7.夢を追って……


 ヒュンと大気を貫く音を響かせ、水の弾丸がさくらのこめかみ横数センチの所を通過していった。


 風圧でさくらの髪が舞い上がり、少しでも反応が遅れた時のこと想像しゾッと怖気が走る。

 しかし余計な事を考えている余裕はない。息を吐く間もなく、次の弾丸が迫り来る。否、それは弾丸というよりレーザー。


 銃口を模ったほたるの指先から射出された水の線が瞬く間に伸長し、さくらの背後にある壁に穴を穿つ。


「――っ」


 一切の遠慮なしに撃ち放たれる水の弾幕をさくらは死に物狂いで躱していた。


 このウォーターレーザーは、ほたるの《夢能》である【過速オーバーラピッド】と《法章》による《発水》を組み合わせたものだ。

 《発水》を使い指先に生み出した水を、物体の速度を超増加させる【過速】でレーザーのように撃ち出す。ほたるのメインウェポンである。


 さくらの逃げ場を塞ぐように連射された水レーザーの内の一つが、眼前に迫る。それを避け切れないと悟ったさくらは、反射的に《念力》を発動させる。


 《法章》が刻まれた右腕に熱が籠る。

 《念力》の影響を受け、さくらの体を貫かんとした水レーザーが横に逸れる。


 だが、《念力》を使うのに一瞬の集中を要したせいで、そのまま続けて迫っていた水レーザーを避ける間がない。


 さくらはそのまま《念力》を行使し続け、連続して飛来した三本のレーザーを《念力》で退ける。

 そこで急に視界が霞み、体の芯に電撃が流れたかのような不快感が走った。


 体内夢源元素を使い切り、それでも無理に《夢法術》を行使しようとしたことによる不成立反応だ。


 体の力が膝から抜け落ち、さくらは両手を広げた万歳ポーズで地面に頭突きをかます。


「……うぅ……、ぎもぢわるぃ……」


 少しでも気を抜けば、胃の中にある朝食を全て吐き出してしまいそうである。

 というか朝食の半分くらいは既に吐いた後だ。

 思いっきりぶつけた額の痛みが一切気にならない程の強烈な不快感が全身を支配している。


 視界がチカチカと明滅する感覚。脳髄を素手で掴まれシェイクされている感覚。ゾワゾワとした寒気が止まらない。


「さくら、大丈夫ですか?」


 さくらとは反対側の壁端にいたほたるが駆け寄って来て、両手で口を押さえ顔を青くしているさくらを抱き起した。


「はい、ポーションです」


「あ゛……、あ゛りがとうございまずぅ……」


 さくらはほたるから手渡された小瓶に詰まっている透明の液体を喉の奥に流し込む。

 青汁なんか目にならないくらいの苦みと、過去に一度だけかじった事がある渋柿の数倍の渋みを凝縮したような味が口いっぱいに広がる。


 既にこうしてさくらが《夢源元素》を使い切ってぶっ倒れ、ポーションによる補給を行うのは三度目だが、一度目に飲んだ時は思わず吹き出した。


 ポーションはとんでもなく不味いものだと噂には聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。


 口内が全力で拒絶しているポーションをどうにかこうにか胃に収め、嘔吐感を耐えることしばらく、体内の《夢源元素》不足による不快感が徐々に収まってくる。


 砂と土で固められた硬い地面に寝そべりながら、さくらがうんうん唸っていると、いつの間にかその側に立っていたアズマが声を落とす。


「調子はどうだ?」


「…………さいあく、です……」


「そうか、それは良い事だな」


「なん、でぇ……」


「人間ってのは極限状態になると、生きるために自然と効率の良い体の動かし方をするようになるんだよ。《夢源元素》の制御も同じことだな。その証拠に、最初より《念力》の扱いが上手くなってる。ほんの少しだけどな」


「うぅ……、うぅ……。なんど、死ぬかと思ったか……」


「大丈夫ですよさくら。ほたるもだいぶ手加減してるので、当たってもすぐには死にません。ケイくんが《治癒》で治してくれます」


「すぐには……」


 それはつまり、下手すれば死ぬという事では?


 易々と壁に穴を空けるほたるの水レーザーは、当たり所が悪ければ致命傷を負ってもおかしくない威力を有するように見える。これでだいぶ手加減しているとは、信じられない。


 起き上がる気力が湧かずうつ伏せに倒れたままさくらの後頭部に、アズマが声をかける。


「《念力》ってのは応用が利く便利なチカラだ。鍛えない手はない。俺は《念力》を持ってないから細かい感覚までは分からんが、それが自分の持つチカラの一つである以上、使えば使うだけ慣れるもんだ。俺がそうだった」


「……そんな、簡単に……」


「自分の手や足を動かす時にわざわざこう動かそうって意識はしないだろ。熟練の冒険者は大体そんな風に無意識レベルで《夢法術》や《夢能》を使ってる。とりあえずさくらが目指すのはそこだな」


「とりあえず…………、っぅ、っ――、うっ」


 突然込み上げた嘔吐感を、両手で口を覆って、必死に押し留めるさくら。

 喉の奥がすっぱい。不意に、さくらはこれを我慢するのは無理だと他人事のように悟る。


 オロオロと無様に残りの朝食を吐き出しながら、立派な冒険者になる道のりは果てしなく長いと痛感するさくらだった。

 

「――で、どうなんだよアズマ。さくらちゃんの修行の調子は」


 日没後、酒場で夕食を取っていたアズマは、隣に座ってスマホをいじっている仁斗の問いかけに「そうだな」と呟き思案する。


「まぁ、悪くないんじゃないか。すぐ音を上げると思ってたが、案外踏ん張ってる」


 《夢邪鬼ナイトメア》の異常発生により《夢幻特区》の立ち入りが禁止されてから一週間、あれから毎日さくらは【不知火】を訪れ、半泣きになりながら訓練に励んでいる。


 今日も朝から黄昏時まで、《念力》を上手く活用しながら、ほたるの水レーザーを避けたり、戦闘時の立ち回りを教示されながらアズマと剣を交えてしごかれたりした末に、フラフラになりながら自宅に帰って行った。


 この一週間という短い期間に、さくらの《夢源元素ソムニウム》制御や戦闘センスは着実に進歩している。


「へー、可愛い顔して結構根性あるんだ、さくらちゃん。ポーションで補給してまで一日中夢源元素を制御し続けるなんて、おれでもやりたくないけどな」


 仁斗は「アズマもハードな訓練させるよね」と零しながら、一方でアズマを挟んだ隣の席で食後のドーナツを頬張っていたほたるを見やる。


 「なんですか」と、視線だけで問いかけるほたるに、仁斗は「いや」とかぶりを振り、


「可愛くて根性ある子って、良いよなぁ、って」


 仁斗の軽薄な笑みにほたるは分かりやすく冷めた表情を浮かべ、仁斗を視界から外して二つ目のドーナツに手を伸ばす。


 そんなほたるのつれない態度に仁斗は苦笑を浮かべながら手元のスマホの画面に視線を落とし、一瞬眉をひそめた。


 そんな仁斗の反応を訝ったアズマが、仁斗のスマホを覗き込む。

 そしてアズマも眉をひそめた。


 妙な反応を見せる二人に、ほたるが首を傾げ、口一杯に詰め込んでいたドーナツを呑み込んでから口を開く。


「どうしたんですか? ケイくん」


「いや、《夢邪鬼》の討伐がほとんど終わったらしい。ニュースに出てる」


「あぁ、ようやくですか。良いニュースじゃないですか。これであと二、三日もすればほたるたちも《夢幻特区》に行けるようになるんじゃないですか?」


「そうなんだが、随分とデカい被害が出てると思ってな」


 異常的に大量発生した《夢邪鬼》を特別編成された冒険者や自衛隊が駆除するという事態は、稀に起こる。

 しかし、ネットに上がっている情報を見るに、今回出た被害は討伐作戦に出動した総数一万人の内、二割が死亡、半数以上が重軽傷を負ったと出ている。


 過去にここまでの被害が出たことはほとんど無い。

 基本的に、こういった討伐作戦は万全を期して実行されるからだ。


 つまりこれは、想定以上に異常発生した《夢邪鬼》がいかに凶悪であったかを示している。


「なるほど、マスターたちは無事ですかね」


 ほたるが呟く。今回の討伐作戦には、【不知火】からも冒険者たちが駆り出されており、その筆頭に紅もいた。


「マスターはまず間違いなく無事だろうけど、他の先輩方はどうだろうね」


 あまり心配していないような口調で仁斗がそう言った時、酒場の入り口に一人の少女が現れた。

 その薄桃色髪の少女――さくらは、覇気のない足取りでトボトボとアズマたちが居るカウンター席にやって来る。


「あ、さくら、どうしました? 忘れ物でもしましたか。ドーナツ食べます?」


 ほたるが差し出したドーナツを力無く受け取ってから、さくらは少し潤んだ瞳でアズマを見つめ、何か言いにくい事を言葉にしようとするように口元をもごもごさせる。


「どうした?」


 また何か面倒事の気配を感じ、警戒心を孕ませながらアズマがさくらに問う。

 するとさくらは落ち着かなさげに身を捩りながら、拗ねるように言った。


「家出してきました」


「……はぁ、子供かお前は」


 呆れたようなアズマの声に、さくらが唇を尖らせる。


「だって、子供ですし……」


「都合の良い具合に大人になったり子供になったりするんだな、お前は」


 アズマはさくらと最初に《夢幻特区》で出会った時、『自分はもう結婚もできる年なのだから子供じゃない』と主張されたことを思い返しながらそう言った。


 痛い所を突かれたさくらは何も言えなくなり、視線をテーブル上に落とす。

 現在、四人掛けのテーブルにさくらたちは腰掛けていた。ちなみにさくらの隣にはほたるが、向かいにはアズマと仁斗がいる。


 さくらが母親と喧嘩して家を飛び出したのは、数十分前の出来事。

 今日も今日とて《夢源元素》制御の訓練を終え、心身共に疲れ切ったさくらが帰宅すると、不安げな顔つきをした母親にこう告げられた。


『やっぱりさくら、冒険者になるの辞めない?』 


 確かに昔から、母親はさくらが冒険者になるという事に反対的であった。

 それでもさくらの説得に応じ、納得もし、さくらが冒険者学校に通うことも許してくれたのだ。


 では一体なぜ、こうも突然とさくらの夢を諦めさせようとするのか。


 キッカケとしては単純で、ここ一週間続いていた《夢邪鬼》の討伐作戦。

 その深刻な被害状況がニュースとなって、母親の眼に留まってしまったからである。


 冒険者は自ら命を危険に晒しに行く危険な職業だ。

 今まではそのことを知識として知った上で、母親がさくらの夢に理解を示していたとしても、実際にこうして具体的な危うさを突き付けられるとまた考えは変わる。


 さくらとしても、娘を心配する母親の気持ちは分かっても、今までの五年弱、自分が積み重ねてきた事、そしてここ最近の経験を経て、より強まった立派な冒険者になるという気持ちは抑えきれない。納得がいかなかった。

 いやだ、自分は冒険者になる、というさくらに、やはり渋い顔で難色を示す母親。そんな話し合いとも言えない互いの譲れない意見をぶつけ合い、先に爆発したのはさくらだった。


 勢い余って「絶対に私は冒険者になるから。お母さんが許してくれないなら、家を出るから」と叫び家を飛び出し、まともな思考ができない頭で街を行き、気付いたら電車を乗り継いで【不知火】の本部ビルへとたどり着いていた。


 さくらがかいつまんで離した事情から、ある程度の成り行きを把握したアズマはため息まじりに呆れ顔を浮かべる。


「とりあえずさくら、お前は家に帰れ」


「…………帰りたくないです」


「はぁ……、いいから帰って、ちゃんと話し合ってみろ。それでも納得いかない結果になるなら相談くらい乗ってやるから」


「そうですよさくら、お母さんとはちゃんと話した方が良いです」


 うんうんとほたるも頷いている。


「んー、別にいいと思うけどなおれは」


 仁斗は頬杖をついてさくらを見る。


「家出なんておれもしょっちゅうしてたし。あの頃の親なんてウザったいだけだったしなぁ」


 軽薄にそう零した仁斗をほたるが睨みつける。


 すると仁斗は「あー」と気まずそうに息を吐き、コホンと一つ咳払いしてから言う。


「まーあれだな。こういう時はやっぱりお互いに一度落ち着くのが大事だな、うん。アズマはちゃんと話し合えって言うけど、こういう時はすぐに帰ってもまともな話し合いにならない。今日の所は、さくらちゃんのお母さんに連絡だけでも入れておいて、ほたるちゃんの部屋にでも泊まらせてあげればいいんじゃないの?」


 さくらが顔を上げ、どこか期待するようにほたるを見る。


「お前、本当に帰る気ないのか?」


 アズマが改めてさくらに問うた。


「……ないです」


 声量としては小さいが、意固地さを感じさせる声音だった。


「……ま、別に俺がとやかく言う問題でもないしな」


 そう言って、アズマは席を立つ。


「じゃあ俺は部屋に戻るわ」


「あ、あの――っ」


 立ち去るアズマの背中に思わず声をかけようとするさくら。そんなさくらを遮るように声を被せたのはほたるだった。


「全くもう、さくらは仕方ないですね。今日の所はほたるの部屋に止めてあげましょう」


 ポンポンとさくらの肩を叩くほたる。さくらは顔を明るくする。


「ほんとですか?」


「えぇ、でもちゃんとお母さんには事情を伝えて、気持ちの整理が着いたらおうちに帰るんですよ」


「は、はいっ。ありがとうございます、ほたるさん」


「それじゃあ一緒にお風呂に入ってから恋バナしましょう! 恋バナ! さくらは学校に好きな男の子はいますか!? 何なら女の子でもいいですよ!」


「え、えぇっ、それは――」


 急にグイグイ詰め寄って来るほたるにうろたえながらも、さくらは一足早く酒場を出て行ったアズマのことが気にかかり、そっと出口の方へ視線をやった。


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