6.訓練開始


 《夢幻特区》東京区西部の一帯にて、《夢邪鬼》の大量発生が確認された。


 原因は不明だが、奈落森林の深部および富士山の方面から、押し寄せるようにして《夢邪鬼》が東京居住区に向かっているとのことだ。


 この非常事態を受け、精鋭の冒険者たちを集めた特別討伐隊が結成され、自衛隊と共に出動、異常発生した《夢邪鬼》の駆除に当たる。


 現在、討伐任務を受けた者以外の《夢幻特区》東京区西部への立ち入りは禁止されている。


「――って訳だ。ホントはさくらを《夢幻特区》に連れて行って鍛えてやるつもりだったんだが、立ち入り禁止じゃ仕方ねえな。今日の特訓は無しだ」


「今日の特訓は、って、まだ私アズマさんに何かを教えてもらった覚えがないんですけど」


 アズマに稽古を付けてもらうことが決まった翌朝、早速さくらが【不知火】を訪れると、何やら大変なことが起こっているらしいことが発覚した。


 なんでも《夢幻特区》に《夢邪鬼》が異常発生し、討伐任務を受けた者以外が立ち入ることはできないようだ。


 ここは【ギルド不知火】の一階にある酒場兼食事処。

 カウンター席にて、眠たげな眼で朝食を口に運んでいるアズマを、さくらは不満げな表情で見つめる。


「別に《夢幻特区》に行かなくたって、修行は出来ると思います」


「それはお前の意見でしかない。俺は実戦に拘るタイプなんだ。言ったろ、俺は俺のやり方でやるって」


「むぅ……」


 さくらはふくれっ面でアズマをにらみ、全力で不満を訴えるが、アズマは一切動揺せずさくらの不満オーラを受け流す。


 そんなアズマの淡泊な態度に、さくらの不満は募る。


「いいじゃないですかぁ。《夢幻特区》に行けないならアズマさんもお仕事できないから暇なんですよねっ。だったら私に何か教えてくれてもいいじゃないですか!」


「こら、揺らすなアホ!」


 スープを飲んでいたアズマは、急に肩を揺らしてきたさくらの額を指ではじく。


「――ったぁぁぁ……っ」


 額を押さえてしゃがみ込むさくら。呆れたように吐息するアズマ。


「――朝から賑やかだね、アズマ」


 その場に、第三者の声が響く。

 凛と澄んだ声。

 突如として響いたその初めて聞く声に、さくらは緊張を走らせ、弾かれたように身を起こす。


 振り返り、上背のある華奢な男を見上げ、さくらは目を見張る。


 そこにいたのは、場に似つかわしくない礼服を身に纏い、大きな《夢晶クリスタル》があしらわれた首飾りを身に付けた年若い男。

 まさしく眉目秀麗という言葉が似合うイケメンだった。


 しかし、さくらが驚いたのはそこじゃない。

 その男の右肩に、藍色の大きな鳥が乗っていたからだ。

 一見おとなしそうに見えるその鳥が、《夢幻特区》に生息する《夢邪鬼ナイトメア》の一種であることをさくらは知っていた。


〝ラメントバード〟――東北の《夢幻特区》に生息する、音速を越えて空を駆け、獲物を狩る怪鳥だ。成鳥はもっと大きいはずなので、これは子供だろうか。


 ラメントバードを肩に乗せた男は、切れ長の瞳を糸のように目を細めて、その甘いマスクを笑みの形に変え、アズマとさくらを見下ろす。


「何か用か、カミシロ」


「いや、特に用という訳じゃないんだけどね。楽しそうにしてるアズマくんを見かけたものだから。その子が、噂に聞く君の弟子かい?」


 カミシロと呼ばれた男が、床にしゃがみ込んでいるさくらを見つめた。


 思わずため息が出そうなほどの美形に笑顔を向けられ、加えてその肩に乗っている怪鳥の存在感に圧倒されたさくらは、顔を赤くしながら慌てて立ち上がってアズマの後ろに避難する。


「弟子じゃねえ、一時的に鍛えることになっただけだ」


「あの……、アズマさんこの方は……」


 アズマを盾にするように間に挟んで、さくらはカミシロを観察するように見る。


「あぁ、これは申し遅れたね。ボクはカミシロ、僭越ながらこのギルドの福マスターを担当している。この子はちゃんとボクの指示に従うように教育してるから、怖がらなくていいよ」


 そう言って、カミシロは左手を伸ばしてラメントバードの喉元を指でそっと撫でる。

 そんなカミシロの左手の薬指に、薄紫色の宝石が装飾されたシルバーリングが光っていることに、さくらは気付く。


 ――結婚してるのかな……?


 しかし、それよりも気になるのが、一切人を襲う気配を見せないラメントバードである。

 《夢邪鬼》は絶対に人に懐くことはないし、調教も不可能であると、確かにさくらは授業でそう習ったのだ。


「あの、その鳥ってラメントバード、ですよね」


 さくらはアズマの肩から首を覗かせ、ラメントバードに警戒の眼を向ける。


「よく知ってるね。彼女を見ても大抵の人は珍しい鳥としか思わないのに。そう、彼女はラメントバードの一種だ。ここらでは見かけないけど、れっきとした《夢邪鬼》だよ」


「な、なんでそんなに大人しいんですか?」


「ふふ」


 さくらの疑問に、カミシロは楽しげな笑みを漏らすだけで、何も言わない。

 代わりにさくらの疑問に答えたのは、アズマだ。


「こいつは他より特別なんだよ。いや、異常……、変態って言った方がいいか?」


「そう、ボクは特別なんだよ。ボクは、この世の誰よりも《夢邪鬼》を愛しているからね」


 その台詞には一切の冗談を感じさせない真摯さが含まれていた。

 無条件に人を殺す人類の害敵たる《夢邪鬼》を愛していると本気で謳った彼の存在に、さくらは言い知れない恐怖を覚える。背筋に冷たいものが走った。


「な、変態だろ」


「変態とは酷い言い草だね」


 カミシロが肩をすくめる。


 その瞬間、タッとこちらに駆け寄る足音と共に、カミシロの背後で風が吹いた。


 鎌のように空を切る上段蹴りが、カミシロの首元を狙い撃つ。

 しかし、その刃物のように鋭い足先がカミシロの首を刈り切る寸前、彼の姿が消えた。


 まるでテレビのチャンネルを切り替えた瞬間の如く、前触れも無く消失したカミシロは、瞬きを終える前に、背後に居たほたるの――そのさらに背後に立っていた。


 カミシロは首だけで振り返って、射殺すような目線を湛えているほたるを見やる。


「やぁほたるちゃん、久しぶりだね」


「お前に名前を呼ばれると虫唾が走るので一生口を閉じて喋らないでください。息もしないでください」


 ほたるは振り上げていた片足をダンと床に叩きつけるように降ろし、吐き捨てる。そして身を案じるようにさくら見た。


「大丈夫ですかさくら。何もされませんでしたか。コイツは《夢邪鬼》に興奮して吐精する最低最悪の性悪ド変態なので関わらない方が良いですよ」


「毎度のことながら、そうもすげなく扱われると流石のボクと言えど落ち込むよ。ボクはほたるちゃんと仲良くしたいんだけどな。君とボクは似ている気がするんだ」


「どうやら本当に死にたいようですね」


 ほたるがカミシロの脳天に向けて、銃口を模った指先を突き付ける。


 それを見て、カミシロは諦めたように吐息すると、アズマとさくら、そして怒った猫のように息荒く威嚇しているほたるを一瞥した。


「どうも歓迎されていないようだし、ボクはここらで失礼するよ。またね、さくらちゃん」


 カミシロはその場で優雅に一礼し、最後に一瞬さくらに笑いかけてから、姿を消した。先ほどほたるの蹴りを躱した時と同様、前触れも無く消え失せたのだ。


 その超常的な現象にさくらがポカンと口を開けていると、アズマが解説をする。


「アイツはテレポーターなんだよ。まぁ細かい能力は俺も知らんけどな」


「へぇ……」


 《夢邪鬼》を手なずける〝瞬間移動者テレポーター〟。

 流石、【不知火】の副マスターというべきか。色々と常軌を逸している。


「え、えっと、ほたるさんも、おはようございます」


 さくらは何とかこの緊張を孕んだ空気を解こうと、カミシロが消えた跡に向かって桃色の舌を突き出していたほたるに挨拶する。


「えぇさくら、おはようございます」


 ほたるは軽く息を吐き出すと、何事もなかったように陽気にさくらへ挨拶を返した。


「それでさくらは、なぜ今日もここへ? 何か御用ですか?」


「え、えっと……その、私、アズマさんに、稽古を付けてもらうことになりまして……」


 ほたるの追及の視線に、さくらはとても気まずい気分を覚えながらも、隠すことなく事情を話す。


「む……、どういうことですか、ケイくん」


 ほたるが眉根を寄せ、怪しむようにさくらとアズマを見やる。

 昨日、さくらの修行をアズマに見てもらう事が決まった時点で、その場にほたるも居合わせていたはずだが、思い返せばあの時のほたるは素面じゃなかった。


「どうこうも、俺の意志じゃねえよ。マスターが勝手に決めたんだ。文句ならマスターに言ってくれ」


「むぅ……、マスターが決めたのなら仕方ないですが、さくらは羨ましい限りですね。ほたるもケイくんにあんなことからこんなことまで手取り足取り教えてもらいたいものです。ケイくん、どうせならほたるにも稽古を付けてくれませんか?」


「俺がお前に教えられることはもう何もねえよ」


「別に冒険者としてじゃなくてもいいんです。そう、例えば男と女のまぐわいについてでも、いやむしろそっちの方がほたる的には良いというか、むしろほたるの敏感な所を隅から隅までケイくんに教えるというのも――」


 どこか危うい笑みを浮かべて滔々と煩悩に塗れた言葉を並べ始めるほたるを慣れた様子で無視して、アズマは顔をほんのり赤らめているさくらを見た。


「さくら、という訳でお前はもう帰れ」


「何がという訳なのかよく分かりませんが……、私的には《夢幻特区》に行かなくてもアズマさんに教えて欲しいことが沢山あると言うか、試験までの日数はどんどん減っていく訳ですし……」


 ジトっとした眼で訴えるようにアズマを見つめるさくら。

 その中々引こうとしないさくらの様子に、アズマが諦めたように息を吐いた。


「あーはいはい、分かったよ。そこまで言うなら存分に鍛えてやる。後悔すんじゃねえぞ」




 【ギルド不知火】の地下にある修練場。

 昨日、紅と水龍が決闘試合を行った場所と似た造りだが、それよりは規模が小さい。


 【不知火】本部の地下には、このように冒険者が修練を行うための場所が複数存在している。


 その内の一つに集合したアズマとさくら、そして勝手にくっついて来たほたるは、互いに顔を見合わせていた。


「アズマさん、それは何ですか?」


 修練場に向かう途中、倉庫に立ち寄ったアズマが担いで来た木箱に興味の視線を示すさくら。


「ポーションだ。体内夢源元素《ソムニウム》を補充するヤツだな。修行に使う」


「え、でもポーションってすっごく貴重なんじゃ……」


「どうせ有効期限ギリギリで放置されてたヤツだ。気にすんな」


 カチャカチャと木箱の中から重なって響く瓶の音から、相当な数のポーションがその中に入っていると察せられる。

 さすが国内有数の冒険者ギルド、と言った所か。


 アズマがポーションの入った木箱を隅に置きに行ってから、さくらを見る。


「さて、さくら。予め言っておくが、俺は別にしっかりした先生って訳でも、教え上手って訳でもない。理論的な事なら、さくらが通ってる冒険者学校の教師の方がよっぽど上手く教えてんだろ。ていうか、そこら辺の小難しい話は俺には分からん。俺はお前みたいに冒険者の学校に通ってた訳でもないしな」


「は、はいっ」


 気合を入れるように拳を握り、背筋を伸ばすさくら。


「だがまぁ、曲がりなりにも冒険者としてしょっちゅう《夢幻特区》で実戦の経験を積んでる。その経験から冒険者にとって必要だと感じたものをお前に叩き込んでやるよ。感謝しろ」


「はい! ありがとうございます!」


「んで、その前にいくつか確認しておきたいんだが、さくらは《念力法章》を刻んでるよな」


「はい、そうです」


 さくらは頷き、腕をさすった。さくらの右腕には《念力》の《夢法術》を扱うための《法章》が刻まれている。


「お前が使える異能はそれだけか?」


「あ、いえ、私は【記憶回帰サイコメトリー】の《夢能アーキタイプ》も使えます」


 さくらがそう言った時、アズマとその隣で話を聞いていたほたるが同時に目を見張った。


「【記憶回帰】だと?」


「へぇぇ、さくらも中々珍しい《夢能》を持ってるんですね」


 感心したように言うほたる。


「でも、これは私まだ使いこなせなくて、あ、《念力》がちゃんと使えるって訳でもないんですけど……、【記憶回帰】は使おうとすると負荷が大きすぎて気絶しちゃうんです」


「なるほど。さくらは前に《念力》を使った時も、一回俺を持ち上げただけで《夢源元素》を使い果たしてたな。なんで自分が思うようにそれらを扱えてないか、分かってるか?」


 アズマの問いかけに、さくらは数秒思案するように首を捻ってから答える。


「えっと、私の体内夢源元素の量が少ないのと、《夢源元素》制御が下手くそ……?」


「そういうことだろうな。《夢能》を持ってるような奴なら、《念力》を二、三回使ったくらいで《夢源元素》の底が尽きることはまずない。さくらは多分、《夢源元素》制御が異常に下手くそだ。言ってみれば燃費がゴミクズなんだ」


「燃費がゴミクズ……」


 ある程度は自覚していたことだが、改めてその事実を突き付けられるとヘコむ。


「《夢源元素》制御を鍛えるために、さくらがやってることはあるか?」


「一応……、一日一回は限界まで《念力》を使うようにしてますけど……」


「それだけか?」


「え、えっと、はい……。学校でも、こうやって毎日地道に積み重ねていくのが大事だと習いましたし……」


「はっ、甘いな」


 アズマが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「冒険者学校が甘ったれた腑抜け機関って話はよく聞くが、まさかここまでとはな」


「じゃ、じゃあ、どうすればいいんですか……」


 少しムッとした表情で、さくらがアズマを見上げる。


「そんなの、死ぬほど鍛えるしかないだろ」


「え」


「冒険者は命かけて危険を冒す仕事だぞ? お前、立派な冒険者になるとか口だけは達者な事言ってるが、仮に冒険者として死ぬ時、後悔せずに死に切れるのか?」


「…………」


「死にたくは、ないよな?」


「………………死にたくないです」


「だから、死ぬ気で鍛えるんだよ」


 アズマが淡々とした口調で述べ、その隣では、「何を今更当たり前のことを確認してるんだ?」と言わんばかりに、ほたるがきょとんとした表情を浮かべている。


「ホントはこういうのは《夢幻特区》って実戦的にやりたいんだけどな……。昨日の決闘試合みたく冒険者が対人戦闘をするのはイレギュラーだ。冒険者の敵はあくまで《夢邪鬼》、人間を相手にしてもいいが、それ以上にどんな形の敵が相手でも臨機応変に対応できるチカラが重要になる」


 そこでアズマが隣のほたるの頭に手を乗せる。


「!? ナデナデですか!? ケイくんがほたるにナデナデしてくれるんですか!?」


「だがまぁここに《夢邪鬼》はいないから、その代わりをほたるにやってもらう。冒険者にとって必要不可欠な《夢源元素》制御と合わせて動体視力、反射神経を同時に鍛える」


「何を……するんですか?」


「弾幕避けゲームだ。ちゃんとやらないと死ぬから気を張れよ」



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