4.不知火VS.水龍
【ギルド不知火】の地下には、土を押し固めて作られたフィールドと、それを取り囲むようにして設置された観客席があった。
数多の冒険者たちがめいめいに前方の席を陣取っていく中、アズマたちは後方のフィールド全体を見下ろせるような席に腰掛ける。
「ここは決闘場だ。冒険者ってのはどいつもこいつも我が強い上に、上昇志向バカだ。同じギルドの仲間同士でもよくモメる。ギルドによってルールは違うと思うが、【不知火】は内輪でモメた時、実力一本でこの場で決着を着けることが多い」
アズマが、右隣に座るさくらに説明するように言った。アズマの左側の席には、ほたるが陣取っている。さくらは関心の視線でフィールドを眺めながら、アズマに尋ねる。
「そういうのはよく聞きます。今日も、【不知火】の方たちが決闘するってことですか? 随分盛り上がってるみたいですが」
確かに、自分より優れた冒険者同士の戦いは、本来想定する《夢邪鬼》相手の戦闘とは異なる箇所もあれど、参考になるだろう。
「いや、今日のはちょっと趣向が違う。ウチはこの前、【水明の月】っていうギルドとちょっとモメたんだが、その時色々あってな、まぁ互いのギルドの代表同士で決闘して決着を着けることになった」
「まさかそれって……、ギルドマスター同士ってことですか?」
「そうだ」
「え、【水明の月】って、あの【水龍】がマスターをやってる所ですよね? 【不知火】と【水龍】が戦うってことですか!?」
「まぁな」
「た、大変なことになるんじゃ。……というか、そんなことやって、《冒険者協会》からは何も言われないんですか?」
「いや、《協会》にバレたらペナルティを喰らう。だから内密にやってる。今日のことも互いのギルドの関係者にしか知らされてないし、ここにいる奴らも基本的にはどっちかのギルドの冒険者だ。まぁ、どうせ後でどっかから漏れて《協会》には叱られるだろうが」
そもそも冒険者は、《夢幻特区》という危険地帯に赴いて、人類に害を成す《夢邪鬼》を駆除し、発展のために謎多き事象を調査するのが主な仕事だ。
《夢幻特区》が国土の九割を占める日本にとって、冒険者は無くてはならない存在である。
冒険者同士で無駄な争いを起こし、貴重な人材を失うのは、彼らを統括している《日本冒険者協会》からすれば本意ではない。
お願いだからやめてくれ、というのが彼らの正直な気持ちだろう。さらに言えば、末端の冒険者たちならまだしも、今日決闘をする二人は、冒険者たちの中でもトップクラスの二人だ。
仮にこの決闘が原因で、その二人が後に響く手傷を負おうものなら、《協会》としては頭を抱える事態になる。
「《協会》は理想が高すぎるんだ。腕っぷしの強さで飯食ってる荒くれたちが、話し合いで物事を解決できるわけがない。お前らが通ってる冒険者学校も、《協会》が〝まとも〟な冒険者を育てるために作った機関らしいが、俺には意味があるとは思えないな。冒険者はどこまで行っても冒険者なんだ。むしろこうやって決闘の体裁を保ってるだけでも随分とマシなもんだな」
「そういうもんなんですかね? 話し合いで解決できるならそれに越したことはないと思いますけど……。だって、冒険者の敵は《
さくらが少し疑問を含むように言った。
「少なくとも、ウチのマスターはそう思ってないぜ」
フィールドの端にある扉から現れた少女と壮年の男。二人はフィールド中央にまで歩いてきて、向かい合う。
赤い髪の少女は悠々と、藍色の髪の男は傲然と、視線を交わしている。
隣にいる審判のような人物も含めて、何かを話し合っているようだが、ここからだと何も聞こえない。
アズマはフィールドを見下ろしながら言う。
「いつだったかマスターが言ってたな。冒険者の敵は、自分の夢を邪魔するヤツだって」
「夢、ですか」
さくらが考え込むように顎先に指で摘まみながら、フィールドに視線を落とした。
その時、前段の席列に一人の青年――仁斗が走って来て、下の席からアズマを見上げた。
「なぁアズマ! 聞いてくれよ」
「なんだよジン、騒々しいな」
「ウチの奴ら、誰も【水龍】に賭けようとしないから賭けが成立しないんだよ。だからアズマ、【水龍】にいくらか賭けてくんね?」
「やだよ。向こうで固まってる【水明の月】の奴らに持ち掛けてこい。大体、ウチの奴らがマスターの負けに賭ける訳ないだろ」
「でもこんなオッズ見せたら【水明】の奴らに殺されそうだし」
仁斗がアズマにスマホの画面を見せる。それを横で覗いていたほたるが「あらー」と声を漏らした。
「これは酷いですね」
「か、賭けもやってるんですか?」
アズマの左隣にいるさくらが少し引き気味に言う。
「まぁ、賭けられる所ではとりあえず賭けておくのが冒険者だ。少なくともウチの奴らはそうだな、アホとバカしかいない」
「これも《協会》にバレたら怒られるんじゃ……」
さくらが呟く。
すると、それにほたるが反応した。
「バレなきゃいいんですよ、バレなきゃ。さくらも賭けてみます?」
「私は……、遠慮しておきます」
「ですよねー、ウチのマスターが負けるのはあり得ませんし、こんな状況じゃマスターの勝ちに賭けても意味ないですもんね」
――そういう意味じゃないんだけど……。
さくらは、涼しげにフィールドに視線を向けるほたるを見て、彼女が【不知火】の勝ちを疑っていないことを悟る。
自分が所属するギルドのマスターを贔屓するのは普通のことだが、ほたるの口調は万に一つが起きても、【ギルド不知火】のマスター――ギルド名と同じ【不知火】の名で広く知られる紅が、負けることなどあり得ないと確信している。
その後すぐ、フィールドの一段上にある審判席に座った人物が、マイクを使って会場内に呼びかける。
「――それでは、今から【不知火】と【水明の月】の代表者同士による決闘試合を開始します。どちらかが負けを認めるか、戦闘不能になった時点で決着です。この試合で勝利したギルドが、先日両ギルドによって発見された《エニグマ》――【炎剣〝フランマ〟】の所有権を得るものとします」
――エニグマ……?
聞きなれない言葉にさくらが首を捻っていると、フィールドを取り囲む観客席の各場所に散った冒険者たちから、喧しい野次が飛び交う。
空間に、熱気が渦巻き始める。
この場にいる観客は計二百人ほどで、その内の四割ほどが【ギルド水明の月】の冒険者であると見受けられた。
残りの六割は【不知火】の関係者だ。
フィールドに立つ両者は、十メートルほど離れた位置で向かい合うと、互いに構えを取る。
【水龍】の二つ名を持つ壮年の男は背中から直剣を引き抜き、対する
紅が水龍に笑いかけ、水龍の厳めしい顔つきが、さらに厳しく歪められたのが観客席からでも分かった。
「あー、ありゃ水龍のオッサンに勝ち目はないな」
アズマの一つ前の席に深く腰を下ろした仁斗が、微苦笑を漏らした。
「――それでは、開始してください」
審判のその声を合図に、フィールド中央で向かい合っていた両者が動いた。
目にも留まらぬ閃光のような初速。瞬きの間に水龍は紅との間合いを詰め、片手で構えた直剣を振り下ろす。
風を切り裂く音が響き、その刃は紅の右肩から左腰を袈裟懸けに迷いなく斬り裂いた。
「あ――っ」
さくらが思わず声を上げた。
血飛沫が舞い、紅が倒れ伏せる光景を幻視した。
しかし刃が通った後の紅は傷一つ負っていない。続けて水龍は洗練された剣裁きで紅を斬り刻んだ。
確実に刃は当たっているのに、紅がその斬撃の影響を受けた形跡は一切見られない。
「ふふっ、あはははっ! まったく水龍ったらせっかちよね! 顔が怖いわよ? 久しぶりにこうして手合わせするのだから、もっと楽しんでいきましょう」
タッと後ろに跳んで水龍から距離を取り、紅はこの広い会場内にもよく通る声で笑った。
「ほざけ! いちいちイラつくやり方しやがってテメェは! ぜってぇぶっ潰す!」
水龍の怒声が響き渡り、彼は無手の左腕を振るった。
水流が彼の正面に渦巻き、うねり始める。何もない虚空からズルズルと激流が吐き出され、大蛇のように蜷局を巻いた。
【水明の月】のギルドマスター【水龍】は、《
例えば、アズマがその身に刻んでいる《発水法章》が、ただ水を生み出すだけの効果しか持たないのに対して、【水操作】は水を顕現させ自由に操るチカラだ。
それだけでなく、通例として、《夢能》による異能力は《法章》によるソレよりずっと強力である。
「相変わらずいい夢を持ってるわね水龍! まっ、それでも私の夢には劣るけれど」
蜷局を巻きながら長大に伸びた激流は、やがてその形を龍へと変える。
矢のように鋭い水飛沫を周囲に散らしながら、水の龍は顎を大きく開き、余裕の笑みを浮かべる紅を呑み込む。怒涛の水量が迸り、フィールドを深く抉りながら轟音を響かせた。
土で押し固められた地面が弾け、濁流となった水塊はさらに飛沫を上げながら渦巻く。
紅の小さな人影を決して逃がさないように、その場に押し留めるように高速の渦を生み出し、さらにその上空から隕石の如く水塊が降り注いだ。
容赦のない怒涛の連撃。
爆音が連続して響き、客席の一部から歓声が上がった。
しかし一転、紅を呑み込む激流が、突如として弾け飛んだ。
渦水の中央から火柱が天を衝き、龍へと形を変える。たった今、水龍が生み出したのと瓜二つの紅炎龍。
炎の龍は悠然と宙をうねりながら熱気をばらまき、正面の水龍を呑み込まんと顎を開く。
しかし、その燃え盛る牙が水龍の体を貫く直前で、龍の燃える体躯は、天から降り注ぐ激流にかき消され蒸発した。
ジュウと焼け付くような音が響いて、急激な熱の変化による大気の揺らぎを挟みながら、紅と水龍は視線を飛ばし合う。
「あら、やるわね。前と比べて少しは成長したんじゃないかしら」
「てめえのそのムカつく物言いはどうにかならんのか!?」
その無防備な薄着も含めて一切の傷も、水滴の一粒すらも負っていない紅は呑気に楽しげに、金属製の胸当ての一部を焦がした水龍は歯噛みして腹立たしげに。
そこから、両者が繰り広げる戦闘は激化する。
水流と炎龍が、水渦と炎渦が、水飛沫と炎飛沫が飛び交い、辺り一帯を抉り、焼き尽くす。
それらの戦闘の余波は、野次を飛ばしまくっている観客席の冒険者たちまで及ぶが、不思議な事にその直前でふっと幻のように掻き消える。
ある時、紅が放った炎弾が水龍によって弾き飛ばされ、それが客席上段で観戦しているさくらたちの元まで飛来した。
さくらは咄嗟にそれを避けようとするが、それがさくらの手前に到達する寸前――、水龍と戦闘中の紅が、その炎弾を一瞬――、ほんの一刹那だけ視界に入れた。
すると、炎弾は泡沫の如くフッとやわらかに消え去る。
「あ、あの……さっきから、何が起こってるんですか?」
正直、フィールド上での戦闘が激しすぎて、一つ一つは何が起こっているのか全く分からない。
数少ない分かる事と言えば、目の前で行われている戦闘が、冒険者におけるトップクラス同士の決闘が、今の自分にとっては遥か及びもつかない高みの次元にあるということ。
そして、観客席まで及びそうな戦闘の余波が、謎の力によって掻き消されているということだ。
さらに言うなら、その攻撃そのものが消えるという現象が、紅によって引き起こされているというのも何となくわかる。
逆に言えば、それくらいしか分からない。
「あぁ、さくらはウチのマスターの《夢能》を知らないんですね」
さくらは隣のアズマに話しかけたつもりだったが、答えてくれたのはそのさらに隣に座るほたるだった。
「まぁ確かに、一般には公開されてないですからね。冒険者たちの間では割と有名ですし、ネットでも噂くらいは広まってるみたいですが」
「じゃあ、あの噂って本当なんですか……?」
普通、冒険者は自分のチカラをそう簡単に公開したりしない。
しかし、一ギルドのマスターなどの有名な冒険者は、ネット上でその情報が真偽関係なく共有されたりしている。
「さくらが指しているのがどの噂か知りませんけど、ウチのマスター、紅さんの《夢能》は、【
「りあるを、まぼろしに……?」
それを聞いただけでは一体どんな能力なのか想像できない。しかし、目の前で起こっている異常現象に、その説明通りの理屈を付けるなら――。
「まさか、自分に当たる全部の攻撃の実体を無くして、相手の攻撃を無効化してるってことですか?」
「そうそう、そんな感じだと思います」
「えぇ!? そんなチカラ、無敵じゃないですか!?」
さくらが驚愕の声を上げる。
その時、隣のアズマが呆れたように言った。
「あのなさくら、俺の《夢能》を聞いた時も似たような事言ってたが、そんな能力ある訳ないだろ」
「え、で、でも……。攻撃が当たらないんじゃ、相手はどうしようもないんじゃ」
「確かにそうだ。でもそんな都合の良い出鱈目なチカラを使うには、膨大な《
「あ、そっか」
つまり、今紅と戦っている水龍は、紅の《夢源元素》が切れるまで、攻撃を当てまくって耐え抜こうとしている訳だ。
「……ただ、まぁ。あんな無茶苦茶なチカラの使い方をしているマスターが、《夢源元素》を切らしているのを俺は見たことないけどな」
「ほたるも無いです」
ほたるが頷きながらそう言って、アズマの一つ前の席で後頭部を抱えながら観戦している仁斗もそれに続いた。
「おれもないな。というか聞いたことがない」
「え……」
仁斗は、紅が放った炎の雨を防ぎ切って肩で息をしている水龍を憐れむように眺めながら言う。
「しかもマスター、客席を巻き込むような攻撃までわざわざ消して、水龍のオッサンを煽ってるんだぜあれ。いつでもヤれるはずなのに《法章》を無駄に使って必要ない派手な炎まで演出して、あんなのやられたらイラつくだろうなぁ。ほんと、ウチのマスターは性格が悪い。Aランクの冒険者がここまで弄ばれる光景なんて、他じゃ滅多に見れないぜ」
くつくつと、仁斗は可笑しがるように笑みをこぼしながら、独り言のように続ける。
「ウチのマスターだけは、何があっても敵に回したくないね。ほんとおれは【不知火】に入ってよかった。水龍のオッサンもマジでバケモンみたいに強いんだけどなぁ。相手が悪すぎる。オッサンには、同情する」
その数分後、無傷の紅の前にチカラを使い果たした水龍が膝を着き、決闘は紅の勝利で幕を閉じた。
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