5.ドリーマー


 【不知火】本部ビル一階の酒場、その中央のテーブルに立って、紅が右手にジョッキを、左手に獄炎をそのまま押し固めたような炎色の大剣を掲げていた。


「はーい、みんな沢山の声援ありがとー! 流石私の可愛い部下たちね、良い盛り上がりだったわ。それでは私の勝利を祝して乾杯しましょう。かんぱーい!」


 紅の音頭に合わせ、各方向から「乾杯」の声が勢いよく響く。

 その次の瞬間には、その場一帯は騒然となり、冒険者たちのバカ騒ぎが始まった。罵声じみた熱声が飛び交い、料理と酒も飛び交う。


「あの……、私、ここに居ていいんですか?」


 酒場の隅にある四人掛けテーブルの一つに腰掛けているさくらが、きょとんと首を傾げてそう言った。

 決闘試合の決着が着いた後、その場の流れに乗せられてここまで着いてきてしまった。さくらの向かいの席には、アズマとほたるが並んで座っている。


「いいんですよさくら、ノリってやつです、ノリ。どうせ誰も気にしてません」


 ほたるがテーブルの中央に山盛りにされているからあげをつまみながらそう言った。


「まぁ今日はマスターの奢りだろうから、とりあえず好きなだけ飲んで食っとけ」


 アズマがジョッキを傾けながら言い、少し火照った顔をさくらに向けた。


「あぁそうださくら」


「ふぁい?」


 遠慮がいらないと分かった時点で、早速からあげを一つ咥えていたさくらが首を傾げる。


「まだお前が俺のとこに聞いた訳を聞いてなかったな」


「あ」


 咀嚼したからあげを呑み込んでから、さくらが呆けたように口を開ける。

 紅と水龍の凄まじい決闘試合にすっかり気を取られ、本題を忘れていた。


「あの、実は私……」


 さくらが改まったように膝に手を置き背筋を伸ばして、緊張から逃れるように視線を彷徨わせる。

 しかしさくらはすぐに決心したように、真っ直ぐとアズマを見据えた。


「私、立派な冒険者になりたいんです」


「おう」


「そしてこの夏の終わりに、冒険者の本ライセンスの試験があるんです」


「それで?」


「ですので、私が強くなるために、アズマさんに稽古的なものを付けて欲しいと思いました次第でして」


「えへへー」と媚びるようにアズマに笑顔を向けるさくら。しかしその額には、冷や汗が一筋流れている。


「そうか、分かった」


「え! いいんですか!?」


「お前がここに来た理由は分かった。断る」


 ピシャリと一切の慈悲を感じさせない声調で切って落とす。一瞬光らせかけた顔を下げ、肩を落とすさくら。


「やっぱりダメですか」


「むしろなんで行けると思ったんだよ、アホか。何のためにお前は冒険者学校に行ってんだよ、バカか? もしかして俺がお前のために仕事やら何やら放り出してでも何でもやってやるお人よしに見えたのか? アホか?」


「アズマさんが正論言ってるのは分かるんですが、アホバカ言うのはやめてくれません?」


「うるせえアホ」


「むぅ……」


 さくらはふくれっ面をつくって、拗ねたように言う。


「私だって、無茶言ってるのは分かってるんです。でも、やっぱり学校の授業だけじゃ不安で……。夏休み中は講習があるって言っても、やっぱり授業数は減っちゃいますし」


「だとしても、だ。何でそこで俺なんだよ」


「そ、それは――」


「――いいじゃないアズマ。さくらを強くしてあげたら」


 その時、炎色の鞘に収まった大剣を背負った紅が現れた。紅はさくらに笑いかける。


「こんにちはさくら。また会ったわね、どう、楽しんでる?」


「は、はい! 楽しんでます!」さくらは少し緊張に顔を強張らせ、威勢よく答える。


「そう、それはよかったわ。あと、話は聞かせてもらったわ。さくらは強くなるために、アズマに稽古を付けて欲しいのよね?」


「はい、そうです!」


「ふむ、立派な冒険者になるために強くなりたい。とっても素敵な夢じゃない。私も応援するわ。アズマ、手伝ってあげなさい」


 紅がアズマに有無を言わせない視線を飛ばし、アズマが一瞬言葉に詰まる。そして、不満たっぷりに嫌そうな渋面を作って、言い返した。


「イヤだよ。いくらマスターに言われても、無理なものは無理だ。俺だって忙しい」


「あらそうなの? アズマ、ここ最近夢幻特区に行ってる回数が少ないみたいだけど」


「っ……、それは……」


 アズマが顔をしかめ、一瞬その顔に影を落とした。

 そのアズマの表情の意味するところが分からず、さくらは首を傾げる。


 アズマは舌打ち混じりに紅の眼に視線を合わせる。


「つーかそこまで言うなら俺に任せるんじゃなくて、マスターがさくらを鍛えてやればいいだろ」


「無理よ、私教えるの下手くそだもの」


「はぁぁぁ……」


 アズマが額を手で押さえ、大仰なため息を吐く。


 紅が誰かに物を教えるのが致命的に下手というのは事実だ。

 そして紅が、自分で一度決めたことは、滅多なことが無い限り撤回しないのも経験則として知っている。

 究極の自分本位、それが紅だ。面倒臭いことこの上ない。


 アズマは再び嘆息しながら、こちらを期待の目で見ているさくらを見下ろす。


「お前、マジで俺に鍛えて欲しいの?」


「はい、私はアズマさんに教えて欲しいです」


「……、それでも俺がイヤだと言ったら?」


 すると、そこへ紅が口を挟む。


「それはダメよ、アズマに拒否権はないわ。これはマスター命令なんだから。あ、そう、そうだわ!」


 紅が名案を思い付いたように両手を合わせる。


「さくらは学校を卒業した後、ウチに入ればいいわ。これならアズマは未来の後輩を育成するってことになるから、何も問題ないわね。うん、最高のアイデアだわ。さくら、あなた【不知火】に入る気はある?」


「それは……っ、私としては、願っても無いですけど……」


 さくらにとって【不知火】という冒険者ギルドは特別だ。入団試験を受けることなく、【不知火】に入ることができるなら、さくらがその勧誘を断る理由もない。

 むしろ、こんなに色々上手くなっていいのだろうか、という感じだ。


 夢のような話にイマイチ実感が湧かず、さくらがポカンと口を開けて紅を見ていると、ニッコリと微笑み返される。

 そのあまりの美しさに、同性のさくらも思わずドキリとした。頬が熱い。


「じゃあ、決まりね! アズマ、さくらを頼んだわよ」


 口を挟む余裕もなく進められた話に、アズマが諦めたように盛大に吐息した。


「はぁ……、チッ、わかったよ。俺が暇な時なら多少の稽古になら付き合ってやる。ただ、それでお前が試験に落ちたりしても文句は一切聞かないからな。俺は俺のやり方でやる」


「はい! ありがとうございます!」


 さくらがパッと笑顔を輝かせ、テーブルに頭突きするような勢いで頭を下げた。


 そんな屈託のないさくらの振る舞いに、アズマが毒気を抜かれたように肩を下げ、手元のジョッキへ手を伸ばした。

 しかし、さっきまでそこにあったはずのエールビール入りのジョッキが、消失している。


「あ?」


 その時、アズマの隣でずっと無言のまま俯いていたほたるが、跳ぶようにして紅に抱き着いた。ほたるは紅の胸に顔を押し付けて、高く響き渡る声でわんわん泣きじゃくる。


「あぁ゛ぁぁ゛ぁぁっ! マズタ゛ぁ! 聞いてくださいよぉ! ケイくんが、ケイくんがほたると結婚してぐれないんです゛ぅぅぅっ! あぁぁ゛ああぁ゛ん!」


 ほたるの顔が不自然に赤い。ほたるの目の前に置いてある、並々と酒が注がれていたはずのアズマのジョッキの中身が、綺麗に消え去っていることにさくらは気付く。


 ――ほたるさん、十九歳って言ってたよね……。


 見なかったことにした。


 駄々をこねる子供のように泣き叫ぶほたるの頭を、紅はよしよしと撫でながら宥める。


「そう、ほたるも大変ね」


「だいへん゛なんですよぉ……っ! ほたる、ケイくんのこと大好きで、大好きで……ケイくんのお嫁さんになるのが夢なんですけど、ほたるの夢は、ますたーは、応援してくれないんですか……?」


「何言ってるのほたる。私は人が抱くどんな夢も応援しているわ。そう、どんな夢もね。夢は自由に見るもので、どんな夢だって素敵に満ちているのよ。だからほたるのことも応援しているわ。アズマとの結婚、素敵な夢じゃない!」


「じゃあ、ほたるはどうすればいいんでしょう……」


 ほたるは急に落ち着いて、しくしくと静かに涙を流し始めた。


「良い事を教えてあげるわ。本当に叶えたい夢を叶える時は、手段を選んじゃいけないのよ。夢はね、人が生きていく上でその中心の軸となるものよ。人は夢を叶えるために生きているのだから、それを成し遂げるためには貪欲に行かなくちゃ、そう、貪欲に、強欲に、傲慢にいきましょう」


 すると、周囲でほたるたちの様子を眺めていた冒険者等から次々に野次が飛んでくる。


「やっちまえ!」「押し倒せばいいんだよ!」「寝込みを襲え!」「やれ!」「ほたるちゃんオレと結婚してぇ……っ」「やっちまえ!」「押し倒せ!」「贅沢過ぎるんだよアイツは!」「いい加減ケリを付けろ!」


 騒ぎの熱はほたるを中心にしてどんどん盛り上がり、その全てがアズマとほたるに向けられる。


「……あの、アズマさん逃げましたけど」


 気付けば、さくらの前に居たアズマの姿が消えていた。

 本当に前触れも無くフッと消えたので、恐らく彼の《夢能》で存在感を消したのだろう。


「おいアズマの野郎消えやがった!」「とっ捕まえろ!」「裸に剥いて縛り上げろ」「殺せ!」「ぶっ潰せ!」「そっちだ押さえろ!」「いたぞこっちだ!」「あの野郎また気配消しやがった!」「おい出口を押さえろ!」「やっちまえ!」「こっちだ」


「縛れ縛れ!」


 酒場内は一瞬にして大騒ぎになり、そこら中で騒音が響き始める。


 紅の胸に鼻先を埋めていたほたるが、すっくと立ちあがり、涙と洟を拭いた。そしてトロンととろけた眼と、赤い顔で、静かに宣言する。


「ほたる、ケイくんと結婚してきます」


「えぇその意気よほたる! 応援してるわ!」


 その次の瞬間、ほたるも消えた。否――、消えたように移動したのだ。

 その場に風が吹き荒れる程の初速。バキリと床が抜けていた。ほたるは、異常なスピードで酒場の隅で取り押さえられているアズマの元へ向かう。


 ――あれでCランク……?


 さくらには、ただほたるが移動したという事しか分からなかった。

 その軌跡も一切眼で捉えられなかった。風が吹いていなければ、本当に消えてしまったと勘違いしただろう。


「あの野郎また消えたぞ!」「おいどこに逃げた!?」「ふざけやがって」「あの調子乗りのクソ馬鹿は一回痛い目見せといた方がいいぜ!」「オレたちのほたるちゃんを独り占めしやがって……ッ!」「ぜってぇ許さねえ!」「おいアイツ外に逃げだぞ」「追え!殺せ!」


 酒場にいた半分くらいの血気盛んな冒険者たちが、怒号をあげて外へ飛び出して行く。


「あの……、大丈夫なんですか? あれ」


 さくらが心配そうに酒場の出入り口を見る。


「気にしなくていいわ。いつものことだから」


 紅は背負っていた大剣を壁に立てかけてから、さくらの正面へ腰を下す。そして、呑気に料理を口に運んでいた。


「いつものこと……」


 こんな大騒ぎがいつも繰り広げられているのを想像して、さくらが苦笑いを浮かべる。


「そう、いつもこんな風に賑やかなの、楽しいでしょう?」


 さくらにやわらかく微笑みかける紅。

 さくらは、酒場内で己を包み隠さず笑い合って騒いでいる冒険者たちを眺め、頷いた。


「そうですね……。とても楽しそうです、自由で」


 この酷く不自由に限られた世界の中で、自由に、自分のチカラで素晴らしいナニカを手に入れる冒険者に憧れた。

 冒険者なんて危ない仕事だと猛反対する親に反発して、自分の意志でさくらは立派な冒険者になろうとしている。

 五年前、街に侵入した《夢邪鬼》に襲われていた所を、紅に助けられたあの日から。


「あの、紅さん」


「なにかしら?」


 優雅な手つきで紅色の葡萄酒を鮮血色の唇の元へ流していた紅が、そっと首を傾ける。

 この自由であるが故、粗野で品の欠けた騒がしい場所において、紅が纏う空間だけ華やいで見えた。

 酷く無邪気なのに洗練されている。荒野に凛と咲く紅色の薔薇を想起した。


「あの日、私の事を助けて頂いて、ありがとうございました」


 さくらは一度深く頭を下げてから、紅を見る。


「紅さんは覚えてないかもしれないですけど、昔、私、危ない所を紅さんに助けてもらって、あの時の紅さんの言葉を聞いて、冒険者になろうと思ったんです」


 紅がさくらを見つめ返す。

 その燃えるように紅い瞳は、さざ波一つ立っていない澄んだ湖を思わせた。彼女が今、何を考えているのか分からない。

 時が止まったかのような錯覚。


 不意に、紅の顔に彩りが戻る。

 ふっと紅が笑みを湛えて、「そう」と呟いた。


「思い出したわ。あなた、あの時の女の子ね。大きくなったのね」


 そう言う紅は、さくらの記憶に残る当時の姿と何も変わっていない。一体彼女は何歳なのだろうと、さくらはふと思った。


 紅は心底嬉しそうな言葉と表情で、さくらに笑いかける。


「さくらは私をキッカケにして冒険者を志してくれたのね。それはとっても嬉しい事だわ。さくらを見た時に、どうも他人と思えなかったのはそういうことね」


「はい……。ホントは、冒険者の仮免許を取れた時から、ずっとお礼を言いにこようと思ってたんですけど、中々勇気が出なくて」


「気にしなくていいわ。さくらがそんな風にお礼を言ってくれた事実だけで、とっても幸せだもの。これは何としてもさくらはウチに入ってもらわないとダメね」


「は、はい! 私、頑張ります! 頑張って、ライセンス試験に受かります」


「アズマはああ見えてとても優秀な冒険者よ。素直じゃないところもあるけど、アズマを信じていれば大丈夫。思う存分、鍛えてもらうといいわ」


 そこで一瞬、紅は出口扉の方を見やって、さくらに言う。


「その代わり、さくらもアズマのことをよろしくね」


 どこかおどけるように片目を閉じる紅に、彼女が言った事の意味がよく分からず首を捻るさくら。

 それが意図する所をさくらが考えようとすると、紅が話題を転換する。


「ところで、さくらの名前ってとても素敵よね。さくらは、本物の桜を見たことはある?」


「いえ……まだ」


「まぁ、そうよね。昔は春になれば日本の色んな所で桜が咲いていたのだけれど、最近夢幻特区以外の場所はどこもかしこも溢れた人間たちが住むためのビルばかりで緑がほとんどないものね」


「そう、なんですか?」


 紅の言う昔がどれくらい前を指しているのか分からず、さくらはきょとんとした表情を浮かべる。


「あ、でも、京都区の方に行けば見れるっていうのは、知ってます」


「あぁ、確かに京都の方にはまだ少し咲いてるわね。でも、もっと素敵な所があるのよ。もう数えきれないくらいの桜が一斉に咲いている場所が」


「そ、そんなところが……」


 自分の名前の由来となっている桜の花は、当然さくらにとって特別だ。

 俄然興味を惹かれる話である。


「ええ、その場所はね、富士山よ」


「富士山……ですか? あの奈落森林の向こうにある」


「そうよ。あんまり知られてないけど、今の富士山の頂上の近くには、千本桜があるの」


「千本桜……」


 〝千本桜〟、初めて聞く言葉だが、強く心が惹かれる響きである。


「富士山は不死鳥が封印されてる不死の山。だからあの辺りは、生命に溢れているのよ」


〝不死鳥〟は《神話的夢想ミソロジー》と呼ばれる超越存在の一つだ。

〝神話〟という人々の夢想の極致が具現化したもの。


 富士山を取り巻く環境がありとあらゆる生命に溢れ、ベテランの冒険者でも滅多に近づかない過酷さを呈している原因が、富士山に封印された不死鳥にあるとの噂はさくらも聞いたことがあった。


「千本桜も不死鳥の恩恵を受けた内の一つね。辺り一帯に桜が咲いていてとても素敵で最高の眺めだから、いつか行ってみるといいわ」


「でも、私なんかが富士山に行ったら、何かをする前にすぐ死んじゃう気がします……」


「――なら、強くなればいいじゃない」


 テーブルに頬杖をついた紅が、慈母のようにやわらげで、酷く無邪気な微笑みを鮮血色の唇に含める。


「冒険者は、自分のチカラで自分の夢を掴み取る〝夢追人ドリーマー〟なんだから」


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