10.青空の記憶


 元気の有り余る子供たちの相手に疲れ果て、さくらは敷地内の隅にある木陰のベンチに腰掛けた。

 ここに来る道中の《念力》の修行で体力を使っていたというのもあるが、純粋に小さな子供たちの勢いに圧倒された。


 前方に視線をやると、数十人の子供たちの相手をしているアズマの姿があった。

 どうやらタッチされた者が皆、鬼となって増えていく鬼ごっこをやっているようで、最後に残ったアズマが上手い具合に捕まるか捕まらないかの瀬戸際をキープしながら子供たちと一緒になってはしゃいでいる。


 アズマの気取ったような一面ばかりを見てきたさくらからすれば、意外と言わざるを得ない。

 だが、よくよく考えてみれば、あのアズマのツンデレめいた面倒見の良さは、こうやって孤児院で多くの子供たちの面倒を見てきた所に起因しているのかな、と思う。


「疲れちゃいましたか? さくら」


 さくらの隣にほたるがやって来て、ベンチに腰を下ろす。


「はい、少し……。みんな元気ですね」


「そうですねー。でも、子供は元気が一番です」


「アズマさんも……元気ですね」


 子供等の相手から一時離脱したさくらは、どこか尊敬の念を込めてアズマを見る。


「ケイくんはあれで中々子供好きですからねーっ。ほたると結婚してたくさん子供ができても、きっと良いお父さんになってくれます!」 


 まるでアズマとの結婚を疑っていないほたるに、さくらは何と返していいか分からず曖昧に笑みを滲ませる。


 その時ふと、さくらたちが座るベンチから数メートルほど離れた位置の木陰に身を隠すようにして、遊んでいる子供たちの方を見つめる少女がいた。


 彼女が首に提げているロケットペンダントを見て、さくらはその少女が屋敷の中で見た真空であると気付く。


「あの子、ほたるが知らない子ですね」


「最近入ってきた子で、真空ちゃんって言うらしいです」


 そしてさくらは、少し逡巡した後、文子から聞いた彼女が置かれている状況をほたるに説明する。


 さくらの話を聞いたほたるは、真空の方を一瞬だけ見やって、「そうですか」と静かに呟いた。

 ほたるは淡々と言葉を続ける。


「んーそうですね。難しい話です。ここに居る子たちは、大なり小なり心に傷を負って入って来るものです。体に傷を負ってる子もいます。あそこで楽しそうに笑ってる子たちも、ここに来た初めの内は心に壁を作ってました。ほたるもそうでした。でも、心の傷があったとしても、楽しい事は楽しいし、嬉しい事は嬉しいんです。けどですね……、心の傷があると、そういう楽しい事や嬉しい事を自分の中に受け入れられなくなっちゃうんです。理由は人それぞれですが、ほたるの場合は、お母さんが自分のせいで死んだのに、自分が幸せになっていい訳が無いなんて馬鹿なことを思ってた気がします。だから、大切なのはキッカケです」


「キッカケ……、ですか?」


「はいそうです。少しでも前を向いて、今ある未来を受け入れるキッカケです。そういう何かしらのキッカケさえあれば、あとはちゃんと進んでいけますよ。でもそういうキッカケは、誰かが与えようと思って与えられるものでもないので、難しい話なんです」


 さくらは、木陰に身を隠している真空をそっと見つめる。「キッカケ……」と、口の中で呟いてみた。


 その時、隣のほたるが「あぁっ!」と血相を変えて立ち上がった。


 ほたるの視線の先には、屋敷から出て来て鬼ごっこを終えたアズマに水の入ったボトルとタオルを手渡している女性がいた。

 客間でさくらとアズマをもてなしてくれた、あの明るい茶髪の若い女性だ。

 遠目のため分かりにくいが、何だか楽しげである。


「すみませんさくら、ほたるはあの女狐を仕留めてくるので――っ」


 風が吹いた。

 芝生が波立ち、樹木の枝葉が揺れる。瞬きの間にアズマの側に到達したほたるが、女性と言い争いを始めたのが分かった。


 茶髪の女性が何か挑発でもしたようで、彼女に跳びかかろうとしたほたるをアズマが押さえ付けている。


 さらに煽る女性。暴れるほたる。囃し立てる子供たち。呆れ顔のアズマ。


 大体そんな感じだ。


「あれ……?」


 さくらが苦笑いを浮かべながら真空が居た場所に視線を戻すと、彼女の姿が消えていた。

 辺りを見渡すと、一人で屋敷の方へ駆けていく真空の小さな後ろ姿が視界に留まる。


 そして、真空が屋敷に戻る途中、彼女の首からすり抜けるようにして落ちたロケットペンダントが芝生の上に転がるのも、さくらは目撃した。 


 さくらはベンチから立ち上がって、そのロケットペンダントを拾い上げに行く。


 落ちた衝撃で開いたのか、ロケットペンダントの中身にある写真が露わになっていた。


 満面の笑みで赤子を抱いている綺麗な女性と、その隣に立って笑う精悍な顔付きの男性。

 その女性の目鼻立ちが真空にそっくりで、例え事情を知らなくても真空の母と分かっただろう。


 幸せそうな写真だ。


 キュゥと締め付けられるような苦痛が胸に走る。


 ――早く、渡してあげなきゃ。


 さくらは鎖の一部が千切れてしまったそのペンダントを握りしめ、屋敷に走った。


 玄関を通る際、端に積み上げられているダンボールが目に留まる。

 さくらが運び入れた子供たちへのプレゼントだ。


 さくらはその中に真空に喜んでもらえそうな物があったかなと考えて、ふと思い出す。

 ショッピングモール内の本屋にて、さくらが手に取ってカゴに入れ、アズマに微妙な顔をされた一冊の本のことを。

 その本を手に取って、さくらは真空を捜す。


 ――にしても大きいおうちだなぁ……。


 百人近くの子供がここに住んでいるので当たり前だと思うが、本当に広く立派な屋敷だ。


 真空を探して二階に上がった所でハウスキーパーらしき人を見つけたので、声をかけて事情を話すと「それなら……」と、真空が居そうな場所を教えてもらえた。


 さくらがお礼を言ってその場から離れようとすると、ハウスキーパーの人に呼び止められた。


「ちょっと待っててくださいね」と言われ、ハウスキーパーの人が走りながらどこかへ行き、一分も立たずに戻って来る。


「これ、もしよかったら使ってください」


 そう言って手渡されたのは、丈夫そうな麻紐だった。味のある質感で、ペンダントの掛け紐にはピッタリに思えた。


「ありがとうございますっ」


 さくらは深く頭を下げ、人見知りの女の子が居場所にしていそうな所という条件で聞いた場所を回ってみる。


 そして、一階の大きな階段の下にある空いたスペースに、膝を抱えて泣いている真空を見つけた。


 声を押し殺すように、嗚咽を堪えるようにして、静かに泣いていた。

 さくらの足音にハッと顔を上げた真空は、さくらが手に持っているロケットペンダントを見て、目を大きく見開く。


 その時――。

 そう、確かにその瞬間――――、さくらが真空と視線を合わせたその刹那、さくらの中に、ロケットペンダントから〝ソレ〟が流れ込んだ。



 さくらは、【記憶回帰(サイコメトリー】の《夢能》を持っている。


 【記憶回帰】――それは物体から、そこに込められた感情記憶を読み取るチカラである。


 さくらはそれを上手く扱えず、無理に【記憶回帰】を使おうとすると、頭の中に流れ込んでくる記憶の情報量を処理しきれずに気を失ってしまう。


 少なくとも今まではそうだった。


 しかし、今回は今までと色々異なっていた。

 感覚としては、【記憶回帰】を使った時と同様だが、今回は使おうとして使った訳じゃない。


 そして、今までなら怒涛と流れ込んでくる記憶の波に耐え切れず卒倒していたのに対し、今この瞬間も流れるこの記憶は――、記憶と感情は、温かった。

 慈母のように温かく、そして悲しかった。悔やんでも悔やみきれない、死んでも死にきれないという後悔が、熱いほどの温もりに包まれてさくらの心を震わせる。



 ――ソラちゃんが生まれてすぐ、夫が死んだ。

 夫と知り合ったのは《夢幻特区》。私も冒険者で、夫も冒険者だった。

 当時の私は恋人や結婚なんて全く考えてなかったけど、あなたがあんまりにも熱心に好きだと言ってくれるものだから、気付いたら付き合っていて、結婚して、子供まで生まれていた。澄み渡る綺麗な青空のような子になって欲しいと、真空まそらと名付けた私たちの子は、本当に可愛くて、比喩じゃなく天使だった。

 ソラちゃんが一歳になる前に、あなたが死んだと聞いた時は、何かの冗談だと思った。

 私は結婚してから冒険者を引退していて、《夢幻特区》という危ない場所で働くあなたの無事を祈ることしかできなくて、もし、私も冒険者としてまだあなたの側に立っていたら何か変わっていたのかな、と思わない日はなかった。

 私一人で小さなソラちゃんを育てるのは本当に大変で、特に一番の問題はお金だった。

 簡単なパートだけじゃお金が足りなくて、私に残された道は水商売か冒険者に復帰するか、その二つ。ソラちゃんが三歳になる頃には貯金も尽きて、悩んで、悩んだけど、結局私が選んだのは冒険者に復帰することだった。その選択を、後悔してる。

 でも、あの時は、私には冒険者しかないと思ったんだ。

 だってあなたと出会えたのは、世界で一番可愛いソラちゃんに出会えたのは、冒険者をやってたからだから。

 長いブランクのせいで失った勘や、体の衰えもあって、また冒険者としてやっていくのは思っていた何倍も大変だったけど、助けてくれる仲間もいたから頑張れたの。

 でも、でもね、一番はソラちゃんだよ。

 ソラちゃんの笑顔を思うと、何でも頑張ってできる気がしたの。

 でも、だから、でも、ごめんねソラちゃん。ごめんね。本当にごめんね。

 まだソラちゃんは七歳なのに、もっと色々してあげたかったのに、勝手に居なくなってごめんね。

 ソラちゃんが生まれて来てくれて、あなたもいて、世界で一番幸せだと感じたあの時の写真入りのロケットペンダントを握りしめながら、自分の体から流れてるたくさんの血を見て、ごめんねと何度も思う。

 あぁ、せめて、せめて最後に一度でいいからソラちゃんを抱きしめたかった。

 お願い神様。一度でいいから、私たちの可愛い天使に、勝手に居なくなって本当にごめんねって、生まれてきてくれてありがとうって、ありがとうって、精一杯幸せになってね、って、そう伝えたかった。

 強く抱きしめて、ありがとう、大好きだよソラちゃんって―――――。



「ソラちゃん……っ、ソラちゃん……っ」



 ――涙が止まらなかった。嗚咽が喉の奥から溢れて、心の奥底から溢れて、溢れて、止まらない。


 目元が強く熱を持って、頬が濡れる。全身が熱い。


 目の前にいる小さなこの子を抱きしめて、何度も名前を呼ぶ。

 彼女の最期の言葉を、伝える。

 彼女の気持ちが溢れ出てくる。止まらない。涙と、想いが、止まらない。


「ソ、ラちゃん、そ、ソラちゃん、ソラちゃん……っ、ご、ごめ、ごめっ、んね……っ」


 嗚咽で震える喉のせいで、上手く言葉を作れない。それでも、必死に絞り出すように、火傷しそうなほど熱を持った言葉を紡ぐ。


「ごめ、んね……っ、ごめん、ね。ソラちゃん、……っぅ、ごめん、ね……っ」


 突然泣き出して、真空を強く抱きしめたさくら。


 そんなさくらに真空は目を白黒させ、何が何だか分からないという表情を浮かべる。

 しかし、さくらが「ソラちゃん」と、その名前を呼ぶ度、真空の肩が小さく震える。


 もう二度とは会えない母親と寸分たがわぬ抑揚の付け方で、同じ呼び方で、「ソラちゃん」と呼ばれる度、真空の内に何かが込み上げる。


 一度泣き止んだ真空が再び大粒の涙を流し、赤子のように声を上げて泣き始めたのを見て、さくらはその小さな頭を胸元に強く抱き寄せた。


「ソラちゃん……っ、お母さん、勝手に居なくなって、ごめんね……っ。も、もっと、色々、してあげたかったのに……っ、ごめんね、本当に、ごめんね。でもね、お母さん、ソラちゃんがいてくれて本当に幸せだったよ。だから、だからね、ソラちゃん、生まれてきてくれて、ありがとう……っ。ソラちゃんも、幸せになってね。ありがとう、大好きだよソラちゃん」


「――ありがとう……っ、お母さん……っ」



 

 その後、互いに疲れるほど泣きじゃくったさくらと真空は、改まって向かい合う。

 真空は真っ赤に腫れた目元をこすって、恥ずかしそうに、不思議そうにチラチラさくらを見ている。


 さくらもまた赤く腫れた目で、どこか気まずそうに微笑を滲ませて、真空を見る。


「あのね……、真空ちゃん」


 さくらがそう呼びかけると、真空はビクリと肩を震わせたが、逃げ出すことはなかった。


「これ、真空ちゃんのお母さんが持ってたもの、なんだよね?」


 さくらが見せたのは、首に掛ける鎖の部分が千切れしまった傷だらけのロケットペンダントだ。

 真空は恐る恐ると、ゆっくり頷く。


「真空ちゃん、《夢能》って、知ってるかな?」


「……う、うん」


「お姉ちゃんね、それが使えるの。大切にされた物に込められた気持ちとか、想いとか、そういうものが分かるんだ。だから、さっきお姉ちゃんが真空ちゃんに言ったのは、全部真空ちゃんのお母さんが、真空ちゃんに伝えたくてこのペンダントに込めた気持ち」


「……っ」


 真空の瞳から涙が零れ落ちる。流れ出る涙を押し留めようと必死に目元をこすって嗚咽を漏らしている真空を見て、さくらもまた泣いてしまいそうになったが必死に堪える。


 ここでさくらが泣いてはいけない。さくらは笑顔を作ると、真空に麻紐を見せた。


「ねえ、これお姉ちゃんが直してもいいかな?」


 コクリと頷く真空を見て、さくらはロケットペンダントの千切れてしまった鎖の代わりに麻紐を通す。

 そして硬く結んでから、真空の首に掛けた。


「もう絶対に落としちゃダメだよ?」


「うん……、うん……っ」


 溢れる涙を押し留め切れないまま、何度も何度も頷く真空を、さくらは思わず抱きしめる。今度は母親としてじゃなく、自分自身青雲さくらとして。

 この小さい女の子の心を、少しでも温めてあげられるように。


 真空の綺麗な空色の髪を梳くように撫でて、「よしっ」と呟いてから、さくらは真空と目を合わせた。

 夏の快晴の空のように濃い青色の瞳が、パチクリと瞬く。


「ねえ、真空ちゃん。良い物見せてあげよっか」


「……な、なに?」


 さくらは足元に置いていたA4判サイズの本を手に取って、真空の隣に並ぶとそれを広げた。

 すると、見開き一杯に映し出される絶景の写真。


 息づくように鮮やかな、夢のような光景の数々。その本は、アズマが《夢幻特区》で撮影した景色を集めた写真集だった。


 これを買い物カゴに入れる時、アズマに微妙な顔をされたが、それでも強引にさくらが突っ込んだ一冊である。既にさくらが持っている物とは違い、先日出版されたばかりの新刊だ。


「……きれい」


 真空が感嘆の息を漏らして呟く。


 それは例えば、星々を灯す樹木、七色の虹を流す滝、薄紅色に透き通る大海原、煌びやかな宝石色に彩られる夜空、天高く突き上る一本樹とそれを取り巻くように飛び回っている色鮮やかで大きな羽を持つ蝶々、若草色の大空に咲き誇る花畑。そして、荒野の中、首を垂れて優美に水を飲むペガサスの群れなど――。


 他にもたくさん、アズマがその身で趣き、カメラに収めた夢のような絶景が載っていた。


 《夢幻特区》は過酷な場所だ。

 化け物や幻獣が我が物顔で闊歩し、超常現象が人を弄ぶ。

 それでも、ただ辛いだけの場所ではない。


 アズマと共に見たあの夏の日の光景を思い出しながら、さくらは真空の頭を撫でた。


 さくらが撫でているのに気づかない程、本の写真に夢中になっている真空。


 澄み渡る綺麗な青空のように笑っている真空を見て、彼女の人生が幸せなものになりますようにと、さくらはただ祈った。


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