9.孤児院へ


 いきなり現れ、いきなり消えてしまったカミシロ。


 一体何だったのだろうと、さくらがしきりに首を捻っていると、足音が近づいて来た。顔を上げるとアズマが立っている。


「待たせたな」


「あの、アズマさん。アズマさんが持ってるその赤い刀、《エニグマ》って言うんですか?」


 アズマの顔を見るなり、さくらはアズマの腰にある赤い鞘に納められた刀を指差す。


「あぁ、そうだが。誰かから聞いたのか?」


「はい……えっと、今カミシロさんと話していて……」


「カミシロと……?」


 アズマが不可解そうに眉根を寄せる。


 さくらがカミシロと交わした会話の内容を簡潔に説明すると、アズマはさらに怪訝そうに首を捻った。


「カミシロは普段から何考えてるか分かんねえからな……」


「あの、結局エニグマって何なんですか?」


「《エニグマ》は、そうだな……」


 アズマは腰の剣帯に差してある赤刀を軽く持ち上げる。


「よく分からんもんだ」


「えぇ」


 拍子抜けするさくら。


「じゃあ、カミシロさんが愛が宿るとか言ってたのは?」


「それは多分、取り憑かれるからだな。《エニグマ》を使いすぎると、その《エニグマ》が持ってる性質に染色される。例えばこの【血刀】は強力だが、無暗に使えば〝血〟に囚われる。【炎剣】は、〝炎〟に囚われるって話だ」


「……?」


 囚われるという言葉の意味する所がいまいちイメージできず、さくらは首を傾ける。


「つまり、依存するんだ。血に囚われたら、血を見ないと、血に触れないと、血を味わわないと、落ち着かなくなって、最後には狂う。血だけを求め続けるバケモノに堕ちる」


「え゛っ」


 【血刀】を軽く握っているアズマから、思わず一歩離れるさくら。アズマは苦笑する。


「俺は別に囚われるほどコイツに頼ってないから大丈夫だ。まぁでも危険な物であることに変わりはないな。謎も多い」


 ふと、さくらは自分の指輪を愛おしむように見つめていたカミシロを思い返し、言い知れぬ不安に駆られた。


 あれは、一体――。


「ケイくーん! さくらー! お待たせしました!」


 パタパタと軽快な足音を鳴らして、ほたるが駆け寄って来る。


 ほたるは駆け寄る勢いそのままにアズマに抱き着こうとするが、何事もなく躱されていた。


「あの……、今日はもしかしてどこかに出かけるんですか?」


 やって来たほたるの装いは、白い肩が眩しいオフショルダーの純白ブラウスに、瑞々しいふとももを見せつけるようなデニムのショートパンツ。小さめのショルダーバッグを肩から提げて、洒落たサンダルを履いている。


 明らかに、今から運動するような恰好ではない。


 よくよく見れば、アズマの装いもカジュアルな白シャツに、スタイルの良さが際立つスキニージーンズとラフなものである。

 ただ、ボトムスを締めているベルトが剣帯であり、そこに黒と赤の刀が二本差さっているのはかなり物騒だ。


 さくらは改めて自分の装いを見下ろす。

 今朝ほたるから手渡されて借りたのは、スカイブルーのノースリーブシャツワンピースで、よく考えなくても修練には適さないと分かる。


「あれ、言ってませんでした? 今日はほたるとケイくんがお世話になった孤児院に顔を出しに行くんですよ」


「さくら、お前は荷物持ちな」


「…………へ?」




 アズマとほたるは半年に二、三回ほどの間隔で大恩のある孤児院に顔を出している。

 昨夜のさくらとの会話で孤児院の事を思い出したほたるが、ちょうど良い機会だからさくらを連れて顔を出しに行こうとアズマに提案したのが今朝――、アズマの寝室に無断侵入して返り討ちにされた時の話である。

 ちなみにその時さくらはほたる宅で熟睡していた。


 アズマ、ほたる、さくらの三人は、【不知火】本部ビルを出てまず、近所にある大規模なショッピングモールに向かった。


「何を買うんですか?」


 さくらが尋ねると、ほたるが答える。


「子供たちが喜びそうなお菓子とか、ゲームとかオモチャとか、まぁそこら辺の諸々ですね。あ、お金はほたるたちが出すのでお気になさらず」


「さくらは子供だから子供の気持ちで選べるだろ。何を買うかはさくらに任せたぞ」


「わ、私は子供じゃ――っ」


 へッと微妙に苛立ちを誘う笑みを浮かべたアズマに、さくらは咄嗟に反論しようとするが、昨日のことを思い出して口をつぐむ。


「うぅ……」


 何か言い返したいが、言い返す台詞が何も浮かんでこないさくらが無言のまま涙目でアズマをにらんでいると、ほたるが言う。


「まぁでも、孤児院にいる最年長の子は十八歳ですからね。ほたるやケイくんとあまり変わりません。そもそもほたるたちが独り立ちしたのが大体二年前ですし」


「……孤児院には、何人くらい要るんですか?」


「面倒を見てくれてる人たちを除いて、大体百人くらいはいるんじゃないですか?」


「そんなにたくさん……」


 孤児院に居る子とはつまり、何かしらの事情により、親元で生活できなくなった子ということだ。

 日本の在り方を変えた大災害就寝開闢以降、そういう子供は増えた。

 特にその直後は、《夢想現象》による災害の影響を受け親を亡くした夢災孤児で溢れかえった。

 その受け入れ先として作られた孤児院が、日本の各地にある。


 アズマとほたるが身を置いていた孤児院も、その内の一つである。


 両親が健在なさくらからすれば、親が居ない状況というのが想像できなかった。

 無理に想像して同情するというのも何だか失礼な気がして、行き場のない感情が胸に溜まる。


『とりあえずさくら、お前は家に帰れ』

『そうですよさくら、お母さんとはちゃんと話した方が良いです』


 昨夜そう言った時のアズマとほたるは、一体何を考えていたのだろう。


「大丈夫ですよさくら、みんな良い子たちですから。まぁ悪ガキも居ますけど」


 さくらの暗い表情を見て、何かを勘違いしたらしいほたるが無邪気に言った。さくらは明るい顔を作って、「あはは」と誤魔化すように笑う。


「そんなに沢山いるなら、お菓子とかもたくさん買わないといけないですね」


「そうだな。今日はさくらの《念力》があるから、いつもより多く買えそうだ」


「え゛」


 アズマの不穏な台詞に、さくらの口から乙女らしからぬ濁った声が漏れた


「……ちなみに、その孤児院は、ここからどれくらい離れてるんですか?」


「電車で一時間、徒歩三十分ってとこだ。楽勝だろ?」


「楽勝かどうかは、荷物の重さと大きさにもよりますが……」


「安心しろ、ポーションも持ってきてるから《夢源元素》切れを起こしてもすぐ補給できる」


 ここ一週間ぶっ続けでハードな訓練をこなしてきたさくらだが、今日は休めるのだと内心密かに喜んでいた。

 アズマから指導を受けることを望んだのはさくら自身なのだが、それはそれ、これはこれである。

 一日くらいは休息が欲しい。


「が、がんばります……」


 しかし、無償という虫の良すぎる条件で教えを乞うているさくらに文句が言える訳もない。これも立派な冒険者になるためだ。


 体内の《夢源元素》が底をついた時に起こる、何度感じても慣れそうにない吐き気と、ポーションの尋常じゃない不味さを思い出し、青い顔で口を押さえるさくらだった。



 

「はぁ……っ! はぁ……っ! うっ……ぅく」



 ようやくたどり着いた孤児院、より正確に言えば、東京区第四児童養護施設『たまゆら院』のブロック塀に囲まれたシステマチックな門戸の正面で、さくらは《念力》で浮遊させていた一抱えほどあるダンボール十個を地面に降ろし、恥も外聞もなく倒れ込んだ。


「お疲れ様ですさくら、お水をどうぞ」

「すみません今飲むと全部出そうなんで遠慮します」


 などというやり取りが行われている一方で、アズマが門戸横のインターホンを押す。


「東蛍です」


『あらあらケイちゃんいらっしゃい、待ってたわ。今開けるわね』


 快活な女性の声がインターホンのスピーカーから聞こえた数秒後、駆動音を響かせながら、門戸が左右にスライドしていく。


 開いた門の先には、青々とした芝生が広がっていた。

 端々には遊具や砂場、テニスコートなども見られ、そこら中で甲高い声を上げながら子供たちが走り回っている。


 広々とした遊び場地帯の向こう側には、立派な屋敷が建っていた。


 比較的門戸の近くで遊んでいた子供等がアズマたちの存在に気付き、わらわらと集まって来る。


「アズマだあ」「ほたる姉ちゃん!」「アズマにぃひさしぶり!」「わぁああっ! 何買って来てくれたの!?」「このお姉ちゃんだれ?」「アズマ! アズマ!」「ねー なんか死んでるヤツいる!」「ほたるちゃん会いたかったぁ!」「アズマさんアズマさん元気でしたか!?」「何だこいつ」


 一瞬にして十数人の小学生くらいの子供たちに取り囲まれるアズマとほたる。

 そして、道路に倒れ伏しているさくらに興味津々で近付く者が二、三人。


「おーっ、元気だったかお前ら」

「今日もみんなは元気ですねーっ」


 アズマは全力で張り付いてくる子供たちの頭を撫でたり背中に乗せたりとかまいながら門を潜り、振り返ってさくらに言う。


「おいいつまで寝てんださくら。さっさと荷物を運び込め」


「…………アズマさんの鬼ぃ……っ」


 

 お菓子やらオモチャやら本やらが詰まったダンボールに殺到する子供たちを、《念力》を駆使してどうにかこうにか躱していくさくらと、その前を悠々と行くアズマ。


 ほたるはいつの間にか、少し離れた場所で他の子どもたちと一緒に走り回っている。


 アズマとさくらが屋敷にいくらか近付いた所で、恰幅の良いエプロン姿の女性が駆け寄って来た。

 朗らかな笑顔が眩しい中年女性である。


「こんにちは文子ふみこさん、一か月ぶりですかね」


「そうね、ケイちゃんが元気そうでよかったわ。ちゃんとご飯食べてる?」


「えぇ、まぁ」


「そう、でも無理はしちゃダメよ。それで、この子が今朝言ってたさくらちゃんかしら?」


 文子が、ダンボールを奪い取ろうとする悪ガキと格闘しているさくらを見やる。


「あぁそうです。荷物持ちとして連れてきました」


「あのアズマさん!? この子たちどうにかしてください!?」


 思った以上に凶暴な悪ガキたちに己の限界が近い事を悟ったさくらが半泣きになって叫ぶ。

 それを見た文子が「こらあんたら! みっともないからやめなさい!」と一喝すると、子供等はきゃーきゃー喚きながら散っていく。


「ウチの子たちがごめんなさいね。ちょっと元気すぎて」


「い、いえ……お気になさらず……」


 さくらが肩で息をしながらダンボール群を芝生の上に置いて、膝に手をつく。

 そんなさくらが少し落ち着くのを待ってから、文子は丁寧に頭を下げた。


「さくらちゃんね。あたしはこの『たまゆら院』の院長、玉城たましろ文子です。よろしくね」


「は、はい、私は青雲さくらです。よろしくお願いします」


 慌てて同様に頭を下げ、挨拶をするさくら。


「さくらちゃんはケイちゃんとはどういう関係なのかしら。あまり詳しくは聞いていないものだから、おばさん気になっちゃうわ」


「えっとー……、私はアズマさんの……、で、弟子? ……です?」


「ただの冒険者の知り合いですよ」


「あら~、そうなの」


 果たして文子がアズマとさくらのどちらの台詞に返事をしたかでは定かではない。


 その後、二人は屋敷内の客間に案内され、革張りのソファに並んで腰かける。

 洒落た調度品の並ぶ雰囲気の良い部屋で、開放的なガラス窓の向こうには、走り回る子供たちを楽しそうに追いかけるほたるが見えた。


 さくらがさりげなく内装を観察していると、明るい茶髪の若い女性がやって来て、ソファ前のセンターテーブルにソーサーを並べ、その上に紅茶入りのティーカップを置き、ティーフーズに上品そうなクッキーを据えた。


 さくらが「ありがとうございます」と会釈すると、女性は優美に微笑んで会釈を返し、それからニコッとアズマに笑いかける。

 「おう」とだけ素っ気なく返事をしたアズマに満足げな表情を浮かべると、女性は去って行った。


 ――なんだ今の……。


 思わず去っていく女性の背中を視線で追うさくら。

 ふとその時、向かい側のソファに座っていた文子が口を開いた。


「ケイちゃんもほたるちゃんも、本当にいつもありがとね」


 ティーカップを手に取りながら、文子がアズマに笑いかけ、窓の外で子供たちと遊んでいるほたるを見やる。


「いえ、俺もあいつも好きでやってるだけなので。ここにはお世話になった訳ですし」


「うん、でも本当に助かってるのよ。お金のことも、あの子たちと遊んでくれることも。みんなも喜んでるわ。さくらちゃんも、来てくれてありがとうね」


「あ、は、はい、私はその、アズマさんたちに付いて来ただけなので」


 どのタイミングでテーブル上のクッキーを手に取ろうか考えていたさくらは、予想外のタイミングで声の矛先を向けられ、慌てて居住まいを正す。

 文子が可笑しそうに笑った。


「そんなに改まらなくていいのよ。もう自分のお家みたいな感じでくつろいでちょうだい」


 文子に全く悪気はないと分かるが、その言葉に自分が現在家出中であることを思い出して、苦笑をこぼしてしまうさくら。


 その時、トタタっと微かに響く軽い足音が鳴った。


 見れば、開け放たれたままの扉の所に、小学校低学年くらいの小さな女の子が立っている。

 薄桃色のワンピースを着た大人しそうな子で、首から提げられている傷だらけのロケットペンダントにさくらは目を留めた。

 ボロボロになった鎖が今にも千切れそうに見えて、さくらは思わず「あのっ」と声をかける。


 女の子はビクリと大きく肩を震わせ、そのまま背を向け走り去ってしまった。


「あ……っ」


 慌てて遠ざかる足音が地味にショックで、項垂れるさくら。


 文子が少し困ったように言う。


「あらあら……。今の子、最近入って来たばかりの真空まそらちゃんっていう子なんだけど、人見知りなの。他の子とも馴染めなくて……。まぁでも、しょうがないと思うわ」


 そう語る文子が女の子――真空が走り去っていった方を見つめる表情は、痛ましい。


 文子の話によると、真空は三か月ほど前に母親を亡くしている。

 父親はもっと昔に他界しており、母親は冒険者として稼ぎを得て、女手一つでどうにか真空を育ててきた。


 しかし、そんな母親も《夢幻特区》で命を落としてしまった。


 その後、文子やアズマとどんな話をしたか、さくらは覚えていない。

 暗い話題の後に、文子がさくらを元気づけるように明るい事も話してくれた気がするが、ほとんど頭に入ってこなかった。


 文子との語らいを切りの良い所で終え、さくらとアズマは並んで廊下を歩いていた。


 視線を落としているさくらに、アズマは言う。


「あんまり落ち込むな。ああいう境遇の子供は、この孤児院にも、他の孤児院にもいくらでもいる。そんなことで一々お前が落ち込んでたらキリがねえよ。あのいつも騒がしいほたるだって、片親だった母親を亡くしてここに入ったんだ」


「はい……、その話は、昨日、お聞きしました」


 昨夜のほたるの話は、もう完全に本人の中で区切りを付けたものとして語られていたように思う。

 話の内容も、むしろメインはアズマの事だった。


 でも、あの真空という少女が、たった一人の母親を亡くしたのはついこの前のこと。

 今の彼女の心境を想像してしまうと、どうしても気が沈む。


 不意に、アズマがさくらの頭に手を置いた。


「……アズマさん?」


 さくらが顔を上げると、グシャグシャと髪の毛を掻き乱される。


「なぁ、っ、な、何するんですか!?」


「ほら、外でガキ共の相手しに行くぞ」


 少しだけ歩調を速めて先を行くアズマ。


 さくらは仏頂面でアズマの背中をにらみながら髪の毛を整えて、ほんの少しだけ軽くなった心持ちで、その後を追った。


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