8.エニグマ


 【ギルド不知火】本部ビルの上層十階ほどは、【不知火】に所属する冒険者たちの住まいになっている。

 もちろん【不知火】の冒険者が全員ここに居住している訳ではないが、ほたるやアズマはこの場所に身を置く者達の一部だ。


 さくらはほたるの部屋に泊めてもらうことになった事情をメールで母親に伝えた後、酒場で食事を取り、まるで高級旅館にありそうな大浴場でほたると一緒に汗を流してから、ほたるの部屋にお邪魔していた。


 寝間着もほたるから借りたものを着ているが、胸元のあたりが妙にスカスカしていて虚しくなったのは内緒である。


 ほたるの住まいは広々とした1DKで、一人暮らしをするには十分の造りだ。


「同棲や家族で暮らすためのもっと広い部屋も別にあるんですけどね。いつかはケイくんと一緒にそこに住みたいものです」とは、ほたるの談である。


 寝室には、女性の一人暮らしと考えるといささか存在感の大きいキングサイズのベッドが据えられており、思わずさくらが「大きいですね……」と呟いた所、


「ケイくんとどんなに激しくイチャイチャしても落っこちないようにと買ったんですが、ケイくんは恥ずかしがり屋なので一緒に寝てくれないんです……」としょんぼりされた。


「そ、そうですか……」


 と、曖昧な答えしか返せなかったさくらが、話題を変えようと部屋を見渡し目に留めたのが、ベッドの枕元に置いてある特殊な形の聴診器であった。


 なぜこんな所に聴診器が……? と、純粋な疑問を覚えて「これ何ですか」と尋ねたさくらだったが、さくらはそんな自分の軽率な質問をすぐに後悔することになる。


「あぁ、これはこの部屋の隣にケイくんのお部屋があるので、ケイくんの生活音を聞くために使うんです」


「…………」


「ほたるはこういう生まれなので、普通の人よりはとても耳が良いのですが」


 ほたるは自分の頭から生えている垂れ兎耳をふにふにと触る。


「ここの住まいは防音がとてもしっかりしてるので、機械の助けを借りないと隣のお部屋の音が聞こえないんです」


「…………隣の部屋の音を、聞く必要はあるんですか?」


「だって、好きな人のことは何でも知りたいのが乙女心じゃないですか」


 当然のように述べるほたる。

 果たしてそのストーカーじみた行為を純粋な乙女心に分類していいのかどうかは難しい所であるが、さくらはほたるの屈託のない瞳を見て、ギリギリセーフという結論を下すことにした。同時にアズマに同情もしたが。


「さてそれじゃあさくら、一緒に寝ながら恋バナしましょう、恋バナ」


 跳び乗るようにベッドへ寝転んで、ポンポンと自分の隣を叩くほたる。

 可憐な容姿を持つほたるが見せる無邪気な仕草はとても心癒される光景で、何も知らなければこの小柄な少女がCランクの冒険者であるとはとても思えない。

 あと、彼女の隣にある聴診器がなければもっと良かった。


 さくらは「お邪魔します……」と、遠慮がちにほたるの隣へ身を横たえる。ほたるの艶めいた髪から、ふわりと甘い匂いが香った。


「なんか、こういうのってとてもワクワクしますね」


 風呂上がりの上気した頬で、無垢に目をキラキラと輝かせているほたるを見ていると、家出をしてからずっとモヤモヤとしていた心がやわらぐ気がした。


 勝手に家を飛び出してきた罪悪感と申し訳なさ、母親への反骨心、自分の身を案じている母親の想いを感じる一方で、冒険者になる夢は諦めたくないという気持ち。

 色んな感情がない交ぜになって、食事をしている時も、お風呂に入ってる時もずっと落ち着かなかったが、こうしてほたると一緒に横になっていると、何故だか安心できた。


「ほたるさん……?」


 急にほたるに頭を撫でられて、さくらは目を丸くする。

 まるで母親のような――否、優しい姉のような、そんな温かい手つきだった。思わず泣きそうになってしまう。


 さくらに年上の兄姉はいないが、きっと姉がいたらこんな感じなのかなとふと思った。

 そして、これと似たような感覚を前にも味わったことを思い出す。


 夏の始まり、アズマと出会ったあの日の夜、危険だらけの奈落森林で、さくらは自分でも驚くほど安心して眠ることができた。

 あれはきっと、アズマが近くにいたからだ。


「あの、ほたるさん……恥ずかしいんですけど……」


 髪を梳くようにしてやわらかにさくらを撫で続けるほたる。

 さくらは顔を赤くして、身じろぎした。


「ふふ、すみません、さくらの髪がサラサラで気持ち良いので。それに、ちょっと懐かしいです」


「懐かしい……?」


「えぇ、そうですね。昔はこうやってよくみんなと一緒に寝ていたので」


「……?」


 その『みんな』という言い回しが誰を指しているのか分からず首を捻るさくら。ほたるはどこか懐かしむような顔をする。


「ほたるは孤児院で育ったんです。と言ってもほたるが実際にそこに居たのは二、三年ほどですけど」


 その突然の告白に、さくらがどういう顔をしていいか分からずベッドのシーツに視線を下げると、ほたるがクスリと笑った。


「いいんですよ気にしなくて。確かに悲しい事も沢山ありましたけど、代わりに幸せな事もありました。そう、今から話すのは恋バナです! ほたるとケイくんは孤児院で出会ったんですよっ」


「じゃあ、アズマさんも孤児院に?」


 さくらは、アズマがほたるを紹介する時に「こいつは俺の妹みたいなもんだ」と言っていたことを思い出す。


「そうです。五年前、東京区の西に《夢邪鬼ナイトメア》がなだれ込んで来て暴れた時、まぁ色々あってほたるは孤児院に行くことになった訳ですが、そこでほたるとケイくんは運命の出会いを果たしたんです」


 ほたるの優しかった母親は、五年前、目の前で《夢邪鬼》に殺された。


 身勝手に浮気して出て行った最悪の父親のせいで、ずっと女手一人でほたるを育てながら苦労をしていた母親は、ほたるを守って死んだ。

 命を賭してほたるを逃がした。


 当時、絶望のどん底に突き落とされ、《夢邪鬼》という害悪を――この悪夢のような世界を憎悪し、誰にも心を開かず、近づこうとする者全てに牙を剥いていたほたる。


 そんなほたるの凍てついた心根を溶かしたのが、当時十五歳で、既に冒険者として活動していた東蛍という少年だった。


 その時からほたるの世界の中心はアズマで、ずっと彼の側に居たいと願った。

 彼の隣にいるために、もう二度と自分の無力さを悔やむことのないように、ほたるもアズマと同じ冒険者になることを決意したのだ。強くなると己に誓い、研鑽に励んだ。


 アズマは十八歳になって孤児院を出るのと同時に【不知火】に入り、その後を追うようにして、冒険者になったほたるも【不知火】へ入団したのだ。



「――ケイくんは優しくてたくましくてかっこよくて良い匂いもするし素敵なんです。素っ気ない所もありますけどでもそれは照れ屋で恥ずかしがり屋さんだからなんです、そんなとこもかわいいですよね。ケイくんはほたるのことを妹みたいなものだから恋愛対象として見れないとか言うんですけど絶対ウソだと思うんですよ照れてるんですよ。だってほたるがおっぱい押し付けると動揺してますしまんざらでもなさそうなんです、ほたるには分かります。ケイくんもやっぱり男の子だなぁって感じでゾクゾクしません? はぁ、はぁ、はぁ、すみませんちょっと興奮しちゃいました。第一仮にほたるが妹みたいだったとしてそれの何がいけないんですか。兄妹だったとしてもそこに愛があれば何も問題ないと思うんです。好きな人を愛する気持ちはこの世の誰にも止められないし愛があれば人は何でもできるし生きていけるんですよ。愛って感情は成就してしかるべきだと思うんです。さくらはどう思いますか」


「…………その通りだと、思います」


 ほたるの怒涛の語りに圧倒されたさくらは、微苦笑を含ませおずおずと頷いた。


「ですよね! やっぱりさくらなら分かってくれると思いました!」


 ほたるがさくらの頭を抱えるように抱きしめた。

 ほたるの豊満な胸元の感触に謎の安心感と得も言えぬ謎の敗北感を覚えてしまう。

 ぎゅうとほたるに強く抱きしめられ、窒息しそうになったさくらは何とか顔を上げてはぁはぁと呼吸する。


 ――おっぱいで溺れかけた……。


 何と言う恐るべきおっぱいだ。

 夏場という事で寝間着の生地は薄く、その胸部を押し上げている双丘の主張はとても激しい。


 畏怖の表情を浮かべているさくらに、ほたるが言う。


「それじゃあ次はさくらの番ですね。さくらは好きな人はいますか?」


「そうですね……、私はまだほたるさんみたいにこの人が大好きっていう特定の人はいないかもです」


 小さい頃には気になる男の子がいたりしたものだが、こうも真っ直ぐなほたるの気持ちを見せられると、あの時の気持ちは恋ですらなかったんじゃないかと思う。


「ほたるさんは、本当にアズマさんが好きなんですね」


「はい、大好きですっ」


 眩しいほどの純真無垢な笑みだ。

 色々と欲求に忠実なほたるではあるが、その恋する乙女の表情は可愛らしく、同性のさくらでも思わずドキリとさせられるくらい魅力的だった。


 ――恋、かぁ……。


 さくらも一人の少女としてドラマチックな恋愛への憧れはあるが、今のさくらにとっての最優先事項は、一人前の冒険者になることだ。


 ほたるの母親が《夢邪鬼》に殺されたという話を聞かされ、日常的に《夢邪鬼》を相手取る冒険者の危うさをより身近に痛感した。

 それでもやっぱり、さくらの胸中に渦巻く自分の母親への反骨心は消えない。


 どうして分かってくれないんだ、という理屈ではどうにもならない情動が冷めない。

 理性では母親と話し合うべきだと分かっても、また顔を合わせれば、家を飛び出した時のように、強情で意固地な自分が暴走してしまうことが予想できた。


 ――帰りたくないなぁ……。


 ほたるとの色恋の話題を楽しむ一方で、頭の片隅にはそんな上手くまとまらないもどかしい思考が揺蕩っていた。




 翌朝、さくらは【不知火】本部ビルのエントランスにあるベンチに一人で腰掛けていた。

 

 ほたると朝食を取った後、支度をしてくるからそこで待ってろとアズマに言われ、待機しているのである。

 ほたるもアズマに付いて行ってしまった。


 さくらはふぅと息を吐く。

 朝になっても、アズマもほたるも、さくらに帰宅を促したりはしなかったので、少しほっとしたのだ。


 まだ、家に帰る気にはならないから。


 しかし、いつも稽古をする時は直接地下の修練場に集合しているのに、なぜ今日はここで待たされているのだろう、と疑問を感じていたさくらは、ふと隣に視線を向けて跳び上がる。


「やぁさくらちゃん、また会ったね」


 人一人分ほどの間隔をあけて、【不知火】副マスターのカミシロが座っていたからだ。

 思わず心が揺れる整った顔立ち。

 今日は、初めて会った時のように肩に《夢邪鬼》は乗せていない。


 カミシロの傍らには、いつか見た炎色の大剣が鞘ごと立て掛けられていた。


 カミシロは糸のように目を細め、甘いマスクの上に温和な笑みを湛える。


「そんなに警戒しないでくれ。さくらちゃんを見かけて、ちょっと話してみたいと思っただけだよ」


「は、はぁ……」


 さくらは生返事をしながら、おずおずとベンチに座り直す。そして、カミシロの傍らにある、否が応にも目を引く火炎を押し固めたような大剣について尋ねた。


「あの、その剣は何なんですか?」


「あぁ、これは先週マスターが決闘で勝ち取ったものだよ。今、例の討伐作戦でマスターたちはここを空けているからね、もう明日か明後日には帰ってくるはずだけど、その間に盗まれたら大変だからボクが預かってる」


「そんなに貴重な物なんですか?」


「うん、何せ世界に一つしかない代物だ。《エニグマ》、って聞いたことない?」


「いえ、聞いたことないです」


「そっか、知らないのか。さくらちゃんの師匠のアズマくんも持ってるんだけどね」


「……もしかして、アズマさんが持ってるあの赤い刀のことですか?」


 土蜘蛛と相対した時にアズマが抜刀して、傍目にも異様な気配を放っていた赤刀のことを思い出すさくら。


「そうそう、アズマくんが持ってるのは《エニグマ》【血刀〝生き血喰らい〟】。それでこっちが《エニグマ》【炎剣〝フランマ〟】」


 カミシロが【炎剣〝フランマ〟】の柄にそっと触れる。


「……? でも世界に一つしかない代物って」


「ごめんごめん、ボクの言い方が悪かったね。《エニグマ》ってのは今の人の技術では決して再現できない特殊な〝モノ〟の総称なんだ。オーパーツって言い方もあるね。《夢幻特区》で見つかる《エニグマ》は色々あるんだけど、どれ一つとして同じものはない。だから世界に一つの代物。不思議だよね。ちなみにこれも《エニグマ》だよ」


 カミシロがとっておきを自慢する子供のように左手の薬指に光る指輪をさくらに見せた。


「大いなるチカラを有する《エニグマ》には、個々の愛が宿ってるんだ」


 なぜそこで愛が出てくるのか。どこか陶然と自分の指輪を見つめるカミシロは続ける。


「【血刀】なら〝血液性愛(ヘマトフィリア)〟、【炎剣】は〝火炎性愛(ピロフィリア)〟、そして〝コレ〟は〝異形性愛(ゼノフィリア)〟だ。そう、ボクと似てるね。愛さずには居られないんだよ、他者から異形と憎まれる《夢邪鬼(ナイトメア)》を、例え嫌われていたとしてもこの手に収めたい。人が人を愛するのと何も変わらない、そういう運命なんだ」


「あの……カミシロ、さん……?」


「ごめんね、さくらちゃん。でも、どうしても、君には聞いて欲しかった。ボクのエゴだよ。最後に一つ……、いいかな?」


「は、はい……」


「愛って、何だと思う?」


「えっと……、私も、よく分かりませんけど、素敵な事なんじゃないかと、思います」


 カミシロは、胸元の首飾りの《夢晶クリスタル》を愛でるように撫で、涙を流す。


「さくらちゃんありがとう、君にボクの話を聞いてもらえて気持ちが整理できたよ」


「い、いえ……」


 カミシロに色々付いて行けず、困惑を滲ませながらもさくらは控えめに頷いた。


「じゃあ、また会えたらいいね」


 次の瞬間には、カミシロは姿を消し、彼の傍らにあった【炎剣】も消えていた。



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