でさくらは目を覚まし、あくびを噛み殺す。


 窓から差し込んでいる夕陽が長い人影に遮られ、顔を上げるとアズマが立っていた。


「あ……、アズマさん」


「こんなとこにいたのか、そろそろ帰るぞ」


「は、はい……あ、でも」


 さくらは自分の膝を枕にして気持ちよさそうに眠っている真空を見下ろす。

 その寝顔を見るだけで自然と笑みがこぼれ、さくらはそっと真空の髪を梳く。


 アズマは何も言わずさくらの隣に腰掛けると、小馬鹿にするように笑った。


「にしても酷い顔してんなお前」


 泣き過ぎた自分の顔が酷いものになっていることは、鏡を見なくても自覚できた。

 恥ずかしくなったさくらは、顔を赤らめてそっぽを向く。


「み、見ないでください……」


「はいはい」


 そう言って、アズマはさくらの膝の上で寝ている真空に視線を落とした。


「仲良くなったのか?」


「はい、えっと、なんと言うか、不思議なことが起こりまして」


 さくらは自分の身に起こった不思議な現象について、アズマに説明する。


 【記憶回帰】を使うつもりはなかったのに、勝手に真空の母親の記憶が、ペンダントから流れ込んできたこと。

 物の記憶を読み取る時の感覚が、今までに【記憶回帰】を使った時と比べて、明らかに異質だったこと。

 まるでその瞬間だけ、さくらが真空の母親に取り憑かれたようになったこと。


 それらのことを聞き終えてから、アズマは「なるほどな」と呟いた。


「前にも言ったが、今のこの世に満ちている《夢源元素》は、人の想いに依って色んなもんを現実に持ってくる。それは基本的に人の意思でどうこうできるもんじゃないが、いくつか例外がある。《夢能》とか《夢法術》ってのが代表的だな。例えば《夢法術》は、人体に刻み込んだ《法章》を通すことで《夢源元素》に指向性を与えて、意図的に超常現象を引き起してる。《夢能》は、そういう《法章》みたいなもんを産まれた時から持ってる奴が使えるもんだ。そもそも《夢法術》が、《夢能》の人為的劣化コピーだしな」


 ここまでは、さくらも学校などで習っている内容である。


「他に例外として、かなり曖昧な話にはなるんだが、人の想いがある一定の強さを越えた時、そういう《夢法術》や《夢能》とは別の形で、《夢源元素》に指向性が付与される場合がある。《夢源元素》はどんな現象でも引き起こす可能性を持つ万能元素だ。人の常軌を逸した想いによって形を変えた《夢源元素》は、時として人の願いを叶える。特に、死に際の人の想いってのはその強さが異常だから、そういうことが起こり得る。まぁだからって、もちろん全部が都合良く行く訳じゃない。それ相応のエネルギーやら条件やらが必要だったりするもんだ。今回の場合だと、この子の母親の想いを伝える条件がさくら、お前だったんだ」


 物に込められた人の想いを汲み取ることができるさくらが触れていたからこそ、そのさくらの《夢能》を通じて、真空の母親の願いが叶った。


 ――最後に一度でいいから真空を抱きしめて、愛の言葉を伝えたいという願いが。


「さくらがこの子の母親の夢を叶えたんだ。誇っていい」


「……ぅっ」


 堪えようとしても、もう枯れる程泣いたと思ったのに、また涙が溢れた。

 しゃくりあげるようにしながら、さくらは熱い喉を震わせて言う。


「ソラちゃん――、真空ちゃんのお母さんにも、ちゃんと、真空ちゃんの言葉は伝わったんでしょうか」


『――ありがとう……っ、お母さん……っ』


「…………あぁ、きっとな」


 アズマがやさしい瞳で眠る真空を見つめ、どこか物哀しげに言った。

 その後、二人の間に沈黙が落ちたが、しばらくしてさくらが口を開く。


「……そ、そういえば、アズマさんの写真、真空ちゃんにとても喜んでもらえましたよ」


 さくらは眠る真空が抱きかかえている本に視線をやって言う。

 すると、その本の表紙を見たアズマが分かりやすく顔をしかめて、ため息を吐く。


「お前、よりにもよってコレを選んで見せたのか」


「だ、だって、すごく素敵な写真ばかりですし……。真空ちゃんには、《夢幻特区》が悲しくて辛いだけの場所だと思って欲しくなくて……」


「はぁ……」


 アズマは頭を掻きながら、本から視線を逸らして、複雑そうな表情を浮かべている。


「なんでそんな顔するんですか? アズマさんの写真、本当に綺麗で凄いですよっ。もっと自慢していいと思います。私も冒険者になったら、こんな写真が撮れるようになりたいです。あっ、そうだアズマさん、今度私に写真の撮り方教えてくださいよっ。修行の合間にでもいいので」


「すまん、無理だ」


「なんでですかー。アズマさんのケチ」


 さくらが唇を尖らせ、拗ねたようにアズマを見る。


「……いや、別にそういうことじゃねえんだ」


「……?」


 そんなアズマの煮え切らない態度は新鮮で、違和感があった。さくらは首を傾げる。


「俺はもう写真は撮らないんだよ。だから、無理だ。たぶんこういう本を出すのも、これが最後だな」


「――え?」


 全くの予想外だった返答に、さくらは動揺する。


「な、なんでですか?」


 困惑しているさくらに、アズマは諦めたようにため息を吐いた。


「あんまりお前にこういうのは話したくないんだが……、はぁ……、まぁいいか」


 アズマの記憶に、父親の影はない。

 どこかで生きているとだけ聞いていたが、病弱な母親を置いて出て行った父親のことはどうでも良かった。


 母親は、そんな父親をあまり責めないでやってくれとアズマに言っていたような気がするが、父親の事など本当にどうでもよかったので、その時の母の言葉はあまり覚えていない。


 そんな母親が、体を壊して寝た切りになったのがアズマが六歳の時。


 それ以降、母親はほとんど病院のベッドの上で暮らすようになり、まだ幼く、他に頼れる親戚もいなかったアズマは孤児院に預けられることになった。

 そんなアズマが、母親を元気付けようとして始めたのが写真だった。


 当時、孤児院の院長だった文子の父親が昔写真家だったらしく、写真について色々教えてもらえた。

 写真というものに興味を持ったアズマが、自分で撮った写真を母親に見せると、母親はとても喜んでくれた。


 いち早く稼ぎを得て独り立ちすることを考えていたアズマは、孤児院の先輩で冒険者になった者から、冒険者として必要な技術を習った。


 アズマには冒険者の才能があった。

 その先輩の教え方が上手かったというのもあるが、周りの誰もが驚く速度で冒険者としての実力を付けたアズマは、十五歳で正式なライセンスを取得し、冒険者になった。


 それからは、フリーの冒険者として母親の入院費用を稼ぎながら、一方で《夢幻特区》の珍しい写真を撮り、それを見せて母親を元気づけながら、アズマは活動していた。


 やがてアズマは孤児院を卒業して、【不知火】というギルドにも入り、安定した生活を送っていた。


 だがその一方で、母親の体調はどんどん崩れていき、医者にもうあまり長くないだろうと告げられたのが半年前。


 長らく病床に伏せる母親を見てきたアズマからすれば、あぁついに来る時が来てしまったか、というのが素直な感想だった。


 そんな母親に、最後に何かしてやれないかと考えたアズマの頭に浮かんだのが、〝夏のイデア〟という《夢幻特区》で見られる特殊な現象だった。


 アズマの母親は夏という季節が大好きで、アズマの名前にも、昔の日本では夏の風物詩とされていた綺麗に光る虫の名前を――蛍という名前を付けたと聞いていたから。


 しかし〝夏のイデア〟をカメラに収めるための条件はかなり厳しい。

 本当にそれを撮影できるのだろうか、と思っていたのだが、幸運にも絶好の機会が訪れた。


「――まぁ、そんで《夢幻特区》に行って、俺はお前に突進された訳だ」


 さくらは、ファングフットに追われて走り回っていた時、存在感を消して姿形も見えなかったアズマに突撃したこと思い出す。

 一か月前、夏の始まりのよく晴れた日の事。


「……お母さんには、あの時撮った〝夏のイデア〟を見せることが、できたんですか?」


 さくらが恐る恐る尋ねると、アズマはあっさりとした口調で言う。


「いや、無理だった。お前と別れた後、お袋の病室に行ったんだが、もうお袋は息をしてなかった」


「…………そ、それ、って」


「おっと勘違いすんなよ。別にお前のせいじゃない。お前が足を引っ張ろうがどうしようが、関係なかった。お袋の様態が急変したのは、俺が出発したすぐ後だったって話だからな。俺が間抜けだったんだよ。でも別に後悔はしてねえんだ。お袋はもういつ死んじまってもおかしくない状況だったし、《夢幻特区》に行く前、調子よく意識を戻したお袋と最後の話は済ませてたからな。上手い具合に俺が間に合ってたとしても、お袋の意識があったかどうかも怪しかった。だから別に、さくらが気にすることじゃねえよ」


「で、でもぉ……っ」


 涙を滲ませるさくらに、アズマは呆れたように笑う。


「泣き過ぎだお前は。お袋の事に関しちゃ半年前から覚悟してたし、気持ちの整理も付けてた。来る時が来たってだけの話なんだよ。人間どうせいつかは死ぬんだしな。ただ……、あの後から、上手くカメラのシャッターを切れなくなった、それだけの話だ。元からお袋の為に写真を撮ってた所あるから、まぁ仕方ねえわな」


 アズマの語り口調は淡々としていた。

 もう既に母の死を悼み終え、受け入れ、区切りを付けているのだ。


「そう、ですか……。すみません私……」


「お前は何も知らなかったんだろ、気にすんな」


「はい……。――でも、あの、アズマさん、私……っ」


 さくらが濡れた目元を指で拭って、顔を上げた。少し息を吸って、真面目な顔でアズマを見る。

 そんなさくらの表情に、アズマが「どうした」と首を捻った時、アズマのポケットが震えた。


「すまん、電話だ」


 アズマがスマホを取り出しながら立ち上がって、さくらから離れる。


「あ……」


 続く言葉が打ち切られ、口を開けたまま固まるさくら。

 その時、さくらの膝を枕に眠っていた真空が、寝ぼけ声をこぼしながら起き上がる。


 眠たげに瞼をこすりながら、真空はさくらを見つめる。


「ソラちゃん、おはよう」


 さくらが真空に微笑みかけると、真空は「うん」と頷いてさくらに抱き着く。


「さくちゃん、おはよう。えへへ……」


 無邪気に胸元に頭をこすり付けてくる真空が愛おしくてたまらなくて、思わず顔がほころぶ。


 思い上がった考えかもしれないが、子を思う母の気持ちというのが、いくらか理解できるような気がした。


 今なら、さくらの身を案じて、冒険者になるのをやめてくれないかと言った母親の気持ちも分かる。

 それが昔からの娘の夢だと理解していても、言わずにはいられなかったのだ。


 だからと言って、冒険者になる目標を諦めようとも思わない。

 しかしながら、少なくとも、家に帰って母親としっかり話し合おうという決心はついた。


 一日足らずの家出と言えど、きっと母は心配している。


 家に帰ったら、まず突然飛び出してしまったことを謝ろう。


 その時、屋敷の外の方から巨大な地響きが轟き渡った。


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